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新潟編
6th Treasure Vol.2(日本/新潟/8/2020)
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敵意は感じられない。だが、歓迎ムードでないことだけは確かだ。
まあ、それはそうだろう。そもそも、男が推薦したとはいえ、少女が来ることなど、相手方には伝わっていないはずなのだから。
招かれざる客であり、アポなしの飛び入りなのだ。
「まるでわたしが来るのを知っていたような口ぶりね」
若者は確かに言った。「やあ、来たみたいだね」と。少女は名乗るより頼むより、まずそれを指摘した。
「きみのことなど知らないね。だけど、誰かが来ることは知っていたから」
金髪の若者は言う。回転椅子にゆったりと腰かけ、肘掛もふんだんに利用し、不遜な態度で足まで組んで、座っている。
「説明説明! ハルカが説明! シロちゃんが敷地内に侵入したことは、ハルカが一番に見つけたのだわ! えらい!」
女児の片割れが得意げに薄い胸を張った。
「ふうん。まあ、それはいいけれど。……シロちゃんてなんなの?」
「解説解説! カナタが解説! シロちゃんは白くて可愛いからシロちゃんなのです! 白い!」
もう一人の方も当然のように少女を『シロちゃん』と呼んだ。やはり薄い胸を張って。
「……あなたたち、その喋り方疲れない?」
少女は呼ばれ方に関しては無視して、気になっていたことを問う。
すると二人の女児は顔を見合わせ、少し不機嫌そうに、
「べー」「つー」「「にー」」
と、声を重ねた。そしてそのままの不機嫌を携えたまま、小走りで部屋を出て行ってしまった。
なにか悪いことを言ったかしら。と、少女はその後ろ姿を目で追った。その足音が聞こえなくなってから、改めて部屋に目を戻す。
金髪の若者は変わらずの姿勢で、だが、視線を逸らしていた。その先を辿ると、一人の幼年。おそらくさきほどの二人の女児と同じくらいの年齢の男の子だ。
「……じゃあ、俺も出てくる」
すると、気まずそうに幼年は言った。気を遣ってくれたのかもしれないし、ただ単純に、この場に居づらくなったのかもしれなかった。
「へえ、きみはいいのかい?」
「なにが?」
「さてね」
それから若者と幼年は少しの間見つめ合ったが、やがて、幼年の方が目を逸らし、そのまま無言で出て行ってしまった。なんだったのだろう?
「やれやれ、ませてるね、シュウは」
言って、若者は肩をすくめた。その動作も作られたように気障ったらしいから、目に余る。
*
三人の子どもたちが去ると、若者は椅子を回転させ、書き物に戻ってしまった。少女などいないかのような振る舞いである。
「あの、それで、わたし――」
「悪いけど、そこの戸、締めてくれるかい」
少女の言葉を遮って、若者は言った。少女は振り向く。そういえばあの幼年、扉を閉めずに行ってしまったようだ。少女は言われるまま、扉を閉める。
「あの、それで――」
「やめておいた方がいい」
若者はまたも遮って、そう言った。書き物をする手を止める。
わずかに息を吐き、肩を落とした。考えているのか、間を溜める。いや、もしかしたら、それで言葉は終わりなのかもしれない。
「きみは、生かされているだけだ」
「そうね。わたしは、ハクに出会って、救われて。ハクに生かされているだけ」
「そうじゃない」
若者は大仰に息を吐いて、椅子を回転させた。肩肘をつき、少女を見下すように、見る。
「きみはなぜ、ここに来た」
「だから、あなたに『異本』のことを教えてほしくて」
「どうして? きみが『異本』のことを知って、どうするというんだい?」
「これを、……使えるようになりたいの」
少女はリュックから一冊の本を取り出す。製本されていない、紙の束。『シェヘラザードの歌』を。
取り出した瞬間、若者が、彼にしては珍しく俊敏な動作で、それを奪い取った。
「……そうやすやすと取り出さない方がいい。……もしかしたら勘違いをしているのかもしれないが、ぼくはきみの味方でなければ、ハクの味方ですらない」
そう言って、若者は『シェヘラザードの歌』を少女に返した。
