無自覚オメガとオメガ嫌いの上司

蒼井梨音

文字の大きさ
53 / 53
第四部

しおりを挟む
休み明け、会社に着いた途端、いつもより視線が温かい――いや、妙にニヤついている気がする。
エレベーターを降りて席に向かうと、案の定、舟形先輩が机に肘をついて待ち構えていた。

「おはよ、直樹。……で? どうだったの?」
「な、なにがですか?」

横から桐島課長まで顔を出してくる。
「お前、ずいぶん楽しく休暇過ごしたんじゃないか。
顔色もいいし……ふふ、あれ? もしかして?」

完全に分かっている人の顔だ。
直樹は苦笑しながら椅子に座る。

「別に、なんでもないですよ。ちゃんと休んでただけです」
「“ただ休んでただけ”でその顔になるわけないでしょ~?」

「舟形、いいから仕事戻れ」
桐島課長が形だけ注意をしたけど、口元はしっかり笑っている。

俺は軽く咳払いをして、パソコンを立ち上げながら言った。
「……でも、ほんとに大丈夫です。
これからも仕事は、しっかり頑張りますから」

その表情は明るく、迷いがなかった。
迅さんと過ごした穏やかな朝の温度が、まだ胸に残っている。
それが背筋をまっすぐ伸ばさせていた。

舟形先輩は目を細める。
「うん、その顔なら安心だわ」


午後の会議室。
天城さんはいつもの余裕たっぷりの表情で、資料をめくりながら言った。

「じゃあ次の案件は……白鷹くん、これ追加で見ておいてくれる?」
「分かりました」

淡々と、でもそつなく返していく。
以前のような緊張も拒絶も一切ない。
距離の取り方が、自然に適切になっていた。

会議は滞りなく進み、最後のまとめに入ったころ――

天城さんが、ちょっといたずらっぽく笑った。

「ねぇ白鷹くん。
やっぱりさ、うちに来ない? 俺の元に」

舟形先輩がいたら絶対吹き出すだろう一言。
でも俺は落ち着いたまま、柔らかく笑って首を振った。

「行きませんよ。
俺は今のところで頑張りますから」

「そっかぁ、残念」

天城さんは肩をすくめたが、その瞳に以前のような“執着”は消えていた。
俺が確固とした安定を見せたことで、天城さんもようやく線引きを理解したみたいだ。

資料を片づけながら、ふっと息をついた。
心は軽く、穏やかで、会議の緊張がどこにも残っていない。
(……早く、帰りたいな)
胸の奥に自然と浮かんだその気持ちに、
自分で少し顔が熱くなった。


玄関の鍵を回すと、リビングの灯りがやわらかく漏れていた。
どこかほっとする、馴染んだ光。

「ただいま戻りました」

靴を脱ぐと、キッチンからすぐに返事が聞こえる。

「おかえり、直樹」

エプロン姿の迅さんが振り返る。
それだけで、一日の緊張がふわっとほどけた。

「仕事どうだった?」

「うん、ちゃんとやってきましたよ。
……また、天城さんから仕事誘われちゃいましたけどね」

俺が少し苦笑しながら鞄を置くと、
迅さんは目を瞬かせてから、ふっと柔らかく笑った。

「その言い方だと、冗談で返せたんだな?」

「はい。
“行きませんよ”ってちゃんと笑って言い返しましたよ」

「そっか。……がんばったな」

そう言って、迅さんは歩み寄ると、迷いなく俺を胸に引き寄せた。

大きな腕の中に包まれた瞬間、
全身から力が抜けていく。

(……ああ、帰ってきたんだ)

胸元に顔を寄せれば、落ち着いた迅さんの匂いがする。
疲れも、不安定だった自分も、全部溶かされていくようだった。

「天城さんの冗談にちゃんと返せる直樹なら、もう大丈夫だな」

「……うん。大丈夫です。
迅さんのところに帰ってくれば、ほんとに落ち着きます」

迅さんの手が、優しく後頭部を撫でる。

「おかえり、直樹。
ここが、おまえの帰る場所だから」

その言葉に、胸の奥がじんわりあたたかく満ちていく。

俺はぎゅっと抱きしめ返しながら、小さく微笑んだ。

「……ただいま、迅さん」

それは、世界でいちばん安心する“ただいま”だった。



※「番編」はここでおしまいです。続きはまたしばらくしたら更新します。
またよろしくお願いします。



しおりを挟む
感想 1

この作品の感想を投稿する

みんなの感想(1件)

ぴよこ
2025.10.26 ぴよこ

いやいや、充分可愛いですよ(*´∀`*)
迅さんを思って引こうとする姿を見てしまったら、これはもう離せないですよねぇ(*´艸`*)💕💕💕

2025.10.26 蒼井梨音

コメントありがとうございます(๑˃̵ᴗ˂̵)
そうなんです。
私も直樹がかわいいがとまりません。

解除

あなたにおすすめの小説

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

バイト先に元カレがいるんだが、どうすりゃいい?

