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6.女神の祝福
しおりを挟むなんとなく気になってしまい、リナリアは過去の莉奈から意識を切り替えた。カメラを切り替える感覚で俯瞰視点に変わると、隣にフィグルドが現れる。「今の」フィグルドが。
「……」
その顔を覗き込んでじっと見つめると、フィグルドは視線に気づいて、バツが悪そうに顔を背けた。
やっぱり、可愛い……
「デートだと、思ったの?」
つい、揶揄うように小さく問いかけてみるが、フィグルドは押し黙ったままだ。
きっとそれは図星だからだとわかる。背けられた顔をもっとちゃんと見たくて、そおっと服の裾を掴もうと手を伸ばしたら、逆にその腕を捉えられてしまった。
こちらを見ていなかったのに、気配を察知した動きに驚くリナリアをフィグルドが振り返って。
「そうだ、と言ったら?」
見つめてくる綺麗な金褐色の瞳に、ぶわり、と赤くなったリナリアの顔が映る。からかったはずが、彼の真剣な瞳に自分の方が恥ずかしくなってしまうなんて……。
失敗した……
リナリアが掴まれた手を取り戻したくて引くと、存外あっさりと手が外れる。どっどっど、と響く心臓の音が、うるさい。
今度はリナリアが逃げるように顔を伏せる番だった。つむじに、熱視線を感じていたたまれなくなる。
「……か……過去の記憶に戻ります」
焦りつつそう宣言すると、リナリアは意識を過去の記憶の方へと向けた。残されたフィグルドが、リナリアを掴んでいた自分の手をじっと見つめていたことも知らず――――。
過去の記憶に戻ると場面が切り替わり、そこは女神レプスの神殿の内部だった。手記を買った街からここへたどり着く間に、さっそく莉奈は今までの出来事を書き留めた。
記憶を失ったリナリアには読めなかった部分が、追体験することでその中身を知ることが出来るようだ。
能力を授かるまでのこの道中も、闇神フォグに狙われると教えられていた。途中何度か瘴気に操られた人間が襲撃に来たが、それらは聖騎士が難なく撃退してくれた。
おおむね大きな問題もなくたどり着いた神殿で、いよいよ莉奈は女神レプスと対話することになった。
『ようこそフォルティアーナへ』
目が潰れてしまうのではないか、というほど神々しい女神レプスの姿や、物理法則を無視した浮遊感に、莉奈はやはりここは異世界なんだと認識を新たにしながら、レプスへ問いかける。
「わ、私に聖女なんて荷が重いです。どうか、日本へ……帰してください」
自分を異世界へ召喚した女神ならあるいは、元の世界へ戻す方法を知っているのではないか、とそう考えたのだが、レプスはころころと鈴を転がすように軽やかに笑った。
『無理よぉ。いくら私でも、異世界は力の及ばないところ。そこを無理やりこじ開けて連れてくるのに、力のほとんどを使い果たしてしまうの。完全に回復するには後何百年とかかるわ』
何百年……。そんな年月、帰れないも同然ではないか。絶望にくらりと眩暈がする。
神様って……こんなひどいことをするものなの?
莉奈の考えを読んだのか、レプスが自信満々に続けた。
『ん~今の貴方には実感がわかないかもしれないけど、聖女の役目を終えたら、貴方には素晴らしい人生が待っているわ。私を信じなさい』
神様という割には軽薄な印象を受けるが、発せられた言葉は心の中に嘘ではないと不思議と伝わってくる。これは、神だから繕うことをしないということなのか。
素晴らしい……人生……
そのとても曖昧な言葉は、まだ役目を受け入れ切れていない莉奈にとっては、どう受け止めたらいいかわからないものだ。戸惑いと、疑念を抱えた莉奈の視線にレプスはそれ以上を語るつもりはないらしく、仕切り直すように「さて」と口を開いた。
『貴方へ聖女の能力を授けるわね。身体に馴染ませるために三日間ほど眠るけど、心配しなくてもいいわ。その時に能力の使い方や効力は自然と理解できるから』
こちらの気持ちをおいて話は進んでいく。拒否権はないらしいことに渋面をつくる莉奈が楽しいのか、レプスはにこにこと笑顔だ。
腹立たしい……
ふわりと莉奈の目の前にレプスが降り立つと、その美しい顔を寄せた。
『ふふ、いい眼をしているわ。私の神気にも負けない魂。貴方を選んでよかった』
「……嬉しくないです」
