箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
312 / 385
台湾編 本章 ルート『色欲』

Loveless,Endless.

しおりを挟む
 あれ? と、女は思った。

――こいつを倒して、おまえをめとる!――

――愛してるよ、ホムラ――

 青年の言葉が、いまさらながら頭に響く。
 あれって、プロポーズ? で、わらわなんて言ったっけ?

――あ、うん――

 ……うん。うんん?
 うんって言ってるね。うん? どういう意味の、『うん』?

「ちょ……ちょっと――」

 声を上げる。だが、そんな戸惑いがちの声では、盛ったオスどもの咆哮に掻き消えるだけだ。

「あははははははは! なんだ、案外やるじゃないかっ!」

 言葉通りだ。おそらく、彼は想定していなかった。
 青年が素手でも、これだけできるとは。

「努力……努力、努力、努力っ!」

 だが、もちろん彼に余裕などない。その体は動けど、すでに満身創痍だ。
 眼の光は消さない。だが、それ以外は無残なものだ。

 登場時からぼろぼろだった狩衣のような衣装は、もはや原形をとどめてない。その鍛え上げた肉体を見せつけるように、ただの布切れ程度の役割しか果たせていない状態だ。その内に見える肉体も、全身傷だらけ。あざだらけ。鬱血して、青く赤く、はれ上がっている。中性的で整った顔も、もう、見る影もない。ほとんど傷らしい傷も負っていない好青年とは、あまりに差があった。力量差が。

「キミは十分やったよ。だからもうそろそろ、そこをどけ。ホムラは、ボクがいただく」

 発達した犬歯を剥き出し、好青年は笑った。それを合図に、大きく、その強靱な脚をハンマーのように叩きつける。
 間一髪で青年は避けるが、その一撃は、床を、割るほどの勢いで豪快に揺らした。それに瞬間、動きを阻害される。
 その、身動きの取れないところへ、第二撃のハンマーが、落ちる。

 もはや、躱しようがない。そしてその一撃は、すでに人体の極限にまで達している。生中な人間が耐えられる威力では、おそらくない。
 そう理解しても、やはり、躱しようはない。

「努力。努力だ」

 それでも青年はうなされたように、そう、呟き続ける。

 努力を、続ける。
 努力を続けてきた自分を、回顧する。

 世界を揺るがすほどの鈍器が、彼の頭上を襲った。

        *

「努力が――」

「なぜだ――」

 彼らの声が、かぶった。

「足りないっ!」

「なぜまだ立っているっ!」

 怒号のような声が、さらにかぶる。

 瞬間、天敵を見付けた猛獣のように、好青年は大きく身を引いた。渾身の一撃を受けきった青年へ、ようやく危険意識が芽生えてくる。爽やかな笑顔は、もう、消えた。
 好青年自身としても、先の一撃は加減なく、本気を込めた一撃だった。即死させうる、とまでは言わずとも、それをまともに受けて、意識を保てるほどのものではないはずだ。

「努力が、足りない」

 うわごとのように、青年は繰り返す。見るに、もはや気力だけで立っている。体はもう、ぼろぼろだ。
 先の一撃で、さすがに腕は折れている。片腕は絶望的。もう片腕も、完全に折れてはいまいが、ヒビくらいは入っているだろう。頭頂からも血を流し、完全にガードしきれなかったと推察できる。それ以前の状態でも、とうに満身創痍だったけれど、それ以上に、もう、体は使い物にならないはずだ。

「こんなものじゃ、足りねえ……」

「足りない? ならばもう一撃――」

「足りないのは、身共みどものほうですよ」

 死にかけている。いや、もはや死んでいるといってもいい。しかし、眼が、死んでいない。どころか、さらにギラギラと、闘志を燃やしている。
 だから、危険を感知する。警戒に値する。……いや、どんなに気丈に振る舞おうと、体はもう死んでいるのだ。警戒する、というのは、おかしい。

 つまりこれは、恐怖だ。自分はいま、彼にビビっている。そう、好青年は理解する。

「たしかに足りないね。だが、そう落ち込むこともない。ボクの本気の一撃を、受けきったのだから」

「本気の一撃? なんだ、それは?」

「…………?」

 強がっているようには見えない。本気でそう言っている。少なくとも身体的に余裕など、もうないだろうに。
 好青年はいぶかしむ。だが、ただの獣には、人間の心など解りようもない……のかも、しれない。