「あいつにどう言われたか知らないけれど、ぼくに師事したところで、きみがそれを扱えるようになるとは限らないよ。また、べつにぼくのところに来なくても、きみはそれを、扱えるようになれるのかもしれない」
「ハクは、自分の知っている限り、あなたが一番『異本』に詳しいと言っていたわ」
「あいつがぼくのなにを知っているというんだ。……きみのことが邪魔になったから、ぼくに押し付けただけじゃないのかい?」
若者がそう言うと、少女は怒ったような、悲しむような、微妙な表情をした。
だが、その心は、本人が意外に思うほど揺れなかった。信頼、とは違う。理屈はうまくつけられなかったが、少女の心は、そのように受容した。
「仮に邪魔になっても、ハクはわたしを見捨てないわ。だって、わたしの頭の中には、『異本』が収まっているのだもの」
「……きみは、頭が弱いね。だからそういうことを、おいそれと吹聴するものではないと忠告している」
「だけどあなたは、それを知ってもどうこうするつもりがないようだわ。ご親切に忠告までしてくれる。だからわたしは、あなたを信じる」
『シェヘラザードの歌』を使えるように、わたしに教えてください。少女は素直に、頭を下げた。
*
健気な少女を見て、若者はまた、ため息をついた。
と、そのとき、少女の後ろの戸が開く。
「……ジン、『天振』の様子だけど」
少女がわずかに顔を上げて見るに、入ってきたのはあの幽霊のような少年だった。彼は怪訝そうに少女を見たが、特になにも言わず、若者へと話しかける。
「特段目立った動きはないよ。1~2を行ったり来たり」
「そう、解ったよ。ありがとう、ヤフユ」
若者はわずかに頭を抱えている様子だったが、ただ単に格好をつけているだけのようにも見えなくはない。
そんな若者の様子にも疑問を抱いた風の少年の表情だったが、余計なことを言わないタイプなのだろうか? なにも言わず、そそくさと去って行った。少年は行儀よく、扉を閉めて出て行く。
若者は「ふう」と声に出して息を吐き、姿勢を正した。
「きみは、それを使えるようになって、どうしたい? 使えるようになったからといって、なにが変わる?」
「ハクの助けになりたいの。いまのわたしは――」
頭の中の『シェヘラザードの遺言』を使えないから。という言葉を飲み込んだ。忠告も、三度目となると呆れられるだろう。
「……非力だから」
自分で言って、自分で落ち込んだ。メイドのようにいろんなことをそつなくこなせれば、幼女のようにすごい力があれば、そんなことを考えてしまう。
こんなに力が欲しいと思ったことは、いまだかつてなかった。
「きみは力というものについても、『異本』についても、ぼくとは認識のズレたところがあるみたいだ。力があればあいつの助けになれる、『異本』を扱えれば力が得られる。どうしてそういう思考になるのか、ぼくには理解しがたいな。……他にも、ぼくときみの思考には多々ズレがあるが、もういい。どうやらぼくたちは解り合えないらしいからね」
言うと、若者は椅子を回転させ、物書きに戻ってしまった。
少女は落胆しかけたが、若者は背を向けたまま、すぐに言葉を発した。
「そうそう、さっきはあんなことを言ったけれど、本当はなにもないってわけでもないんだよ」
その言葉だけでは、少女は若者がなにを言っているのか解らなかった。
「本だけは、山のようにある。ここに留まるというのなら、好きに読めばいい」
本は、何者も拒まないからね。若者にしては珍しく、上機嫌に弾んだ口調で、そう言った。
*
もうこれ以上は話しかけるな。という雰囲気を感じ取って、少女はその部屋を後にした。少なくとも、ここに留まることは容認されたらしい。ならば、若者からも、山のようにあるという本からも、きっとなにかを学ぶことはできるだろう。そう、少女は期待した。
「あっ」
扉を開けた瞬間、つい声が漏れた。そこには少年が立っていたのだ。
「えっと……ヤフユくん、だったかしら?」
「呼び捨てで構わないよ。そう変わらない年頃だろうからね」
「わたしはノラ。ノラ・ヴィートエントゥーセン」
「そう。じゃあ、シロでいいかな」
「なんでそうなるの?」
「……みんなもう、そう呼んでいるからね」
なにか釈然としなかったが、少女は強く訂正する気にもなれなかった。少なくとも、あの二人の女児に呼ばれるのとは違い、目の前の少年に呼ばれるなら悪くはない。気がした。やはり少年の特徴的な声が琴線に触れているのだろうか?
