293 / 385
台湾編 本章 ルート『虚飾』
才ある馬鹿たちの『虚飾』
しおりを挟む
学者は、盲目に己が才能を信じていた。
イタリアはエミリア=ロマーニャ州の外れ、ピアチェンツァ県に生まれ、国内屈指の有名大学、ボローニャ大学を首席で卒業した。だが、世間一般に認知される企業などへの就職は、どうにも魅力を感じなかったゆえに、特定の会社へ務めるということをしなかった。
しかし、彼は大学卒業直前に、運命的な出会いをすることとなる。それが、かの大学にて長年、臨時講師を務めていた、ある者との邂逅だ。その者との出会いが、彼を『異本』の世界へ引き込んだ。
確かに、彼には才能があった。『異本』をよく扱えるという才能、『親和性』。それは、物心ついたときから己が才能を信じて疑わず、あらゆる学術書を読み漁っていた――つまりは、多く書籍に触れてきた彼に、当然と備わる才能でしかなかった。
「どいつもこいつも、この天才、メイリオ・フレースベルグを馬鹿にしやがって」
ぶつぶつと呟きながら、学者はそのへんを、行ったり来たりした。
場所は、フランス、パリ。WBO最重要施設、『世界樹』のエントランスホール。その、中心である。
「あの、『パーシヴァル』、さん?」
(はい?)
淑女の問いかけに、学者は立ち止まり、にこやかな笑顔を向けた。しかし、彼は気付いていないのだろう。その笑みは、見るからに怒気を含んで、隠しきれていなかった。
己が才能を過信しているがゆえに、学者には、相手を卑下する癖がついていた。もちろん、彼自身はその事実について、まったくの無自覚ではあるが。
「この縄、解いて欲しいなぁ、なんて……」
淑女は、己が背を視線で示した。後ろ手に縛られ、自由が利かない自らの両腕の方を。
(ああ……)
学者は内心でだけ、そう一拍を置いた。
そして――。
「てめえらメスは、優秀な男の言うことを、黙って聞いてりゃいいんだよ」
そう、言った。
(大丈夫ですよ。すぐに解いてあげますから)
そんな心の声は、もちろん誰にも、聞こえない。
*
「無駄だよ、るーしゃん。あれ完全に、目がイってる」
淑女と背を合わせた司書長が、小声でそう言った。
「あんまり刺激しないで、助けを待とう。外に出てる司書さんたちも、そう遠くなく、帰ってくる」
もとより、建物の大きさに比して、あまりに少人数で切り盛りしていた施設だ。偶然、司書長と淑女以外の司書たちが出払ったタイミングを狙われた。いや、彼にそのつもりがあったかは解らない。が、ともあれ、現実としてはそうなっている。
エントランスホールで、両手両足を縛られたまま、転がされている。司書長と、淑女が。そして、その周りを、学者はぶつくさ言いながら歩き回っているのだ。
反撃は、できない。淑女の友人であるジャガー、テスは、彼女の『異本』、『箱庭動物園』に入ったまま、学者に取り上げられてしまった。司書長の持つ物も同様だ。『異本』がなければ、彼女たちはただの、か弱い女性でしかない。
そのうえ――。
「『マート・バートラル』に、『kq』まで使われたら、今度こそどうしようもない。むしろいま、一度でもその力を解除してくれたのは、千載一遇のチャンス」
学者の手元を注視しながら、司書長は言った。学者が、『世界樹』の最奥から盗み出した『異本』。『啓筆』、序列十二位、『マート・バートラル』。そして十三位、『kq』。その二冊を握る、手を。
「だからこそ、唯々諾々、従っていこう。従順に出てる限り、またあの『異本』を使うことは、きっとないから」
その『異本』のせいで、彼女らは縛られているのだ。記憶と感情。人間を相手取るにはあまりにも強力すぎる、そのふたつを司る、『異本』のせいで。
「縛られている……そうか、そうだ!」
おそらくさきほどの淑女の言によって、学者は現状を再認識したのだろう。そのように、なにかを納得する。
「この状況! いま僕は、このふたりを……好きにできる! そうだ! ふはは……! いやいや、落ち着け、メイリオ・フレースベルグ!」
