箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
82 / 385
『シャンバラ・ダルマ』編 本章

40th Memory Vol.35(地下世界/シャンバラ/??/????)

しおりを挟む
 地下世界は怖ろしい。よもや降りてきて早々、あんな前時代の野蛮人に絡まれるとは。肩で息をしながら、学者はそう思っていた。

「いやあ、しかし。走ったのなんていつ以来だ? ……ああ、昨日ぶりだ」

 あはは。一人きりで、周りに誰もいないと思い、学者は高らかに笑った。だが、疲れや恐怖は本物で、笑いも乾いてしぼんでいく。力が抜け、泡の地面に寝転んだ。

「もしかして、僕、とんでもないところに来ちゃったんじゃないだろうか。『異本』鑑定士になれるってことで、二つ返事で受けちゃったけど、早計だったかなあ」

 もはや遅すぎる疑問を抱く。もちろん言葉になどするつもりもなかったが、考え込むと思考が漏れるのは彼の癖だった。

 仰向けに寝転んだまま、学者はその手に持っていた、一冊の本を持ち上げる。泡の空へ掲げ、崇拝するように目を細めて、眺めた。

「君がいて助かったよ。『シャノワール』」

 その本のタイトルを、愛おしそうに抱き締めた。長年連れ添った恋人のように。唯一無二の大親友のように。

 相手は本というより、人間であるかのように。

「おい、おまえ」

 そうして愛しい本を抱き締めていて、気付かなかった。

「そりゃ『Brouillardブリュイヤール duデュ Chat Noirシャノワール』だな? おとなしく、俺に渡してもらおう」

 その男が、枕元に立っていることに。

        *

 隠れて見過ごすつもりだった。だが、その学者然とした男性が、『異本』を持っているなら話は別だ。

「ひいぃ! 今度は追い剥ぎ!?」

 ……確かに言い方は悪かった。だが、必要以上に警戒され、男も拍子抜けする。『異本』を扱う相手だからこそ強い言葉を使ってしまったが、これなら普通に交渉した方が穏便で、早そうである。

「あはは☆ 怖がられてるぅ、ハクぅ」

 その男の影から、小麦色の肌を大胆に露出した、金髪巻き毛のギャルが現れ、笑っていた。

「今度はギャル!? どうなってるんだ、この世界は!?」

 学者は頭を抱えてうずくまった。この世の『理』を追求する学者は、想定外の事態には人並み以上に、頭を抱える時間が長い。地下世界や異世界などの、ファンタジー世界に迷い込んでは、もっともいけない人種だった。

「いや、ギャルは怖くないでしょ、べつに」

 そのギャルをもってしても真顔で、そのおかしな生物を受け入れられずにいた。語尾を伸ばす緩慢な話し口調も鳴りを潜め、普通の人間のように突っ込む。

 それからその学者が顔を上げるまで、ゆうに五分はかかった。

        *

(過剰に怖がってすみません。僕は、メイリオ・フレースベルグ。二十三歳。WBO期待の、若き『異本』鑑定士! どうぞお見知りおきを!)

 そのように学者は名乗った。もちろん、声は出ていない。だが、どこか誇らしげなふうに、胸を叩いている。

「……なんか喋れよ」

「ひいぃ! このおっさん怖ええ!」

「…………」

 確かに黙り込んだまま、なぜかドヤ顔をする学者に苛立ちを覚えた。もしかしたら顔つきも強張って、睨むような形になっていたかもしれない。しかしながら、そんなに怯えられるほどだったのだろうか? なんだか直前に、よほど怖い目にあった後のように、怯えている。

「んで、結局てめえはなんなんだ?」

(ですから、僕はメイリオ――)

「ハク。こいつあれだよ。メイリオ・フレースベルグ」

 結局、声が出ない学者の代わりに、なぜだかギャルが紹介した。

「知ってんのか? アリス」

 男が言うと、ギャルはそんな男を引き寄せ、顔を突き付けた。またいつもの悪ふざけかと身構える男だったが、ギャルの方は真剣そのもので、顔をしかめている。

「ハクが知らないのは仕方ないけど、ちょっと声ひそめて」

「なんだよ。有名人か?」

「そうでもないけど、には知られているくらい。WBO期待の若き『異本』鑑定士……候補ってやつ」

「へえ……」

 淡白な反応だが、内心は驚いていた。『異本』鑑定士。『先生』と同じ役職。一般的に知られている職業ではないとはいえ、それになれる者は限られている。WBOという組織すら、認知度は低く、それに比例して、規模も小さいはずだ。そして『異本』鑑定士は、WBO内部での役職に過ぎない。そういう事情も相まって、『異本』鑑定士は世界に10人前後しかいないという。

「ああ、なるほど。『本の虫シミ』とWBOは仲が悪かったっけな」

 得心いって、男は言った。つまり、ここにいるギャルが、『本の虫シミ』の幹部であるアリス・L・シャルウィッチだとバレたら、面倒なわけだ。

「そんな軽い感じに言われたくないなぁ。水面下では最近、戦争になりかけてるんだよぉ?」

「マジでか」

「マジマジ。ちょ~うマジ」

 ギャルらしいと言えばギャルらしく、途方もなく軽い口調で、彼女は言った。

        *

 しかして、そんなよそ様の事情など、男にとってはさほど重要なことではない。確かに問題が、ないわけでもない。『本の虫シミ』もWBOも、どちらも『異本』を少なからず抱えている組織だ。その両陣営の戦争――この表現はやや誇張されているのだろうが――となれば、大きく『異本』所有者が変動することは、想像に難くない。最悪、いくつかの『異本』が消失する危険性もある。

