木漏れ日で微睡みを ~もふもふたちと幸せな生活~

山吹レイ

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 雨が激しく家を叩いている。風がぴゅうぴゅうと吹く音に混じり雷が鳴り響く。ここまで雨や風が強いのも珍しい。
 間一髪で濡れずに家にたどり着けたのはよかった。
 怪我をしている男性を慎重にベッドに寝かせると、さっそく傷の手当てをする。
 医者ほどの知識も経験もないが、薬草を使った治療や手当はできる。こんな場所で一人暮らしをしている以上、擦り傷は日常茶飯事だし、食べ慣れないものを食べて吐いてしまったり、知らない植物に触れて手がかぶれたりしたこともあった。
 そのたびに混乱して大騒ぎしていたものだが、今では冷静に対処できる。図鑑や日記に書かれていたものを頼りに、薬草を乾燥して瓶に入れて保存しているので、かぶれや虫に刺されたりしたときにはそれらを溶かして塗り薬で処置したり、疲れや腹痛には薬草を煎じたものを飲んで治療と回復を促す。
 ベッドに横になっただけで脂汗が浮いている男性をゲンタが心配そうに見ている。
「足を滑らせて斜面を落ちたんだ。右足が折れているのかもしれない」
 男性の言葉を聞いて、ゲンタの手を借りて足からブーツを脱がせて、服をはだける。
 細かく刺繍が施された手触りがいい服や、首から下げた一見ただの石に見えるが大粒の黒曜石、見たことがない文様が描かれている腰に差した細身の剣などから、男性は貴族もしくは王族など地位が高い人なのかもしれない、と一瞬頭を過る。
 あまり関わってはいけない人なのかもしれないと、一抹の不安を感じたものの、自分から助けると決めた以上できる限りのことはするつもりだ。
 腫れて熱を持った足首を見て、軽く触っていく。それだけで痛そうだったので、捻っただけなのか折れているのか判断がつかないが、最悪の場合のために、添え木をつけて足を固定し、動かないように強く包帯を巻いた。
 その他、擦り傷があった掌には、土を綺麗に洗い、消毒して塗り薬を塗って包帯を巻く。痛いと言っていた背中や尻には傷はなかったが、青あざや内出血になっていた。これは滑ったときに強く打ったせいだろう。あとは男性自身の治癒力と体力でゆっくりと治していくしかない。
 世界樹の葉を数種類の薬草と一緒にすり鉢で一緒に潰したものをお湯に溶かし、飲むように勧めた。素早くゲンタが僕の手から奪い取る。口に含んで飲み、異常がないことを確認してから、やっとゲンタが男性に渡した。一気に飲み干した男性は、しばらく目を開けてゲンタと話をしていたが、気がつくと眠っていた。
 側で処置を手伝ってくれたゲンタはほっと安堵したようだった。
 僕も一息ついて、ベッドの脇に座りこんだ。
 自分の傷を治したことは幾度もあるが、他人の体に触れて処置したことはなく、手が心なしか震えていた。自分がやらなければという責任感と、何度も『助かった、ありがとう』と感謝する男性のために頑張った。
 気がつけば、かなり時間が経っていて、お腹もすいた。
 屋根の隙間から雨がポタリポタリと床に零れ落ちていて、慌てて器を床に置く。
 ゲンタは男性の側にいて片時も目を離さない。
 フラムはテーブルの上に乗って男性たちに目を光らせていて、ヴァンはドアの前で座って寛いでいる。
 疲れていたが、とりあえず、かまどに火をつけて料理を作った。
 薬草を入れた麦粥と、かぼちゃと豆のスープ、野菜のサラダ、それとパンも焼く。
 作った料理を器に盛りながら、皿も足りず、スプーンもフォークも一人分しかないことに気づいた。
「どうぞ、食べてください」
 男性を起こさないように小声で言うと、ゲンタがどうしようか悩んでいる様子を見せる。
「食べると元気が出ますよ」
 さらにもう一声かけると、ゲンタが重い腰をあげてこちらに来た。
「これはあんたが?」
「はい。簡単なものしか作れませんけど」
 ゲンタは注意深く匂いを嗅いだ後、思い切ってスープを一口飲む。「うまい」と呟き、パンを頬張った。野菜サラダも麦粥も大口を開けて食べていく。
 よほどお腹が空いていたようで「スープ、おかわりしますか?」と訊くと、大きく頷いた。
