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幕間(2027-1-2)
運命と命運
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絶句――した。おそらくその事実を、完全に把握してなどいなくとも予見していた少女ですら、冗長なまでの間を、そこに空けた。
はあ。と、嘆息に近い吐息で、少女は静寂から脱する。
「相手は、織紙四季ね?」
少女は問うた。だがそれに関しては、ほぼ確信に近い。
その青年の中にいた異世界の少年はとうに、自らの世界へ還ったはず。少女はそれを知っている。おそらく――『神』と呼ばれる者の思惑にて、彼はこちらの世界へ転移した。そして、その『才能』でもって、織紙四季に憑り付き、モスクワでの騒動を治めた。その助力に関与した。
だがその代わりに、織紙四季本体が、これまでになく激高したのだろう。もともと敵対していた女と青年だ。今度こそ互いに、決着をつけようという流れになることくらい、少女でなくとも予想がつくことである。そして、その結末も。
数々の『宝創』を駆使する、かの青年の戦闘力は甚大だ。直接対峙した少女には、それはさらに顕著に、理解できた。女は『箱庭百貨店』を持っていたからこそ、なんとか戦うことができていたし、あるいはうまく逃げおおせることもできていたのだろうが、それを紳士へ継承したいま、彼女に青年を倒せる道理は、わずかばかりもない。
少女は、仮に自分が彼と戦ったとしても、勝てるかどうか怪しいものだ、との自負があった。それほどにかの青年の戦闘力を、少女は評価していたのだ。
「ご慧眼の通り、相手は織紙四季でした。ノラ様のお言いつけ通り、私も加勢しましたが――いえ、加勢など、させていただけなかったわけですが……」
少女は、メイドに指示していた。女が死に至る可能性が多分に大きいから、その援護をするように。だが結局、予想通り、彼女は受け入れなかった。それでもメイドなら、遠巻きにでも少しでも、女を援護できるだろうと踏んでいたし、実際そうしたのだろうけれど、その程度では覆せる運命ではなかったということ、なのだろう。
「メイ……いっこ、確認させろ」
ようやっと感情が追い付いてきたのか、男は震える声で、メイドに問う。
「あいつは――ホムラは、全力で戦えたんだな? 敵に卑怯な手を使われることなく、あいつの全力でもって、敵の全力と真っ向から、ちゃんとやりあえたんだな?」
言葉を紡ぐに従い、男の声は力を取り戻していった。それにしてもズレた質問だと、少女も、メイドも思ったけれど、男としてはそれこそが、本当に大切な事柄だったという確信があった。
「は……それはもちろん。……私の、瞬間の乱入は別として、他に別人の関与する余地もなく、地形的な優勢・劣勢もなく、互いに、身体的にも精神的にも健常で――つまりは、互いに完全に、意気軒昂甚だしく、全力で戦っていたはずでございます。見たところ、互いに手の内はすでに知り尽くしている様子でしたし、そこに、戦術的な不意打ちはあろうとも、姑息な手段を講じていたようには――」
「解った、もういい。……おまえ、相変わらず話が長いんだよ」
メイドとしては主人に問われることに、完全に返答すべく言葉を尽くしていたのだが、男としては冗長だったようである。……いや、そういうことはこれまでも、割とよくあった出来事なのであるが。
男の指摘に、メイドは強くかしこまった。まだ土下座だったのは変わりなかったので、それ以上に、となると、ちょっとやりすぎで、むしろ冗談のようでもあったが。
「それならいいんだ。……いいんじゃねえか、あいつの人生だろ。そりゃ、少し喪失感があるが、俺もいい歳だし、わーきゃー騒ぐ気にはなれねえよ」
だから顔を上げろ。と、男は身を屈めて、メイドの肩に手を置く。するとようやっとメイドは顔を上げ、男と目を合わせる。その瞳は、涙を流してはいないものの、いまにも溢れんばかりに潤っていた。
「は、ハクしゃま~~!!」
あ、泣いた。だがそれは、男の気遣いに感極まったから、ではない。
「わたしのお父さんに、気安く抱き付こうとすんな」
「ぷぎゃ!!」
辛辣な少女の足蹴に、顔面が晒されたからである。
*
さきほどとは違う理由で地に伏せるメイドを気遣い、男はやはり彼女の肩に手を置いた。
「だ、大丈夫か?」
自業自得でもある。あまり心配する気にもなれなかったが、いちおう気遣っておいた。
「だ、大丈夫です。お心遣い、感謝致します」
少しばかり暗い――黒い声で、メイドは言う。少女の反感を買わないように、男の手をそっと包んで、引き離す。せめてその手を握り、引き上げてもらい、立ち上がった。
そうして、成人女性なりの身長で、まだ少女のままの少女を見下す。不遜に仁王立ちし、そんなメイドを鋭く見上げる、少女を。
「ちっ、目の上のたんこぶが」
小さく、メイドは言った。
「あんですって?」
ドスを利かせて、少女は問い質す。
その後、たっぷり三十秒、少女とメイドは睨み合っていた。男がその間に入るまで、ずっと。
「それよりも! メイ! もう、いいのか……?」
なぜだか背中に冷や汗を流しながら、男は問う。確かに女のことは重要だ。しかし、メイドにとってはこちらの方が重要だろうと、慮って。
それに対して、メイドは眉間に寄せた皺を解いて、困ったような笑顔を向ける。
「ええ、……お待たせ致しました」
もう大丈夫です。とでも、言いたそうな表情。決して『言える状態』ではないのだろうけれど、それでも、『言いたい状態』であると、表明するように。
「無理することないぞ。ここの……屋敷のごたごたも、おまえが手伝えば早く済むだろうし、当分、ここにいても――」
言いかけて、はっとした。見ると、あまりに無遠慮に、歯止めなどなく、小さな子どものように、メイドが泣いていたから。
「わっ……じゃっ……すぐっ、び……」
会話もままならない。肩を上下させ、無理矢理に息をする。そうでなければ生きてさえいけないほどに、錯乱して。
「解った! 俺が悪かった! おまえを置いて行ったりなんかしねえよ!」
たぶんそれでいいのだろうと確信して、男は弁解した。そしてもちろんそれが正解で、メイドはみるみる呼吸を取り戻していったのだが――
「いいえ、メイちゃんは今回、置いて行く」
少女の一言で、やはり呼吸は荒ぶった。逆のベクトルに。
「ノラ様ひどい! 私とハク様を引き離そうというのですね!?」
怒りで髪の毛が逆立つほどに、メイドは激高し、少女へ詰め寄った。
「それもあるわ」
「それもあるのかよ!」
半分、内側の自分を表出させ始めているメイドである。
「もいっこ、お願いがあるのよ」
騒ぐメイドを押さえて、涼しい顔で、少女は切り出した。
「稲荷日三姉妹弟の、様子を見ていてほしいの。早まらないようにね。伝言も頼むわ。最近、あの子たち電話に出ないから」
その、無遠慮な言い方に、メイドの中の、なにかが切れた。
「なにを命令してんだこのガキが! そうやって高圧的な態度とってりゃ俺様がはいはい従うとでも勘違いしてんのか!? てめえにはほとほと愛想が尽きた! もう主人でも、メイドでもねえっ!」
すでに内なる自分と和解したメイドである。ゆえに、その言葉は、感情は、彼女自身のものだ。
それを理解して、メイドは、ほんの少しだけの罪悪感を覚えた。しかし、少女はそれを理解して、ほんの少しだけ、
「そうね。わたしは最初っから、あなたをメイドだと、自分を主人だと、思ったことはないわ」
喜び、笑った。
しかし、その意味を理解して、メイドの激情はやや治まったものの、まだ、鎮火するには至らない。だから、次の瞬間には、とうとう拳を上げ――。
「メイ!」
それを見て、さすがに男が、割って入った。
「悪いが、頼む」
男ももう、自分を彼女の主人だと思っているわけではない。しかし、『家族』として、別の『家族』を慮って、メイドにそれを、託す。
掲げた拳を力なく下ろし、肩を――全身を震わせ、感情の昂ぶりを、ゆっくり、鎮めていく。そっと両手を合わせて握り締め、鈍器を振り上げるように自身の顔の横に持ち上げ、男へ振り返った。