ぷい、と顔を背けるが、レプスはそっと莉奈の頬を両手で挟んで正面へ戻した。
その銀灰色の瞳に見つめられて、まるで丸裸の魂を直接撫でられるような不快感と、心地よさが同時に莉奈を襲う。
「……っ」
女神レプスの微笑に、膝が崩れ落ちそうになる。平伏して、貴方の意思に従うと口にしてしまいそうになる。
身体も心も彼女に掌握されることを本能的に望み、レプスの触れた箇所から幸福感が湧き上がってくる。
自分自身を作り変えられる……、そんな不思議な感覚。
逸らすことが許されないレプスの神秘的な瞳に、とろりと恍惚に蕩け始めた莉奈の顔が映る。
頭がぼうっとして、何も考えられない。
ただ心の中を心地よいぬくもりが満たし、ずっとこのままでいたいような、彼女に全て委ねて深く眠ってしまいたい錯覚を起こす。
まるで、母親の胎内に戻ったかと思わせる安心感。
『良い子……。約束するわ。貴方はこのフォルティアーナで最高に幸せな……』
レプスの声が遠い。何かを言っているのはわかるが、言葉としてそれを捉えきれない。けれど身体に染みこむように響いてくる。
『……恋をするのよ……』
吐息交じりの囁きを、すでに聞こえていないだろう意識のない莉奈に与えると、レプスはそっとその額に口づけを贈った。
女神の唇が触れたところが光り輝き、聖女としての聖紋が浮かび上がる。やがてその聖紋はすぅ、と肌に馴染んで消えた。
レプスはふわりと再び空中へと舞い上がると、先ほどまでとは違う厳かな声で神託を述べた。
『そなたの真名をリナリアとし、この愛の女神レプスの名において《聖女》となることを赦そう』
終わりの見えない真っ白な空間に、決して大きくはないレプスの声がはっきりと響き渡る。
同時に、女神から清く柔らかい光が溢れ、聖女リナリアとして生まれ変わった莉奈の身体を包んだ。
その光の温かさに、莉奈は知らず涙が溢れて、そのままゆっくりと誘われるまま睡魔に引き込まれていく。かすかに震える瞼を閉じて、莉奈は完全に安寧の眠りへと落ちた。
神との対面の間、神殿の祭壇に聖女の身体は横たえられている。対話は精神体で行うので、肉体は現実の世界に取り残されるのだ。
その間の肉体は無防備となり危険があるため、祭壇の部屋への立ち入り自体が神に祝福された者たちしか許可されない力が加わっている。
不意に、横たえられたその身体を淡い光が包み、祭壇を照らす。
祭壇の前には、彼女の帰りを待っている五人の聖騎士が騎士の礼の体勢で頭を垂れて微動だにせずにいた。
光が収まると、フィグルドが顔を上げる。すやすやと眠る莉奈の額に、うっすらと輝く聖紋を見てとって、ほっと安堵の息を漏らした。
聖紋は、無事、聖女としての洗礼を終え、女神の祝福を与えられたことを意味する。そして、この神から与えられる聖紋は、同じ神に祝福された者同士にしか見えないという特性がある。
洗礼の儀式は、時に数時間という長い時間を要する場合があった。その間、聖騎士達はずっとここで膝を折り、聖女の無事を祈るのだ。召喚され、選ばれた聖女とはいえ、神との対話は、精神の試練だ。
聖騎士にとって、聖女は忠誠を捧げるべき相手。聖女が苦しみの中にあるときに、聖騎士がそれに倣うのは当然という考え方があった。
「……無事、戻られたようだ。エカルラート」
名を呼ぶと、エカルラートが顔をあげる。立ち上がると、祭壇の前に進み出て、眠るリナリアに両手を翳した。発動した魔法が、ふわりと彼自身を温かい空気の層で包む。
エカルラートが炎の力で室温を快適に整えれば、続いてホークが適度に柔らかな風を送り、イサラが母の胎内のような水音を奏でる。
この後、聖女としての能力を固定するために三日間眠り続ける聖女が快適に、安心できるように、聖騎士たちはそれぞれの力で魔法をかけたのだ。
そうして聖騎士は三日間、寝ずの番をする。
三日後目覚めた聖女へ、聖騎士達は全員、正式に己の剣と魂を捧げる口上を述べた。
「聖女リナリア。貴方の献身と覚悟に、フィグルド・ティガー・ヴァリアントは、魂の誓いを持って、この剣を捧げる」
(貴方から故郷を奪い、見知らぬ世界を救う枷を与える。その重責と理不尽に、俺は命を賭して応えよう―――――――)
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