箱庭物語

晴羽照尊

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キルギス編

37th Memory Vol.2(キルギス/オシ/7/2020)

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 体の重みに気付いて、目が覚めた。宿の天井を見つめる。見慣れない光景だ。初めて泊まった宿だから当然ではあるのだが、男としては、仰向けて寝ていること自体が珍しかった。

 もちろん、寝起きでそんなことを考えたわけではない。男がまず考えたのは、昨夜はいつ寝たのだろうということ。その次に考えたのが、やけに体が重いということ。

「おお?」

 左側を見て驚いた。かろうじて叫びはしなかったが、むしろ叫んでしまえばよかった。一度躊躇したことでタイミングを失ってしまうから。
 男の左手には、少女が眠っていた。文字通り、に。

 ついで、右手を見る。

「うおおぉい!」

 今度は正常に叫んだ。右手には生首が浮いていたからだ。

「しー。ノラ様が起きてしまいます、ハク様」

 ベッドに転がる生首は上昇し、その下にメイド服を形作った。そこから生える腕が口元へ伸び、人差し指を立てる。
 左側を改めて見る。少女は眉間に皺を寄せたが、またすぐに、安らかに寝息を立てはじめた。

「なんでこいつがここで寝てんだ? というか、おまえもなぜここにいる?」

「昨夜十時ごろでしょうか。ノラ様がハク様のお部屋に行きたいと申されましたので、わたくしもご一緒致しました。するとハク様がそちらの机で眠っていらっしゃいましたので、ベッドへお運びしたところ、ノラ様がそのお隣でお休みになられたのです。私はあちらの部屋で休みました。さきほど起きましたので、お部屋の片付けついでに様子をうかがいに参りました」

 メイドは部屋を掃除しながら言った。ただ寝に来ただけのようなものだったのに、意外と掃除する箇所はあるらしい。メイドの動きは優雅に滞りなく続いていた。

「こちらの本はお気に召しましたか」

「んあ?」

 男は言われて、昨夜の記憶を手繰る。ふと、目の覚める記憶が呼び起された。

「そうだ、その本。どこでどうやって手に入れた」

 昨夜のように気持ちが高揚したが、努めて大声を出さないように男は言った。

「オシ市内のすべての古本屋を巡りました。各店舗にてそれぞれ、珍しい本やいわくつきの本などを問い合わせまして、一冊ずつ購入してみました。……めぼしいものなどございましたか」

「ああ、『パララ取扱説明書』。れっきとした『異本』だ」

 かなり特殊な一冊だが。と、男は付け足した。

        *

『パララ取扱説明書』。

『異本』としては珍しく、その一部がネット上に公開されている文書。また、もう一点珍しいのは、その内容がいまだまったく、読み解けない文書でもある、ということ。

『パララ取扱説明書』という名も通称でしかない。表題の文字すら読めないのだから。ただ、表題の文字の一部がアルファベットの『Palala』の並びに見えること。また、内容に描かれている挿絵から、この文書がなにかの使用方法を表現していると言われることから、その名がついた。

 そして、『異本』としての性能も異質だ。というより、『異本』らしい性能が未確認であるのに『異本』と呼ばれる唯一のものだった。

『パララ取扱説明書』の性能。それは、これを持つ者が、古代兵器パララを支配できる。というものだった。もちろん、古代兵器パララなどというものが存在する根拠などなく、『パララ』を持つ者がそれを支配できるという確証もない。

 だが、熱心な研究者がプロアマ問わず一定数いて、それに煽られるように、都市伝説業界では『パララ』が本物だという噂がささやかれていた。それが尾を引いて、いつしか『異本』と認定されるまでになったのだ。

