箱庭物語

晴羽照尊

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エディンバラ編 終章

殺害予言

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 隣の部屋とやらは、数々の機材やコードの影に埋もれた扉の先だった。ホラー映画のような鈍い金属音を上げ、長年開かれていないような埃を吹き上げながら、扉は開く。

 その部屋は、不思議な構造だった。球形の空間。人間が歩けるように、球面を降る階段こそあれど、部屋の床はかなり歩きにくい。中心には天井から床にまで円柱が一本貫き、その中心――つまるところが球形の空間の中央にであるが、そこには、球形のカプセルが浮いている。きっとそのカプセルをそこに固定するために円柱があるのだろう。

 そしてそのカプセルの中には、緑色の液体と、化物のように灰色の肌をした、人間らしき者。『彼』の手足や、自身の体長よりもよほど長く伸びている髪は、絶えず蠢き、カプセルの内側をなぞっている。それに連動しているように部屋の壁に光が走り、なんらかの機械を操っている様子であった。

『高いところから失礼する。ノラ・ヴィートエントゥーセン。そこの機械を起動してくれるか』

 やはり疑問形ではない。蓋然的な強制力を持って、その合成音声は響いた。

 だから、というわけではないが、少女は『彼』の言葉に従う。その部屋には多くの機械が置かれていたが、そのうちのどれであるのか、抽象的な『彼』の言葉ではあったが、無論、少女ほどの洞察力があれば、それだけで理解できていた。

 そして、だからこそ『彼』は、男へではなく、少女へ向けて言葉を向けたのだろう。

「おい、ノラ」

 あの『彼』の状態は、ある意味、縛られている、ともとれる。とすれば、『彼』の指示は『彼』を解き放つ行為かもしれないと、そう男は懸念した。

「だいじょうぶ。というか、可愛いわたしがやらなくても、あの人、やろうと思えば自分でできるのよ」

 そんな心配を一蹴し、少女は機械の操作を始めた。
 だが、男も少女もなんとなく理解していた。もう、『彼』と戦う事態にはならないと。『彼』の振り撒く威圧感。その正体に、気付き始めたのだ。

 あれは、極限まで優しい気配だ。彼の持つ強さ、肉体的な力強さもさることながら、その精神力の強さ。それがそこに存在するだけで周囲を圧倒することを、『彼』は重々承知している。
 だから、『彼』はそれを、常に極限まで抑え込んでいる。いるだけで周囲を威圧し、心の弱い者であれば絶死させ得るほどのその存在感を、なんとかして緩和させようと。それほどに、『彼』は優しい人間だ。

 機械が起動する。低いうなり声をあげて、その部屋自体が細動。中心の円柱が――中央のカプセルが降りてきた。ブチブチ、となにかを力任せに断ち切る音に続いて、降り切ったカプセルが、上下に割れる。

『すまない。助かった。時代の寵児たちよ』

 生身を晒しても変わらずの合成音声で、『彼』は言った。

        *

 灰色の肌を晒す。そのところどころに黒い斑紋。おそらく衣服など纏っていないのだろうが、異様な肉体を前にしてはそんなことなど気にならない。というより、その宇宙人然とした容貌では着ていない方が普通に感じる。
 手足や髪の毛などの末端部分は触手のよう――電子機器の太いコードのようで、それでいて生物的な質感を持っている。繊維質の生体器官のようだ。