学者は気障に、片腕を持ち上げ、その手先に恍惚とするような視線を向けた。そうして、高笑いである。その、ひとりごとのような言を、淑女たちは完全には聞き取れていない。しかし、悪い方向へ話が進んでいることは、理解できた。
「好きにできる。それだけなら、『異本』を使えば簡単だ。感情の『異本』、『kq』。これを用いれば、この僕に恋させ、従順に、奴隷のように扱うことすら可能。しかも記憶すら『マート・バートラル』で改変させ、過去のしがらみからすら解き放ち、万が一の感情変化さえ抑止できる」
ふはは……ふはははは。己が手に入れた『異本』について、彼は解説じみたことを口遊み、高笑いした。
「この『異本』が、僕の扱うべきもの! リュウさんもいつも言っているじゃないか! 『異本』は、扱うべき者の手に、あるべきだ!」
そしてそれは、世のため人のために、扱われなければならない。
「よし! 僕はこの『異本』を用いて、世界中の女子たちに――」
自主規制。彼は多分このあと、全年齢対象作品にあるまじきことを言った。それだけである。
「――差し当たっては、まずはこの子たちだ。僕はこの子たちを、幸せにする」
そう言うと、ようやく学者は、女子たちに向き直った。
「はあ……」
司書長が嘆息する。
ほんといやになるね。シンねえさん。
*
不思議な因果。と、言うべきか。司書長、ゾーイ・クレマンティーヌは、学者と同じ、ボローニャ大学の出身である。しかも、学者とは違い、飛び級での進学だ。学者はなにも知らないが、彼は、自分よりよほど才能あふれる先輩を、どうにかしようとしているのである。
ともあれ、そういう学歴も含めて、司書長も、自意識の強い人間ではあった。誰になにを言われても歯牙にもかけない。あるいは、この仕事の責任はすべて、上司である自分の責任だ、そう言えるような、懐の深さも持っている。
それでも、心に降り積もるストレスは、ないわけでもない。
表面を取り繕う『虚飾』にも、限界があるのだ。
私は、あなたのようになりたかった。そう、司書長は回顧する。三十数年前。ボローニャ大学で出会った仲間たち。いまでもこうして、つるんでいる、生涯の、仲間。
『家族』とも呼べる、人生の友。
さて、WBOは最終局面を迎えた。自分のもとへも、その解散が通達されている。
しかし。と、司書長は思う。
友情は、一生ものだ。と、そのように。
あのときの六人のうち、生き残ったのはふたりだけだ。残り四人は死んだ。そのうちふたりは、生き返ったとはいえ。
世界に、自分と釣り合う天才が、こんなにいるとは思わなかった。いや、正確には、才能とは、これだけ多岐に存在するのだと、知らなかったのだ。知識、知恵。それだけがすべてだった司書長には、知れるはずのなかった才人たち。それに触れて、世界が広がった。
あの感覚の、なんと心地よく、清々しいものか。
そんな感覚をくれた、世界を広げてくれた、大切な仲間の、その、最後の目的。
それに付き合わないで、いられるわけもない。
――では、『虚飾』を取り払って、笑おう。いつかの、自分のように。
馬鹿みたいに、幼く。
イタリアはエミリア=ロマーニャ州の外れ、ピアチェンツァ県に生まれ、国内屈指の有名大学、ボローニャ大学を首席で卒業した。だが、世間一般に認知される企業などへの就職は、どうにも魅力を感じなかったゆえに、特定の会社へ務めるということをしなかった。
しかし、彼は大学卒業直前に、運命的な出会いをすることとなる。それが、かの大学にて長年、臨時講師を務めていた、ある者との邂逅だ。その者との出会いが、彼を『異本』の世界へ引き込んだ。
確かに、彼には才能があった。『異本』をよく扱えるという才能、『親和性』。それは、物心ついたときから己が才能を信じて疑わず、あらゆる学術書を読み漁っていた――つまりは、多く書籍に触れてきた彼に、当然と備わる才能でしかなかった。
「どいつもこいつも、この天才、メイリオ・フレースベルグを馬鹿にしやがって」
ぶつぶつと呟きながら、学者はそのへんを、行ったり来たりした。
場所は、フランス、パリ。WBO最重要施設、『世界樹』のエントランスホール。その、中心である。
「あの、『パーシヴァル』、さん?」
(はい?)
