箱庭物語

晴羽照尊

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エディンバラ編 本章

冷静に凄絶

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 その声に身じろぎし、肌が少し裂けて、理解する。理解できるのに、

「グラスファイバー」

 褐色メイドは絡め取られ、わずかに床から浮いた少女ににじり寄り、言った。

「つまり、ガラス繊維。見えないだろ? あたしにだって見えちゃいない。それほどまでに極細の、それでいて高耐久性の、ガラスの糸。それをずっと、張り巡らしてた。動けなくなるまで絡め捕るにはちぃっと、時間がかかったがなぁ」

 完全に言葉遣いを乱したまま、同様の乱れ方で褐色メイドは笑った。

「……全身の骨を砕いたはずよ」

 なんとか声くらいは出せる。それだけで、少し唇が切れるけれど。

「ああ、お優しいこって。くっくっく……。殺さず、再起不能にするつもりだったんだろ? あめえんだよぉ! クソガキがぁ!」

 叫び、どこからか伸びたガラスの針が、少女を貫いた。

「ぐっ……」

 大袈裟に痛がれもしない。身が擦れて、糸に捕られ、裂けるから。だから、理解する。貫かれたのは、急所じゃない。

「かぁんたんに死ねると思うなよぉ? じっくりゆっくり、傷めつけてから殺してやる。爪を剥がして、皮を剥いで、指先からちょぉっとずつ、削ってやるからなぁ?」

 だいぶキャラ変わったなあ。と、少女は思った。あと、だいぶなあ、とか。ちょっと前と言ってること違うし。メイドとしてのスマートな殺人術、とか言ってたような。とか。
 少女は、絶体絶命の大ピンチに、やけに冷静に思った。いや、だからこそ、なのかもしれない。追い込まれたからこそ、冷静なのかも。

「あの、それで? 砕いた骨は?」

 おそるおそる、聞き直す。

「……っんだよ、もちっとぎゃあぎゃあ喚けよ。わぁ」

 と、表現豊かに褐色メイドはうなだれた。追い込んで、余裕があるからこそのことなのだろうが、しかし、こちらの方がよっぽど、

偕老同穴かいろうどうけつっつったろぉが。ガラスを操る極玉きょくぎょくにゃあ違いねえが、その本質は、骨格がガラス繊維だってことなんだよ」

「なるほどね」

 骨がガラスである上に、ガラスを操る能力がある。つまり、その骨をすべて砕いたところで、再構築は可能、ということ。

「つまり、ちゃんと殺さないとダメだってことね」

「ちゃあんと殺さねえとダメってことだよお! 馬鹿が! まだなんとかできると思ってんのかぁ! ああん!?」

 言って、また数本の針を、少女へ突き刺す。躱すどころか防御もできず、ただただ、少女はわずかに、生体反応としてピクリと身震いするのみ。いや、せめてもの抵抗として、床からわずかに浮いてもまだ足りない身長を、睨み上げる。
 それを見て、針とは別に、蠢き盛り上がる、ガラス。それは再度、形を整え、巨大な涙滴型へ。粉々に砕け散ったガラスたちから、またもルパートの滴が出来上がった。

「やっぱもういいわ。……死ねよ」

 その言葉に少女は、命乞いをするでも、泣き喚くでもなく、ただひとつ、ため息を漏らした。

        *

「あらゆる物質が迎える『終焉』って知ってる?」

 唇の中心を深く傷付けながらも、少女は、褐色メイドを見つめ上げて言った。

「はあ? なんだそりゃ? 新しい命乞いか?」

 白い歯を剥き出し、褐色メイドは楽しそうに笑ってみせる。ルパートの滴は、動きを止めた。

「命乞いといえばその通りかもね。死にたくはないわ」

「だぁったら! 泣いて喚いて無様な顔を晒せよお! 這いつくばってあたしの足でも舐めてみるかあ!? ああ!?」

「そのためにはこの糸、解かなきゃいけないけど、いいの?」

 少女は視線だけで肩をすくめる表現をしてみた。それが伝わったかはともかく、褐色メイドも自身の言葉を反芻したのだろう、「ちっ」と舌打ちした。

「でぇ、なんだっけ?」

 不機嫌に見下す視線で、褐色メイドは問い質す。

「この世にあまねく、あらゆる物質――形在るものが迎える、『終焉』」

「『死』とか、『崩壊』だろ? そんなありていな話で煙に巻こうって――」

「熱力学第二法則。EBNAの優秀なメイドさんでなくとも、まあ、だいたい世の中の誰でも知っている有名な法則。エントロピー増大則。……わたしたちはね、そもそも死ぬ――分解され、乱雑になっていく。そういう生き物なの」