cheeery
BL
サークルに一人暮らしと、完璧なキャンパスライフが始まった俺……広瀬 陽(ひろせ あき) ひとつ問題があるとすれば金欠であるということだけ。 「そうだ、バイトをしよう!」 一人暮らしをしている近くのカフェでバイトをすることが決まり、初めてのバイトの日。 教育係として現れたのは……なんと高二の冬に俺を振った元カレ、三上 隼人(みかみ はやと)だった! なんで元カレがここにいるんだよ! 俺の気持ちを弄んでフッた最低な元カレだったのに……。 「あんまり隙見せない方がいいよ。遠慮なくつけこむから」 「ねぇ、今どっちにドキドキしてる?」 なんか、俺……ずっと心臓が落ち着かねぇ! もう一度期待したら、また傷つく? あの時、俺たちが別れた本当の理由は──? 「そろそろ我慢の限界かも」

【完結済】どんな姿でも、あなたを愛している。

キノア9g
BL
かつて世界を救った英雄は、なぜその輝きを失ったのか。そして、ただ一人、彼を探し続けた王子の、ひたむきな愛が、その閉ざされた心に光を灯す。 声は届かず、触れることもできない。意識だけが深い闇に囚われ、絶望に沈む英雄の前に現れたのは、かつて彼が命を救った幼い王子だった。成長した王子は、すべてを捨て、十五年もの歳月をかけて英雄を探し続けていたのだ。 「あなたを死なせないことしか、できなかった……非力な私を……許してください……」 ひたすらに寄り添い続ける王子の深い愛情が、英雄の心を少しずつ、しかし確かに温めていく。それは、常識では測れない、静かで確かな繋がりだった。 失われた時間、そして失われた光。これは、英雄が再びこの世界で、愛する人と共に未来を紡ぐ物語。 全8話

恋が始まる日

一ノ瀬麻紀
BL
幼い頃から決められていた結婚だから仕方がないけど、夫は僕のことを好きなのだろうか……。 だから僕は夫に「僕のどんな所が好き?」って聞いてみたくなったんだ。 オメガバースです。 アルファ×オメガの歳の差夫夫のお話。 ツイノベで書いたお話を少し直して載せました。

すみっこぼっちとお日さま後輩のベタ褒め愛

虎ノ威きよひ
BL
「満点とっても、どうせ誰も褒めてくれない」 高校2年生の杉菜幸哉《すぎなゆきや》は、いつも一人で黙々と勉強している。 友だちゼロのすみっこぼっちだ。 どうせ自分なんて、と諦めて、鬱々とした日々を送っていた。 そんなある日、イケメンの後輩・椿海斗《つばきかいと》がいきなり声をかけてくる。 「幸哉先輩、いつも満点ですごいです!」 「努力してる幸哉先輩、かっこいいです!」 「俺、頑張りました! 褒めてください!」 笑顔で名前を呼ばれ、思いっきり抱きつかれ、褒められ、褒めさせられ。 最初は「何だこいつ……」としか思ってなかった幸哉だったが。 「頑張ってるね」「えらいね」と真正面から言われるたびに、心の奥がじんわり熱くなっていく。 ――椿は、太陽みたいなやつだ。 お日さま後輩×すみっこぼっち先輩 褒め合いながら、恋をしていくお話です。

伯爵家次男は女遊びの激しい(?)幼なじみ王子のことがずっと好き

メグエム
BL
 伯爵家次男のユリウス・ツェプラリトは、ずっと恋焦がれている人がいる。その相手は、幼なじみであり、王位継承権第三位の王子のレオン・ヴィルバードである。貴族と王族であるため、家や国が決めた相手と結婚しなければならない。しかも、レオンは女関係での噂が絶えず、女好きで有名だ。男の自分の想いなんて、叶うわけがない。この想いは、心の奥底にしまって、諦めるしかない。そう思っていた。

蒼と向日葵

立樹
BL
梅雨に入ったある日。新井田千昌は雨が降る中、仕事から帰ってくると、玄関に酔っぱらって寝てしまった人がいる。その人は、高校の卒業式が終わった後、好きだという内容の文章をメッセージを送って告白した人物だった。けれど、その返信は六年経った今も返ってきていない。その人物が泥酔して玄関前にいた。その理由は……。

何度でも君と

星川過世
BL
同窓会で再会した初恋の人。雰囲気の変わった彼は当時は興味を示さなかった俺に絡んできて......。 あの頃が忘れられない二人の物語。 完結保証。他サイト様にも掲載。

処理中です...
本作については削除予定があるため、新規のレンタルはできません。

このユーザをミュートしますか?

※ミュートすると該当ユーザの「小説・投稿漫画・感想・コメント」が非表示になります。ミュートしたことは相手にはわかりません。またいつでもミュート解除できます。
※一部ミュート対象外の箇所がございます。ミュートの対象範囲についての詳細はヘルプにてご確認ください。
※ミュートしてもお気に入りやしおりは解除されません。既にお気に入りやしおりを使用している場合はすべて解除してからミュートを行うようにしてください。