        *

「お話だけうかがいますと、きな臭いというか、……偽書、なのではないでしょうか?」

「なにを持って偽りと言う? もしかしたら本当に古代兵器とやらを動かせるかもしれねえぜ」

「あら、ハク様。意外とロマンチストなのですね」

 うふふ。とメイドは品よく笑った。

「俺自身はその話自体を、嘘だとか真実だとか思ってねえ。思う必要もねえしな。俺はただ、『異本』を集める。それだけだ」

 ところで俺はいつまでこうしてりゃいいんだ。男は左手に眠る少女を見て、呟いた。
 それは、ノラ様がお目覚めになるまでですよ。メイドははにかんでそう言った。

 男は久方ぶりにまったりとした時間を過ごしていた。少女とメイドがそばにいる現状では、考え事もはかどらない。そのうえ、身じろぎすら躊躇われる状況だ。だからぼうっと、考え事に満たない空想を巡らせる。

 古代兵器パララ。万が一にもそんなものが存在するとしたら、いま自分は、それを扱える立場に立った。パララがどういう風に兵器であり、どういう類の影響効果を発揮できるかは定かではないが、『兵器』と呼ばれるからには、戦いに有利に利用することはできるのだろう。ならば、いままで蒐集してきた『異本』とは違い、自分にも利用の機会がゼロではない。

 まあ、億が一パララが存在するとしても、その所在は手がかりすらない。多くの者が『パララ』の解読を試みているが、それでもなにも――

「おい、アルゴ」

 男はメイドの名を呼んだ。

「ハク様。私のことはメイちゃんとお呼びください。私は自分の名前が男性のようで、あまり好きでないのです」

「……メイ。机の上の本を取ってくれ。たぶん開いたままの本が一冊あるはずだ」

 昨夜のことを思い出す。そうだ、たしか、『パララ』が挟まっていた本を調べていたのだ。きっとそのまま眠ってしまった。だが、あのとき眠った理由を思い出した。気が抜けたのだ。なにかを見つけて。
 男はそう回帰する。

「こちらでしょうか、ハク様」

 メイドは律儀に、開かれた状態の本をそのまま、男に向けた。そのまま掲げて、男に内容が読みやすいようにした。

 その本の中ごろには切り抜きがあった。しかも重ねてみるに『パララ取扱説明書』がちょうど収まるサイズだ。アニメなどで見かける、本のページを切り抜き、拳銃を隠すような。どうやらそうやって、『パララ取扱説明書』は収められていた。
 そして、その切り抜きの奥。本を見開き、切り抜かれたくぼみをのぞいたとき、奥に見える文章の一部。本来横書きで書かれいているその文章をする。

sulaimantooスレイマントー

 男は昨夜の興奮をいま一度思い出した。鼓動が高鳴る。
 それを聞いたのか、左手の重みが消え、寝ぼけ眼が起き上がる。

「……おはよう?」

 少女が言った。

        *

 朝食。昨夜と同じレストランにて朝食をとる。宿代には朝食のバイキング料金も含まれていたが、男の性格上、可能な限り幅の狭い範囲で食事を摂取したがった。理由は、一度食べた場所は最低限信頼がおける、初めて食べる場所は安心できない、からだ。

 実はローマで、男が城で出された食べ物、飲み物にほとんど手を付けなかったのも同じ理由である。

「あれ、でも、初日のブルスケッタはひとつ食べてなかった?」

 少女は朝食を詰め込みながら、細かいところに突っ込んだ。

「よく覚えてたな……と思ったが、あのときはまだ『遺言』の効力が奪われる前か。……あのときのブルスケッタは、おまえが食った後だったからな。おまえの反応から問題はないと踏んだのさ」

「ひどい。可愛いわたしを毒見役に使うなんて」

 そう言いつつも少女の言葉にはさほど強さが感じられなかった。食べるのに忙しく、おざなりな文句を述べたのだろう。

「そもそも、おまえもあのとき、あの場所自体に不信感を抱いていたんだから、出されたものにほいほい食いつくな」

「可愛いわたしは『遺言』の能力で、きっと毒も大丈夫だと踏んでいたのよ」

 その点に関しては男も同意見だった。だが、それは毒を食らって体に異常が現れてから能力で対処するという、後手な方法でしか解毒はできないと考えていたゆえに、まず身体異常の兆候すら少女に見て取れなかったから、男は安心して食べたのだ。その点、少女が以上のことを踏まえたうえで出されたものを口にしたとは思えなかった。出されてから手が伸びるまでの時間があまりに早すぎる。