「だぁ、かぁ、らぁ?」

 話がちっとも、命乞いに繋がらない。それに不満を感じたのだろう。威圧するように彼女は、ルパートの滴を少し、少女に近付けた。

「だから――ちょっと待って、鼻……お鼻がむずむずする」

「はあ?」

 突然少女は、よく解らないことを言って、顔をしかめた。いまにもくしゃみをしそうな、歯痒い顔へ。

「……収まった。ねえ。たまにあるでしょう? くしゃみが出そうで、出ないとき」

「……解った。時間稼ぎだな。もう――」

 額を痙攣させ、褐色メイドはキレた。ルパートの滴を、今度こそ――。

「うん。もう時間稼ぎはおしまい」

 言うと、少女のわずかに浮いていた体は、すとん、と、地に落ちた。その反動を利用し、跳躍。そのまま両足でもって、褐色メイドの上半身を、両腕ごと挟み込む。

「動いたら殺す」

 冷たい目で、声で、少女は言った。空いた両腕を褐色メイドの眼前に、突き付けて。

        *

「な……ん、で……あ、あ、あ、ああぁぁ――!!」

 疑問は、現実的な痛みで掻き消える。溶ける。露出された肌が、溶けるように熱い!

「あ、そっか。人体にも有害だものね。は」

「はああ? フッ化……っ!」

 痛みで頭が冴える。でなくとも、普通に気付く。熱にも電気にも強い。経年劣化もほぼしない。そんなガラスをのは、くらいのものである。

「でも、そんなもの――」

「持ってるわけないじゃない、そんなもの」

 少女は相手の言葉を堰き止めて、語る。やはり人間は自分が優位に立つほど饒舌になる、とか、少女は他人事のように思った。

「だから、。身体操作で。人体の構成要素……も、知っているわよね? そこにはフッ素も、水素も当然、含まれる」

 もちろん、フッ素と水素、それらをただ混ぜればできる、というほど、簡単な話ではない。だが、人体は小さな科学工房だ。燃焼、分解、抽出、合成。なんでもござれな機能が、この小さな入れ物には備わっている。

「そんな……そんなことができるなんて、聞いてない!」

「言ってないもの。それに、こんなこと人生で初めてやったのだし」

「……ば、ばけもの」

 それは事実上の、敗北宣言。
 いくら相手が敵であって、その言葉が負け惜しみの一言だったといっても、少女の小さな胸は、少し痛んだ。それでも、その宣言を聞き入れ、少女は妖しく、笑う。

「……じゃ、今度こそ間違わないように、ちゃんと、殺すわね」

 少女は言った。冷たい言葉で、引導を渡す。

『無流派』。『可愛技かわいぎ』。とか、適当に思い付いた技名を思って。

 まるで狐の顔を作るかのごとく、右手の中指を折り、それを親指で押さえた。そのまま、中指を広げるように力を込める。つまるところが――

「で~こ~――」

「や……やめてやめてやめてやめて、く、ください! お願いします! なんでもしますからあぁっ!!」

「ぴんっ」

 でこぴんである。語尾を跳ねさせ、楽しそうに。命乞いを嘲笑って、鉄槌を下す。
 ぱちん。と、褐色メイドの額が、弾けるような音を鳴らした。飛沫をあげ、あっけなく、その人体は、地に崩れる。

        *

 足でしがみついた人体から飛び降りて、少女は思う。ハクは、軽蔑するんだろうなあ。と。だから、できるだけ殺したくはなかった。

 まあもちろん少女は、まだ誰かを殺したことなどない。もちろん、今回も。
 ただ、もし褐色メイドが死を予見して、泡を吐いて気絶しなかったなら、きっと、殺すしかなかった。問題は結果ではなく、そう決意していた、少女自身の内心なのである。

「嘘ばっかり。『道具』なんて。……あなたには大声で命乞いするほどの『恐怖』も、死を予見して、泡を吹いて倒れるだけの『弱さ』も、ちゃんとあるじゃない」

 呟いて、次の部屋へ……だから、行く前に、着替え着替え。と、少女は内心で自分に突っ込んで、急ぎ前の部屋へ駆けた。

 EBNA。第五世代首席。アナン・ギル・ンジャイ。

 00:48 昏倒により戦線離脱。


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