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コルカタ編 終章
残された者たち
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音を立てて、崩れる。それを見送って、男たちは自然と、空を見上げていた。
なにかが、終わったような気がした。――たしかに、終わりはしただろう。女神さまは去り、教祖を打倒し、あるいは、『本の虫』という組織は、その最後の拠点を失い、多くの損害を受けた。ギャルは消え、娘子の魂も、今度こそ天に召された。誰もがなにかを失い、心に空白を感じていた。それを見送るように、誰もが天を仰いだのだろう。
ただただ、どこまでも広がるような、空を。日が暮れかけて影が差す、夕暮れを。
「カイラギさん」
僧侶が彼の肩に手を置いた。じっくりと間を空ける。言うべきことはとうに伝わっていると、そう、知っているから。
「……某は、忘れはせん」
ややあって、大男は口を開いた。彼女の忘れ形見である娘たちをあやすように、その巨木のような腕で囲いながら。
「だが、優先すべきはこの子らだ。ふたりが立派な大人になるまで、某は守らねばならん。他のことにかかずらう余裕は、もうない」
そう言うと、大男はその大岩のような肩を、少し下げた。安堵、したのだろう。もとより温厚な大男である。だが、その優しさゆえに、友のことに拘泥しすぎた。同質の感情より生まれたふたつの思いに板挟みになり、さすがの彼も、摩耗していたのだ。そして、そこからようやく、解放されたのである。
やっと、自らの感情に、折り合いがついたのだ。
「少しだけ、休もう」
大男は言って、長いまばたきに、瞳を閉じた。
*
「ハクくん」
大男の言葉を聞き、彼の思いを理解した僧侶は、次いで、男の元へ寄ってきた。
「結果として、君には――いや、君たちには助けられたことになりますね。いろんな意味で」
それは、教祖の襲撃を凌ぎ切ったこともそうだが、あるいは、大男の気持ちの変化についても言っているのかもしれなかった。もしくは、その他の件についても。
「今度こそ、『本の虫』は解散です。つきましては、これは、君たちへ――」
言うと、僧侶はそのローブの内から、それらを取り出し、差し出した。
それは、数々の『異本』。数々の、カラフルな装丁にその身を包んだ、八冊もの『異本』だ。それらは『本の虫』の所有する『異本』、その、残るすべてである。
「おまえ……! これを俺に渡して、大丈夫なのか? WBOが――」
「確かに、WBOの要求は『本の虫』の解散とともに、持ち合わせるすべての『異本』の譲渡だ。しかし、組織を解散したうえ、『異本』を失った私たちに、いちいち干渉してくるとも思えない。仮にまだ攻撃を続けるにしても、それはトップである私を狙うくらいでしょう。……そして、私ひとりなら、そう簡単に彼らにやられたりなんかしませんよ。それは、君が一番よく知っていることじゃないですか」
そう言って、彼は快活に笑った。白い歯を剥いて、その頭を、燦然と輝かせて。
「某のものも、くれてやる。この子たちを守るにあたっては、むしろ邪魔になるのでな」
大男も、僧侶に倣った。軽々と娘たちを両肩に乗せ、その、独特の黒い装丁、『白鬼夜行 黒手之書』を。
こうして、期せずして、『本の虫』の持つすべての『異本』が、男の元へ集った。さらには、妖怪、ブヴォーム・ラージャンが持っていた『滑瓢之書』、そして、女神さまが持っていた『シェヘラザードの虚言』をも含めて、この日、男は――男たちは、14冊の『異本』を蒐集したことになる。
合計、9冊の『白鬼夜行』。啓筆序列十一位の『滑瓢』、序列十四位である『九尾』。そして、『大蝦蟇』、『不知火』、『黒手』、『雪女』。また、特段に誰にも扱われていなかった3冊、『餓者髑髏』、『白うねり』、『ぬりかべ』。
水操の『異本』、『ピピリノの航海日誌』。特定量までの水を自在に操る『異本』。
波動の『異本』、『グレアの裁縫』。あらゆる『波』を操る総合性能Bの強力な一冊である。
電脳の『異本』、『Euphoric Field ILL12010501』。驚異的な演算能力を持つCPU。現代ではいまだ到達できないほどの性能で、あらゆる『機械』を操作する。
魔法少女の『異本』、『きゅるん☆ 魔法少女 マジカル・レインボー☆』。数々の魔法を操ることのできる、魔法少女の変身できる『異本』。