「聞き捨てなりませんね。当家のことをそこまでお疑いでしたとは」

 メイドが意地悪そうな笑みで男を見た。
 いまさらながら当初見たメイドと違い、いまの彼女は思ったよりも、表情が豊かだ。

「いらん横槍を入れるな。それに、いまは俺らがおまえの主だ。昔のことなんて忘れてしまえ」

「あら、ご主人様は昔の男にやきもちを妬くタイプでしたか」

 ややうつむきがちに細めた視線を向けるメイドは、まるで年頃の女性のようだ。

「年頃のレディですから」

 モノローグを読まれた。有能なメイドはあっさりと人知を超越する。

        *

 食事を終え、一息つく。本日もいい栄養を採った。男は満足する。

「それで、本日もスレイマン=トーへ赴かれるのでしょうか?」

 姿勢よく座っているメイドが、男の方を向いて言った。

「私はそれがよろしいかと思いますが」

 男が決めあぐねていることをも見透かしているのか、メイドは男の返答を待たず、そう付け加えた。

「え、また山登り?」

 少女が声を上げる。どこか嬉しそうな語気だった。
 おまえは昨日機嫌悪そうにしてたじゃねえか。男はそう思ったが、言葉にするとそれこそ、機嫌が悪くなりそうだったから飲み込んだ。

「まあせっかく、多くの研究者が血眼になって探しても見つからなかった手がかりが見つかったんだ。特別古代兵器とやらに執着はねえが、万が一存在して、扱えるなら、得ではあるんだろうな」

 男は歯切れの悪い言い方をした。
 そもそも『異本』自体は手に入れたのだ。ならば速やかに次の『異本』蒐集に精を出すべきであって、寄り道をしている時間はない。だが、もし古代兵器を手に入れられたら? 今後の『異本』集めに関しても有益かもしれない。しかし、やはり都市伝説レベルの話だ。無駄足を踏む可能性の方が断然に高い。そもそも古代兵器の性能すら定かではないのだ。

 男は、ううん、と少し唸った。少女を見る。どこか期待した眼差しで男を見ている。メイドを見る。どこか含むところのある表情で男を見ていた。
 はあ。と、男は息を吐いた。

「今日一日だけ、探してみるか」

 少女とメイドは顔を見合わせて、二人にしか通じない意思を疎通したように笑った。

        *

 先日は二人で訪れた場所に、本日は三人で赴いた。

 スレイマン=トー。オシの町のただ中にあるキルギスの世界遺産。標高は1000メートルそこそことさほど高くはない。登山道をまっすぐ進めば、三十分ほどで登頂することも可能だ。

 ちなみにスレイマンとはソロモンのこと。イスラム教、あるいはキリスト教の預言者の一人だ。山の頂上には礼拝堂――モスクも設置されている。また、トーとは山の意。

「ハク。メイちゃん。早く早く!」

 先日と比べだいぶ機嫌も元気もよさそうに、少女が先導する。
 男は先日同様、登り始めからすでに気だるげで、メイドはどこにいてもいつも通り、余裕の表情だ。

「おい、ノラ。毎度毎度言うが、観光じゃねえんだぞ」

 男は苛立ちを隠さずに言った。そんな男の気持ちなどどこ吹く風で、少女は楽しそうに先を走る。

「なんだかピクニックみたいで楽しいですね、ハク様。この通り、お弁当もご用意致しましたので、山頂で広げましょう。まさかいまさら、私の作るものが食べられないとはおっしゃらないでしょうね?」

