箱庭物語

晴羽照尊

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チチェン・イッツァ編

40th Memory Vol.18(メキシコ/ユカタン/9/2020)

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 童女――ルシアは、考えていた。いや、考えるというほど具体的ではない。だから、それは、感じていた、というだけなのだろう。

 いいな……。と、そういう感情だ。

 兄弟って、いいなあ。おとうさんともおかあさんとも違う、ましてやおじいちゃんでもないし、友達とも、きっと恋人とも違うのだろう。兄弟って、兄弟なんだな。そう思う。

 一人っ子として生まれ育ち、親戚とも疎遠な田舎暮らしで、当時も、近所に同世代の子どもはいなかった。その点に孤独を感じたことはなかった。なぜなら、が孤独なのだという概念が、童女の生活する環境にはなかったからだ。

 だから、触れて初めて、認識する。得体のしれない、柔らかくも強固で、あったかくて、胃の奥底がむず痒いような、初めて見る関係性を。

『兄弟』と呼ばれる『家族』の存在を。

        *

 膝を抱えて座り込む影が、二つになった。その影の背後を、あたふたしながら忙しなく行き来する女。
 その女の、服を小さく、童女はつまむ。

「あ、あーしが……」

 抓む手に力が籠る。俯いたりはしない。振り向いた女の目を、まっすぐ見上げて、童女は言葉を紡ごうと努力する。

 相変わらずの凛々しい目つきだ。だが、その力強い表情とは対照的に、童女の心はまだまだ、年相応だった。

「……? どうしたのじゃ、ルシア」

「あーしが、やります」

 童女は、なんとかその言葉を言い切った。

 その抽象的な言い方に、別のことであたふたしていた女は、すぐに理解が追い付かなかった。しかし、徐々に悟ってくる。童女の言葉と、その腕に込められた力に。

「だめじゃ。遊びじゃないんじゃぞ。怪我をするかもしれん、こんな危険なことに、なれを巻き込むわけにはいかん」

 声も荒げず、淡々と、女は言い聞かせるように言った。腰を落として、童女と視線を合わせて。まっすぐに。

「…………」

 そう言われてしまうと言葉もない。確かに、自分は関係ない。まだ出会って半日の、すれ違っただけの無関係だ。

 だけどこのまま終わったら、それこそずっと、無関係だ。そんなのは、いや。いやだと、わがままにも思ってしまう。

「……『ねぇね』」

「うん?」

 童女のに、女は疑問を返す。
 だが体のどこかに、いやにがさがさと、ざわめくような感覚が流れた。

「『ねぇね』。……って、呼んで、いいですか?」

「――――――――!!」

 わずかにうるんだ瞳で、気恥ずかしそうに頬を染めて、いじらしく言う姿に、……女は、……死んだ。

 つまり、仰向けにぶっ倒れた。その表情は、おそらく、彼女の人生史上、最高にゆるんで、幸せそうな恍惚に包まれていた。

        *

 その倒れる音で我に返り、少年は、即座に童女のもとへ駆け寄った。道中、人間の顔のようなものを踏んだが気にしない。それくらいしなければ、どちらにしても意識は戻らないだろうし。

「ルシア! 考え直すんだ。あなたがこんなことをする必要は――」

「『にぃに』?」

「がはっ!!」

 少年は血反吐を吐いた。……いや、さすがに血は出ていない。よかった。

 胸を撫で下ろすが、事態は深刻だ。よもやこの歳で、新しい妹ができるという事態が、これほどまでに生命を脅かすとは思ってもみなかったのである。

 いまなら、あの姉の気持ちも、少しは解らなくもない。そう、少年は思うが、なんとか踏み止まった。女ほど普段から弟や妹を切望する人種であったなら、とっくに屍に変わっているところだ。

「と、とととととにかく! あなたにもしものことがあれば、大事だ。ご両親にも、おじいさまにも申し訳が立たない。……わたしを、あ、ああああ兄と慕ってくれるなら、聞き分けてくれ」

