箱庭物語

晴羽照尊

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Prologue End

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 どこでもないどこか。空間の狭間。
 そこに設けられた、一席。円卓に盛られた数々の美食に美酒。そして、数々の宝。現実的には存在しない、絢爛豪華を形にしたような、非現実の世界。

 席は、四つ。

「なんだ、卑弥呼ひみこ、貴殿も呼ばれたのか」

 もはや瞑っていると言うべきに瞼を落とした仙人然とした男性が、席に着くなり先にいた乙女に語りかけた。

「……孟徳もうとく。そちも、であるか」

「ああ、不自由なものだな。生前と比べると」

 ふてぶてしく腰を降ろし、その仙人は語る。白髪に白髭をたくわえた、まさしく仙人。生前の威圧感はそれでも健在で、いまだに生き生きと生命力を振り撒き、彼は存在していた。

「……まったくもって。『神』になどなるものではない。そう、痛感しておる」

「貴殿にしては辛辣な言葉だ。……うん? もう飲んでいるのか?」

「……飲まずにやっていられるか、こんな役回りなど」

 とうに頬を赤らめ、やや呂律も不確かに、乙女は言った。これ見よがしにお猪口を卓に叩きつけて。

「解らぬでもないがな。……おい、卑弥呼。我にも酌をせい」

「……はあ? 人を――神を顎で使おうとな?」

「ときには天女などでなく、生きた美女に酌を頼みたかったのだが……まあ、手酌でも十分だ」

「……仕方がない。我に貸せ」

 言葉通り手酌にて酒を注ぎ入れようとした仙人の手から徳利を奪い取り、乙女は神妙に、酌をした。外見通りの乙女には似つかわしくない、洗練された動作で。

「ふむ。相変わらずの美味だ。これだけの美酒。生前には味わったことなどなかった」

「……我が酌をしたからであろう」

「そうだな」

 酔っぱらいは放っておいて、仙人は思惑に興じる。確かに、これだけの美味。生前には感じたこともない。だが、それにももう慣れた。なれば次へ、次へ……永遠に絶えることのない欲望の加速。酒も、美食も、女もだ。ここではいくらでも手に入る。しかし、いつまでも満たされぬ欲望。際限のない、渇望。

 いつかの、あの戦場を思い出す。あれだけの感情が入り乱れた空間を、いまでも感じられているだろうか? あの怒号。緊張感。生死が常に隣り合った、あの、ひりつく空気を。

 いや、望めばそれも――それすらも再現される。再現など生易しいものでもないだろう。それは、現実以上の生々しさを持って、いくらでも体験できる。

「だが、……この命は」

 心臓を、掴む。そこに以前、あったはずの臓器を。

 脈、打つ。それを、感じる。だが、その感覚がすべて、偽りだと、いまは知っている。

 これが、本来の『生』。永劫のときを、果て無く愉悦に溺れるのが、『生』だ。神になろうと関係ない。ただただ、人としての器を離れれば、こうやって生前には味わえなかった贅に興じるだけが『生』だ。

 そう、知らされた。この世界の、本当の『神』に。

 それは、抗いようもない虚無だった。しかし、その虚無すら、埋め尽くすだけの情報がここには溢れていた。知覚できる、あらゆる愉悦の情報。人間として生きたあのときに培われた、喜怒哀楽、五感すべてで享受した、感覚の広がり。それらが『いまは幸せだ』と知覚している。

 まるであのころは、不幸だったかのように。

「……どうした、孟徳。もっと飲め」

「ああ、いただこう。卑弥呼」

 こうしてまたも、幕は落ちる。今日という日をなおざりに置き捨てる、幕が。

        *

「私にもいただけますか」

 不意に、三つ目の席に、一人の男が着いた。

「……パララか。よかろう。我が酌をしてやるぞ」

「光栄なことです」

 ニコリと笑い、彼はお猪口を持った腕を伸ばした。乙女はかなりアルコールが回ってきたのか、たどたどしい手つきで酌をする。
 だから、わずかにそれは、卓に零れた。

「ふむ。まさに昇天しそうな、完全なる酒です」

 零れたことなど気にも留めず、まず、彼は匂いを味わった。まるでワインを味わうかのごとく。それを口にするのをためらうかのごとく。

「貴殿が来たということは、四人目はあの者か。貴殿はあの者のお気に入りだものな」

「お察しの通りです。そう孟徳公。しかし、今回に限り、私の方から助力を申し出た、という経緯はありますが」

 やんわりと棘を含んだ言葉に、男はやんわりと応対した。そして、ようやっと酒を口に含む。鼻孔をくすぐる芳醇な香りに、舌を転がる甘美なうまみに、瞬間、意識を持って行かれそうになりながら。

「意識はあるか? パララ」

 その声に、我に返る。本当に死にかけた。いや、しかしむしろそれこそが、正しい人間としてのひとつの結末だと知っても――。
 まだ、意識は、ある。この、肉体に。

「ええ、孟徳公。我が身は静穏無事にあります」

「ふん。人の身で、どこまで生きる気だというのか」

「お言葉ですが、こんなもの、生きているとは言えませんよ。私が人間の――肉の器に固執するのは、まだ、責任を果たしていないからです」

「ふん」

 再度鼻を鳴らし、汚物を見るような目で仙人は、その男を見た。神よりも常軌を逸した、一個の生命体を。

 人でありながら人を外れた――それでいて、神にもなりきれない、人外を。

「さて、そろそろあのお方がいらっしゃっるころでしょうか。神妙に待ちましょう」

 その言葉に、仙人は息を吐き、目を閉じ応える。乙女の方は飲み過ぎて、もはや卓にうつぶせて、眠っていた。

        *

 カツ、カツ、カツ。と、あえて音を鳴らして、その者は降り立つ。階段などない空間を踏み、一歩一歩危なげもなく。

「やあ。みな揃っているようで。重畳重畳」

 特段の変哲もない、ただの男性だ。中肉中背に、たいして整ってもいない容姿。かといって、不細工と評するには及ばない。ただの、普通の一般的な成人男性。
 そんな男性が、その場に似つかわしくない黒のスウェットにスニーカーで、空間を降ってくる。

「いやあ、ようやっとここまでこられたよ。これもひとえに、みなの協力のおかげだ。特に、卑弥呼には面倒をかけたね」

 最後の一席に腰を降ろし、対面に座る乙女に声をかける。しかし、すでに酔っぱらい卓に突っ伏した彼女には聞こえていない様子である。

「それで、またなにか面倒事か?」

 仙人が問う。それにその者は苦笑を返した。

「うーん。まあ、そういうことになるだろうかね? 心苦しいことだけれど」

 仙人の方を向き、首を傾げる。いついつでも目を細めて笑っている。そんな顔つきで。

「我は構わんぞ。だが、ひとつ。我はぜひ、戦場へ出向かせてほしい。この滾る血は、このような穏やかな世界では満たされんようだからな」

 仙人はそう言い、凄絶に笑った。いまにも誰かを、争いに巻き込まんとするかのように。

「うん。孟徳がそう言うことは決まっていたからね。舞台は用意してある。君が生きた時代とは規模が違いすぎることが心苦しいところだけれど」

「気にするな。時代が変われば戦も変わる。規模も、手段も問題ではない」

「うんうん」

 適当に答える言葉が思い付かず、その者は頷くだけにとどめた。そろそろ仙人にも酔いが回っているころだ。無理に話を広げて饒舌になられても紙幅がかかる。

「で、卑弥呼は……まあ、あとで話すとして。パララ。君がどう関わるかなんだけど」

「無理を言ったのは私ですから、どうぞお好きなように」

「と、言っても、パララの場合、世界的な関わりが脆弱だからね。向かってもらう場所は必然的に、決まってくるけれど」

 その者は言って、人外を見つめた。その、是非を問うように。

「ええ、そのつもりでしたから。……そろそろ私も、死にたいですしね」

「そうだね。『死にたい』なんて言うと、我の世界ではよく嫌悪され、なだめられるものだけれど、パララほど生きた人間を眼前にしてもそう言えるかは難しい問いだ。死にたくとも死ねない。死ぬことを許されない。永遠に生きる業を背負う気持ちが解らないのは、まあ、有限の存在である人間には、仕方がないのだけれど」

 その言葉に、人外も仙人も、誰もなにも答えなかった。だから、居心地が悪くなって、その者は立ち上がる。

        *

 さて、このあたりでいいかげん、登場人物の紹介は十分だろうか? 物語を綴るにあたって、十全に彼ら彼女らを表現できただろうか? そう、信じたい。

 。なに、気負う必要はない。これはただの、ごくごくありふれた、『家族』の物語だ。

 各人の世界に――その、ひどく個人的で、それでいて数多に広がるその箱庭に、いかなる絆を結び、言葉を交わし、どう受け継いでいくかの、ただの、ひとつの人生。

 その、物語である。

        *

「ときに、貴殿」

 仙人がその者に、声を投げた。

「いいかげん貴殿の名を聞きたいのだが」

 その、いついつでも、世界のどこかで投げ合われる疑問を。
 それに、その者は細めた目で、ただただ笑って、振り向く。

「なあに、我は語り手、だよ。ただのね」

 その者は、胸を張って名乗る。

 物語が、始まる。
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