「荷物を預かるよ。まずは、第一の書庫に案内しよう。休む部屋は、たくさん空いているから、好きに使えばいい」
「え? ……あ、うん」
なんだろう? わたしはもう、ここで本を読む流れになっているのだろうか? 少女は疑問を持ったが、とりあえず成り行きに任せてみることにした。
また、ダンジョンのような廊下を進む。途中で台所やトイレなどを案内され、第一の書庫とやらに向かう。少年の歩みは淀みなく、しかし、少女の着いて行きやすい速度に保たれていた。気遣ってくれているのか、たまたまなのかは解らなかったが。
「第一の書庫って言ったわよね。つまり、いくつも書庫があるの?」
「本が多くて、一部屋じゃ足りなくてね。いまは、十一番目の書庫が埋まりかけている」
考えるだに果てしない。一部屋がどれくらいの大きさで、どれだけの本を貯蔵しているか知らないが、本当に山のように本があるらしい。
「着いたよ。ここが、第一の書庫」
「ありがとう。ヤフユ」
少女は門扉を確認する前に礼を言った。少年がまた、消えてしまわないうちに。
*
扉を開けると、眩暈がした。
小さめの図書館くらいある。左右に整然と並ぶ本棚。見上げると、二階――というか、中二階がある。ところどころから梯子で登れるようだが、当然、中二階にも大量の本棚がそびえていた。
「……こんなのが十一部屋もあるの?」
「ここは特別蔵書量が多いけれど、他の部屋もそこそこ広いね」
少年はまだそこにいた。隣にいて、一緒に中二階を見上げている。その横顔は、どこか楽しそうだ。
「ヤフユは、本が好きなのね」
少女が言うと、少年は驚いたように、少女を見た。
「いや、……まだ、好きじゃない」
不思議な言い回しで、少年は言った。
*
呆けていても仕方がない。少女は気合いを入れて、まずは書庫を歩いてみることにした。
左右に本棚を眺める。頭がクラクラするような蔵書量。背表紙の文字が攻撃的に目に飛び込んでくる。だから少女は気後れして、目を泳がせる。
「……こんなの全部読んでたら、人生がいくつあっても足りないわ」
「そんなことは誰しもが解っていることだよ。だから、わたしたちは選び取るんだ」
言って、少年は一冊の本を手に取る。ぱらぱらとめくり、すぐに閉じる。選び取らなかったのだろう、本棚に戻した。
少女も真似て、適当な一冊を引き出してみる。わずかに埃の匂いがする。積もっているようには見えないが、軽く息を吹きかけたら、かすかに埃が舞った。
中身を検分する。普通の小説のようだ。その物語は、日本を舞台に描かれているにも関わらず、登場人物の名がカタカナ表記だった。たったそれだけのことで、少女の気持ちが冷める。なんとなく、読みたくない。そう感じた。
ため息をついて、本を閉じ、元に戻す。選び取ると言っても、どう選べばいいのか解らない。
そういえば、これまで『シェヘラザードの遺言』は何度も読んできたけれど、他の本はほとんど読んだ覚えがない。そう、少女は自分の人生を思い起こした。自分の人生には、さほど本との関わりがなかったと言っていい。
「選び取る、基準みたいなものってあるのかしら」
少女は言った。ひとり言のようでもあったが、少女自身、少年がなにかを答えてくれればいいなと期待した言葉だった。
「あるのだとは思うよ。ただ、それは人によって違う。あなたの求める本は、あなたにしか解らない」
誰にでも言えるし、誰に対してだって言える、ふわふわした言葉だった。だが、少年の声がいいからだろうか? その言葉は明瞭に、少女に基準を与えた。
そうすると不思議なことに、タイトルを見るまでもなく、読むべき本が見つかるものだ。
「これって……」
少女は数多ある本の中から、一瞬でそのタイトルを見つけ出した。
「『シェヘラザードの物語』……」
綺麗に製本されたその本を手に取り、少女は胸が高鳴る。
表紙を撫でる。そこにはわずかに、熱がこもっているようにも感じた。
まあ、それはそうだろう。そもそも、男が推薦したとはいえ、少女が来ることなど、相手方には伝わっていないはずなのだから。
