箱庭物語

晴羽照尊

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エジプト編

40th Memory Vol.6(エジプト/アスワン/9/2020)

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 最終ゲーム。挑戦者は男、ハク。

「早くも最終戦ぞ。……先の幼年はなかなかだったが、まだ足りぬ。そなたは、余を、愉しませられるかのう?」

 ゲームが始まった当初、正しく整えられていた姿勢は徐々に崩れて、女流は、初めて会ったときのように、少しずつ玉座にもたれかかっていた。だから、やや威厳が衰える。

「……勝てるかどうかはともかく、少しは愉しませられると思うぜ」

 男は言う。女流の正面である、自身の席につきながら。

「ほう……なにやら策があると見える。……よかろう」

 女流は口角を上げて、姿勢もやや正した。その漆黒の瞳で、男を見据える。

「では、まず、先手後手を選択せよ」

 中空へ指をなぞり、それに連動し、盤上が自動で整う。ゲームの、初期配置へと。

「先手で、いかせてもらう」

 男は言った。言葉は戸惑うようにゆったりだったが、それでも、女流の言葉へ即答する形で。

「……よかろう」

 女流は言った。女流にとっても、『後手有利の法則』には思うところがあったのだろう。ゆえに、あえて先手を選ぶ男の考えを読み切れずにいるようだった。

 男の後ろで、子どもたちもざわつく。幼女はともかく、少女と幼年には、やはり『後手有利の法則』が頭にあり、男の選択は意外に映った。

「いったい、どんな策があるっていうのかしら」

 少女が小さく隣の幼年に問うた。

「はっきりとは解らないけど……もしかしたら」

 幼年にはひとつ心当たりがあった。先のゲームで、使。あれを男は使う気かもしれない。ただ、それを使うといっても、あえて先手を選ぶ理由は解らなかったが。

 男はちらりと後ろをうかがう。幼年と目配せをする。だから、幼年はそれ以上を少女に語ることは差し控えた。

「では、……始めよう」

 女流が言う。

 ゲームが、始まる。

        *

 先手、男。1ターン目。

 前自場4へ、『奴隷』を進める。

 初手の様子見には悪くない手だろう。動きの遅い『奴隷』を早めに動かしておく。後半になっても初期配置のままでは、『奴隷』は、いざというときに前線へ連れ出しにくい。

「ふむ……」

 序盤も序盤だ。ここで長く悩んでも仕方がない。しかし、女流は長考した。

 このゲーム。盤面の狭さ、駒の少なさから、他のボードゲームより早く決着が着くことが多い。ゆえに、一手一手の慎重な先読みが重要となる。
 簡単に決着が着くからこそ、簡単に詰まされたりもする。そのケアをしつつ、攻め込まねばならないのだ。

 後手、女流。1ターン目。

 前自場4へ、『奴隷』を。男と同じ手だ。男になんらかの策があると受けて、いかようにも対応できるように、無理な攻め込みや、無為な新手を控えたのだろう。慎重な一手といえる。

