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4-2.
しおりを挟むティガーの厳しい問いに、心を落ち着かせるためにフィグルドは一度瞼を閉じた。精神体だからこそ、彼の感情がすぐに表に出て、神たちに伝わってしまうのだろう。レプスは興味深そうにフィグルドを眺めながら、窘める。
『神を害した魂は、永遠の闇に囚われるわよ』
「……心得ています」
フィグルドは精神を統一するために深呼吸すると、瞼を開けた。
「貴方が、害意を持ってリナリアから記憶を奪ったとは、思えない」
レプスは満足そうに微笑み、パチンと指を鳴らすと、何もなかった空中に大きく豪奢な神座を出現させた。そこにゆったりと腰をかけて、長い脚を見せつけるようにゆったりと組む。
そこへまるで付き従うかのごとく、すぐ横に雷神ティガーが立った。
『そうね。リナリアに与えた能力のうち、強力なものに対しては行使するために代償を払う仕組みをつくる必要があったの』
「強力……?」
『えぇ……。この世の理に干渉する力』
それは、本来存在してはならないような力だ。
死んだ人間を生き返らせるといった、無から有を作り出すのと同じ。つまり、神が定めた生命の理を破る……人が持つには大きすぎる力。
『でも、その力を使うか使わないかは彼女自身の判断に私は委ねた』
女神はひじ掛けに肘を置くと、頬杖をついて二人を見下ろす。その表情から先ほどまでの親しみやすさが消え、神としての厳格な言葉が落とされる。
『リナリアが記憶を失っているというならば、それは彼女の意思に他ならない』
大きな力と引き換えに失った記憶。リナリアは記憶の代わりにすでに何かの結果を得ている。つまり、記憶を取り戻すことは、代償をなかったことにするという制限を覆す違反行為だ。
「……では、彼女の記憶はどうあっても戻らないと?」
これまで、意思の強さを見せていたフィグルドの声音が、初めて揺らいだのを感じた。それは、絶望を感じる悲しみの色。
何故か、リナリアの心臓もぎゅう、と締め付けられるように苦しくなった。精神体で、さらに彼に触れているからだろうか。表情はさほど変わらないのに、彼の想いがダイレクトに伝わってくるようだった。だから、リナリアは思わず口を開いていた。
そのまま、何も言わなければ、幸せなセカンドライフが待っていたはずなのに。
「私が記憶を失うことになった能力とは、何ですか?」
リナリアからの言葉に、女神レプスがしばしの間目線を合わせてきた。今度はティガーの時と同じで、自分の小さな悪ささえ全てを見通してしまいそうな瞳に、リナリアの身体が緊張に硬くなる。無意識に、リナリアはフィグルドの腕だけでなく、服の裾も掴んで力を込める。
女神レプスの目が、にんまりと弧を描いた。
『あら、リナリア、貴方、面白いものを持っているじゃない』
そう言って頬杖をついていない方の手を軽く振った。すると、リナリアの鞄の蓋がふわりとひとりでに開き、手記が勝手に空中へ浮かんだ。
「!?」
ぎょっとして掴もうと手を伸ばすが、寸でのところで手記はそのまま女神の方へ飛んで行ってしまった。
女神の顔の前で、手記が開きパラパラとページが捲れる。
「か、返して……!」
どうしてだろう?ただの手記だ。しかも自分では読めない。別に奪われたからといってどうと言うことはないはずだ。なのに何故かひどく心許なくなる。
あぁ、そうか。
記憶を失ったことをなんてことはない、と自分は思っていたけれど。
それはきっと、あの手記に自分の失った記憶の部分が閉じ込められていると、無意識にわかっていたからだ。
あれさえ手放さなければ、自分は、自分でいられると。
『ふふふ、いいわぁ……貴方たち素敵ね』
読んでいるかすらわからないスピードで手記が最後のページまで捲られると、パタンと閉じた。レプスはうっとり恍惚とした表情で、寄り添い立ち並ぶ二人を見下ろす。
獲物を見つけた捕食者のような彼女の表情に射すくめられて、リナリアの身体が無意識に震えた。まるで守るように、フィグルドが一度リナリアの手を自分の腕からそっとはずし、その肩へまわすと自分の方へ引き寄せた。本来であれば今は互いの神がいることで、触れあっておく必要はなくなっているのだが、彼はリナリアの不安を感じ取って離れることをしなかった。
レプスの妖艶で見るものを魅了する微笑に、精神を飲み込まれてしまいそうな感覚が全身を襲う。リナリアは這い上がってくる恐怖にぎゅう、と瞼をきつく閉じた。
『レプス……』
不意に落ちたティガーの声に、突然、身体を襲っていた奇妙な圧がふっと消えた。
止めていた呼吸が復活し、肺に新鮮な空気が流れ込むことに、思わず肩で息をする。精神体だというのに、額にじっとり汗をかいていた。リナリアはフィグルドをちらりと盗み見た。
彼も表情はさほど変わっていないが、うっすら汗が浮かんでいる。
『あら、ごめんなさい。思わず興奮しちゃった』
うっかり失敗しちゃった、みたいな気軽さでそう言って、レプスはぺろっと唇を舐めた。隣に立つティガーの瞳に、見間違いでなければ呆れの色が浮かんでいる。
ティガーは、単体の時よりもレプスといる時の方が表情が表に出るらしい。どこか、フィグルドに似ている。
レプスが指先をくるり、と回すと、手記がリナリアの元へと戻ってくる。手を伸ばしてそれを掴むと、胸元に引き寄せて大切に抱きしめる。
『記憶を取り戻せるかどうかはわからないけれど』
女神は実に楽しそうに、また歌うように言の葉を紡ぐ。
『その手記と、ティガーの子がいれば、貴方たちに記憶の試練を受けさせることが出来るかもしれないわ』
「記憶の……試練?」
リナリアが小さく鸚鵡返しすると、女神は目を細めて肯定した。
『貴方に与えた能力の代償として記憶を失ってしまったことは変えられない。でも、貴方たちに過去起きた出来事を追体験させることは出来る。その手記と、ティガーの子の記憶を媒介にしてね』
手記と……フィグルドの記憶を……?