 スープをたっぷりと盛って出すと、僕も立ったままパンを齧り、麦粥を鍋から直接パンですくって食べる。
 この場所に他に人が来ることを想定していなかったので、一脚しかない椅子はゲンタが座っている。
 せめてもう一脚の椅子や揃った食器が必要だった。
 ゲンタは食べながら、雨漏りに目を留めたり、フラムやヴァンや僕のほうをじっと観察したりしている。
 今更ながら自分の格好が気になって恥ずかしくなった。服はこまめに洗ってはいるが、つぎはぎだらけで擦り切れている。髪だって、自分で適当に切るので長さがまちまちだし、櫛で梳かすなんてほとんどしてない。家は修繕もしていないぼろ屋だ。
 どんな生活をしているのか、他人から見たら一目瞭然だろう。
「ありがとう。うまかった」
 素直に礼を言われて「いえ……」と言い返したが、会話が続かない。
 何を話せばいいのかわからなくて、食べた食器を片づけたり床を拭いていると、ゲンタが言いにくそうに訊いてきた。
「あんたはその……ここで一人、暮らしているのか?」
 この質問は想定内で、いつか訊かれると思っていた。誤魔化しても明白だったので「はい」とだけ答える。ゲンタは「そうか……」と言って沈黙してしまった。
 雨音はするが、雷や風の音がしなくなったことに気づく。これで雨も止めばいいのだが……などと考えていると、ややしてゲンタが静かに訊いてきた。
「どうして子供が一人でこんな場所に?」
 一歩踏みこんだ質問も当然されると思っていたので、言葉を選びつつ話した。
「捨てられたんです。そのときに、神獣のヴァンとフラムに助けてもらって……それ以来ここに住んでいます」
 ゲンタの目に痛みと悲しみが過る。それと同情も。彼は悪い人ではないのだ。
「ここは魔物が出る。灯りがあると寄ってこないが、不安だろう」
 蝋燭の蓄えは僕が使い切れないほどある。というのも、以前ここで暮らしていた人も魔物が怖かったらしく、大量の蝋燭が残されていた。
 ヒトツメであるシロはどんな灯りでも怖がらないが、ほとんどの魔物は日の光を嫌がる。日中もほとんど姿を見せない。
「たくさん蝋燭があるので……大丈夫です」
 僕は色々考えながらも、あまり多くを語らず言葉を濁した。魔物は怖くないから平気です、などと言おうものなら、すぐに反論されるのは目に見えている。誰もが魔物は怖いものと信じている、そのことを理解してもらうのも覆すことも難しい。服の中で呑気に寝てしまったシロが、人懐こく温厚という性格だと話しても納得できないだろう。もしかしたら攻撃してくるかもしれない。僕だって、ここに暮らして魔物と接してきたからわかったことも多い。
「大丈夫だと思えるのは、神獣様に守られているせいもあるのだろうな。だが……こんな恐ろしい森で暮らすより安心して町で生活する選択もあっただろう」
 至極真っ当な言葉だと思うが、事情があってこの森で暮らすという選択をしているのでこれ以上立ち入ってほしくなかった。そんな思いから、口を噤んで俯くと、ヴァンが立ち上がってふらりと僕の側に寄る。
 慌ててゲンタが言った。
「いや……その……子供が一人この森で暮らすには辛かろうと思ってのことだ」
 唸るような声で間髪入れずにヴァンが答える。
『我らがついている』
 ゲンタは驚いた表情をしたが、すぐに頷いた。
「神獣様がそう言うなら理解した。もうこれ以上は訊くまい」
 ヴァンの言うことにゲンタは簡単に納得してしまった。僕が話してもなかなか理解してくれなかったのに、神獣だと話が通りやすいのは、なんだか悔しい。
 僕がまだ子供で頼りなさげに見えたからかもしれないが、もう十五歳だ。ブロン国では十五歳から成人となり結婚もできるのに……と思っていると、ゲンタはふっと目元を緩める。
「すまない。ちょっと心配しただけだ」
 謝られては、何も言えなくなって頷くしかなかった。
「俺はゲンタという。ロクショウ国で木こりをして生活している。あんたは?」
 穏やかな口調になったのは、僕が不審人物ではないとわかってくれたからだろう。
「レネです」
 名乗るとゲンタは唐突に深々と頭を下げた。
「失礼な態度をとって悪かった。それと、あのかたは……俺の大切な友人だ。助けてもらって感謝している」
 慌てて首を横に振ったが、ゲンタは頭を下げたままだ。