 だが、そんな現況を知ろうとも、男にできることはさほどない。いまは目先の『異本』をひとつひとつ、蒐集するだけだ。

「それで、話を戻すが。その『異本』、『シャノワール』を譲ってほしい。金なら言い値で払おう」

「なに言ってんだ、このおっさん。貧乏そうなしてるくせに」

「なんなんだてめえは!」

 男は叫んだ。出会ったばかりでこんな失礼なことを言われたのは、おそらく二年ぶりだったのだから。無理もないだろう。

「ハク、ハク。そいつ、まともに会話できないのぉ」

 やはり顔を近付け、声をひそめて、ギャルは言った。

「ああ? 相手の感情を逆撫ですることしかできねえ、くそ野郎だってのか?」

「そうとも言えるけど、そうじゃなくて。……えっとね、メイリオは言いたいことは声に出さなくて、考えてることはダダ漏れになっちゃう、変人さんなのぉ。……噂によると」

「……わっけ解んねえな」

 男は呆れて嘆息した。だがまあ、ギャルがそう言うならそうなのだろう。大丈夫だ。変人など、これまで多く、何度も相手にしてきた。慣れている。

 具体的には、女や若者、あるいは『先生』など。

「とにかく。金や、なんらかの条件で解決できることなら、言ってみろ。言うだけならタダ……だろ?」

 男は努めてにこやかに、交渉した。

        *

 極めて怪訝そうではあったけれど、学者は、やがて条件を付けた。もちろん、言いたいことは口にできず、考えることだけがダダ漏れする性質上、それを聞き出すだけでも一苦労あったが。

 すなわち、『シャンバラ・ダルマ』を蒐集することを手伝ってほしい。とのことだ。

「ちょっとぉ、そんな約束して、大丈夫なのぉ?」

 ギャルが聞いた。その『異本』の蒐集こそ、男が求めていることではないのか。という気持ちで。

「大丈夫だ。俺は別に、その条件を飲んじゃいねえ。……条件を言うだけならタダ。そして俺が、その条件を聞くことも、ならまた、タダだろう?」

 にやりと笑って、男は言った。学者には聞こえないように。

「うっわぁ。相変わらず、こすずるいねぇ」

 辛辣な言葉を吐いていても、それこそを称えるように、ギャルは意味深に笑んで、男を見上げた。

「でも彼は、もう手伝ってもらえる気でいるよぉ? そんな若人の純粋な気持ちを踏みにじって、気が咎めないのかにゃあ?」

「べつに。……あいつは『手伝ってほしい』と言った。俺は『解った』と言った。それがすべてさ。俺はあいつの要求を『理解した』と言っただけで、それを飲むとは言ってねえ」

 若いならなおさら、いい経験になるだろう。男は悪びれもせず、淡白に言い放つ。

「あたしは好きだよ。そんなハクが」

 それに対して唐突に、無垢な少女のように笑って、ギャルは言う。普段とのギャップも合わさって、それは、本当に可憐に、美しく見えた。

「……気持ち悪ぃな」

 だからこそ顔を歪めて、男は答える。まるでそれは、自分の気持ちを、押し殺すような、苦しい声音だった。

「ひっどぉ」

 そんなすべてを解ったうえで、それらを丸ごと包み込むように、ギャルは、やはり笑うのだった。

        *

(さて、ではそろそろ行きましょうか。先輩方から聞いた、おそらくあちらです)

 学者は不意にどこかを指さし、歩き始めた。

 首を傾げる男とギャル。だが、その意図を辛抱強く聞き取り、理解したころ、男は、前に進んでいることを知る。

 交わされていない約束を、どう反故にするか。どのような舌先三寸で『異本』を手に入れるか。それを考える時間は、もう、あまり残されていない。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...

MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。 ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。 さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか? そのほかに外伝も綴りました。

マンションのオーナーは十六歳の不思議な青年 〜マンションの特別室は何故か女性で埋まってしまう〜

美鈴
ファンタジー
ホットランキング上位ありがとうございます😊  ストーカーの被害に遭うアイドル歌羽根天音。彼女は警察に真っ先に相談する事にしたのだが…結果を言えば解決には至っていない。途方にくれる天音。久しぶりに会った親友の美樹子に「──なんかあった?」と、聞かれてその件を伝える事に…。すると彼女から「なんでもっと早く言ってくれなかったの!?」と、そんな言葉とともに彼女は誰かに電話を掛け始め… ※カクヨム様にも投稿しています ※イラストはAIイラストを使用しています

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

完結 辺境伯様に嫁いで半年、完全に忘れられているようです   

ヴァンドール
恋愛
実家でも忘れられた存在で 嫁いだ辺境伯様にも離れに追いやられ、それすら 忘れ去られて早、半年が過ぎました。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

処理中です...