「もっと努力、しなければ」

 青年が、動いた。

        *

 動いたかと思えば、倒れた。
 女の肩に、もたれかかった。

「もうよい。休め、シキ」

 というより、女が青年を、迎え入れたのだ。

「ホムラ……身共は――」

「知るか。『パパ』を殺したこと、妾はまだ、許しとらん」

「……許されるわけがない。……だが、許されたいと、思ってはいない」

「じゃろうな」

 言葉は気丈でも、もはや体は言うことをきかないらしい。女が力を込めると、素直に青年は横たわった。それはもしかしたら、心の衰弱も関係しているのかもしれないが。

 彼を横たえ、女は再度、立ち上がった。そうして、いまだ距離を隔てたままの、好青年に向き直る。
 そこにいたのは、もう、距離を隔てて小さくなった、ただの人間だ。人間であり、獣。

「どうした、獣? かかってこんのか?」

 その小さな姿を見て、女は余裕そうに、そう威嚇した。手を向け、かかってこい、と、ジェスチャをする。
 それに触発されてか、ぐるる、と、彼は喉を鳴らす。だが、即決に飛びかかってきたりはしない。まだ、なにかを警戒するように。なにかを、怖れるように。

「……やはりな」

 女は、言う。好青年へ向けた手を下ろし、視線も落とす。

 現代の、文明社会の、青年。
 古代の、自然と共生した、好青年。

 たしかに、戦闘において強靭なのは、後者だろう。彼らにとっては、生きること自体が、毎日、サバイバルだ。奪い、奪われ。それが日常の一部となっている。その中で生きるには、相当な精神力と、強靭な肉体が不可欠である。
 だが、反面、諦めも肝心だ。現代と違って、力を持つ者は、。武器や、兵器。現代技術を駆使した、最先端科学を用いた、人間には及びもつかない強力なアイテムを、彼らは知らないのだ。

 だから、限界に対して、彼らはあまりに無力だ。自分よりも強い相手に対して、歯向かおうという気概がない。自らの力で敵わない相手には、もう、立ち向かうすべがない。降伏し、命を乞うか、せめて、尻尾を巻いて逃げる他、ないのである。

なれの口から出る愛など――汝の言う努力など、その程度じゃよ」

 織紙四季こやつには、到底、及ばぬな。
 その言葉が、引き金を引く。怯えた獣を、刺激する。

「ホムラああああぁぁぁぁ――――!!」

 四足に這った姿勢から、最後まで獣のように、牙を剥いて飛びかかる。瞬発力は、やはり、さすがだ。数十歩も離れた距離を一息に、詰める。だが――

「身共の努力が、終わりと言ったか?」

 獣の目は、獲物しか捉えられない。
 倒れて、戦線離脱した青年の動きなど、認識の外だ。

「が……あぁ……」

 獲物を――女を仕留める寸前、そばに転がっていた青年に、切り裂かれた。斬り飛ばされた。
 なにものをも切断する、黄金の剣で。

「やれやれ」

 アクセサリーがジャラジャラと鈍く光る軍帽を目深に落として、女は、その光景からわずかに、目を逸らした。

「助けなど、求めておらんからな」

 そう、念を押す。
 が、やはり満身創痍だったのだろう。それを伝えるべき相手の意識は、もはや、なさそうだった。

「ホムラ……身共は……あなたを……」

 ただただ、うわごとを、あげている。
 まだまだ、呼吸をして、努力を――。

 地上20階。『総合訓練室』での痴情のもつれ。
 努力、継続。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

Re:コード・ブレイカー ~落ちこぼれと嘲られた少年、世界最強の異能で全てをねじ伏せる~

たまごころ
ファンタジー
高校生・篠宮レンは、異能が当然の時代に“無能”として蔑まれていた。 だがある日、封印された最古の力【再構築(Rewrite)】が覚醒。 世界の理(コード)を上書きする力を手に入れた彼は、かつて自分を見下した者たちに逆襲し、隠された古代組織と激突していく。 「最弱」から「神域」へ――現代異能バトル成り上がり譚が幕を開ける。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

処理中です...