「そんなたいしたことはしてないので……」
 ヴァンは寝ている男性に目を向けて言った。
『あの男から青龍の匂いを仄かに感じる。もしや血族か?』
 はっとしてゲンタは息を呑み、目を泳がせて「ええっと……」と言葉を探そうとしている。
『奴は人間との間に子をもうけたと言っていたが、本当だったのだな』
 ヴァンは遠くを見るような目で語る。前は神獣が四体いたが、今はもう白虎と朱雀しかいない。詳しいことはわからないが、青龍は数千年前に、玄武は数十年前に亡くなったとフラムが言っていた。
 ただ、青龍の子孫がいたとはじめて知った。というか、神獣と人間が交わって子供ができるのも驚きだった。
 ゲンタは知られたくない秘密を明かしてしまったかのように、項垂れて顔を手で覆ってしまった。ここまで言われては隠すこともできないと判断したのかもしれない。
「白虎様……確かにこのかたは青龍の血を引いています」
 雨音に消えそうなほど小さな声だった。
『青龍の死は無駄ではなかったということか……』
 今まで口を挟まなかったフラムがぽつりと呟いた。
「もちろんです。青龍様の命は大切に繋いでいます。我が国は青龍様のおかげで今まで栄えてきたのです」
 顔を上げたゲンタは熱っぽくまくしたてた。青龍が亡くなった後もロクショウ国の人たちに慕われ崇められている。
『人間はもう我々のことなど忘れてしまったと思ったがなあ……』
 ヴァンのため息に似た小さな声は、悲しげであった。
「我々は忘れていません。何千年経とうとも青龍様はロクショウ国の人間にとって導きです」
『我もそうありたいものだ』
 ヴァンがそう言うとフラムが誇らしそうに顔を上げた。
『シャンティアラスは我を祀ってるぞ。信心深い。いい民たちだ』
『そうだな』
 こういうとき、競うように互いに言い争うヴァンとフラムだったが、フラムの偉そうな口調にもヴァンは肯定しただけだった。
 ゲンタが疲れた様子で欠伸をした。
「もう休みましょうか。……ただベッドが一つしかなくて……」
 促すとゲンタは眠そうな顔を撫でて椅子から立ち上がった。
「床でいい。雨が凌げるだけでありがたい」
 ゲンタは男性のベッドの側に行き、寝顔を確認してから、その横に壁に背をつけて座る。
 ほどなくして、静かな寝息が聞こえはじめた。
 ゲンタがロクショウ国の人間ということは、以前からなんとなく察していた。
 木こりと言ったように背は高くないががっちりとした体格で、男性を支えて歩いてもふらつく僕と違いしっかりとした足取りだった。
 蝋燭の灯りに照らされたゲンタの顔に深い皺が刻まれている。黒い毛に混じり白髪が目立つ。体格がよかったからあまり気にしていなかったが、こうして見ると、おじさんというより、おじいさんに近い年齢なのだとわかる。ベッドで寝ている男性は若く、二人はかなり年が離れているように思えたが、どういう関係なのだろうか。
 青龍の血を引いているという男性は明らかにゲンタより身分が高い。着ているものも違えば、仕草や言葉からもわかる。
 勘ぐったところでわからないし、知ったところで人里離れて暮らす僕には関係ない話だろうが、なんとなく胸がざわつく。この落ち着かない気持ちは、この森に来てはじめて他の人と出会い、自分の家に招き交流を持ったせいなのかもしれない。
 欠伸がでて目を擦る。眠いのに気持ちが高ぶっていて眠れそうもない。
 するとゲンタが寝たのを見計らったように、僕の影からぬっと黒い靄が現れ、小さな子供の形をとった。魔物のカゲナシである。
 実は蝋燭程度の灯りなら魔物は怖がらない。それを伝えたところで、魔物は人を襲わないと言っても信じない人には、混乱と恐怖を与えるだけだ。
 カゲナシは影の中でしか生きられず、自身は実体がなく影を持たないから、夜が一番活発になる。毎晩現れては、僕が寝つくまで側にいるので、今日はなかなか姿を現すことができずに困っていただろうに、いつもどおり元気だ。黒い靄が縦にも横にも広がる。これは喜びの合図だ。
「ダーク、今日は遅くなってごめん」
 僕がはじめて会った魔物でもあるこのカゲナシは、見た目こそわけがわからず恐ろしいものに見えるが、性格は穏やかで黒い靄の形を変えたりして感情を伝えるお茶目な一面もある。
