箱庭物語

晴羽照尊

文字の大きさ
344 / 385
台湾編 本章 ルート『強欲』

ふたつの『毒』

しおりを挟む
『存在の消滅』。

 メイドの持つ『異本』、『ジャムラ呪術書』に備わる能力のひとつ。その『異本』、『ジャムラ呪術書』が閉じられている限り永続的に発生する、直径五メートルほどの範囲へわたる、存在の消滅だ。その範囲内にあるものは、まさしく、その存在を、消滅させる。見えもしないし、その消えた物体が発生させる音や匂いも、外へ拡散しない。

 本来、常時発動型として、アンコントローラブルに常に発生するその現象を、『ジャムラ呪術書』に適応したメイドは、コントロールできる。『ジャムラ』を閉じていても『存在の消滅』を発生させないようにできるし、逆に、開いた状態で発動させることすら可能だ。

 あるいは、その能力を、使用者であるメイド自身に付与し、外敵から感知されないようにもできる。だがこの技は、適応者とはいえ、メイド自身が己の存在を忘れかけ、精神的に参ってしまうデメリットがあるため、あまり多用はできない。

 ともあれ、彼女はこの数年、この能力を何度も使用し、身体になじむほどに利用してきた。その『毒』は、彼女の精神を少しずつ、蝕んだのだ。

 精神への、侵食。あらゆる『異本』には、多かれ少なかれ、これがある。それをWBOは、『毒性』と名付けた。精神を蝕む、毒だと。

 そしてそれは、あるいはEBNAにおいても、その研究の中で、似た現象を観測していた。つまるところが、『極玉きょくぎょく』による、精神支配だ。

 そして、あまりに酷似したこのふたつの『毒』は、いつしかメイドの中で、混然一体となってしまった。それは、彼女自身――あるいは、彼女の中にいる『もうひとりの彼女』にすら感知できないほどに、ゆるりと、じんわりと、進んだ。そして、気付いたときにはもう遅い。それはもはや、彼女の――彼女たちの一部となってしまっていたのだ。

 それは、彼女と彼女を、もう一段階、人間から昇華させる。

 すなわち、『神の領域』へと――。

 ――――――――

 いったい、なにを自惚れていたのか――。執事はこの数分の間に、何度も同じ感情に捉われた。

「ちょこまかと……ウサギかっ!」

「ええ、ウサギです」

 一対一での、この女性ひととの戦闘など、数年ぶりだ。いいや、正確には、世界の時間軸としては、十数年ぶりか。そう思う。地下世界で過ごしたことにより、現実世界との乖離ができてしまった、その代償。

 彼女と最後に戦闘訓練をしたのは、まだお互い、EBNAに所属していたころ。執事もたいがいだが、メイドは、組織の歴史的にも、もっとも幼少の頃より訓練を受けてきた存在だった。ほとんど、生まれたときからずっと、である。
 そんな背景も相まってか、彼女は本当に、優秀だった。ゆえに、執事は、彼女に一対一で勝利したことなど、一度としてなかったのだ。

「相変わらず、攻防ともに、バリエーションが少ないですね。力任せに押すのはおやめなさい」

「抜かせっ!」

 パターンは、たしかにある。それは執事自身も、理解していた。

 だが、一定の攻撃方法。それらの組み合わせや、発動方法、行動順。あるいはときおり混ぜる特殊行動をも踏まえて、ざっと億を超えるような一連の動きを、すべて的確に対処できる彼女メイドの方が常軌を逸しているだけだ。少なくとも執事は、仮に自分自身を相手取ったとして、その攻防にすべて完璧な対処をできるなど、ですら想定できない。

 であるのに、このメイドに――姉のように慕い、師のように崇めたこの人に、どうやって勝てばいい? なぜ張り合えると思ったのか? やはり執事は、その自惚れに後悔するのであった。

「くそっ……!」

 当てさせても、もらえない! その現実に、執事はつい、舌を打った。
 いまの彼女は、特異な力により、その存在を消滅させることができる。そのように、執事は理解していた。実体でありながら、虚像のように。幻のようにその実体を、有耶無耶に消し去ることができる。
 ならば、彼女はいま、攻撃を受けてもいいはずなのだ。どんな攻撃を受けて、仮に『死』に達するダメージを受けても、彼女はいま、大丈夫なはずだ。あの、倍返しの雷撃を受けても、いまだ存在していることがその証左である。

 で、あるのに、ちょっとした攻撃のひとつも、受けてさえくれない。躍起になって繰り出す執事の猛攻を、涼しい顔で躱し、受け流すのみだ。

「ダフネもたいがいだが――」

 元、EBNA、最強のメイドを想起し、その幻影を執事は、眼前に見るようだった。

「あなたも相当だ。アルゴ姉っ!」

 気迫を込めて繰り出した一撃も、やはり、最小限の動きで躱される。そしてそのまま、彼女はその腕を掴み――

わたくしなど、まだまだ――」

「くっ――!!」

 執事の言葉に合わせたのか、メイドは掴んだ腕を、すっと引き寄せ、覚束なくなった執事の足元へ、攻撃を仕掛ける。相手の力を利用し、弱ったところへ、最小限の力で対応する。あの、組織の誰もが憧れ、畏れた、戦術で――。