 そして、ここから『神』を動かせる。この点について、女流は迷わず、『神』を前進させた。前敵場2へ。

 その手に、男はわずかに息を吐いた。女流はそれを見逃さない。
 ただし、それが失望の感情なのか、安堵の感情なのかは読みかねた。

 先手、男。2ターン目、一手目。

 そこで、男も長考に入る。腕を組み、少し唸った。

「どうした? 『神』の前進は、そなたにとって都合が悪かったか、のう?」

 だからゆさぶりをかける。ボードゲームにおいてその盤外戦術ゆさぶりはご法度なのかもしれないが、今回、このゲームに、そんなは存在しない。

「このゲーム。あんたが作ったんだろ。クレオパトラ」

 しかし、男は疑問には答えず、別の疑問をぶつけた。盤上を見つめ、まだ考えている途中だと言わんばかりに。

「……確かに、『再生への旅セネト・ダハブ』は余のオリジナルぞ。それが、どうかしたか?」

 どこか不満そうに、女流は答えた。ゲーム自体に文句でもあるのだろうか? そんな感情が見え隠れする。

「いや、なんでもない」

 男は言った。そして、腕組みを解く。

「ターン、終了だ」

「うん?」

「俺はこの盤面のままでいい」

 2ターン目、男はまだ、いかなる駒も動かしていない。だから男の盤面は、初手での『奴隷』の移動のみ。そのままで、ターンを終えるという。

「どんな策かは知らぬが」

 女流は言う。

「勝負を投げたのではあるまいな?」

「問題ない。あんたのターンだ」

 まだ、盤面だけを見つめ続けて、男は言った。

        *

 後手、女流。2ターン目、一手目。

 多少の思考時間は取ったが、長考ほどでもなく、女流は駒を打つ。前自場2『主人』。

 そして二手目。前自場5へ『従者』。足の遅い『奴隷』を置き去りに、攻めの姿勢を強く押し出した手。

 特に、『従者』を『主人』の両隣、前自場1や3にまで、あえて進めなかったのが逆に攻撃的だ。次の男の一手、『神』の行動時に前進を選択しなければ、その『神』を女流の『主人』でもって横から素通りするためには、いったん、前自場1か3に置かなければならない。ゆえに、そのマスを空けている。

 次の女流のターン、おそらく一手は、『主人』を前自場1か3へ進めるだろう。そうしておけば、基本的に、男は対応として、その『主人』の足を止めるため、なんらかの新手を打たねばならない。『主人』が『神』の横を素通りした時点で、少女の敗北のときのように、『到達』の達成まではどうあがいても、秒読みを迎えるはずだからだ。

 その前提で、前自場1と3、どちらともを空けておくことにより、どちらからも攻め込める姿勢を保った。だから女流の『主人』が1と3、どちらに動くか解らない――言い換えれば、動かない限り男の方から先んじて、妨害の新手を置くのが難しい。

「悠長に構えるなら、余は一挙に攻めさせてもらうぞ」

 その言葉通り、『神』も前進。後敵場8へ。男が初手で動かした『奴隷』を攻撃範囲内に収める。また、その先には男の『主人』や『従者』にも、すぐ手が届く。『神』一柱に、男の陣地は征服されかけていた。

 そうして、強く攻め込み、女流の2ターン目が終了した。

 先手、男。3ターン目、一手目。

 ノータイムで前自場6『従者』。敵の『神』から見たら、斜め左前。つまり攻撃範囲内で留めた。これで男の『奴隷』だけでなく、『従者』も女流の『神』の攻撃範囲内。そのうえ、女流の『神』と男の『奴隷』、『従者』に阻まれ、『主人』の移動先もほとんどない。こうなると、『主人』が討取られるのも時間の問題だ。

 そして、二手目。

 ここで男はまたも腕を組み、長考した。

「……いまさらどうした? よもや打ち間違えたなど、興醒めなことは言わんだろう、のう?」

 おそらくは打ち間違いだ。女流はそう思った。いちおう問うてはみたが、もうすでに、女流は失望している。本当に、つまらない幕引きだ。

 なぜなら、女流が見た限り、男は次にどんな手を打とうとも、窮地に追い込まれることとなる。どうしてわざわざ、『主人』の移動先を狭めたのか? もし仮に、次ターン女流が『神』で『奴隷』か『従者』を攻撃すれば、男の『主人』はうまく女流の『神』の横を通り抜けられるかもしれない。だが、そんな女流のに依存するような策は、もとより破綻している。

