箱庭物語

晴羽照尊

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ワンガヌイ編

170th Item Vol.6(ニュージーランド/ワンガヌイ/8/2020)

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「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 悲痛。

 悲痛な叫びだ。

 それそのものが聞く者に痛みをもたらす。まだ幼い少女の叫びは、そういう力を常にはらんでいる。

「良い声で鳴くものです。悪くない。……その調子でお願いしますよ」

 獲物が釣れるまで。
 言って、青年は杖をさらに、ぐりぐりとねじ込んだ。その度、少女の腕は不可思議な方向に痙攣する。

「ううぅう……ううああああぁぁぁぁ!!」

 少女はあがく。だが、馬乗りになる青年と、その腕、杖に抑えつけられ、のた打ち回ることすらできない。ただ涙を流し、せめてもの抗いと、青年を睨みつけるのみだ。

「……なんだ、その目は。……まったく、情に溺れているやつは、みなそうだ。どんな犠牲が出ても、自分たちが正義だと信じて疑わない。その犠牲が、自分自身になってもだ」

 忌々しげに青年は言う。言って、差し込んでいた杖を抜いた。

「次は足をいただきましょう。右、左。どちらを落としますか?」

 言って、銀を光らせる。宝刀、『血吸囃子ちすいばやし』を。

 少女は涙を蓄えた目で、青年を睨む。歯を食いしばり、鼻息を荒くしながら。

「左、……足で、お願いするわ。いま裾を上げるから。この服、お姉ちゃんに買ってもらったの。だから――」

 言いながら、少女は言葉通りに、まだ動く左手で、ワンピースの裾を上げた。

「……まあ、いいでしょう。どうせもう長くない、餌の頼みです」

 言って、青年は少女の足元へと移動した。『血吸囃子』を掲げる。

「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 少女が裾を、付け根近くまで上げたと同時に、叫びは上がった。

 悲痛な、叫びが。

        *

「くうぅ……!」

 女は叫びこそしなかったものの、激痛に顔を歪めた。

「姉さん!?」

 その結果を生んだ少年は、その結果に驚愕し、珍しく狼狽した。

「案ずるな……大丈夫じゃ……それより、早く、ノラを……」

「……解った」

 どう見ても大丈夫ではない発汗量を見て、しかし少年は、踵を返した。

 自分は、あまりに無力だ。その自覚はだいぶ昔からあった。だからこそ、『力』に頼らない生き方を選んだし、そのように成長したつもりだった。

 だが反面。『力』にあこがれが、まったくなかったといえば嘘になる。無力な己を受け入れてきたからこそ、少年は、きっと誰よりも『力』を欲していた。

 しかしどうだ。いまこうして『箱庭百貨店』という『異本』を扱えるようになってみて感じる、一番大きなものは、『恐怖』だ。大切な誰かを傷付けうる、という。

 だから、少年は確信する。この世界に、『力』はいらない。少なくとも、『暴力』などと呼ばれるものは、絶対に不要なのだ。

「シロ……」

 小さく呟いて、目的を確認する。

 女からの三つの指示。女へ『ミジャリン医師の手記』を発動する。『箱庭百貨店』を守る。そして、少女へ『マール・ジーン』を発動する。

 さきほどまで聞こえていた金属音が途切れた。もうきっと、時間がない。
 だから早足で、少年は最後に金属音を聞いた辺りへ急いだ。

「シロ……!」

 いまは戦闘中だ。声は張れない。だが、少女の姿を確認し、高揚した風に少年はやや声を上げた。

 ひっそりと隠れつつ、それでいて十分な速度で。草木をかき分け、でも相手に気取られないように。少年は、自分がいままでにかつてないほど研ぎ澄まされていることを悟った。わずかな物音さえも聞き漏らさず、三百六十度ですら見渡していられそうだ。

「…………!!」

 だが、それは錯覚だった。
 なぜならこうして、気付かないうちに腕を掴まれ、喉元へ扇の先を突き付けられているのだから。

「悪くない集中力です。簡単には捕らえられなかったでしょう。

 少年はまだ知らぬことだが、宝扇、『鳴弧月めいこづき』の力だ。音の増幅、そしてができる。

「隠密行動にも優れた『宝』なのですよ。ほら、このように」

 わずかに扇を引いたかと思うと、引いた分だけ、扇の先から刃が飛び出る。仕込み刃だ。

「静寂のうちに屠ることができる。……あなたは不要です。餌は、一つあれば十二分」

 青年は、その腕に力を込めた。

 少年は、声を上げなかった。上げる暇がなかった、からではない。

「――――。――」

 別のことを、呟いていたからだ。

        *



 少女は、諦めていなかった。見えていたのだ。その、一部始終が。



 少年は、諦めていなかった。考えていたのだ。最後の、一瞬まで。



        *

 激痛に耐え、集中した。

 腹部から吹き出す血液を見て、思う。その量は、

 だが、生きている。その理由は、気迫や、物語特有の作者都合というわけでもない。
『ミジャリン医師の手記』。その『異本』の効能は、感覚――とりわけ、痛覚の増幅。そして、、というものだ。どれだけの血を流そうと、脳が破壊されても、心臓が止まっても、細切れにされようとも、能力の発動中、対象者は、絶対に死なない。

