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30.誘惑
しおりを挟む今朝は朝から二人でパン生地を捏ねて、パンを焼いた。外は少し強い風が吹き始めている。予想通り嵐が来る前ぶれを感じさせた。
フィグルドの休日は、二人きりの時間を邪魔されたくなくて、お手伝いさんは休みにしている。
作り置きしていた苺やブルーベリーのジャムをパンにたっぷりつけて、紅茶と一緒に朝食を食べる。
本格的な暴風は昼過ぎからだろうと目星をつけると、午前中のうちに市場へ赴いて食料品を買い込んでおく。油断するとリナリアが誘惑してくるので、フィグルドは鉄の意志で過ごさねばならなかった。
家に戻り、買い置きの食料品や、嵐がきた時に必要な備品を一階の暖炉がある部屋にフィグルドが運んでいると、どこに行っていたのか、姿を消していたリナリアがひょこん、と階段の壁から顔を出した。
何故顔だけ?と思いつつ、食料品を壁際に置きながら
「冷やしておかなければいけない物は、リナがイサラに頼んで作ってもらった氷蔵庫に入れておいたが、イモ類はここでも……」
いいか?と再び視線をリナリアに向けて、フィグルドは固まった。階段から降りてきて全身出したリナリアは、いつかリム王国で着せられていた踊り子の衣装を身に纏っていた。確か、エカルラートがあの後同じものを新しく取り寄せて、新婚祝いだとふざけて贈ってきたものだ。
女性が露出することを良しとしないサイアス王国で着ると悪目立ちするから、としまい込んでいたはずだが。まさかの使い道に、フィグルドの理性がぐらぐらと揺れる。
それはそうだろう。あの手記の中で、リナリアの自分に対する気持ちを知ってしまった。身体を重ねなかった理由も体調不良ではなかったわけだ。そんな彼女が自分を求めているこの状況で、我慢しろと言う方が理不尽だ。
フィグルドがあまりにも固まったまま何も言わないものだから、リナリアがしょんぼりと眉を下げた。その表情の変化に、ハッと我に返る。
荷物をそのままにして一気に距離を詰めると、ひょいとリナリアを抱き上げて、二人の特等席であるソファに彼女を膝に乗せたまま座った。
そして、誘惑に陥落したフィグルドは真剣な表情ですべすべのお腹に手を添えて撫でながら、ちゅ、ちゅ、とリナリアの顔中に口づけの雨を降らせる。
腕の中で擽ったそうに肩を竦めるリナリアの黒曜石の瞳をじっと見つめた後、今度はしっかりと唇を重ね合わせた。
本当は、今すぐ彼女の誤解を解きたい。
―――――――歴史の慣例などで、君に求婚したのではない、と。
だが、今告げて、もし今夜の予知夢を回避できなかったら。彼女は自分のせいだと己を責めるだろう。
そんなことは絶対に許されない。
たっぷりリナリアの柔らかい唇とお腹を堪能した後、フィグルドはさて、と彼女の身体をぽすりとソファの上に降ろし、荷物の整理に戻った。
「……なんでぇ……?」
中途半端に投げ出されたソファの上で、リナリアが情けない声を出しているのがわかる。
ある意味、彼女がそういった艶っぽい経験が少ないがゆえに、直接的な言葉で誘うという方法を思いついていないことが幸いした。
目を見て言葉で誘われた場合、理性的に断るのは非常に難しいし、無の力を発動させないためという理由が言えない状態では、彼女を傷つける可能性があるからだ。リナリアは過去二回の経験から……いや、今の彼女は一回目を覚えていないから、過去一回か……フィグルドはそういう雰囲気になったら手を出してくると学習しているらしい。
いや、あながち間違ってはいないが。
そんな駆け引きに稚拙なところも可愛くて、愛しくて、今すぐ美味しく頂きたい衝動を抑え込むように、一心に荷物の整理をすすめる。頭を冷やすためにも、嵐がくると納屋に取りにいけなくなるからと暖炉用の薪も多めに運び入れておいた。
正直なところ、雷神ティガーの加護のおかげで、この家自体の雷雨の被害は多少抑えられるので、そこは助かっている。
ちなみに当然ながら、フィグルドであれば、上空に雷雲があってもある程度コントロール可能なため、まず雷が家の近くに落ちるといったことはない。警戒をしなければいけないのは強い雨と風だ。浸水や暴風はさすがにフィグルドではどうにもできない。
フィグルドに抱かれようと奮闘するリナリアをかわしたり、時折誘惑に負けてギリギリのところを堪能したりしているうちに、時刻は昼を回った。強い風ががたがたとあちこち家の外側にあたって不快な音を出し始める。
昼食は今朝焼いたパンの残りと、野菜たっぷりのスープを作ろうとなった。フィグルドは、リナリアと暮らすようになって初めて料理を経験した。浄化の旅の中で、リナリアから聞いた異世界の常識は不思議で衝撃的なことも多く面白かった。
異世界では、男も仕事ではなく料理を当たり前にすると言う。リナリアも家の手伝いで簡単なものなら作れるから、と何度か聖騎士達に振る舞ってくれた。
そのどれもが新鮮な味で、好評だったこともあり、フィグルドはこの機会にとリナリアに教わりながら料理に挑戦をしていた。一緒に何かをするということが楽しいし、傍にいられるのが嬉しいという理由もあるが、最近は料理そのものにも少しはまってきている。
「一口大……?これくらいか?」
「……大きすぎかも?」
言われて、手に持ったじゃがいもを見つめながら首を傾げる。いや、自分の一口大といったらこれくらいだが、と思いながらリナリアの唇を見ると、とてもじゃないがその小さな口には入りそうにない。
素直に、じゃがいもをさらに四分割にした。料理をしている時のリナリアを眺めるのは好きだ。鼻歌を歌いながら、上機嫌で、時折くるくると奇妙なダンスを踊っていたりする。
以前、何故踊るのか聞いたら、顔を真っ赤にして「待ってる間、暇だから……」とぼそぼそと教えてくれた。
どうやら見られていると思っていなかったらしい。恥ずかしそうな様子が可愛くて、とりあえず口づけたのを覚えている。
昼食を終えると、リナリアが真剣な顔でカードゲームをやろう、と二階からカードを持って降りてきた。さすがに服は普段のワンピースに着替えてきている。
いよいよ誘惑は諦めたか?と思いつつ、嵐のせいで気温が下がり寒くなってきたので、暖炉に火を灯す。その前でカード遊びに興じていると。
「罰ゲームを、設定します」
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