「あんた、このゲームはだって言ったよな」

 男は言った。唐突に。

 だが、それだけでは、真意を理解し得なかったのか、女流はわずかに首を傾げた。

「練習のとき、『このゲームを選んだのは初めて』だって、確かにそう言っていたな」

 男は言い直す。いや、もとより解りにくく先の言葉を放ったのだろう。言い直すタイミングが、やけに早かった。

「その通りぞ。それが、どうかしたか、のう?」

 理解しても、女流は首を傾げる結果となった。言葉通りだ。それが、どうかしたのか? と。そう思う。

「数百年……あるいは、数千年か? こんなところで一人……さぞ暇だったろう」

 黄金造りの部屋を見渡し、男は大仰に腕を広げた。

 その態度が癪に障ったからか、女流は眉をしかめる。

「盤外戦術か? もはや自身では形勢を立て直せないとみて、余の手を狂わせにきたか? 下らぬな」

 そんな手には乗らない。そう言いたげに、女流は淡々と言い放つ。

「何度も何度も、自分で打っては、自分で自分を打ち負かす。そうして足りないルールを新調し、間違ったルールを削って直して、時間をかけて作り上げたんだろうな」

 この、ルールブックを。言って、男は卓の隅に置かれた、ルールブックに手を置いた。その幾年月の試行錯誤が詰まったであろう、を。

「ごちゃごちゃと下らぬ駆け引きを……そんなもので余の手はにぶらぬ! つまらぬ盤外戦術に頼らず、とっとと勝負せい!」

 声が、響いた。

 沈黙が、静寂を形成する。

 女流は漆黒の瞳で、まっすぐ男を見た。それに対し、ようやく、男は盤面から視線を上げ、真っ向から、女流と相まみえる。

 息を、吐く。

「一人でいるのは、さぞ退屈だったろう」

 似たようなセリフを、言い直した。
 それに女流が、いま一度感情を昂ぶらせる前に、男は、3ターン目、二手目を、指す。

 その一手に、女流を含め、全員が声を上げた。

 驚愕と、困惑の、声を。

        *

「はあ?」

 間の抜けた声が、女流の口から洩れた。

 後ろの子どもたちも似たようなものだ。頓狂な顔で、頓狂な声を上げている。それも仕方のないことかもしれない。とはいえ、その一手は、あり得ないものだったのだから。

 男の3ターン目、二手目は、前自場2へ『剣』。融合だ。敵の・・『神』との。



 唖然とする女流のために、男は解説する。

。……そうだろ?」

 男はにやりと笑う。

 そしてもし、この手が通るとするなら、女流の『神』は融合により、行動回数が減少、攻撃も、移動もできなくなる。そのうえ、『神』の周囲8マス以内に現状、男の『従者』、『奴隷』、『剣』が置かれていることになる。このまま『主人』をも置けば、『討伐』の達成により、敵の『神』を除外することも可能だ。『神』を『討伐』し、あとは開けた敵の陣地を突破、一挙に『到達』の勝利条件を満たすこともできる。

「そ、そんなもの――」

 震える声で、女流はようやく、口を開いた。

「知らん! 知らんぞ! そんなもの、想定にない!」

「だが、ルールに則った手だ」

「そんなもの、まかり通るわけがなかろう! 、敵の駒に自身の駒を融合など、常識はずれにもほどがある!」

「『勝敗はルールブックに基づく』……あんたが言ったことだぜ?」

 女流は言っていた。ゲームが始まる前に。確かに。

 ぐう……。と、音を鳴らし、女流は盤面に顔を近付けた。打開策を探しているのだろう。

 確かに理不尽だ。こんな手、本来ならあり得ない。おそらく、女流は見落としていたのだ。ルール上、この手が可能になっていることを。だから、気付きさえすればこの手はできなくされていたはずである。新たにルールを加えるため、『融合は自身の駒同士でしかできない』などと一文が追加されるはずだ。

 この『試練』がは。

 だが、先に示されたルールブックがあり、それに従い、この『試練』は遂行されている。その途中で、ルールの変更など、それこそまかり通るはずもない。

「『神』は……?」

 女流は言った。

「うん?」

「『神』は、動かすのか、のう?」

 おお、そういえば失念していた。と、男は思い出す。会心の一手を見舞い、ターンを終了したつもりでいたのだ。

「いいや、ターン、終了だ」

「……そうか」

 女流はその言葉こそ、まさにゲーム自体の終了を宣言したものだと言わんばかりに、玉座に背を預け、天を仰いだ。
 その、寂れた黄金の、暗い天井を。

「余の負け……のう」

 どこか安堵したように肩の力を抜いて、女流は言った。眠るように表情を緩め、大きく息を吐く。


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