招かれざる客であり、アポなしの飛び入りなのだ。
「まるでわたしが来るのを知っていたような口ぶりね」
若者は確かに言った。「やあ、来たみたいだね」と。少女は名乗るより頼むより、まずそれを指摘した。
「きみのことなど知らないね。だけど、誰かが来ることは知っていたから」
金髪の若者は言う。回転椅子にゆったりと腰かけ、肘掛もふんだんに利用し、不遜な態度で足まで組んで、座っている。
「説明説明! ハルカが説明! シロちゃんが敷地内に侵入したことは、ハルカが一番に見つけたのだわ! えらい!」
女児の片割れが得意げに薄い胸を張った。
「ふうん。まあ、それはいいけれど。……シロちゃんてなんなの?」
「解説解説! カナタが解説! シロちゃんは白くて可愛いからシロちゃんなのです! 白い!」
もう一人の方も当然のように少女を『シロちゃん』と呼んだ。やはり薄い胸を張って。
「……あなたたち、その喋り方疲れない?」
少女は呼ばれ方に関しては無視して、気になっていたことを問う。
すると二人の女児は顔を見合わせ、少し不機嫌そうに、
「べー」「つー」「「にー」」
と、声を重ねた。そしてそのままの不機嫌を携えたまま、小走りで部屋を出て行ってしまった。
なにか悪いことを言ったかしら。と、少女はその後ろ姿を目で追った。その足音が聞こえなくなってから、改めて部屋に目を戻す。
金髪の若者は変わらずの姿勢で、だが、視線を逸らしていた。その先を辿ると、一人の幼年。おそらくさきほどの二人の女児と同じくらいの年齢の男の子だ。
「……じゃあ、俺も出てくる」
すると、気まずそうに幼年は言った。気を遣ってくれたのかもしれないし、ただ単純に、この場に居づらくなったのかもしれなかった。
「へえ、きみはいいのかい?」
「なにが?」
「さてね」
それから若者と幼年は少しの間見つめ合ったが、やがて、幼年の方が目を逸らし、そのまま無言で出て行ってしまった。なんだったのだろう?
「やれやれ、ませてるね、シュウは」
言って、若者は肩をすくめた。その動作も作られたように気障ったらしいから、目に余る。
*
三人の子どもたちが去ると、若者は椅子を回転させ、書き物に戻ってしまった。少女などいないかのような振る舞いである。
「あの、それで、わたし――」
「悪いけど、そこの戸、締めてくれるかい」
少女の言葉を遮って、若者は言った。少女は振り向く。そういえばあの幼年、扉を閉めずに行ってしまったようだ。少女は言われるまま、扉を閉める。
「あの、それで――」
「やめておいた方がいい」
若者はまたも遮って、そう言った。書き物をする手を止める。
わずかに息を吐き、肩を落とした。考えているのか、間を溜める。いや、もしかしたら、それで言葉は終わりなのかもしれない。
「きみは、生かされているだけだ」
「そうね。わたしは、ハクに出会って、救われて。ハクに生かされているだけ」
「そうじゃない」
若者は大仰に息を吐いて、椅子を回転させた。肩肘をつき、少女を見下すように、見る。
「きみはなぜ、ここに来た」
「だから、あなたに『異本』のことを教えてほしくて」
「どうして? きみが『異本』のことを知って、どうするというんだい?」
「これを、……使えるようになりたいの」
少女はリュックから一冊の本を取り出す。製本されていない、紙の束。『シェヘラザードの歌』を。
取り出した瞬間、若者が、彼にしては珍しく俊敏な動作で、それを奪い取った。
「……そうやすやすと取り出さない方がいい。……もしかしたら勘違いをしているのかもしれないが、ぼくはきみの味方でなければ、ハクの味方ですらない」
そう言って、若者は『シェヘラザードの歌』を少女に返した。
「あいつにどう言われたか知らないけれど、ぼくに師事したところで、きみがそれを扱えるようになるとは限らないよ。また、べつにぼくのところに来なくても、きみはそれを、扱えるようになれるのかもしれない」
「ハクは、自分の知っている限り、あなたが一番『異本』に詳しいと言っていたわ」