 目が泳いでいた。言葉も泳いでいた。海ではさんざ醜態をさらしたものだが、なるほど、泳ぐとはこういうことなのか。と、少年は思う。思考までもが泳いでいた。

「あーし。『にぃに』と『ねぇね』の役に立ちたいの。……だめ?」

 やはりうるんだ瞳で童女は上目づかいに少年を見た。怯える小動物みたいな弱めの眼で。深緑色の本を両手でぎゅっと抱き締めた、庇護欲をくすぐる格好で。いじらしく、不安そうな面差しで。

「あー! あー! ああぁぁああぁ!!」

 頭がおかしくなる。それを振り払うように、少年は叫び、自身で自身の顔を殴った。

 え? なにこれ。可愛すぎない? こんな子のお願いを無碍に扱うなど、わたしはいったい、どれだけの罪を犯しているのだろう? 待て。もしや、この子は天使なのでは? 神の御使い。そう考えれば、この可愛さも合点がいく。この子の言に逆らうなど――いや、逆らわないまでも、口答えをすることすらおこがましい。そもそも許可なく発言をするとはなんと罪深い。わたしのような、なんの才能もない下々の愚民は、可愛い童女を身命を賭して保護していればよいのだ。そうやって死ねるなら、いったいどれほど幸福か。……いやいや、そんな死に様を願うことすらすでに、万死に値する。我々はただ平伏し、天使の御言葉に唯々諾々、従っていればよいのだ。そうだ。そんな世界の真理にも気付くことなく、おいそれと童女を嗜めようとした自分は、なんと愚かな重罪人なのだろう? ……死のう。もういっそ、天使様のお目汚しにならぬように、自ら命を――

 少年はそこまで考えて、自身の腕に殴り飛ばされ、屍となった。

 ……まあでも、大丈夫。死んじゃあいない。……体は。

        *

 二つの屍がむくりと起き上がり、一つの影が光を取り戻したころには、すでに、第三ゲームは始まっていた。
 ……というより、終わりかけていた。

「あはははは。面白い……面白いよ! ルシア」

 笑い声が響く。その余裕そうな声が響いているということは、やはり、好青年がリードしている、ということなのだろう。

 だが、それでも彼に、『面白い』と言わせるとは……童女も善戦しているということだろうか? そう、三人ともが思い、見る。第二ゲームと同じ、用のサイズに描かれた、自陣の円の中を。

「最後だよ、テス。……お願い!」

『グルルルルル……』

 なんと、童女はその『異本』に収められたジャガーとともにゲームに挑んでいた。

「なんじゃ、あれは……アリなのか?」

 ジャガー自体がゲームの参加者として認められることもそうだが、そもそも、『試練』は『異本』の力を行使して挑むことができないはずなのだ。それが、なぜ?

「いや、確かに、ルール上、問題ない」

 少年は言った。なにやら頭の中がぐわんぐわんする。それを慮り、頭部に手を当てながら。……そういえば倒れる前の記憶が曖昧だな。そうも少年は思ったが、まあ、いまはそれはいい。と、気を取り直す。

「ルール上、人間しか参加できない、ということはないし。それに、あの『異本』。『箱庭動物園』はあくまで、動物をできる『異本』でしかない。動物の出し入れは『異本』の力だが、一度出してしまえばその後は、『異本』など無関係だ」

 その点、女児――カナタの扱う『異本』、『不死鳥フェニックスの卵』は使用できない。その力で生み出されるヤキトリは、が『異本』の力に依存する。ゆえにヤキトリの助力を得てゲームに参加することはできないだろう。
 だが、テスは違う。テスはそもそも、存在自体は普通に、この世に生を受け、育まれてきた個体だ。動物学的な分別を除けば、存在自体は女や少年、女児や童女となんら変わりない、この世界の住人。

