婚約者のいる運命の番はやめた方が良いですよね?!

水鈴みき(みすずみき)

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抗発情薬

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「メアリーっ!!」

混濁した意識の中、セドリックが自分を呼ぶ声が聞こえた。

「今、薬を……! 間に合って……」

メアリーの口に薬を押し込み、セドリックは水を含んで口移しする。

「ん……むぅ……」

何度か繰り返し、ようやくメアリーの嚥下を確認すると、縋るようにメアリーを抱きしめてきた。

セドリックさま、わたしは大丈夫だから――

憔悴しているセドリックとは裏腹に、メアリーはセドリックの鼓動を聴いて安らいでいく。

しばらくするとメアリーの熱は下がり、意識が明瞭になる。薬が効いたようだ。

「セドリックさま」
「メアリー!!」

メアリーは強く抱きしめられた。
小刻みに震えているのを感じ、その背をそっと撫でる。

「良かった、メアリー……」
「ご心配をおかけしました……」

非常にスッキリした。今まで支配していたモヤモヤしたものが霧散し、今はいつものメアリーだと感じる。
心配そうに覗き込むセドリック。安心してと伝えようとするも、思ったより彼の顔がそばにあって――

か、かっこいい

発情の影響はなくなったが、セドリックが魅力的な男性であることに変わりはない。冷静になった分、ときめく胸がこそばゆい。

「薬が間に合って良かった。多分、発情過多オーバーヒート寸前だったと思う。離れていてごめん」

発情状態のメアリーの側にいなかったことを悔いているようだが、メアリーからするとむしろ良かった。薬がなければ完全に一線を超えていただろう。



医師が呼ばれて、簡単な診察を受けた。

「安定していて大丈夫でしょう。メアリー嬢には比較的緩いものを処方しています。自然に処理されるのが一番ですから」

セドリックはいくつか医者に質問――主に薬の使用頻度や副作用について聞いていた。

「体液が………」
「処理とは…………」

話は発展して『自然な性の処理』について論じている。
メアリーはもはや大赤面だ。耳を塞いで逃げ出したいけれど、セドリックに肩を抱かれ両の手を握られ叶わない。時折メアリーの様子を伺うためチラチラ見てくるが、本当にメアリーのことを思うならできたら見ないで欲しい。

恥ずかしすぎる……!!

大事なことだとはわかっている。貴族女性の務めである妊娠出産にしても『性』の話題からは切り離せない。
人は皆この恥ずかしさをどう克服しているのだろう。メアリーがおかしいのか? ……考えれば考えるほど顔が熱ってきた。さっき薬を飲んだばかりなのに。つまり、きっと、メアリーがおかしいのだ。

変態かもしれない。お嫁にいけなかったらどうしよう……

変態が運命の番なんてセドリックはなんて災難なんだろうとメアリーは思う。
ちらりとセドリックの様子を伺いみると、毅然とした態度で医師の話しに耳を傾けている……。

「本当に薬に副作用はないんだろうな」
「全くないというわけではありませんが、気にするほどのものではありません。せいぜい少し眠くなる程度です」
「だったらなぜメアリーはさっきから様子がおかしいんだ。顔が赤くなったり青くなったり」

ふぎゃあー。メアリーの話題がきた。

「僭越ながら、メアリー嬢の様子は薬や発情の影響ではなく『番』に出会った戸惑いかと思われます」
「戸惑い……?! 喜ばしいことなのに」

セドリックがメアリーを探るように見つめる。

「それは思春期過程における精通や初潮のようなものです。周囲のものはおめでたいと祝いますが、当人にとっては戸惑いが大きいでしょう。昨日まではいなかった『番』の存在に突然の発情。体の変化に身も心もすぐには馴染めません」
「成程」

医師は続けた。

「セドリック様の方が心身ともに成熟されていますし、発情時の対応など訓練されています。『番』にとって『番』の存在も発情もその行為も自然なこと。メアリー嬢も徐々に落ち着き慣れていくことでしょう」


医師が帰った後、メアリーは薬の入った銀の小匣こばこを渡された。

「女性用の抗発情薬だ」
「抗発情薬?」
「ああ。『うっかり発情してしまった時に飲むと楽になれる鎮静薬』だ。さっきみたいな時に飲むと良い。追加分はまた用意するから」

手のひらに収まるその小匣には精緻な彫金細工が施され、よく見ると王家の紋章が刻印されている。そういえばさっきの医者も普通の白衣でなく厳かなローブを着ていた。……まさか王家直属の医師ではないだろうか?
抗発情薬なんて聞いたことがない。王家秘伝の薬かもしれない。なんて恐れ多い。でも飲まなければ危険だ。その重みに、手が小さく震えた。