「あいつがぼくのなにを知っているというんだ。……きみのことが邪魔になったから、ぼくに押し付けただけじゃないのかい?」
若者がそう言うと、少女は怒ったような、悲しむような、微妙な表情をした。
だが、その心は、本人が意外に思うほど揺れなかった。信頼、とは違う。理屈はうまくつけられなかったが、少女の心は、そのように受容した。
「仮に邪魔になっても、ハクはわたしを見捨てないわ。だって、わたしの頭の中には、『異本』が収まっているのだもの」
「……きみは、頭が弱いね。だからそういうことを、おいそれと吹聴するものではないと忠告している」
「だけどあなたは、それを知ってもどうこうするつもりがないようだわ。ご親切に忠告までしてくれる。だからわたしは、あなたを信じる」
『シェヘラザードの歌』を使えるように、わたしに教えてください。少女は素直に、頭を下げた。
*
健気な少女を見て、若者はまた、ため息をついた。
と、そのとき、少女の後ろの戸が開く。
「……ジン、『天振』の様子だけど」
少女がわずかに顔を上げて見るに、入ってきたのはあの幽霊のような少年だった。彼は怪訝そうに少女を見たが、特になにも言わず、若者へと話しかける。
「特段目立った動きはないよ。1~2を行ったり来たり」
「そう、解ったよ。ありがとう、ヤフユ」
若者はわずかに頭を抱えている様子だったが、ただ単に格好をつけているだけのようにも見えなくはない。
そんな若者の様子にも疑問を抱いた風の少年の表情だったが、余計なことを言わないタイプなのだろうか? なにも言わず、そそくさと去って行った。少年は行儀よく、扉を閉めて出て行く。
若者は「ふう」と声に出して息を吐き、姿勢を正した。
「きみは、それを使えるようになって、どうしたい? 使えるようになったからといって、なにが変わる?」
「ハクの助けになりたいの。いまのわたしは――」
頭の中の『シェヘラザードの遺言』を使えないから。という言葉を飲み込んだ。忠告も、三度目となると呆れられるだろう。
「……非力だから」
自分で言って、自分で落ち込んだ。メイドのようにいろんなことをそつなくこなせれば、幼女のようにすごい力があれば、そんなことを考えてしまう。
こんなに力が欲しいと思ったことは、いまだかつてなかった。
「きみは力というものについても、『異本』についても、ぼくとは認識のズレたところがあるみたいだ。力があればあいつの助けになれる、『異本』を扱えれば力が得られる。どうしてそういう思考になるのか、ぼくには理解しがたいな。……他にも、ぼくときみの思考には多々ズレがあるが、もういい。どうやらぼくたちは解り合えないらしいからね」
言うと、若者は椅子を回転させ、物書きに戻ってしまった。
少女は落胆しかけたが、若者は背を向けたまま、すぐに言葉を発した。
「そうそう、さっきはあんなことを言ったけれど、本当はなにもないってわけでもないんだよ」
その言葉だけでは、少女は若者がなにを言っているのか解らなかった。
「本だけは、山のようにある。ここに留まるというのなら、好きに読めばいい」
本は、何者も拒まないからね。若者にしては珍しく、上機嫌に弾んだ口調で、そう言った。
*
もうこれ以上は話しかけるな。という雰囲気を感じ取って、少女はその部屋を後にした。少なくとも、ここに留まることは容認されたらしい。ならば、若者からも、山のようにあるという本からも、きっとなにかを学ぶことはできるだろう。そう、少女は期待した。
「あっ」
扉を開けた瞬間、つい声が漏れた。そこには少年が立っていたのだ。
「えっと……ヤフユくん、だったかしら?」
「呼び捨てで構わないよ。そう変わらない年頃だろうからね」
「わたしはノラ。ノラ・ヴィートエントゥーセン」
「そう。じゃあ、シロでいいかな」
「なんでそうなるの?」
「……みんなもう、そう呼んでいるからね」
なにか釈然としなかったが、少女は強く訂正する気にもなれなかった。少なくとも、あの二人の女児に呼ばれるのとは違い、目の前の少年に呼ばれるなら悪くはない。気がした。やはり少年の特徴的な声が琴線に触れているのだろうか?
