箱庭物語

晴羽照尊

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エディンバラ編 本章

天使か悪魔の降臨

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 勢いよく引っ張られて、壁にぶつかる。はっ、と、意識が戻る。いる。わたくしはこの世界に、存在している。メイドは再認識した。

 どう、なった? 自分自身の存在が消えていた。から、記憶も一瞬、飛んでいる。

 状況を確認。『ジャムラ呪術書』による『存在の消滅』。部屋の一部に、白い窪みのようなもの。まず間違いなく、あの中にブロンドメイドがいる。そして、その脇に、半身を『消滅』に飲まれた、男――!

「ハク様っ!」

 気付いて即、駆け寄る。馬鹿だ、私は。あのとき、自分の方がブロンドメイドに近かった。だから、自分の方が多く、『消滅』の中に体を沈めていたのだ。
 そこから自力で出られるはずもない。出ようとする意識すら消えていたのだから。だったら、自分がそこから出たのは、誰かが出してくれたから。

 その張本人である男の元へ駆け寄り、引きずり出す。上半身のほとんどを『消滅』に飲まれていた男が、思い出したように息をした。なにかを吐き出すように、荒々しく何度も咳き込む。

「よう、無事か?」

「それは、こちらの、セリフです。……ハク様」

 生きている。そして、なんでもなかったように言葉を交わす。だから、安堵した。そのせいか、倦怠感が襲いかかる。毒で、また体がぎこちない。

「だい、じょうぶか?」

 だから、なのだろう。メイドは心の中で言い訳をした。
 自らの膝に乗っけた男の顔に、なにかが零れ落ちる。それを防ぐように、男の手が、メイドの、まなじりを撫でた。

「だから、それは、こちらの……」

 嗚咽。意識せず漏れ出す心に、メイドは、声を失った。急がなければならない。自分も男も、あるいはもうひとりの幼いメイドも、もう毒が体中に巡り、いまにも息絶えるかもしれない。早くCODEコードに運ばなければ。そう、思う。だけれど、毒とは違う理由で、少し、メイドは動けない。

 だから、メイドは顔を隠す。自分の、ではなく、男の。ほんの少し預かっていた、ボルサリーノで。

「さようですね。お二人ともまだ、息がありますわね」

 完全に気が抜けていた。だから、影が差すのに、言葉をかけられるまで気付けなかった。

「死にたくないのでしたら、お早くCODEまで。お手をお貸し致しましょうか?」

 メイドは顔を上げる。吹き飛ばされる寸前、見えたのは、やはり変わらず、美しく煌めく、ブロンドの髪だった。

        *

 枕にしていたメイドの膝がなくなり、男は頭を床へぶつけた。それは意外なほど大きく頭へ響いたけれど、それどころではない。

「てめえ、なんで、どうやって……」

 取り零したボルサリーノをかぶり直し、男は言った。驚愕の顔で。

「『ジャムラ呪術書』による『存在の消滅』、ですわよね? なんで? どうやって? おっしゃっている意味がよく解りませんけれど、……『道具』に意識などあるとお思いですか?」

 男は、息を飲んだ。まさか、本当に?

 確かに、『存在の消滅』が人間にとって害悪なのは、その内に意識を司る部分、すなわち脳髄を入れてしまえば、思考することすらできなくなり、ひいては体を微塵も動かせなくなることにある。また、その中に長時間居座れば、やがて自分が自分であること、人間であることすらも忘れ、精神的に崩壊していくことにある。
 だが、いくら彼女らが自分たちのことを『道具』と呼ぼうが、種族としては人間に違いない。であるのに、まさか本当に、自分を『道具』と認識して、と完全に思い込んでいる、とは。

 いや、思い込んでいるだけならまだいい。しかし、彼女は証明した。確かに彼女は、意識すら失われるはずの『存在の消滅』の中から、自力で抜け出しているのだから。
 どうなったらこう動く。これはひとつの推測だが、『道具』として完成した彼女には、そういったプログラムが無意識に組み込まれているのではないか? 意識すらも失われる『存在の消滅』から独力で出て来られるとしたら、それくらいしか方法は思い付かない。

「まったく、本物の、バケモンだな、てめえ」

「いいえ、ただの道具でございますわ。ハク様」

 ブロンドメイドは天使のように微笑み、腕を差し伸べる。

「どうぞ、お手を。治療を施したのち、ホテルまでお送り致しますわ」

 その美しい笑顔に、優しい声に、男は、懐柔されそうになる。その腕を、取りたくなる。だが、どうしても胸の奥に残る、気持ち悪さ。『道具』として完成しているからこその、気色悪さ。気味の悪さ。

 だから。という理由と、もうひとつ。別の理由も相まって、伸ばしかけた手を、降ろした。

        *

「ああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ――――!!」

 猪突猛進に突っ込む。その物理的な突進に、ブロンドメイドは飛び退いた。

「ハク様からっ! 離れろっ!」

 もはや戦略などない。警棒をぶんぶんと振り回し、ただただ力任せに突撃する。

「本当、良いご主人様に恵まれたのですね、アルゴ」

 いなす。涼しい顔で。
 メイドの死力を尽くした攻撃にも、簡単に腕をはたき、足を払い、ときおり角でもって突き刺すような――普通の人間にはあり得ない攻撃すらも、容易に躱し、あるいは受け流し、いとも簡単に防ぎ切った。
 のみならず、力の向きにさらに力を込め、押し流し。あるいは、力とは逆向きに力を込め、衝撃を与える。もはやメイドは、ブロンドメイドに転がされるだけの存在になり始めていた。

 だが、何度転がされても、起き上がる。起き上がろうとするところにも、新たな力で転がされる。だがそれでも、力任せに体を上げる。また、殴りかかり、蹴りを向け、突進する。
 泥臭く、諦めず。どれだけ劣っていようとも、何度でも立ち上がり、立ち向かう、男のように。

「悪いようにはしませんわ、アルゴ」

 終わりを告げるように、ブロンドメイドは言った。

 そんな言葉など、聞こえていないのだろう。メイドは、なにも答えないまま、まだ全身全霊に、戦うのみだ。
 だから、簡単にいなされる。受け流される――だけなら、まだ、転がされるだけで済んだだろう。だが、ブロンドメイドとしても、もう、終わらせるつもりが強かった。だから、突進してくるメイドの頭部へ、逆向きに力を向ける。相手の力へ、逆の力をぶつけ、衝撃を、倍増。

「か……はっ……!」

 意識が、飛ぶ。毒によるダメージも、もう、限界だ。

「ハク様、ノラ様には、最善の治療を施したのち、ホテルまでお送り致しましょう。ルシア様にも、傷ひとつつけず、すぐにお帰しすることを約束致しますわ。……そして、アルゴ?」

 最後の意地だ。倒れたりしない。拳を交えてすれ違い、背を向けたまま、メイドは、なんとか踏み止まった。

「あなたも、すぐにご主人様方の元へ帰します。……もう少しです。あの『異本』――極玉を見つけるまで――」

「ダフネ様」

 メイドは、失われつつある意識の中、おぼろげな口調で、言う。

「私は、ハク様、ノラ様のメイドでございます。……もう、あなたがたの言葉に――命令に、従う理由はございません」

 それが本当に最後の、ほんのわずかな時間でも。
 男や、少女の家族である以上、もう二度と、彼らに顔向けできない自分にはなりたくない。

 この選択が、間違いだということは解っている。あとほんの少しだ。それだけ自分が我慢すれば、すべてが元通りに、うまくいく。
 だが、どうしてこのまま、この気持ちのまま、他の誰かに仕えたりなどできようか。人間を取り戻したいまになって。人間という、どうしようもなくわがままな生き物に回帰して、我慢なんて、できようはずがない。

「そうですか」

 ブロンドメイドは言う。人間味を消した、まさしく、『道具』としての声色で。すべてを諦めたように、片腕を挙げて。

「私は、もう――」

 仮に、ここで死ぬとしても。メイドは、思う。

 ――ああ、俺様たちは、もう――

 心の声も、追随して、重ねる。

「――好きにする――」

 言葉と同時に、天井が割れた。
 そして、決して傷も付けられないであろうとさえ思われたブロンドメイドの、その掲げられた腕が、一本、飛んだ。

        *

「やれやれ、相変わらずだ。氷守こおりもりはく

 天井が崩れた、ということは。地下にあるこの施設。当然、空いた大穴から覗くは、地上や、その上の、夜空。
 その暗闇からゆっくりと舞い降りる、もう一人の天使――堕天使。

「そして相変わらずだ。ダフネ。……それに、

 その腕に、一本の長槍が握られる。さきほど、ブロンドメイドの腕を弾き飛ばした、一本が。

「あなたは」

 飛ばされた腕にも、唐突な闖入者にも驚くことなく、冷静に、ブロンドメイドは声を上げた。

「……カルナ!」

 そして、メイドがその先を引き継ぐ。

「いいえ、いまはただのナイトです。アルゴ姉」

 同じ土俵に着地して、執事は、にっこりと笑った。

 元EBNA。第七世代首席。カルナ・イヴィル・ブルグント。

 00:44 参戦。

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