「メアリー、部屋を用意するから今日は泊まって欲しいんだけれど……」
「えっ?!」
「え?」
「すみません、お家に帰りたいです」

セドリックはメアリーの拒絶に驚いたようだ。お泊まりはダメでしょう。

「その、また発情状態にならないか心配だし……」
「大丈夫です! この『うっかり発情してしまった時に飲むと楽になれる鎮静薬』を服用したら楽になれるんですよね?!」
「そうだけれど……」

30分くらい意味のない問答を繰り返し、なんとか自宅に帰れることを取り付けた。セドリックは苦い顔をしていて不満気な様子だけれど。

セドリックさまは重過ぎる――

愛が重いんじゃない。セドリックは紳士的で将来有望な男性で女性の憧れそのものだろう。メアリーもセドリックが好きだ。
しかし彼は友人の婚約者だ。
王位継承権を持つ王家に連なる高貴な身の上だ。立場が重過ぎる。メアリーが到底求められる相手ではない。
例え『運命の番』だったとしても――。



セドリックは律儀にも馬車で送ってくれた。

「あ、ウチここです。ありがとうございます」

やはり馬車の中で隣に並んで座っていたセドリックに声を掛けると、その目が欲情を孕んでいることに気づく。
セドリックこそ『うっかり発情してしまった薬』が必要ではないだろうか?
なんとなくキスされそうな空気を感じて、さり気なく避けてそっと顔を伏せる。

「メアリー……」

切なげなセドリックの声。求めていることが痛いほどわかる。鎮静剤の効果は絶大でメアリーはキュンとしつつもさっきのような熱に支配される感じもない。

「……わかった、メアリー。せめてこれだけ」

セドリックはぎゅっとメアリーを包むように抱きしめてきた。さすがに拒否することはできずにそのまま受け入れる。

ひしひしと伝わってくるセドリックの深い愛情。
それは『運命の番』によるもので――。

エスコートを受けながら馬車から降りると、セドリックがメアリーの家を見上げていた。
我が家のタウンハウスは公爵邸とは比べ物にならないほど小さい。少し裕福な平民の家とそう変わらないだろう。庭はなくて往来に馬車を止めている。ウチの馬車と馬は近所の貸し厩舎に置いてあり、必要な度にそこから乗り付けるのだ。
さっきまでの豪奢な家と比べると、自分の出自が見窄らしく思えてくる。
しかしこれがセドリックとメアリーの愕然とした差で。

表の様子に異変を感じたのか使用人共々、現在タウンハウスを取り仕切っている兄が出てきた。

「!! ランカスター卿?! メアリー、一体どうして」
「トマス卿、先触れの通りだ。学内で体調を崩したメアリー嬢を我が家で介抱していた」
「そんな、恐れ多い……」
「畏まることはない。急患だったしその話はまたいずれ。メアリー嬢、大事をとって明日は休むと良い。遅くなるから今日はこれで」

セドリックはそっとメアリーの髪を撫で、トマスに挨拶をして帰っていった。

「メアリー、倒れたって大丈夫なのか?? 公爵家の世話になったなんて」
「え、ええ。公爵邸でお医者様にも診てもらいましたし、お薬も貰いました」
「健康だけが取り柄なのに」

善良な兄であるトマスは公爵家に迷惑をかけてしまった心象を気にしつつも、まずは妹の身を案じた。メアリーは体調不良をどう説明して良いかわからない。適当に言葉を濁していると兄嫁のサラが「早く休ませてあげよう」と取りなしてくれた。


疲れた……

自分の部屋に戻ったメアリーはようやく一息つけた。
今日あったことが走馬灯のように流れる。とてつもない一日だった。

無意識に自分の唇をなぞる。セドリックが今日何度と同じそれを重ねてきた。
嫌でなくて嬉しくて、もっとして欲しくて。
でもいけないことだ。セドリックとは住んでいる世界が違い過ぎる。
何より友達の婚約者だ。

「どうしたらいいの……??」

もともと小心な性格のメアリーにとって、結婚はしたいが略奪婚をしたいわけではない。

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まさか自分に訪れるなんて。

はぁ、と溜息がごぼれ落ちる。
メアリーの人生は平凡でよかったのに。あまりにも劇薬過ぎる。

会いたい。でも、駄目

さっきまで側にいたのに、もうすでにひどく寂しい気持ちが押し寄せる。

そっとセドリックに渡された銀の小匣を握りしめる。『抗発情薬』これがあれば大丈夫。数えたら十粒ほどあった。高価なこの薬をセドリックはまた用意してくれるという。
飲み続けていたら『番』の運命から解放されたりしないだろうか。
生きていけるのだろうか? セドリックなしで。

まずは明日、学校に行ってロザリーに粗相をした謝罪をしなければ。
……気が重い。
何度目かの溜息が部屋に消えた。


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