 シロ同様ダークと名前をつけて他のカゲナシと区別をつけている。
 影に混じってしまうとどこにいるのかわからないため、存在がわかるように銀色のリボンをあげたが、思いのほか気に入ったようでいつも身に着けている。
 曲がっているリボンを直してやると、黒い靄が手の影にまとわりついてくる。ありがとう、と言っているのだ。
 魔物は喋るものと喋らないものがある。シロは毛の中に小さな口が隠れているが喋らないし鳴き声もない。ダークに至っては口があるのかすらわからない。ただ、僕の言っていることは理解しているようである。
 靄が手の影から離れると、今度は腕が泡だったように変形していく。別の魔物が現れたのだ。色や姿かたちを自由自在に変えられる魔物、ヒヤクだ。僕はこの個体を他のヒヤクと区別してメイと名づけている。
 腕から離れたメイはテーブルの上に降り立つ。丸みのある半透明した水色のぷるぷるした生き物に擬態している。スライムだ。ヒヤクの本体はどういう形をしているのか僕も見たことがないし、誰もわからない。常に何かに擬態していて紛れこんでいる。
 今も、いつからかわからないが腕についていたのだ。出る機会をうかがっていたに違いない。
 指で優しく押すと、メイは体を震わせて溶けテーブルの脚を伝って床に降りる。床には他のスライムの他にシロとは別のヒトツメが集まっていた。雨が嫌いだから、みな家の隙間から中に入りこんでくる。
 側に寄ってきたヒトツメの体を撫でて、部屋の隅に膝を抱えて座った。服の中に入っていたシロが、目を覚まして姿を見せる。他のヒトツメたちと一緒になって空中をふわふわと漂いはじめた。円を描き連れ添って動くヒトツメたちは踊っているようにも見える。
 再びこみ上げてきた欠伸を押し殺して、僕はぼんやりとヒトツメたちを眺める。
 ヴァンが僕の側に体をすり寄ってきて座った。ヴァンの体を撫でながら、ふと思い浮かんだ疑問を口にした。
「僕にとって、ヴァンやフラムは家族のような身近な存在だけど、他の人たちにとって神獣って崇められる存在なんだね。なんだか凄い。でもブロン国では聞いたことがないんだ。どうしてなんだろう」
 これは昔、ダレンと何度か話したことがあった。そのときダレンはなんと答えたのだろうか? 思い出せない。
『ブロン国は信仰が失われてしまった』
「どうして失われたんだろう?」
『さあな、失われてずいぶん経つ』
 ヴァンはあまり気にしていない様子だったが、なんだか哀しい。僕もこの森に来ることがなければヴァンと出会うこともなかったし、存在を知ることもなかった。だからこうして一緒にいるなら、今まで以上に大切にしていきたい。
「僕は敬うよ。ヴァンのこと大事だし、側にいてほしいもの」
『レネ……』
 僕とヴァンは互いに額を合わせて、信頼し合う。
 フラムはふんと鼻を鳴らした。僕に対して、というより人間に対してフラムはこういうとき辛辣になる。
『人々は簡単に忘れてしまう。もしかしたらシャンティアラスもそのうち忘れ去られるかもしれん。早々に死んだ青龍が一番幸せかもしれぬな』
「そんなことないよ。フラムだってシャンティアラスの人たちをいい民たちだって言ってたじゃないか。それと同じようにシャンティアラスの人たちもフラムのことを信じてる。だから疑ったら絶対にだめだ」
 思わずむきになってフラムに言い返した。だって信じていた人たちを疑うような真似をしたら、誰も信じられなくなる。僕はかつて信じて裏切られたが、それでも今は側にいてくれているヴァンやフラムを信頼している。
 フラムがふわりと羽を広げて床に降り立つと、僕の前まで来て首を垂れた。
『お前のその信じる強さと純真さは、どこからくるのだろうな』
 羨ましげにも純粋に驚いているように思えるそのフラムの声に、ヴァンは頷きながら『レネは本当にいい子だ』と頬を摺り寄せてきた。
「そんなことないよ」
 雨は静かに降りしきる。
 雨音を聞いているうちに、次第に目を閉じてヴァンの体に顔を埋める。
 もふもふの手触りと心地のいい音に、僕は知らず知らずのうちに眠りについていた。
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