「はいぃぃっ! ハク様のご命令とあらばっ!!」
……どうやら、鎮火した。いともたやすく。
はあ。と、嘆息に近い吐息で、少女は静寂から脱する。
「相手は、織紙四季ね?」
少女は問うた。だがそれに関しては、ほぼ確信に近い。
その青年の中にいた異世界の少年はとうに、自らの世界へ還ったはず。少女はそれを知っている。おそらく――『神』と呼ばれる者の思惑にて、彼はこちらの世界へ転移した。そして、その『才能』でもって、織紙四季に憑り付き、モスクワでの騒動を治めた。その助力に関与した。
だがその代わりに、織紙四季本体が、これまでになく激高したのだろう。もともと敵対していた女と青年だ。今度こそ互いに、決着をつけようという流れになることくらい、少女でなくとも予想がつくことである。そして、その結末も。
数々の『宝創』を駆使する、かの青年の戦闘力は甚大だ。直接対峙した少女には、それはさらに顕著に、理解できた。女は『箱庭百貨店』を持っていたからこそ、なんとか戦うことができていたし、あるいはうまく逃げおおせることもできていたのだろうが、それを紳士へ継承したいま、彼女に青年を倒せる道理は、わずかばかりもない。
少女は、仮に自分が彼と戦ったとしても、勝てるかどうか怪しいものだ、との自負があった。それほどにかの青年の戦闘力を、少女は評価していたのだ。
「ご慧眼の通り、相手は織紙四季でした。ノラ様のお言いつけ通り、私も加勢しましたが――いえ、加勢など、させていただけなかったわけですが……」
少女は、メイドに指示していた。女が死に至る可能性が多分に大きいから、その援護をするように。だが結局、予想通り、彼女は受け入れなかった。それでもメイドなら、遠巻きにでも少しでも、女を援護できるだろうと踏んでいたし、実際そうしたのだろうけれど、その程度では覆せる運命ではなかったということ、なのだろう。
「メイ……いっこ、確認させろ」
ようやっと感情が追い付いてきたのか、男は震える声で、メイドに問う。
「あいつは――ホムラは、全力で戦えたんだな? 敵に卑怯な手を使われることなく、あいつの全力でもって、敵の全力と真っ向から、ちゃんとやりあえたんだな?」
言葉を紡ぐに従い、男の声は力を取り戻していった。それにしてもズレた質問だと、少女も、メイドも思ったけれど、男としてはそれこそが、本当に大切な事柄だったという確信があった。
「は……それはもちろん。……私の、瞬間の乱入は別として、他に別人の関与する余地もなく、地形的な優勢・劣勢もなく、互いに、身体的にも精神的にも健常で――つまりは、互いに完全に、意気軒昂甚だしく、全力で戦っていたはずでございます。見たところ、互いに手の内はすでに知り尽くしている様子でしたし、そこに、戦術的な不意打ちはあろうとも、姑息な手段を講じていたようには――」
「解った、もういい。……おまえ、相変わらず話が長いんだよ」
メイドとしては主人に問われることに、完全に返答すべく言葉を尽くしていたのだが、男としては冗長だったようである。……いや、そういうことはこれまでも、割とよくあった出来事なのであるが。
男の指摘に、メイドは強くかしこまった。まだ土下座だったのは変わりなかったので、それ以上に、となると、ちょっとやりすぎで、むしろ冗談のようでもあったが。
「それならいいんだ。……いいんじゃねえか、あいつの人生だろ。そりゃ、少し喪失感があるが、俺もいい歳だし、わーきゃー騒ぐ気にはなれねえよ」
だから顔を上げろ。と、男は身を屈めて、メイドの肩に手を置く。するとようやっとメイドは顔を上げ、男と目を合わせる。その瞳は、涙を流してはいないものの、いまにも溢れんばかりに潤っていた。
「は、ハクしゃま~~!!」
あ、泣いた。だがそれは、男の気遣いに感極まったから、ではない。
「わたしのお父さんに、気安く抱き付こうとすんな」
「ぷぎゃ!!」
辛辣な少女の足蹴に、顔面が晒されたからである。
