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二章
2-24.嘘つきと不気味なメイド
赤い結界が空を閉ざし、廊下は不気味な真紅に染まっていた。
ラヴィエルは息を切らせて、図書館へと続く長い回廊を駆けていた。
「ハァ、ハァ……! エミリオ君ッ!」
「……え? ラヴィエル君?」
角を曲がった先で、探していた背中を見つけた。
エミリオだ。彼は驚いたように振り返り、駆け寄ってくるラヴィエルを受け止めた。
「どうしたの、そんなに慌てて……。それに、窓の外が急に赤くなって……一体何が起きたんだい?」
「エミリオ君、無事だったんだね! よかった……!」
ラヴィエルは安堵に膝をつきそうになったが、すぐに親友の腕を掴んで訴えた。
「聞いて、大変なんだ! 会場で毒が撒かれて、生徒が何人も倒れて……それで、エミリオ君がいじめっ子たちに殺人の疑いをかけられているんだ!」
「えっ……? 僕が……?」
「うん。あいつらが君のノートを持って死んでいたから……。でも誤解だよね? だから早く逃げて、ほとぼりが冷めるまで隠れて――」
「――逃がすと思うか?」
凍りつくような声が、頭上から降ってきた。
空間が歪み、重苦しい魔圧と共に一人の老人が現れた。
学園長、オズワルド・マグナスだ。
「が、学園長……!?」
「……なるほど。その薄汚い眼鏡の奥から、微かな毒物の残滓(ざんし)を感じる」
マグナスは宙に浮いたまま、虫ケラを見るような目でエミリオを見下ろした。
彼の手には、あの黒いノートが握られている。
「貴様か。私の庭に毒を撒いた愚か者は」
「ち、違います! 僕は何も……!」
「黙れ。私の神聖な学園を汚した罪、万死に値する」
マグナスは一瞬で看破していた。接触毒と香が反応した微細な成分の変化など、彼ほどの魔法使いには手に取るように分かるのだ。
「排除する」
問答無用。
マグナスが杖を振ると、空間が歪み、無数の「光の杭」が出現した。
「エミリオ君!?」
ラヴィエルが叫び、咄嗟にエミリオの手を引いて走り出した。
「逃げるんだ! ここにいたら殺される!」
「あ、ああ……ラヴィエル君……」
「逃がさんぞ!」
マグナスの指先が動く。
光の杭が、逃げる二人の背中めがけて射出された。
音速を超える光の雨。ラヴィエルの足では絶対に避けられない。
――しかし。
二人の背後で、破裂したような音が響いた。
ラヴィエルが振り返ると、そこには信じられない光景があった。
リゼルだ。
リゼルが二人の後ろに仁王立ちし、飛来する無数の光の杭を、すべて素手で叩き落としていたのだ。
「……行かせん」
リゼルのエプロンが焦げ、頬から煙が上がっている。だが、その背後にいるラヴィエルたちには、破片一つ届かせていない。
「リゼル!」
「ラヴィエル様、走ってください! 死角へ!」
リゼルは背中越しに叫んだ。
目の前の老人は、危険だ。今までのどんな敵よりも。
エミリオのことはどうでもいい。だが、一緒にラヴィエル様を巻き込んで消し炭にしようなど、万死に値する。
「……わかった! 無事でいてね、リゼル!」
ラヴィエルは唇を噛み締め、エミリオを連れて回廊の奥へと姿を消した。
あとに残されたのは、リゼルとマグナス。
マグナスは、不快そうに顔を歪めた。
「……貴様、確か『狂犬』とか言われてる若人じゃな。 私の魔法を素手で弾くなど、人間業ではない」
「ただの、通りすがりの不気味なメイドだ」
リゼルはスカートの埃を払い、優雅にカーテシーをしてから、不遜に言い放った。
「前から気に食わなかったんだよ。宰相の頼みとはいえ……こんな下品な場所に潜入させられてな。……あの小僧と同じく、お前も駆除してやる」
マグナスの杖が輝く。
大気が悲鳴を上げ、地面が振動する。
学園長の本気。それは災害そのものだった。
『重力固め(グラビティ・プレス)』
リゼルの頭上から、数十トンもの重力波が叩きつけられた。
石畳が一瞬で粉砕され、クレーターができる。
バキキキッ……
嫌な音が響いた。床ではない。リゼルの全身の骨が、圧縮されて悲鳴を上げている音だ。
「ぐ、ぉ……ッ!?」
リゼルの膝が、ガクリと折れかけた。
口の端から鮮血が滴る。強靭な筋肉を持ってしても、内臓にかかる負荷までは殺しきれない。
(これが……本物の魔法使いか……!)