 身長――というより、体長は三メートルを越えるだろう。それでいて体はやつれたように細く、触手を蠢かせ立つ姿からなおさら、直立しているのが不思議なほどである。

 不思議。というなら、『彼』自身がそうなのだろう。己が手――というより腕のように伸びた触手というべき器官をまじまじと見つめ、やがて男たちへ視線を移した。

「で、俺たちになんか用でもあるのか?」

 おそらく敵意などない。そう理解しても、その放つ威圧感は空気を張りつめさせる。そんな緊張感に耐えきれず、男は口を開いた。

『いや――』

 合成音声が響く。『彼』からではない。おそらくいまだ『彼』自身がコントロールしている、この部屋――あるいはこの施設全体のどこかから、それは響いた。

「……ヴァ、ヴァ――」

 次いで、『彼』自身の口から、喉から、発声。

 しかしその音は濁り、言語の体を成さない。ゆえに、咳払い。『彼』は何度かそれを繰り返し、やがて整ったのか、再度、口を開いた。

「ダダ、ゴベダバ――」

 ……沈黙。『彼』は首を捻り、さらに大きく、喉を鳴らす。咳を繰り返し、折れそうなほどに首を回す。……して、もう一度、仕切り直した。

「……ただ、こごが――グボウェァッ!」

 吐いた。緑色の液体を吐いた。こうなるとさらに宇宙人である。いや、その液体はおそらく、CODEコードの中にあった液体なのだろうから、おかしくはないのだけれど。

 球体の部屋。その最底部に、それは自然と流れた。

『彼』の表情は変わらない。というより、鉄面皮というにも微動だにしなさすぎる。いったいどれだけの時間をあのカプセルで過ごしたのか。きっとそれにより表情筋の使い方を忘れたのだろう。

「だ、だこばべ――」

「いや、もういいからしゃべんな」

 男は突っ込んだ。……さすがに。

        *

 仕方がないので、『彼』は再度、合成音声を響かせ、語った。

『見苦しい姿を失礼した。改めて礼を言おう。氷守こおりもりはく。ノラ・ヴィートエントゥーセン』

「で、なんで俺たちを呼んだんだ? ……こいつが言うには、おまえは自力で出られた、ってことだが?」

 つまりは『彼』をそこから出すために男たちは呼ばれたわけではない。なれば、他になんらかの目的があるはずだ。

『いや、ただ装置の解除を求めただけだ。確かに自力でも出られたが、我の行使できる手法では、施設ごと消失せることとなったからな』

「唐突に物騒だが、どういう意味だ?」

『然るべき手順を用いなければ、施設ごと爆破するシステムが起動する、ということだ。正確には、この我を完全に殺害しうる爆破、ということだが、結果としては差異なきことであろう』

「ガチで物騒すぎんな。だがまあ、そうなると正確には、おまえも自力では出られなかったってことか。いや、出られた瞬間お陀仏っつうことに……」

『それは間違いだ。氷守薄。確かに爆破の規模は我を殺害しうるが、我はその爆破から瞬時に逃れられる。我が装置による解除を求めたのは、貴殿らへの危害を及ぼさぬ手法ゆえ。いくら我でも、貴殿ら全員を爆破から逃す術は持ちえない』

「そりゃあ……礼を言うべきなのか?」

『不要だよ、氷守薄。世界にとっては我の死も、貴殿らの死も重要たりえないが、我にとっては違う。我にとっては我の生命も、貴殿らの生命も大切なものだ。ゆえに、これは我が我のために大望した現在と言える。礼を言うべきは、やはり我にあろう』

「オーケイ。ならその話はそれでいい。……んで、おまえはこれからどうするんだ?」

 それこそが、肝要な質問である。おそらく『彼』は、自分たちに危害を加えない。そう男は感じている。それは『彼』の言う通り、『彼』が自分たちを死なせなかったことからも信じられる。だが、だからといって『彼』が――『彼』ほどの超越的な存在が、人類や地球に、間接的にでも危害を加えるなにかを求めたなら、それは男にとっても絶望的な問題だからである。

 その、世界の趨勢すらも決定づける質問に、『彼』はわずかに思案する様子を見せ、それから緩やかに、返答を示した。

『我は、四世紀をここで過ごした。二十を数えぬ年端から、久遠の時をここで、世界へ根を張り、エメラルドの家系へ、すべての情報を提供した。我は人間ではない。少なくとも、そのように存在してきた。システムの一部として。……CODEから離れればもはや、我が肉体は長くは保たないだろう。だからこそ、我は――生きてみたいと思う』

 ごくり。と、男は息を、生唾を飲み込んだ。合成音声で、変わらぬ表情で、人間を失った姿で。それなのに、その感情は、男へまっすぐに突き刺さる。だから、その曖昧な願望は、人類に、世界に危害を加えないだろうことを、男は――少女も、理屈でなく確信した。

「そうか」

 男は、それだけを呟く。顔をほころばせて。そしてそのほころびは、少女にも伝搬する。

 それを見て、『彼』も四百年ぶりに表情筋を動かしてみた。だがそれはまだ、人類には識別できないほどに、わずかな変化だった。

        *

 まだ長距離を動けないという『彼』を残し、男と少女は、その球形の部屋を出た。丁年や深紅の執事、あるいは幼メイドに合流し、淑女の元へ向かう。

「あ、ノラねえ!」

 ひらひらと穏やかに手を振り、淑女はくつろいでいた腰を上げた。少女の元へ駆け寄り、軽くハグをする。

「なにくつろいでんのよ。捕虜は捕虜らしく、牢屋とかに入ってると思ってきたのに」

「えへへ。おもてなしされちゃいました。二十四時間いつでも、ベルを鳴らせば執事さんやメイドさんがやってきてくれるし、いろんなお料理もスイーツも、お紅茶もいただいちゃった」

 そう笑う淑女は、数日会っていないだけなのに少し肥えている。そしてこれは元からだが、肌艶もいい。

「まあ、怖い思いや痛い思いをしてなくてよかったわ。まったく。クロから聞いたけれど、あんまり無茶するんじゃないわよ?」

「ノラねえ……」

 抱き付いた体を離し、淑女は少女と顔を見合わせる。

「なにこの可愛いお洋服! ノラねえがメイドさんに!? はわわぁ!? ちょっとお手してみて、お手!」

「お手なんかしないわよ。普通、メイドさんもしないでしょ。はあ……、なんか心配して損した気分だわ」

 淑女が差し出した手を軽く払い、少女は嘆息した。彼女が無事だったことには安心したが、思っていた以上に厚遇されていた様子で、拍子抜けたのだ。

「とりあえず、帰るわよ。ちょっとごたごたしてたけど、もう終わったから」

「えー、じゃあお紅茶をあと一杯だけ……ガウナさーん?」

「帰るわよ!」

「うにー!」

 少女は淑女の頬を掴み、淑女はうにーを漏らした。

 01:40 淑女の保護、完了

        *

 それから、男やその他、傷付いた者たちの治療が簡易に行われた。CODEや、少女の扱う『シェヘラザードの歌』による治療。そして、それに並行し、深紅の執事に対する、極玉きょくぎょくを剥がす作業が行われた。

 これが一番厄介だった。極玉を剥がすこと自体は難しくなかったが、なにせ、深紅の執事はEBNAの施設内だけで、数十人単位で存在していたからだ。彼らすべてから極玉を剥がすには、結構な時間が必要だった。なぜなら、CODEの数が足りなかったからである。

 ので、少女は数人の治療を終えた後、その一人に極玉の剥がし方を教授した。それで彼らは彼らで、ただの人間――執事として生まれ変わることができるだろう。

 この襲撃による死者は二人。施設長であるスマイル・ヴァン・エメラルド伯爵。そしてその一番の側近である、ダフネ・メイクイーン。敵ではあるが、簡易に彼らの葬送を行い、施設に関しては二人目の側近であるアナン・ギル・ンジャイに任せる。

「いい? 別に悪いことしちゃだめとは言わないけれど、非人道的な人体実験は今後禁止よ。いまいるメイドや執事候補生たちには健全な教育を施しなさい。極玉は……剥がすことにもリスクがなくもないし、剥がす方法も個人差がある。それを理解したうえで本人が求めるなら剥がす選択肢もありかもね。とにかく本人の意思を尊重しなさい。技術的な問題が生じたら、必要ならわたしも手を貸すから」

 少女はCODEにて治療を終えた褐色メイドへ指示を出した。施設自体を牛耳るつもりはないし、正義感を掲げるつもりもなかったけれど、残された執事やメイドたちの中にはまだ幼いものもいる。彼ら彼女らの生活環境を壊した償いくらいはしなければならないだろう。

「はい、お嬢様! 御心のままに!」

 やけに仰々しく、褐色メイドはうるさいくらいに大声で返答した。仕える者から解き放たれた彼女だが、次は少女へ忠誠を誓ったらしい。……恐怖心からくる忠誠なのかもしれないが。

 ひととおりの後始末を終え、少女は、男を揺り起こす。長い戦いの夜。その後の後始末にも時間がかかったゆえに、男や、あるいはメイド、執事、そばかすメイド、その他もろもろ、彼ら彼女らも手伝いを買って出たけれど、休息も、タイミングを見て取っていたのだ。

「ハク。だいたいは終わったわ。そろそろ夜も明けるし、ムウに挨拶して、出ましょう」

 06:20 後始末を完了

        *

 そして、球形の部屋へ向かう。と、タイミングよくその道中で『彼』と出会った。

「帰るのか」

 そう、『彼』は言った。正しく、自身の生体で――声帯で。

「ああ。……しゃべれるようになったのか?」

 そう言うが、それどころではない。外見も人間らしく整っている。

 灰色に変容した肌は戻らなかったようだが、それでも、黒い斑紋は綺麗に消えていた。それに、しっかりと黒のタキシードでその身を包めば、もう立派な執事にしか見えない。白い手袋や革靴などで手足も隠れているが、少なくともそのような一般的な装具で覆えるなら、触手のような異形さは十二分に改善したのだろう。髪の毛だけ、肌と同じ灰色で目を引くが、まあ、『彼』の実態を知らない者が見ればなんとか、人間であることは疑われずに済むのではないだろうか。