そして、『シェヘラザードの虚言』。同シリーズ最後の一冊。その性能は、いまだ誰も知らない。きっと、それを受け継いだ、少女でさえも、まだ。
こうして、男の元には全776冊の『異本』のうち、738冊もの『異本』が揃った。残りは、38冊。その所在の内訳は、WBOに22冊、個人所有が4冊、誰のものでもない無形の『異本』が10冊、そして、少女ですらその所在を把握していないものが、あと、2冊。
物語の終わりが、見えてきた。
*
「それで、おまえら、これからどうすんだ?」
すべての『異本』を受け取り、男は、再度、問うた。
「本来なら、この度の恩返しもかねて、君に同行したいところですがね」
僧侶が言う。
「いや、着いてくんな。むさ苦しい」
男は嫌そうに首を振る。
「そうだ。この馬鹿はロリコンというやつなのだ。ハゲなどお呼びではないのう」
ふいに女流が男の隣で嫌なことを言った。後ろで話を聞いていた幼女が顔を引き攣らせる。
「誰がロリコンだ。人聞きの悪いことを言うな。そしていつの間にそんな言葉を覚えたんだ」
問うが、その答えを聞く前に、男は背後を振り向いていた。幼女が後ずさりしている。
「いや! ロリコン違うからね!?」
「ひっ……!」
「ひっ、てなに!?」
男はうなだれた。どうやら幼女とは、いまだ信頼関係が築けていなかったらしい。
「まあ、ロリコンはともかく」
そんな男の肩を叩いて、僧侶は話を続ける。
「さきほども言った通り、『本の虫』の最後のトップである私はまだ、WBOから狙われる恐れもある。君たちとともにいれば、邪魔になるでしょう」
それから僧侶は、ちらりと優男を見て、それから、自らの腰をいたわるように、ぐっ、と、空を仰いだ。続く言葉を、探すように。
「……私も、少し、旅でもしますよ。自分探しという歳でもないでしょうが――なにかを、探してみます」
やはり乗り気ではなさそうだが、どこか、決意したような声音だった。
「カイラギさん。あなたは……?」
もう仇討ちに行くなどと言うことはないだろう。しかし、それならなおのこと、この先どうするのか。それは男としても気になるところだった。
問われた大男は一度、うんん。と、唸り、考え込んだ。ややあって。
「祖国に帰る」
そう、言った。託された娘たちをちらりと見てから。
「え、でも、あなたの故郷って――」
僧侶が訳知り顔を歪めた。それに、男は訝しむ。男は大男の故郷というものを、そういえば聞いたことがなかった。
「日本だ」
「嘘だろ!」
つい、男は突っ込んでいた。あまりに予想外すぎたのだ。
「……某は、母が日本人だからな。父の故郷であるデトロイトは治安が悪い。この子らのためにも、日本の方がいいだろう」
詳しく話を聞いてみると、幼少期は父方と母方の故郷を行ったり来たりして生活していたそうだ。アメリカのデトロイト。そして、日本の青森県。親族とは疎遠だそうだが、青森には持ち家もあるらしく、金銭的にも生活は困らないという。
「つーか、まともに働いてねえおまえがなんで金持ってんだよ。親が資産家なのか?」
「まあ、そんなところだ」
なぜだか凄んで、大男は男へ返した。
「……前々から思ってたけど、おまえ俺のこと嫌いだよな」
「そうかもな」
大男は悪ぶれもせずに、そう答えた。それは、彼にとっても理解不能な、自らの感情だったから。
特段に大男は、男を嫌う理由を見付けられていない。しかしながら、どうしても『合わない』と感じてしまう。
そうだ、『合わない』のだ。きっとただ、それだけ、なのである。
「貴様こそ、今後どうするのだ。どうやらもう、ほとんどの『異本』を集めたという。であれば、次はWBOか?」
そこへの憎しみはもう、表情に出さない。それでもまだ、少し後ろ髪を引かれるように、大男は男へ、問うた。
「まあ、そうなるな。……いちおう、コネはあんだよ。話し合いの場のひとつくらい、セッティングできんだろ」
EBNAで出会ったそばかすメイドを思い出し、男は言った。
「そうか……」
大男は目を閉じ、言った。なにかを考えるように。なにかともう一度、折り合いをつけるように。
「武運を祈っておこう。氷守薄」
言って、大男は片手を差し出した。握手を求める動作である。
その『武運』などというものを使わずに、穏便にいけばいいがな。その言葉を男は飲み込む。そして、
「ああ」
と、それだけ返して、男は、差し出された大男の手を握った。大きさこそ、大人と子ども以上に違うが、それでも――。