久々に感じる「死」の予感。だが、リゼルは笑った。
「……ぬぅんッ!!」
全身の筋肉を鋼鉄のように膨れ上がらせ、重力の檻を、文字通り「筋力」だけで押し返して耐える。
「な……ッ!?」
「ぐ、ぅ……ッ! こんな重力など……羽毛のように軽い!」
リゼルが地面を蹴る。
重力を振り切り、砲弾となってマグナスへ突っ込む。
「化け物が……!」
マグナスは舌打ちをし、次なる魔法を展開する。
『熱光砲(ねっこうほう)』。
太陽の欠片のような熱線が、至近距離からリゼルを襲う。
「消えろォッ!!」
「断るッ!!!」
リゼルは熱線を「裏拳」で弾いた。
軌道を逸らされた熱線が校舎を半壊させる中、リゼルは炎を突き破ってマグナスに肉薄する。
リゼルの拳と、マグナスの多重魔法障壁が激突。
衝撃波だけで周囲のガラスが全て割れ飛ぶ。
最強の魔法使いと、最強の筋肉。
二人の怪物が激突しているその裏で――ラヴィエルたちの悲劇が、静かに幕を開けようとしていた。
♢
「はぁ、はぁ……っ!」
ラヴィエルはエミリオの手を引き、人気のなくなった庭園まで走り抜けた。
遠くでリゼルたちが戦っている轟音が聞こえる。
だが、ここまで来れば学園長の目も届かないはずだ。
「……ここまで来れば、大丈夫かな」
ラヴィエルは荒い息を整えながら、膝に手をついた。
そして、うつむいている親友を振り返る。
「ごめんね、エミリオ君。怖い思いをさせて……。でも、リゼルが時間を稼いでくれている間に、誤解を解く証拠を見つけよう。君は何もしてないんだから、きっと分かってくれ――」
「……ねえ」
ラヴィエルの言葉を遮るように、エミリオが呟いた。
「ラヴィエル君は、本当に優しいね」
その声色は、奇妙なほど平坦だった。
ラヴィエルは違和感を覚え、顔を上げる。
エミリオはまだうつむいている。
「エミリオ君……?」
「僕なんかのために、あんな化け物みたいなメイドまで使って……学園長に逆らって。……本当に、お人好しで、馬鹿だよね」
「――え?」
ラヴィエルの体が、勢いよく浮いた。
背中を強く突き飛ばされたのだ。
無防備だったラヴィエルは、受け身も取れずに石畳の上に転がった。
「あぐっ……!?」
胸を打ち付け、肺の空気が強制的に吐き出される。
衝撃で眼鏡が飛び、カランと音を立てて転がっていった。
視界が歪む中、ラヴィエルは信じられない思いで友人を見上げた。
「……エミリオ、くん……?」
そこに立っていたのは、いつもの優しげな少年ではなかった。
眼鏡の奥の瞳は、氷のように冷たく、そして煮えたぎるような昏(くら)い情熱で濁っていた。
「……君は誤解だよねって言ってくれたね。笑わせないでくれよ。僕はね、あの子爵たちに毒を仕込んだ時、興奮で手が震えたんだ」
「う、そだ……そんなの嘘だ……」
「嘘じゃないさ。……ねえラヴィエル君。君はこの国が狂ってると思わないかい?」
エミリオはラヴィエルの胸倉を掴み上げ、乱暴に顔を近づけた。
その顔には、隠し続けてきた積年の憎悪が滲み出ている。
「魔道具の恩恵? 華やかな暮らし? ……そんなもの、一部の特権階級だけだ。君は外の世界を知らない。平民の子供たちは、君たちのように温かい魔道具も当たり前じゃないんだ!」
「……ッ!」
「僕の兄さんは、そんな理不尽な世界を変えようとした! 誰でも手に入れられる様に『人工の魔石』を作ろうとしたんだ! なのに……この学園が! 学園長が! 兄さんの研究を『禁忌』だと言って潰した!!」
エミリオの絶叫が、赤い結界に響き渡る。
それは悲痛な魂の叫びだった。だが、同時に危険すぎる思想の吐露でもあった。
「兄さんは殺されたんだ……! 貴族たちの既得権益を守るために!」
「だ、だからって……人を殺していい理由には……」
「いいや、あるね。革命には犠牲が必要だ。……僕も兄さんの研究を引き継いだけど、うまくいかなくて……でも、もういいや。もっといい手を見つけたから」
エミリオの手が、ラヴィエルの顔に伸びる。
その指先が、ラヴィエルの「純白の瞳」の周りを愛おしそうになぞった。
「君のその瞳だよ、ラヴィエル君。魔法に対抗できる、伝説の『アンチ・マギア』……。それがあれば、世界中の魔法を消し去ることができるかもしれない」
エミリオが懐から、ナイフを取り出した。
月光を反射して、ギラリと冷たく光る。
「優しい君ならわかってくれるだろう? みんな魔法が使えなくなれば、平等な世界になる。素晴らしいと思わないかい?」
「や、やめ……!」
「だからちょうだい。君だって、この呪われた目なんていらないだろう?」
エミリオが狂気的な笑みを浮かべる。
「片方だけでいい。――その眼球を、僕にくれよ」
エミリオがナイフを高く振り上げる。
だが、その切っ先は、小刻みに震えていた。
眼鏡の奥の瞳から、ポロリと大粒の涙がこぼれ落ち、ラヴィエルの頬を濡らす。
「ごめんね……っ。ごめんね、ラヴィエル君……! でも、僕にはこれしかないんだ……!」
泣きながら、それでも彼は凶刃を振り下ろした。
守ってくれるリゼルは、今はいない。
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