「御覧の通りだ。まだ少々、体力の回復を待たねばならないが――これを、渡すべきかと思料して、来た」

 そう言って、『彼』は男へ、なにかを手渡す。

「これは……」

「EBNAが所持しているすべてだ。貴殿には必要なのだろう? 氷守薄。だが我には不要の長物である。礼だと思って、受け取るといい」

 それは、五冊もの『異本』。そのすべての性能を男は理解しているわけではないが、おそらく、すべてが極玉を内包する『異本』なのだろう。

『バー・ファブニファル』。異界の暗黒世界を旅する冒険譚。飛行関連の性能を有するらしいが、男は詳細を知らない一冊。

『ナムクの傾国製図』。その上に乗っていれば、どういうふうに体を傾けても直立することができるという、不思議な乗り物の設計図……と言われている。もちろん内容は荒唐無稽だが。その性能は、反重力。これがどう極玉に関わるのかは解らない。

Honuホヌ a Pepelualiペペルアリ』。ハワイ諸島生まれの寓話集。亀の力があるというので、そのもの極玉に用いることができたのだろう。

『ホァローグ奇怪書』。妖怪小説作家である著者が記した、自作都市伝説のメモ帳。一定サイズの物質を透過することができる。やはりこれだけでは、極玉として用いる方法は不明だ。

 そして、『ユグドラシルの切株』。北欧神話をベースとした、著者オリジナルのアナザーミソロジー。北欧神話の最高神、オーディンにちなんだ力を使用者にもたらす、『啓筆けいひつ』、序列十位の『異本』である。

 その錚々そうそうたる『異本』の数々に、男はつい、それらをコートの内側に隠した。落ち着け。落ち着け。と、男は自身に言い聞かせる。

「隠すことはないだろう。案ぜずとも、返却を求めたりなどしない」

「いや、まあ……」

 男は少し己を恥じ、頬を掻いた。

「助かった。ありがとう」

 そしてようやく、男は『彼』を正面から見つめた。そして正しく、手を差し出す。

 それに、『彼』は瞬間、不思議そうに首を傾げたが、それでも、少し笑むように表情筋を動かして、やがて、その手を、握った。

        *

 それじゃあ。と、今度こそ別れに声を上げたところで、

「もう一つだけ、餞別をやろう。氷守薄。そして、ノラ・ヴィートエントゥーセン」

 そう、『彼』は言った。男を、次いで、少女を、順に見て。
 それに男も少女も、疑問を向けて、首を傾げる。

「これは、予言――というよりは、助言だと思って、心の隅にでも留めておいてもらえればそれでいい。氷守薄。ノラ・ヴィートエントゥーセン。貴殿らは、そのベクトルこそ違えど、共によく似た、因果の中にいる」

 少し大仰に、『彼』は両腕を軽く持ち上げ、語る。

「因果……」

「そうだ」

 男の呟きに、『彼』は簡単に答え、わずかに間を空ける。その先を、躊躇うように。

「……その因果は、容易く脆いが、酷く強靭でもある。世界の配役は変わらずとも、その舞台は変容するだろう。それでも貴殿らは、進むしかないのだが……」

「はあ。ちょっとよく、解らねえんだが……」

 男は申し訳ない気持ちで、彼を見上げた。

「……未来は不確定だが、それでも、決まっていることもある。これを言うと貴殿らは困惑し、いらぬ葛藤を強いられるかも知れない」

「いいよ、言ってくれ。つうか、もはや聞かなきゃ、気になって眠れねえよ」

 冗談めかして、男は言った。
 それに、やはり表情は変わらなかったけれど、『彼』は意を決したのか、口を開く。

「氷守薄。ノラ・ヴィートエントゥーセン。貴殿らはそれぞれ、。……己を確定せよ。なににも動かされぬ、己が芯を知れ。さすれば最悪は――災厄は免れうる」

 それでは、いつかまた会おう。そう言って、言葉を咀嚼したままの男を置いて、『彼』は去って行った。

 少女は、小さく唇を、噛む。


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