淑女の問いかけに、学者は立ち止まり、にこやかな笑顔を向けた。しかし、彼は気付いていないのだろう。その笑みは、見るからに怒気を含んで、隠しきれていなかった。
己が才能を過信しているがゆえに、学者には、相手を卑下する癖がついていた。もちろん、彼自身はその事実について、まったくの無自覚ではあるが。
「この縄、解いて欲しいなぁ、なんて……」
淑女は、己が背を視線で示した。後ろ手に縛られ、自由が利かない自らの両腕の方を。
(ああ……)
学者は内心でだけ、そう一拍を置いた。
そして――。
「てめえらメスは、優秀な男の言うことを、黙って聞いてりゃいいんだよ」
そう、言った。
(大丈夫ですよ。すぐに解いてあげますから)
そんな心の声は、もちろん誰にも、聞こえない。
*
「無駄だよ、るーしゃん。あれ完全に、目がイってる」
淑女と背を合わせた司書長が、小声でそう言った。
「あんまり刺激しないで、助けを待とう。外に出てる司書さんたちも、そう遠くなく、帰ってくる」
もとより、建物の大きさに比して、あまりに少人数で切り盛りしていた施設だ。偶然、司書長と淑女以外の司書たちが出払ったタイミングを狙われた。いや、彼にそのつもりがあったかは解らない。が、ともあれ、現実としてはそうなっている。
エントランスホールで、両手両足を縛られたまま、転がされている。司書長と、淑女が。そして、その周りを、学者はぶつくさ言いながら歩き回っているのだ。
反撃は、できない。淑女の友人であるジャガー、テスは、彼女の『異本』、『箱庭動物園』に入ったまま、学者に取り上げられてしまった。司書長の持つ物も同様だ。『異本』がなければ、彼女たちはただの、か弱い女性でしかない。
そのうえ――。
「『マート・バートラル』に、『kq』まで使われたら、今度こそどうしようもない。むしろいま、一度でもその力を解除してくれたのは、千載一遇のチャンス」
学者の手元を注視しながら、司書長は言った。学者が、『世界樹』の最奥から盗み出した『異本』。『啓筆』、序列十二位、『マート・バートラル』。そして十三位、『kq』。その二冊を握る、手を。
「だからこそ、唯々諾々、従っていこう。従順に出てる限り、またあの『異本』を使うことは、きっとないから」
その『異本』のせいで、彼女らは縛られているのだ。記憶と感情。人間を相手取るにはあまりにも強力すぎる、そのふたつを司る、『異本』のせいで。
「縛られている……そうか、そうだ!」
おそらくさきほどの淑女の言によって、学者は現状を再認識したのだろう。そのように、なにかを納得する。
「この状況! いま僕は、このふたりを……好きにできる! そうだ! ふはは……! いやいや、落ち着け、メイリオ・フレースベルグ!」
学者は気障に、片腕を持ち上げ、その手先に恍惚とするような視線を向けた。そうして、高笑いである。その、ひとりごとのような言を、淑女たちは完全には聞き取れていない。しかし、悪い方向へ話が進んでいることは、理解できた。
「好きにできる。それだけなら、『異本』を使えば簡単だ。感情の『異本』、『kq』。これを用いれば、この僕に恋させ、従順に、奴隷のように扱うことすら可能。しかも記憶すら『マート・バートラル』で改変させ、過去のしがらみからすら解き放ち、万が一の感情変化さえ抑止できる」
ふはは……ふはははは。己が手に入れた『異本』について、彼は解説じみたことを口遊み、高笑いした。
「この『異本』が、僕の扱うべきもの! リュウさんもいつも言っているじゃないか! 『異本』は、扱うべき者の手に、あるべきだ!」
そしてそれは、世のため人のために、扱われなければならない。
「よし! 僕はこの『異本』を用いて、世界中の女子たちに――」
自主規制。彼は多分このあと、全年齢対象作品にあるまじきことを言った。それだけである。
「――差し当たっては、まずはこの子たちだ。僕はこの子たちを、幸せにする」
そう言うと、ようやく学者は、女子たちに向き直った。
「はあ……」
司書長が嘆息する。
ほんといやになるね。シンねえさん。
*
不思議な因果。と、言うべきか。司書長、ゾーイ・クレマンティーヌは、学者と同じ、ボローニャ大学の出身である。しかも、学者とは違い、飛び級での進学だ。学者はなにも知らないが、彼は、自分よりよほど才能あふれる先輩を、どうにかしようとしているのである。