 もちろん、死に値するダメージを喰らった後、『ミジャリン』の効果が切れれば、その時点でその者は死ぬことになる。だが、効果が切れない限り、対象者は死なない。女がこの『異本』を回収するために戦った相手は、まさしくその性能で不死化した、数世紀を生きた死人だった、というほどだ。

 ともあれ、そんな理由で、女は死なない。その代わりの苦痛に耐え、集中する。

 女はと同じで、『異本』という『異本』と、とにかく親和性がない。だから、相伝として受け継いだ『箱庭百貨店』を除けば、|、かなりの集中を経なければ扱えないのだ。

 藍色の装丁。いつか、女が初めてその『異本』と適応してから、その本領を発揮したのは数えるほどの回数しかない。それほどの力を使う機会がなかったし、なにより、もし使おうとしても使えなかったら……、という恐怖があったのだ。それほどに、女は自身の、『異本』への親和性の低さを痛感していた。

「頼むぞ……妾だけならまだいい……死のうがどうなろうが、究極的にはどうでもよい――よかった」

 これまでは、それでよかった。

 女は心で確認する。

 死んだらそれまでのこと。死ぬほどの生き方でなければ、これだけのペースで『異本』を集められなかったし、これからも集めていけないだろう。だから、やるだけやって死ぬなら仕方がない。いや、むしろ女は、『死に場所』を探していたのかもしれない。

 親と慕った、老人が死んだ。その事実は、その後も生き続けるには、耐え難い苦痛だ。いくらとはいえ、これ以上生き続けることは、果てしない苦難なのだ。

 たった一人で。ずっと一人で。この先、ずっと。ずっと――。

「でも、また、家族ができた。……もう、これ以上、失ってたまるか」

 自分の無力のために、失うことなど、あってはならない。
 そしてその思いは、他の家族にも背負わせられない。

 だから、家族はもう、二度と失わせない。そして、自分はもう、

「いま扱えなくて、なにが適応者じゃ……目覚めよ…………『嵐雲らんうん』」

 ゴオオォォォォ――!!

 音よりも先に、放射状に広がった、破壊。

 それは空間を弾いて、燃えるようにすべてを、飲み込んでいく。

        *

 その、数秒前だ。

 ここで女がいかに愚かだったかを記しておきたい。『箱庭百貨店』。その『異本』の使についてだ。

 女はその『異本』を扱うに当たって、常になんらかの『異本』を発動するに紙幣を『百貨店』に押し込んでいた。しかし、そもそもいちいち紙幣を毎度毎度押し込まなくても、最初から。その状態で念じれば、問題なく『百貨店』は発動する。数年来にわたって『百貨店』を使ってきて、そんなことを思い付きもしなかった女は、前述の通り、愚か者だったといえよう。

「『開闢かいびゃくの夢』、一分」

 少年は呟いた。掴まれた腕と反対の腕には、確かに『百貨店』が握られている。そして、首元には刃。

 ここから抜け出す方法は、少年が知っている『百貨店』の中身を考慮すれば、この一手しかない。

『開闢の夢』。空間にを作る『異本』。……と、言ってしまうと、扱い方としては制限的だ。だが、空間にを作る『異本』と言えばどうなるだろう?

「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」

 力を込めるための咆哮。それだけじゃない。

 空間にできた見えない壁は、少年と青年の、

「くっ……!?」

 青年は一瞬、意図を読みかねる。切られた腕は、紙片と舞う。ただの式神だ、問題ない。

 だが少年は、? 『開闢の夢』が空間に壁を作る『異本』なら、を押し潰すように壁を作ればよかったはずだ。その位置への壁の生成なら、少年にダメージはなかったはず――。

 だが、少年は飛んだ。それで、悟る。

 少年は足場としても利用するため、可能な限り自分に近い位置に壁を生成したのだ。掴まれた自身の腕を切断し、行動を自由にする。さらに切断に使った壁を蹴り、飛ぶ。

 どこに飛ぶか? そんなものは決まっている。

「ノラああああぁぁぁぁ!!」

 いまにも足を切断されそうな、少女のもとへだ。

「ヤフユっ!!」

 少女も、裾を上げていた左手を、少年へ伸ばす。

「ちっ……なんだというのだ……」

 少女に馬乗りし、抑えつけている青年以外の二人が、その行動を止めようと動く。

 青年にしてみれば、そこまでして少年と少女が互いに寄り添おうとする理由など解らない。だが、。よもや愛する二人が死の淵に寄り添おうとしているわけでもあるまい。

 だから、止め――

 ブウウゥウオオォォ――!!

 少年と少女の手が触れる、あるいは、それを青年が阻止する直前、すべてを舞い上げる爆発のような突風が、巻き起こった。


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