箱庭物語

晴羽照尊

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幕間(台湾編2)

The Eleventh Sin

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 人間には、十一の罪業が課されている。『憂鬱』。『虚飾』。『怠惰』。『色欲』。『嫉妬』。『暴食』。『憤怒』。『強欲』。『傲慢』。『狂信』。

 そして、最後のひとつが、『正義』だ。

 人間は、『正義』を振りかざす。大義名分のため、自己肯定のため。答えなどないあやふやな、曖昧模糊とした『正義』に、頼り、縋る。
 でなければ、立ってなどいられない。歩を進めてなど、いけないのだ。

 それほどに、人間は弱い。『正義』を掲げ、『正義』を祈り、『正義』を信じていなければ、なにもできない。
 立っていられず、先へも進めず。ただ人を愛することさえ、そばに居続ける理由さえ、はっきりと主張できないのだ。

 だから、人は『正義』を捨てられない。たとえどのように否定されても、自ら間違いと理解しても、それを手放すことは、絶対にできない。

『正義』とは、『己自身』だ。なによりも大切な、『自分自身』であり、それを取り巻く『仲間』や『家族』。自身を構成するすべてを肯定する、唯一の理由――言い訳だ。

 ――――――――

「おい……おいっ」

「……うぅん?」

 ぼやけた視界には、鮮やかな赤。それを見て、わずかにぞっとする。右腕の痛みが、その冷感と重なる。

「生きておるか、弟よ」

「うげ」

 現実を理解して、丁年は寝起きのせいか、素直な感想を発露していた。

「……いやそうな顔をするな。お姉ちゃんしくしくじゃぞ」

「そんなつもりはねえッスよ。ホムラの姉貴」

「ふむ……」

 弱々しい声に、女は神妙な顔をする。
 いや、ように、丁年からは見えた。

「姉貴……。そう呼ばれるのも、なんかぞくぞくするのじゃ」

「…………」

 平常運転だな、この人は。そう思う。
 実のところ、彼女がこの地に来ていることを、丁年は知っていた。彼の『異本』。『神々の銀翼と青銅の光』による、鏡の生成。その鏡を媒介とした、遠視で、女の存在を察知していたから。

「腕をやられたか? 疲れておるなら、お姉ちゃん、おんぶしてやるぞ」

「……いいッス。自分で、立てます」

 言いながら、丁年は立ち上がる。そして、少し前のことを想起した。

 佳人・麗人から『異本』を預かり、彼女たちは先に帰した。それで肩の荷が下りたのだろう。少しだけ休む気で、壁にもたれ、腰を下ろした。……どうやらそのまま、眠っていたらしい。
 そのことに背筋を冷やすが、時間を確認するに、ほんの十数分かそこら、眠っていただけらしい。ゆえに、胸をなでおろす。

「どうやら、このエリアはうまくいったようじゃのう」

「ええ、まあ」

 丁年が抱えている『異本』を見て、そう理解したのだろう。そのような視線を感じて、丁年も、相槌を打った。

「姉貴も、『異本』を回収してくれたんですね。なんなら俺が、ハクさんに渡しておくッスけど」

「ん? ……そうじゃな」

 肯定なのか判然としない言葉で、女は止まる。しかし、その後すぐに、回収したらしい『異本』を、丁年に手渡した。

なれ、末弟に用でもあるのか?」

 女は問う。その問いの意味を、瞬間、丁年は察しきれなかった。
 だが、すぐに思い至る。腕が、バキボキだ。それだけの怪我を負いながら、『異本』を男に渡すことを優先させる。その行動に女は疑問を覚えたのだ、と。

「……ある」

 戸惑ってから、のち、それでも、覚悟をしたような目で、まっすぐ。
 丁年は、そう、答えた。

「そうか」

 だから女も、そう、言う。

        *

「あら、お姉さま」

 そこへ上階から、メイドが降りてきた。すました顔をしてはいるが、その服装は乱れている。だが、とりたてて大きな怪我はないようだった。

「……と、シュウ様?」

 高身長の女に隠れて見えなかったのだろう。一瞬遅れて、メイドは丁年に気付いた。

「……また無理をなさいましたね。あなたという方は、まったく――」

 丁年の腕を見て、それでもどこか嬉しそうに、メイドは言った。目にも止まらぬ高速で、応急処置を施す。

「痛え……痛え! 力入れ過ぎなんスよ!」

「男の子なんですから、我慢してください。ちゃんと固定しなきゃいけませんからね」

 言い聞かすように、メイドは言う。楽しそうに。だから、やってることは正しくても、わざと力強く処置していることは明白だった。

「……じゃあ、保護者も来たことじゃし、わらわは行く」

 丁年の応急処置を見届け、女はそう言った。そそくさと、その場を去ろうとする。

「お待ちください、お姉さま」

 それを目ざとく、メイドは止めた。

「……あなたは、見届けなくてよいのですか。この物語の、結末を」

 メイドは、知っていた。その、神にすら届く認識で、理解していた。

 この物語の、結末。はたして、この先、どうするのか。

 だから、女を引き止めたのだ。その結末は、彼女にも関わりのあること。……だと、彼女自身は知らないだろう。それでも、できれば、見届けるべきだ。そう思って。

 引き止められて、女は、わずかに振り向く。軍帽を目深に下ろして、その表情を、隠すようにして。

「妾は、風来坊じゃ。汝ら、『家族』で見届けてやれ。末弟の、行く末を――」

 そう言って、下唇を、噛む。なにかを、悔しがるように。
 そうしてから、「それに」、と、続けた。

「こんな――弟や妹ばかりの楽園におっては、妾……おかしくなっちゃうもんっ!」

 そう捨て吐いて、女は走って行ってしまった。

「お姉さま……」

 唖然と、メイドは見送る。
 女をおかしくしてしまった、その元凶の言葉を、呟いて。

        *

 それと同時に、上階からまたひとり、降りてきた。焦った様子で。彼にしては似合わず、小走りで。

「あれ、いまの、姉さん?」

 女の赤い影を垣間見たのだろう。そう言って紳士は、息を整える。本当に珍しいことに、懸命に、急いできたのだろう。

「いや、それより――」

 よほど重要なことを思い起こし、首を振る。まだ整っていない息が、それで少し、また乱れた。

「メイさん、シュウ……大変です!」

 大きく肩で呼吸をして、紳士は俯く。
 それからゆっくりと、事実を、告げた。

 ――それを聞いて、彼らは、駆け出す。物語の、終着点へと。加減のない、懸命をもって。

 ――――――――

 ではそろそろ、『正義』の話を、始めよう。

 はたして、間違いを繰り返してきた。思い返すに、なんらうまく運ぶことなどなかった。そんな、後悔だらけの人生を、仕方がないから肯定するための、贖罪を。

 すべての始まり。――その、始まりの、終わりを。



 男と、壮年の、物語を。
 すべての始まりの、物語。
 その、第三章を。


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