 言って、メイドは持っていたバスケットをわずかに持ち上げた。

「てめえはてめえで、なんでピクニック気分なんだ。そして、いつの間に作った、その弁当」

「出発前にお宿でキッチンをお借りしました。……ノラ様があんなに楽しそうなんですもの。やることはやりますので、少しは楽しんだらいかがですか、ハク様も」

「そもそも兵器探しやら山登りやらに楽しみを見出してねえんだよ、俺は」

 舌打ちをして、男は言った。

「少し登ったら二手に分かれよう。おまえはノラを連れてけ。……ちゃんと探し終えたなら、その後は遊んでいてもいい」

 男が言うと、メイドは「かしこまりました」と一礼した。だがローマで見たときとは違い、やはりどこか含みのある表情をしたままだった。

        *

 一度スレイマン=トーの頂上まで登り、二手に分かれる。男は来た道の反対側へ、少女とメイドは来た道を引き返し、登山道から離れた場所を探索することになった。

「じゃあ、しっかりやれよ」

 男は主に、メイドに向かって言った。
 その言葉に、メイドはいつも通り、うやうやしい一礼で応える。少女は口を尖らせてやや不満そうだ。

「……なんでみんな一緒じゃないの」

 小さく少女はぼやく。そばにある小石を蹴飛ばしながら。
 だが、その言葉は男には届かなかった。

「アラ・カチューに気を付けろよ」

「なにそれ」

「誘拐婚のことでございます、ノラ様。キルギスでは伝統的に、女性を誘拐し無理矢理に婚姻する誘拐婚が行われているのです」

 メイドが説明すると少女はメイドに抱き着いて怯えた。

「また、オシの町では十年前と三十年前に、それぞれ暴動が起きております。ハク様もお気を付けて」

 メイドはそう笑顔で言い、少女を連れて先に行ってしまった。
 男はそれを見送ってから行動を開始する。

 そうか、暴動とかあったのか。そう思い、周囲を一度、警戒した。

        *

 男はまず、登山道を麓まで降りた。反対側の登山道だ、先日登った分も含めて、まだ通っていない道である。ゆえに、まずは正道を行った。もちろん、そんな正規のルートで見つけられるとは思っていない。

『箱庭図書館』にしまっておいた『パララ取扱説明書』を取り出す。そこに書かれている文章は、現状存在する地球上のどの言語とも違う。そもそも文字自体が存在しておらず、作者の創作と思われる。だが、言語学的には成立していると、多くの研究者が述べている。つまり、意味はあるはずなのだ。

 男は『パララ』のページを繰る。読めはしないが、挿絵からヒントを得られるかもしれない。だが、それについても今朝、何度も繰り返し眺めた。古代兵器パララの全体像はどこにも描かれておらず、パーツの一部を拡大し現しているものが、たった四つ。球状関節。昆虫の触角のようなもの。雷が落ちているような絵。そして最後に、魔法陣のような円形のマークと、その周辺になんらかの影響が波及しているような表現。

 挿絵からパララ本体の形状を予想するには、前者二点しか参考にはならないだろう。特に球状関節。これが用いられているなら、おそらく本体は機械生命体のようなものだと推測できる。また、触角があるとしたら、人間よりも異形の存在に近いのだろう。
 とはいえ、それだけではまったくと言っていいほど形状が特定できない。

 男は頭を掻きながら、登山道をまた、登る。少し登ってから、正道を外れ、いくつも点在する洞窟を調べ始める。スレイマン=トーに本当にパララがあるなら、埋められているか、あるいは洞窟の中くらいにしかありえないだろう。

 洞窟の中は、思っていた以上に暗かった。男は用意しておいた懐中電灯を灯す。
 ぬっ……。と、浅黒い顔が浮かび上がった。

「う、うわああぁぁ!」

 自分でもびっくりするほど、間の抜けた叫びをあげた。男は客観的にそう思った。
 あまりの驚愕に『パララ取扱説明書』と懐中電灯を落としてしまう。洞窟内は再度、闇に閉ざされた。

 大切なものを落としてしまったことを理解し、反射的に引いていた体を、無理矢理前傾させる。『パララ取扱説明書』に触れたとき、闇に消えた顔を再度、捉えることができた。

 浅黒い肌。赤茶けた髪は無造作なセミロング。貧相な服装と、あどけない表情に、男はいつかの自分の姿を重ねてしまう。
 その生命体がわずかに表情を崩すと、脳天から飛び出したアホ毛が、ぴょこんと揺れた。

「パッララ~!」

 にっこりとはにかむ。もう一度、アホ毛が揺れる。


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