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4.記憶の試練
しおりを挟むフォルティアーナを形成する五つの王国の中心に、愛の女神レプスを祀る神殿がある。確か、召喚された後に莉奈が神託と祝福を受けて「リナリア」となったのもこの場所だ。
それは、覚えているが。その場にフィグルド……彼がいた記憶はリナリアにない。
この、愛の女神を祀る神殿へは人の力で行こうとすると数週間かかる。何故なら険しい山々に囲まれた渓谷に建てられているからだ。
だが、今回は雷神ティガーの力により、ほぼ瞬きをするくらいの速さで、その神殿の上空へと移動した。
浮遊感が身体を包んでいる。
本来肉体を浮かせることは、風神ホークの能力でしか叶わない。つまり、今女神の神殿へやってきたのはあくまで精神体ということだ。
おそらく肉体はまだカテラの教会にあるだろう。
『レプスよ』
雷神ティガーの呼びかけに呼応し、青空が雲を裂き、温かな光が辺りを包んだ。天上からまるで舞い降りるように、天女の羽衣のような薄布を身体に巻き付けた人ならざる美しさを持つ美女がその姿を現した。
豊満な胸に、くびれた腰。縁どられた銀の睫毛は長く、神秘的な銀灰色の瞳がゆっくりと開かれる。
風も吹いていないのに空中にふわりと靡く白銀色の髪は、足先まで長く広がっている。妖艶な大人の女性にも、何も知らない純真無垢な少女にも見える不思議な魅力を持つ女神が、眼前に降臨した。
女神レプスはリナリアを見つけると、先ほどのティガーの恐ろしさとは対照的に、にっこりと慈愛の微笑みを浮かべる。
『久しいな。聖女リナリア』
愛の女神と呼ばれるに相応しい、美しく荘厳なその姿に、見ているだけで感情が揺さぶられ、高ぶり、泣きたくなる衝動に駆られる。
神という存在はいつだって、人間の剥き出しの心を無遠慮に撫でていく。
ティガーと相対した時に感じた感情との落差に、リナリアは知らず息を詰めてしまう。ティガーの時は自分の罪を暴かれる不安と畏怖を感じたが、レプスには自分の柔らかいところをその手の中に収められているような一種の恐ろしさを感じる。
喜びも悲しみも怒りさえも、彼女の指先一つで支配されてしまう感覚だ。
ひとまず挨拶としてわずかに頭を下げるに留める。そんなリナリアをしばし見つめてから、女神は少し驚いた表情で口元に手をあてた。
『あら……あらあら』
それからふわりと空中を移動して、リナリアの顔を覗き込む。まるで少女のようなあどけない仕草で。その美しい顔が眼前に迫り、リナリアは無意識に身体を緊張に硬くした。その様子を気にするでもなく、レプスは目を細めた。
『貴方、記憶を失くしたのね』
雷神ティガーとはまったく違う距離感に、今度はリナリアがフィグルドの手をぎゅっと握った。
レプスは、私が記憶を失ったことを知っている?
つまりそれは、彼の予測が当たったという証左にはならない。
『ふふ、そう。なるほどね』
レプスは一人納得したように微笑んで頷く。
あまりにも気安い空気感に、なんだか拍子抜けしてしまう。
「女神レプスよ。私と対話を願えるか」
横合いからフィグルドがそう願い出ると、レプスはちら、と視線を彼の方へ向けて顎に人差し指を当てた。
『ダメよ。貴方はティガーの子でしょう?ティガーの赦しがないと』
フィグルドはじれったそうに眉間に皺を刻むと、これまでこちらの様子を二人の背後から静観していたティガーを振り返った。
「許可を」
『……構わん』
レプスの余裕ある表情を見るに、ティガーが許可を出すことなどお見通しだったようだ。にもかかわらず、わざわざ彼の意思を確認させた。
リナリアは、神の間でも何か決まり事があるのかもしれない、と考えながら視線をフィグルドへ向けた。
「女神レプスよ。我が妻であるリナリアの記憶の消失は、貴方の仕業か」
率直にそう問いかけると、レプスはにんまりと口元に弧を描く。
『そうよ、と言ったら?』
一瞬走ったフィグルドの剣呑な瞳の光を見逃さなかった。
目を瞬くよりも早く、フィグルドの首元に雷神ティガーの鋭い爪が背後から添えられていた。
リナリアは走った緊張に、呼吸を忘れる。
『剥奪どころか、ここで存在そのものを消し去るつもりか?』
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