「でも、……だからといって、あの方のボールを受けきれるかどうかは別なのです」

 女児が言う。そう、問題は、むしろそちらだ。

「同点で迎える最後の一球か……。全身全霊を賭して、望むよ! あはははは!」

 解説ありがとう好青年。

 さて、ほんとのほんとに、これで『試練』、終結だ。

 好青年は構えたボールに、最後の掌底をぶつける。

        *

 相変わらずの剛速球。あれだけ何度も繰り返した掌底でありながら、その勢いは微塵も落ちていない。好青年は、実はまだまだ余力を残しているのではないだろうか? そう思わせる一球だった。

「テス!」

『グウ……』

 童女の言葉に、勇み出るのはジャガーだった。その剛球の前に立ちはだかり、四足で踏ん張る。そして、……頭部で受けた!

 なるほど! 女と少年は同時に理解する。
 四足歩行の獣。それはすなわち、頭部が前面に押し出される姿勢だ。つまり、このゲーム――血球ヌエボ・トラチトリにおける最高得点、3ポイントを狙いやすい。そのうえ、女が臨んだ第一ゲーム、その最後の一球のように、姿勢を落として地面に踏ん張っていれば、あれほどの威力の投球とはいえ受けられないこともない。このゲーム、ルールにないとはいえ、当然人間同士のプレイを想定しているはずだが、四足動物にとってかなり有利な設定となっているようである。

 まあ、もちろん。普通は動物が人間の作ったゲームなどプレイできるはずもないが、テスは童女と固い絆で結ばれているのだろう。童女の意図を読み取り、うまくボールを受けている。

『ガアァァ!』

 しかし、それでも、あの剛速球だ。体長2メートルはあろうというジャガーでも、受けるのが精いっぱい。弾き飛ばされ、リフティングへとすぐに向かうことはできないようである。

「あ、あわわわ……」

 だが、そこは童女が、覚束ない動きでボールを追う。テスが勢いは殺し、高く、ふんわりと弾き上げている。運動神経が人並みにあれば、なんとかならなくもないだろう。

「ていっ」

 童女は両手を上げ、バレーのトスのようにボールを弾いた。決してうまくはないが、また、ボールは高々と上昇する。しかし、だいぶ落下予測地点がずれた。急いで追わなければ、そのまま地面に落ちかねない。

「え、……あうわっ!」

 童女はたどたどしくボールを追うも、寸前で転んでしまう。『ガウ!』。だが、体勢を立て直したテスが、間一髪、間に合った。ボールは累計2回のリフティングを経て、また、空へ上がる。

 あとは、キャッチするだけだ!

「「「がんばれ! ルシア!」」」

 応援席の三人が、声を揃えた。その声援に後押しされてか、擦りむいた膝を奮い立たせ、童女は立つ。

 幸いにも、ボール落下点はほぼ、童女がいる、現在地だ。

 ゆるり。ふわり。好青年が弾き出した当時の勢いなど、とっくに失われて、ただ、ボールは落下する。童女の構えた、両手の中へ――

「…………あれ?」

 気の抜けた声が、終了の合図だ。

 ボールは、童女の構えた両掌から滑り落ち、無慈悲に、地面を叩いた。

        *

 童女は膝を抱えて影になった。その背中には、不思議なことに、羽が生えていない。

 ジャガーも童女の横で、丸くなって影になった。屈強な肉食動物としての威厳はない。いまにもそこらへんの草とか食べそうだ。

「いや! 大健闘じゃから! むしろ妾たちよりよっぽど、善戦しとるから!」

「そうだ! 天使s……ルシア! 本当によくやったよ!」

「テスもすごいのです! 今回のMVPなのです!」

 三者三様、童女とジャガーを慰めるが、一向に影から戻ってこない。そもそも童女には、こんな『試練』に関わる必要もないのにがんばってくれたのだ、三人はそれだけでも十二分に、嬉しかったというのに。