もう大男は、力加減を間違えたりなどしない。ぐっ、と、極めて優しく、それでいて十分な感情を乗せて、男の手を、握った。
なにかが、終わったような気がした。――たしかに、終わりはしただろう。女神さまは去り、教祖を打倒し、あるいは、『本の虫』という組織は、その最後の拠点を失い、多くの損害を受けた。ギャルは消え、娘子の魂も、今度こそ天に召された。誰もがなにかを失い、心に空白を感じていた。それを見送るように、誰もが天を仰いだのだろう。
ただただ、どこまでも広がるような、空を。日が暮れかけて影が差す、夕暮れを。
「カイラギさん」
僧侶が彼の肩に手を置いた。じっくりと間を空ける。言うべきことはとうに伝わっていると、そう、知っているから。
「……某は、忘れはせん」
ややあって、大男は口を開いた。彼女の忘れ形見である娘たちをあやすように、その巨木のような腕で囲いながら。
「だが、優先すべきはこの子らだ。ふたりが立派な大人になるまで、某は守らねばならん。他のことにかかずらう余裕は、もうない」
そう言うと、大男はその大岩のような肩を、少し下げた。安堵、したのだろう。もとより温厚な大男である。だが、その優しさゆえに、友のことに拘泥しすぎた。同質の感情より生まれたふたつの思いに板挟みになり、さすがの彼も、摩耗していたのだ。そして、そこからようやく、解放されたのである。
やっと、自らの感情に、折り合いがついたのだ。
「少しだけ、休もう」
大男は言って、長いまばたきに、瞳を閉じた。
*
「ハクくん」
大男の言葉を聞き、彼の思いを理解した僧侶は、次いで、男の元へ寄ってきた。
「結果として、君には――いや、君たちには助けられたことになりますね。いろんな意味で」
それは、教祖の襲撃を凌ぎ切ったこともそうだが、あるいは、大男の気持ちの変化についても言っているのかもしれなかった。もしくは、その他の件についても。
「今度こそ、『本の虫』は解散です。つきましては、これは、君たちへ――」
言うと、僧侶はそのローブの内から、それらを取り出し、差し出した。
それは、数々の『異本』。数々の、カラフルな装丁にその身を包んだ、八冊もの『異本』だ。それらは『本の虫』の所有する『異本』、その、残るすべてである。
「おまえ……! これを俺に渡して、大丈夫なのか? WBOが――」
「確かに、WBOの要求は『本の虫』の解散とともに、持ち合わせるすべての『異本』の譲渡だ。しかし、組織を解散したうえ、『異本』を失った私たちに、いちいち干渉してくるとも思えない。仮にまだ攻撃を続けるにしても、それはトップである私を狙うくらいでしょう。……そして、私ひとりなら、そう簡単に彼らにやられたりなんかしませんよ。それは、君が一番よく知っていることじゃないですか」
そう言って、彼は快活に笑った。白い歯を剥いて、その頭を、燦然と輝かせて。
「某のものも、くれてやる。この子たちを守るにあたっては、むしろ邪魔になるのでな」
大男も、僧侶に倣った。軽々と娘たちを両肩に乗せ、その、独特の黒い装丁、『白鬼夜行 黒手之書』を。
こうして、期せずして、『本の虫』の持つすべての『異本』が、男の元へ集った。さらには、妖怪、ブヴォーム・ラージャンが持っていた『滑瓢之書』、そして、女神さまが持っていた『シェヘラザードの虚言』をも含めて、この日、男は――男たちは、14冊の『異本』を蒐集したことになる。
合計、9冊の『白鬼夜行』。啓筆序列十一位の『滑瓢』、序列十四位である『九尾』。そして、『大蝦蟇』、『不知火』、『黒手』、『雪女』。また、特段に誰にも扱われていなかった3冊、『餓者髑髏』、『白うねり』、『ぬりかべ』。
水操の『異本』、『ピピリノの航海日誌』。特定量までの水を自在に操る『異本』。
波動の『異本』、『グレアの裁縫』。あらゆる『波』を操る総合性能Bの強力な一冊である。
電脳の『異本』、『Euphoric Field ILL12010501』。驚異的な演算能力を持つCPU。現代ではいまだ到達できないほどの性能で、あらゆる『機械』を操作する。
魔法少女の『異本』、『きゅるん☆ 魔法少女 マジカル・レインボー☆』。数々の魔法を操ることのできる、魔法少女の変身できる『異本』。
そして、『シェヘラザードの虚言』。同シリーズ最後の一冊。その性能は、いまだ誰も知らない。きっと、それを受け継いだ、少女でさえも、まだ。
こうして、男の元には全776冊の『異本』のうち、738冊もの『異本』が揃った。残りは、38冊。その所在の内訳は、WBOに22冊、個人所有が4冊、誰のものでもない無形の『異本』が10冊、そして、少女ですらその所在を把握していないものが、あと、2冊。
物語の終わりが、見えてきた。
*
「それで、おまえら、これからどうすんだ?」
すべての『異本』を受け取り、男は、再度、問うた。
「本来なら、この度の恩返しもかねて、君に同行したいところですがね」
僧侶が言う。
「いや、着いてくんな。むさ苦しい」
男は嫌そうに首を振る。
「そうだ。この馬鹿はロリコンというやつなのだ。ハゲなどお呼びではないのう」
ふいに女流が男の隣で嫌なことを言った。後ろで話を聞いていた幼女が顔を引き攣らせる。
「誰がロリコンだ。人聞きの悪いことを言うな。そしていつの間にそんな言葉を覚えたんだ」
問うが、その答えを聞く前に、男は背後を振り向いていた。幼女が後ずさりしている。
「いや! ロリコン違うからね!?」
「ひっ……!」
「ひっ、てなに!?」
男はうなだれた。どうやら幼女とは、いまだ信頼関係が築けていなかったらしい。
「まあ、ロリコンはともかく」
そんな男の肩を叩いて、僧侶は話を続ける。
「さきほども言った通り、『本の虫』の最後のトップである私はまだ、WBOから狙われる恐れもある。君たちとともにいれば、邪魔になるでしょう」
それから僧侶は、ちらりと優男を見て、それから、自らの腰をいたわるように、ぐっ、と、空を仰いだ。続く言葉を、探すように。
「……私も、少し、旅でもしますよ。自分探しという歳でもないでしょうが――なにかを、探してみます」
やはり乗り気ではなさそうだが、どこか、決意したような声音だった。
「カイラギさん。あなたは……?」
もう仇討ちに行くなどと言うことはないだろう。しかし、それならなおのこと、この先どうするのか。それは男としても気になるところだった。
問われた大男は一度、うんん。と、唸り、考え込んだ。ややあって。
「祖国に帰る」
そう、言った。託された娘たちをちらりと見てから。
「え、でも、あなたの故郷って――」
僧侶が訳知り顔を歪めた。それに、男は訝しむ。男は大男の故郷というものを、そういえば聞いたことがなかった。
「日本だ」
「嘘だろ!」
つい、男は突っ込んでいた。あまりに予想外すぎたのだ。
「……某は、母が日本人だからな。父の故郷であるデトロイトは治安が悪い。この子らのためにも、日本の方がいいだろう」
詳しく話を聞いてみると、幼少期は父方と母方の故郷を行ったり来たりして生活していたそうだ。アメリカのデトロイト。そして、日本の青森県。親族とは疎遠だそうだが、青森には持ち家もあるらしく、金銭的にも生活は困らないという。
「つーか、まともに働いてねえおまえがなんで金持ってんだよ。親が資産家なのか?」
「まあ、そんなところだ」
なぜだか凄んで、大男は男へ返した。
「……前々から思ってたけど、おまえ俺のこと嫌いだよな」
「そうかもな」
大男は悪ぶれもせずに、そう答えた。それは、彼にとっても理解不能な、自らの感情だったから。
特段に大男は、男を嫌う理由を見付けられていない。しかしながら、どうしても『合わない』と感じてしまう。
そうだ、『合わない』のだ。きっとただ、それだけ、なのである。
「貴様こそ、今後どうするのだ。どうやらもう、ほとんどの『異本』を集めたという。であれば、次はWBOか?」
そこへの憎しみはもう、表情に出さない。それでもまだ、少し後ろ髪を引かれるように、大男は男へ、問うた。
「まあ、そうなるな。……いちおう、コネはあんだよ。話し合いの場のひとつくらい、セッティングできんだろ」
EBNAで出会ったそばかすメイドを思い出し、男は言った。
「そうか……」
大男は目を閉じ、言った。なにかを考えるように。なにかともう一度、折り合いをつけるように。
「武運を祈っておこう。氷守薄」
言って、大男は片手を差し出した。握手を求める動作である。
その『武運』などというものを使わずに、穏便にいけばいいがな。その言葉を男は飲み込む。そして、
「ああ」
と、それだけ返して、男は、差し出された大男の手を握った。大きさこそ、大人と子ども以上に違うが、それでも――。
もう大男は、力加減を間違えたりなどしない。ぐっ、と、極めて優しく、それでいて十分な感情を乗せて、男の手を、握った。
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