 執事はとうとう、みっともなく転がされる。

「あのお方の、足元にも及びません」

 それは、謙遜に聞こえた。それほどに、いまの執事にとっての彼女は、途方もない壁に思えたのだ。

 本当にいったい、なにを自惚れていたのか――。執事は改めて、そう思った。

        *

 そうだ、心を削る気だったのだ。それに気付いて、わずかに執事は、意気を取り戻した。いつまでも彼女に翻弄されるわけには、いかない。

「さて、そろそろ『異本』を――?」

 彼女は『異本』を回収するための時間稼ぎを――さらには、執事の心を折り、その後の逃走を成功させるための準備を、行っていたのだ。

 まったくもって、甘い。執事が彼女にとっても、少なくとも最低限、傷付けたくない相手であることも、わずかばかり作用しているのかもしれない。だがそうだとしても、甘い。

 ことここに至って、互いに無傷で、事を収めようなどと――。

「なあ、アルゴ姉」

 まったく、不甲斐ない。そう、執事は思う。そして改めて、女性の強さを知った。
 が、命と、それよりもよほど大切な誇りをかけて作り出した『隙』だ。執事は、全身全霊をもって、それを活かさなければならない。

「俺は、まったく甘かった。まだ貴女に、遠慮していた。あるいは、

「…………!?」

 メイドも、気付く。だが、一瞬だけ、もう遅い。

「貴女は、殺そうと思って殺せる存在じゃない。お嬢様は、ただ俺が、守るだけの存在じゃない。……懸命でよかったのだ。俺は、もう少しわがままで――」

 ――『強欲』でも、よかったのだ。

「『完全開放』」

 大丈夫だ。この精神を奪われようと、この心は消えはしない。
 彼女メイドを相手取るには、これくらいでちょうどいい。そして、彼女お嬢様はこの程度で、死にはしない!

「今度こそ、必ず――穿ち抜きなさい、『鳴降めいごう』!!」

 けたたましい光は、雷閃のそれではない。その持つ『異本』が、輝く姿。

「ガーネット――!!」

 まったく、間の抜けたことだ。メイドはそう思う。

 どうして、死んだと思ったのか? そもそも彼女は、死人だ。そこから異能によって復活している。であれば、一般的な人体を殺傷する程度のことで、どうしてまた、死に至ると思ってしまったのだろう?

 どれだけ『神』に近付こうと、結局自分は、人間だった。それはメイドにとって喜ぶべきことでもあったが、しかし、この状況を前にしては、悔やまずにはいられない。

 執事は、劣等感を抱いていた。自分よりもよほど優れた女性メイドに対して。

 だがメイドも、劣等感を抱いていたのだ。なんとまぶしい、まっすぐな弟に。馬鹿みたいな『強欲』を、ともに歩む異性と出会えた、羨ましい後輩に。

 だが――。

「まとめてかかっておいでなさい。その『強欲』――叩き折って差し上げます」

 だからこそ、負けるわけにはいかないのだ。
 己が存在を、認めるために。


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

冤罪で辺境に幽閉された第4王子

satomi
ファンタジー
主人公・アンドリュート=ラルラは冤罪で辺境に幽閉されることになったわけだが…。 「辺境に幽閉とは、辺境で生きている人間を何だと思っているんだ!辺境は不要な人間を送る場所じゃない!」と、辺境伯は怒っているし当然のことだろう。元から辺境で暮している方々は決して不要な方ではないし、‘辺境に幽閉’というのはなんとも辺境に暮らしている方々にしてみれば、喧嘩売ってんの?となる。 辺境伯の娘さんと婚約という話だから辺境伯の主人公へのあたりも結構なものだけど、娘さんは美人だから万事OK。

Re:コード・ブレイカー ~落ちこぼれと嘲られた少年、世界最強の異能で全てをねじ伏せる~

たまごころ
ファンタジー
高校生・篠宮レンは、異能が当然の時代に“無能”として蔑まれていた。 だがある日、封印された最古の力【再構築(Rewrite)】が覚醒。 世界の理(コード)を上書きする力を手に入れた彼は、かつて自分を見下した者たちに逆襲し、隠された古代組織と激突していく。 「最弱」から「神域」へ――現代異能バトル成り上がり譚が幕を開ける。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

おじさん、女子高生になる

一宮 沙耶
大衆娯楽
だれからも振り向いてもらえないおじさん。 それが女子高生に向けて若返っていく。 そして政治闘争に巻き込まれていく。 その結末は?

灰かぶりの姉

吉野 那生
恋愛
父の死後、母が連れてきたのは優しそうな男性と可愛い女の子だった。 「今日からあなたのお父さんと妹だよ」 そう言われたあの日から…。 * * * 『ソツのない彼氏とスキのない彼女』のスピンオフ。 国枝 那月×野口 航平の過去編です。

処理中です...