ともあれ、そういう学歴も含めて、司書長も、自意識の強い人間ではあった。誰になにを言われても歯牙にもかけない。あるいは、この仕事の責任はすべて、上司である自分の責任だ、そう言えるような、懐の深さも持っている。
それでも、心に降り積もるストレスは、ないわけでもない。
表面を取り繕う『虚飾』にも、限界があるのだ。
私は、あなたのようになりたかった。そう、司書長は回顧する。三十数年前。ボローニャ大学で出会った仲間たち。いまでもこうして、つるんでいる、生涯の、仲間。
『家族』とも呼べる、人生の友。
さて、WBOは最終局面を迎えた。自分のもとへも、その解散が通達されている。
しかし。と、司書長は思う。
友情は、一生ものだ。と、そのように。
あのときの六人のうち、生き残ったのはふたりだけだ。残り四人は死んだ。そのうちふたりは、生き返ったとはいえ。
世界に、自分と釣り合う天才が、こんなにいるとは思わなかった。いや、正確には、才能とは、これだけ多岐に存在するのだと、知らなかったのだ。知識、知恵。それだけがすべてだった司書長には、知れるはずのなかった才人たち。それに触れて、世界が広がった。
あの感覚の、なんと心地よく、清々しいものか。
そんな感覚をくれた、世界を広げてくれた、大切な仲間の、その、最後の目的。
それに付き合わないで、いられるわけもない。
――では、『虚飾』を取り払って、笑おう。いつかの、自分のように。
馬鹿みたいに、幼く。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
冤罪で辺境に幽閉された第4王子
satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。
「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。
辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。
Re:コード・ブレイカー ~落ちこぼれと嘲られた少年、世界最強の異能で全てをねじ伏せる~
たまごころ
ファンタジー
高校生・篠宮レンは、異能が当然の時代に“無能”として蔑まれていた。
だがある日、封印された最古の力【再構築(Rewrite)】が覚醒。
世界の理(コード)を上書きする力を手に入れた彼は、かつて自分を見下した者たちに逆襲し、隠された古代組織と激突していく。
「最弱」から「神域」へ――現代異能バトル成り上がり譚が幕を開ける。
天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】
田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。
俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。
「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」
そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。
「あの...相手の人の名前は?」
「...汐崎真凛様...という方ですね」
その名前には心当たりがあった。
天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。
こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
灰かぶりの姉
吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。
「今日からあなたのお父さんと妹だよ」
そう言われたあの日から…。
* * *
『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。
国枝 那月×野口 航平の過去編です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる