箱庭物語

晴羽照尊

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台湾編 本章 ルート『憤怒』

その『憤怒』は動かない

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 吹っ切れて、さらに黄昏た。番犬の死体を放り捨て、寝転ぶ。どうせ血で汚れたのだ、もういいだろう。一度汚れたなら、もう、同じだ。

 やがて、誰かがやってきた。どうやら屋敷の使用人だ。メイドの服装をしている。彼女は、裏庭に寝転ぶ客人を見て、近付いた。だが、そのそばに打ち捨てられた死骸を見て、悲鳴を上げる。

 それを聞いて、ゴリマッチョも我に返った。まずいな、まだなにも、考えてついていない。その状況を、乗り切る言い訳を。
 ……いや、そもそも彼はなにも、考えてなどいなかったのだけれど。

「私が斬りました」

 人が集まり、騒がしくなった。その喧騒を割るように、凛とした声が、まだわずかに舌足らずな様子で、響く。その声に、人だかりが、裂けた。

 その中から歩み出た少年は、馬鹿みたいに白く、着飾っていた。煌びやかで、自己主張の激しい、純白のスーツだ。周囲の低俗たちとは違う、埒外の正装。でありながら、彼はさらに、浮いた様相をしていた。それが、腰に帯びた長剣。いくら古き良き時代を懐かしもうと、現代では法的に規制される、異常な姿。つまり彼はそんな装いであろうとも、誰にも咎められない、身分の者。

「彼がこちらの番犬に襲われておりましたので。残念ですが、斬るしか彼を救うすべがなかった。申し訳ない」

 さして申し訳なくもなさそうに、少年は言った。笑顔なのか、困り顔なのか、その双眸を、瞼の裏に隠したまま。

「しかし、ベリアドールくん。斬った、という割には、どうやら返り血のひとつもないようだが?」

 大人のひとりが、指摘する。
 その言葉を射すくめるように、少年は片瞼を持ち上げる。その先からは、しろがねの瞳。剣のように研ぎ澄まされた、眼光が覗いた。

「私が、返り血を浴びるほどの不心得だとおっしゃりたいのでしょうか」

 わずかに硬化した声に、指摘した大人も固まる。だが、まだ少しの余裕はあったのだろう。周囲の者もそうだが、みな、顔には出さなくとも、その纏う雰囲気には、少年を侮る様子が見て取れた。
 次期ダイヤモンド家を継ぐ者とはいえ、まだ、子どもだ。それにそもそも、彼ら『宝石の一族』を、嫌っている貴族も多かった。その特権階級ゆえに表立って反抗などできようもないが、彼らの目が届かない場所では、その悪口を言い合い、裏から彼らを貶められないかと暗躍している。そうして、劣る者たちは己の自尊心プライドを保っているのだ。

 平均から比べれば、よほど、社会的経済的に高みにいる彼らでさえ、そうなのだ。それを見て、やはり幼いゴリマッチョは、辟易とした。一度、道を踏み外している。それゆえにか、そのときの彼の顔には顕著に、行き場のない『憤怒』が刻まれていた。

「なるほど。しかし、いくら正当防衛とはいっても、番犬を殺してしまったとは問題だ。番犬だってこちらの財産だ。これは器物損壊だよ」

「もちろん、損失に対する補填は致しましょう。しかし、番犬を所有物とおっしゃるのなら、そちらの危機管理責任もお考えいただきたい。獰猛な番犬のいる裏庭への扉に、鍵もかけておられないとは」

 その正論に、多くの大人は眉をしかめた。指摘された貴族は顔を紅潮させ、小さく舌打ちをする。

「ダイヤモンド家のご子息には失礼だが、子どもがこういう問題にしゃしゃり出るものではない! 下がっていたまえ!」

 その、唐突な叱咤に、少年はひとつ、うつむいた。さすがにまだ少年だ。大人の怒号に圧倒されたのかもしれない。
 そう、幼いゴリマッチョは思った。だが、そうではなかった。

「理解に苦しみますね。私は、私こそがこの件の当事者であると名乗り出たまで。下がれというなら下がりますが、間違った判断をなされてもらっては困ります」

「それが出過ぎた真似だと言うのだ! 我々大人の判断の、その良し悪しに、子どもが口を出すんじゃない!」

「物事の正鵠を判断するに、大人も子どもも関係ないでしょう。大人だって間違うことはあるはずです。それとも閣下は、これまで一度も間違ったことがないと? さらには、この先、どのような未来でも、ご自身はなんらの間違いも起こさないということが証明できるのでしょうか?」

「屁理屈をこねるな! 目障りだ! 下がれ!」

「…………」

 怒り心頭に叫ぶ大人を前に、少年は黙って、立ち続けた。

「どうした! 下がれと言っている!」

「ご返答が、まだですので」

「はあ――!?」

 ふと、一閃。
 その者の眼前に、少年が切っ先を、突き付けた。

「これまであなたは、一度も間違いを犯してこなかったのですね? そして、未来永劫に亘って、ただの一度も、間違うことはない。そう証明できますね?」

 切っ先から逃れるように、貴族は後ずさりする。その間を、少年も、一歩一歩、詰めた。
 やがて、壁にぶつかり、動きは止まる。

「あなたが人生を通して、なんら間違うことのない聖人であるのなら、私も安心です。だが、そうでないのなら、当事者として私は、この件に対して口を出させていただきたい」

「おいっ! おいぃ! ダイヤモンドのご子息が乱心だ! こ、この私にっ! 刃を向けているぞっ!」

「どちらへ向けて、どなたへ叫ばれているのです? いま、あなたに話しかけているのは、私ですが」

「ボディーガード! おいっ! 早くこいつをなんとかしろっ!」

「失礼な方ですね。話をする気が、ないらしい」

 そう言うと少年は、剣を下げた。それと同時に、屈強なボディーガードたちが、走ってくる。

「ひひひ……。こりゃあ、ダイヤモンド家の汚点だなあ――」

「あなたと話をするには、いま少し、『ご乱心』が必要でしょうか」

「はあ――?」

「『秒桜剣びょうおうけん』――」

 瞬間、時空が歪んだように、その場の誰もが感じた。
 流麗な舞、の、ようである。しかしその実は、あまりに殺伐とした、ただの、暴力。

「――それでは、問答を続けましょう」

 十を越える数のボディーガードたちを一瞬で気絶させ、美麗に作り上げた笑みを、向ける。
 そんな少年を侮ることができる者など、もう、その場にはいなかった。

        *

 結果、少年の言葉は、それまでとは打って変わって、スムーズに伝わった。

 ゴリマッチョが殺害したはずの番犬は、少年が正当防衛のために斬ったものとして、穏便に収まった。少年は損失補填を主張したが、屋敷の主が、かたくなにそれを固辞した。それどころか、危機管理責任による損害補償をしたいとさえ言い出す始末である。

 その成り行きを、ゴリマッチョはただ、黙って見ていた。さして、興味がなかった。特段に自分が叱責されようが、罰を受けようが、あるいは少年に促されるまま救われようが、助けられようが、どうでも。

 ただ、少年の行動を見て、ゴリマッチョにも新しい思考が芽生えた。それは、少年が見せようとした――少年にそのような意識はあったかはともかく――それとは正反対なものだったろう。誰かを庇い、救う、正義の心。そんな高尚なものではない。

 力は、意見を押し通すのに、最適だ。と、そういう、思考だ。

「少々お時間よろしいですか、ライル卿」

 事件が落ち着き、その場が解散したころ、大人たちの視線を避けるような片隅で、ゴリマッチョは声をかけられた。自分を庇った、少年に。

「ああ、これはこれはベリアドール卿。先刻は、ボクなんぞを庇っていただき――」

 さして恩など感じていなかったゴリマッチョだ。そのうえ、彼はもう、仮面を被り続けることに意味を感じられなくなっていた。ゆえに、軽薄な様子で、応対する。

「貴君は、ここにいるべきではない」

 言いかけた言葉を、少年は鋭く、制してきた。美しく作った笑みから、その瞼から、わずかに銀の瞳を覗かせて。

「即刻に、お家を出られるべきです。それが貴君にとっても、コンスタンティン家にとっても、よろしいでしょう」

「はあ?」

 思いがけず、語尾は上がった。だが、取り繕う気には、ならなかった。ゴリマッチョも、そして、少年も。

「あなたの常軌は逸しています。貴族会ここは、人間を偽れる者たちが集う場所。感情を持って居座るような場ではないのです」

「なるほどね」

 幼きゴリマッチョは、理解した。

「あの状況のボクを庇うなんて、どんな魂胆かと思ったが、そういうことか。いや失礼。弱者を庇うことで悦に浸る、ただの自己満足だと思っていましたよ」

 もはや微塵も、言動を偽らない。このとき、はじめて心から、ゴリマッチョは振る舞った。

「ご乱心を起こして、その後、家を離れたなら、そりゃ当然、『あいつは追い出された』んだと、世間は思いますよねえ。だからあの場は、穏便に済ませた。ボクを追い出したうえで、と、世間に認知させるために」

「それが、あなたとお家のためですよ。その性格です。きっとは、息苦しかったでしょう」

「ああ、まったくだ」

 本当に、。そう思い、ゴリマッチョは、笑う。

「念のため言っておきますが、これは、私の独断行動です。ダイヤモンド家とはかかわりありません」

「本当に面倒だな。貴族ってのは」

 なにをするにも、お家を気遣わねばならない。

「……あくまで私が、個人的にあなたに助力したいと、そう思ったまで。まあ、どう理解されようとかまいませんが。たしかにこれは、個人的な『悦』による行動です」

「それで、具体的にはどうしろと?」

 少年に悪気はないだろう。しかし、彼の、まさしく『貴族然』とした言葉には、苛立ちを覚えた。だから、とっとと話を進めようと、ゴリマッチョは考えたのである。

「生涯、困窮しない生活を保障しましょう。コンスタンティン家には、私から話を通します。申し訳ないが、名だけは変えてください。そちらも、こちらですべて手続きを進めます。ご面倒はおかけしません」

「なるほどね。いい話だ」

「でしょう。でしたら――」

「だが断る」

 著作権かなんかがまずそうな言葉が、ゴリマッチョの口から飛び出した。少年の言葉も途切れ、わずかに、片眉が上がった。

貴族てめえらの事情なんか知るか。ボクはボクの好きにする。安心……は、できないでしょうが、それでも、家は、近いうちに出ますよ」

 少しだけ、表面上でだけ、言葉を取り繕って、ゴリマッチョは少年に、背を向けた。

「そうですか。……残念です」

 少年はそれだけを言い、それ以上、彼を追うことはなかった。

 その後、三か月もしないうちに、コンスタンティン家は崩壊した。当主は精神の病に罹り、その妻も屋敷に引きこもった。息子たちは離散し、一般社会で生活を始めたという。

 だが、その次男だけは、その後の行方が、杳として知れなかった。

 ――――――――

 ゴリマッチョは、『憤怒』していた。

 恨んでいた、とは、やや違う。他人に対して彼は、さして大きな感情を抱いてなどいない。

 ただ、怒っていたのだ。人にではない、環境――とでも、いうべきものに。

 生まれが悪かった。時代が悪かった。社会が悪かった。だが、それらを作り上げたのは、どこかの誰かじゃないことを、彼は理解していた。だから、向けるべき矛先が見つからない。倒すべき敵など、どこにも、いないのだ。
 だからそれは、理不尽な『憤怒』。誰に向けるにしても理不尽でしかない。ゆえに、己が内に溜め込むしかないはずの、『憤怒』なのだ。



「痛い……痛いよう……」

 佳人の動きは、扉に手をかけて、止まる。



 その『憤怒』は、だから、いつか――



「痛い……。痛い痛い。イタイイタイイタイイタイ――」

 口だけが勝手に、動き続ける。なにかを呟き、発散し続ける。



 ――ふとしたきっかけで、爆発する。



 佳人の、意識は、飛んで。

「イタイ。イタイ……」

 代わりに、誰かの声が、響く。ゴリマッチョの背後、いまにも扉を開けて出て行きそうな、彼女の――。
 その、怪物のごとき、様相から――。


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