「荷物を預かるよ。まずは、第一の書庫に案内しよう。休む部屋は、たくさん空いているから、好きに使えばいい」
「え? ……あ、うん」
なんだろう? わたしはもう、ここで本を読む流れになっているのだろうか? 少女は疑問を持ったが、とりあえず成り行きに任せてみることにした。
また、ダンジョンのような廊下を進む。途中で台所やトイレなどを案内され、第一の書庫とやらに向かう。少年の歩みは淀みなく、しかし、少女の着いて行きやすい速度に保たれていた。気遣ってくれているのか、たまたまなのかは解らなかったが。
「第一の書庫って言ったわよね。つまり、いくつも書庫があるの?」
「本が多くて、一部屋じゃ足りなくてね。いまは、十一番目の書庫が埋まりかけている」
考えるだに果てしない。一部屋がどれくらいの大きさで、どれだけの本を貯蔵しているか知らないが、本当に山のように本があるらしい。
「着いたよ。ここが、第一の書庫」
「ありがとう。ヤフユ」
少女は門扉を確認する前に礼を言った。少年がまた、消えてしまわないうちに。
*
扉を開けると、眩暈がした。
小さめの図書館くらいある。左右に整然と並ぶ本棚。見上げると、二階――というか、中二階がある。ところどころから梯子で登れるようだが、当然、中二階にも大量の本棚がそびえていた。
「……こんなのが十一部屋もあるの?」
「ここは特別蔵書量が多いけれど、他の部屋もそこそこ広いね」
少年はまだそこにいた。隣にいて、一緒に中二階を見上げている。その横顔は、どこか楽しそうだ。
「ヤフユは、本が好きなのね」
少女が言うと、少年は驚いたように、少女を見た。
「いや、……まだ、好きじゃない」
不思議な言い回しで、少年は言った。
*
呆けていても仕方がない。少女は気合いを入れて、まずは書庫を歩いてみることにした。
左右に本棚を眺める。頭がクラクラするような蔵書量。背表紙の文字が攻撃的に目に飛び込んでくる。だから少女は気後れして、目を泳がせる。
「……こんなの全部読んでたら、人生がいくつあっても足りないわ」
「そんなことは誰しもが解っていることだよ。だから、わたしたちは選び取るんだ」
言って、少年は一冊の本を手に取る。ぱらぱらとめくり、すぐに閉じる。選び取らなかったのだろう、本棚に戻した。
少女も真似て、適当な一冊を引き出してみる。わずかに埃の匂いがする。積もっているようには見えないが、軽く息を吹きかけたら、かすかに埃が舞った。
中身を検分する。普通の小説のようだ。その物語は、日本を舞台に描かれているにも関わらず、登場人物の名がカタカナ表記だった。たったそれだけのことで、少女の気持ちが冷める。なんとなく、読みたくない。そう感じた。
ため息をついて、本を閉じ、元に戻す。選び取ると言っても、どう選べばいいのか解らない。
そういえば、これまで『シェヘラザードの遺言』は何度も読んできたけれど、他の本はほとんど読んだ覚えがない。そう、少女は自分の人生を思い起こした。自分の人生には、さほど本との関わりがなかったと言っていい。
「選び取る、基準みたいなものってあるのかしら」
少女は言った。ひとり言のようでもあったが、少女自身、少年がなにかを答えてくれればいいなと期待した言葉だった。
「あるのだとは思うよ。ただ、それは人によって違う。あなたの求める本は、あなたにしか解らない」
誰にでも言えるし、誰に対してだって言える、ふわふわした言葉だった。だが、少年の声がいいからだろうか? その言葉は明瞭に、少女に基準を与えた。
そうすると不思議なことに、タイトルを見るまでもなく、読むべき本が見つかるものだ。
「これって……」
少女は数多ある本の中から、一瞬でそのタイトルを見つけ出した。
「『シェヘラザードの物語』……」
綺麗に製本されたその本を手に取り、少女は胸が高鳴る。
表紙を撫でる。そこにはわずかに、熱がこもっているようにも感じた。
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