「あはははは! そうだよ、ルシア! キミは胸を張っていい!」

 その後ろから、好青年が爽やかな笑顔で光を振り撒き、話しかけてきた。

「三ゲームとも、どれもとても楽しかったよ! だ。そして、完敗さ!」

 好青年は腕を広げて、にこにこと、言い放った。

「「「「……え?」」」」

 だからシンクロする。童女も影から復帰して、『兄弟』たちと声を合わせた。『グル?』テスも、同様に。

        *

 好青年の主張によると。どうやら、好青年はゲーム中、ほとんどの投球を、で放っていたらしい。『投げ手スローワーは投球後、受け手レシーバーがボールを受けるか、あるいは地面にボールが触れるまで、自陣から出てはならない』。確かにそういうルールだった。そしてそれに、好青年はわざと・・・抵触しながら、ゲームを進行していたのだ。

 挑戦者が負けても、先へ進めるように。自分が負けても、ゲームが続くように。

「ボクの目的は最初から、可能な限りゲームを長く楽しむ、これだけだ。でもキミたちは、どうあっても『試練』をクリアしたかったんだろう? だからハナから負ける気だったのさ」

 あはははは! と、こともなげに好青年は笑って言った。呆気にとられる挑戦者たち。

「そろそろこの世界にも飽きてきたからね。一人で笑い続けるのも、限界がある」

 好青年は言うと、初めてどこか悲しそうに、表情を曇らせた。

「まあ! そんな自分語りはともかく! ……おめでとう、挑戦者たちよ。キミたちに、一人分の通行権を与えよう。……聞くまでもなさそうだけど、誰が行く?」

 ボールをかざして、女たちを見まわした。好敵手を見つめるように、どこか勝ち誇った、強い目で。

「……なんともまあ。……試合に勝って、勝負に負けておるが、まあよい。意地を張って負けていられるほど、余裕もないしの」

 女が言う。

「ありがたく通してもらおう。……行くのは妾じゃ」

 そう言って、女は手を出した。それを見て、好青年も手を伸ばす。その手を握り、固く繋いだ。

「……ヤフユ」

 女は振り向きもせず、少年に言う。

「カナタを、……ルシアを、頼むぞ」

「もちろん。命に代えても」

 ……? 少年は不吉な言い回しに、自分自身で疑問を持った。だが、答えは解らない。気を失ってから性格が一部、変わってしまったかのようだ。

「『ねぇね』!」

 童女が女へ、声をかける。

「……あーしも、待ってるから! ……早く帰ってきてね!」

 女はわずかに顔を振り向かせ、口角を上げて応えた。「ゆこう」。だが言葉は、もはや振り返らない。好青年へだけ向けて、力強く放たれた。

 好青年はニコリと笑い、それでも声を上げずに、ただ、ボールを軽く、空に放った。

 次の瞬間、思い切り体を回転させ、足の甲でもって、思い切り、それを蹴り飛ばす。

 そばにいた女はもとより、やや離れた少年たちにも、突風が襲いかかった。見ると、掌底での投球など比較にもならないような速度で、そのボールははるか遠くの、壁を一枚、完膚なきまでに破壊した。

「……汝。足遣いが下手じゃというのも、嘘か」

「いいや、本当さ。足はうまく、力の加減がきかなくてね」

 あはははは! これまでになく豪快に、底抜けに明るく、好青年は天を仰ぎ、笑い飛ばした。……涙が出るほどに。

「……まったく、汝が生きた時代で、正々堂々、戦いたかったぞ。チャク」

 その言葉に気をよくしたのか、好青年はやはり、にっこりと満面に笑んで、女を見た。

「……さあ、送るよ、ホムラ」

 再度女の手を取り、エスコートする。見ると、さきほど破壊した壁のあたりに、光が見て取れる。あれが、地下世界への入口……なのだろう。

 ゆっくりと、歩を進める。

 恋人同士の歩みのように、ゆっくりと。


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