*
さきほどとは違う理由で地に伏せるメイドを気遣い、男はやはり彼女の肩に手を置いた。
「だ、大丈夫か?」
自業自得でもある。あまり心配する気にもなれなかったが、いちおう気遣っておいた。
「だ、大丈夫です。お心遣い、感謝致します」
少しばかり暗い――黒い声で、メイドは言う。少女の反感を買わないように、男の手をそっと包んで、引き離す。せめてその手を握り、引き上げてもらい、立ち上がった。
そうして、成人女性なりの身長で、まだ少女のままの少女を見下す。不遜に仁王立ちし、そんなメイドを鋭く見上げる、少女を。
「ちっ、目の上のたんこぶが」
小さく、メイドは言った。
「あんですって?」
ドスを利かせて、少女は問い質す。
その後、たっぷり三十秒、少女とメイドは睨み合っていた。男がその間に入るまで、ずっと。
「それよりも! メイ! もう、いいのか……?」
なぜだか背中に冷や汗を流しながら、男は問う。確かに女のことは重要だ。しかし、メイドにとってはこちらの方が重要だろうと、慮って。
それに対して、メイドは眉間に寄せた皺を解いて、困ったような笑顔を向ける。
「ええ、……お待たせ致しました」
もう大丈夫です。とでも、言いたそうな表情。決して『言える状態』ではないのだろうけれど、それでも、『言いたい状態』であると、表明するように。
「無理することないぞ。ここの……屋敷のごたごたも、おまえが手伝えば早く済むだろうし、当分、ここにいても――」
言いかけて、はっとした。見ると、あまりに無遠慮に、歯止めなどなく、小さな子どものように、メイドが泣いていたから。
「わっ……じゃっ……すぐっ、び……」
会話もままならない。肩を上下させ、無理矢理に息をする。そうでなければ生きてさえいけないほどに、錯乱して。
「解った! 俺が悪かった! おまえを置いて行ったりなんかしねえよ!」
たぶんそれでいいのだろうと確信して、男は弁解した。そしてもちろんそれが正解で、メイドはみるみる呼吸を取り戻していったのだが――
「いいえ、メイちゃんは今回、置いて行く」
少女の一言で、やはり呼吸は荒ぶった。逆のベクトルに。
「ノラ様ひどい! 私とハク様を引き離そうというのですね!?」
怒りで髪の毛が逆立つほどに、メイドは激高し、少女へ詰め寄った。
「それもあるわ」
「それもあるのかよ!」
半分、内側の自分を表出させ始めているメイドである。
「もいっこ、お願いがあるのよ」
騒ぐメイドを押さえて、涼しい顔で、少女は切り出した。
「稲荷日三姉妹弟の、様子を見ていてほしいの。早まらないようにね。伝言も頼むわ。最近、あの子たち電話に出ないから」
その、無遠慮な言い方に、メイドの中の、なにかが切れた。
「なにを命令してんだこのガキが! そうやって高圧的な態度とってりゃ俺様がはいはい従うとでも勘違いしてんのか!? てめえにはほとほと愛想が尽きた! もう主人でも、メイドでもねえっ!」
すでに内なる自分と和解したメイドである。ゆえに、その言葉は、感情は、彼女自身のものだ。
それを理解して、メイドは、ほんの少しだけの罪悪感を覚えた。しかし、少女はそれを理解して、ほんの少しだけ、
「そうね。わたしは最初っから、あなたをメイドだと、自分を主人だと、思ったことはないわ」
喜び、笑った。
しかし、その意味を理解して、メイドの激情はやや治まったものの、まだ、鎮火するには至らない。だから、次の瞬間には、とうとう拳を上げ――。
「メイ!」
それを見て、さすがに男が、割って入った。
「悪いが、頼む」
男ももう、自分を彼女の主人だと思っているわけではない。しかし、『家族』として、別の『家族』を慮って、メイドにそれを、託す。
掲げた拳を力なく下ろし、肩を――全身を震わせ、感情の昂ぶりを、ゆっくり、鎮めていく。そっと両手を合わせて握り締め、鈍器を振り上げるように自身の顔の横に持ち上げ、男へ振り返った。
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