リナリアが頭を混乱させていると、横に立つフィグルドが口を挟む。
「その過去の記憶を追体験することで、リナリアの記憶が取り戻せるかもしれないということか?」
期待を込めた彼の問いかけに、レプスは小さく肩を竦めた。
『それはわからないわ。理を超える力の代償を取り戻せるかどうかなんて、私もやったことがない』
「……」
『それに、過去を追体験することで、再度記憶を消してほしいとリナリアが思うかもしれないでしょう?』
彼女が何を思い、記憶を失ったかなどわからないのだから、とレプスはフィグルドの心を抉るように語り掛ける。
『追体験は二人で行うわ。だから、諸刃の剣でもあるのよ。ティガーの子。リナリアがもし、己の意思で失うことを強く望んでいたと知った時……貴方は耐えられるの?』
リナリアは、まるでフィグルドを試すような、追い詰めるようなレプスの言葉に、何故か嫌な気持ちになった。人の心を弄ぶ、新しい玩具の反応を突いて楽しんでる……そんな感覚が気持ち悪い。
この世界の人間は、何故こんな自分勝手な神を崇拝するのか。
だって、今ならわかる。
この神という存在が全ての世界で、フィグルドは神に逆らってすら、リナリアを追いかけている。
彼のこの献身が、嘘ではないと、目の前の神よりも信じられる。
「受けるわ。記憶の試練」
リナリアが、ぐ、と手記を抱く手に力を込めて、まっすぐレプスを見据えながら宣言した。フィグルドが驚いて、こちらを見たのが気配で伝わる。レプスは楽しそうに口元に笑みを浮かべている。
『記憶が戻らないかもしれないし、辛い記憶を見せられることになるかもしれないわよ?』
今度はリナリアを試すための言葉。
そうだ。それだけ聞けばリナリアは、現状でも生きていくに十分な記憶を持ち合わせている。リナリアにとって試練を受けるメリットなどまったくないはずだ。
そんなこと、わかっている。
多分きっと、女神はリナリアのセカンドライフを穏やかに満喫したいという気持ちも見透かしている。
だけどどうしてだろう?
もし本当に「そう」であるならば
何故記憶のあった頃の自分は、この読めなくなってしまった手記を手元に残したのか
――――知りたいと思った
リナリアになかったはずのその欲求を、フィグルドの想いが引き出したと言ってもいい。
「……受けるわ」
力強く答えたリナリアを見て、レプスは笑顔のまま視線をフィグルドへと移した。
『ティガーの子よ。貴方の記憶を媒介にすることに、否やはないわね?』
「当然だ」
よろしい、とレプスは鷹揚に頷く。
『ティガー、手伝って』
隣に立つティガーにそう声をかけると、彼は縞模様のしっぽをゆらりと揺らした。
『酔狂な……』
『ふふ』
呆れ半分、諦め半分の呟きに、少女のような幼い微笑みで返す。
神々が、彼女に夢中になる気持ちがわずかばかりわかる。純粋なようで、自分の柔らかい部分をかすかに撫でて去る捉えどころのなさ、無邪気にも見える言動や仕草に、己を溺れさせる蠱惑的な表情が時折混ざる。
神であるはずなのに、魔性という言葉が良く似合う。
『では、さっそく始めましょう』
ティガーが差し出した手をとって、レプスが優雅に神座から立ち上がった。
まるで一対の絵のような神々しさに、思わず感嘆の息を漏らす。そのまま、レプスが空中に手を舞うように動かすと、キラキラと光の粒子が生まれる。
『いい?記憶の試練はあくまで過去の記憶を辿るもの。そこで起きることを変えることはできないわ。私たちですら気軽に介在はできない』
こくり、と緊張に喉を鳴らす。生まれた光の粒たちが、フィグルドとリナリアの周りをくるくると回り始める。同時に、快晴だった空に雷雲が集まり出した。
おそらく、ティガーの力だ。
『―――――いってらっしゃい。愛し子たちよ』
女神の軽やかな送り出しの言葉に呼応し、空が稲光を放った。
そうして、まっすぐに落ちてきた光が、二人を直撃した。
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