星の瞳

四津川 秤

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星の瞳

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    私に残ったのは、彼と過ごした数日間と赤く燃えるような瞳の色の記憶、それから少しのメモの束だけだった。

    ドアをドンドンと叩かれて覗き穴を見ると真っ暗な中でもはっきりと見える赤い瞳と必死にドアを叩く子供が見えて、ついドアを開けてしまった。見た感じ小学校高学年位だろうか。赤い瞳だなんて珍しいな、こんな男の子がカラーコンタクトでも入れてるんだろうかと寝ぼけた頭で不思議に思ったのをぼんやり覚えている。
    時計の針はもう二十三時を過ぎたところを指していた。外はもう真っ暗だ。こんな遅い時間にこんな見ず知らずの男の子が私の家を訪ねてきた事に驚き、寝ぼけていたのもあったのだろう、うっかり家に入れてしまったが最後。数日間、そのまま居座られることになってしまうのだった。

    部屋に入るとその男の子はきょろきょろと落ち着かない様子だったので、まずは椅子に座ってもらって名前を聞いてみることにした。ホットミルクを渡してあげると不思議そうに首を傾げていたが、私が自分の分に口をつけると男の子もおずおずと口をつける。暖かい飲み物で少しは落ち着いたようだった。
    このご時世、見ず知らずの男の子を夜中に部屋に入れたなんて誰かに知れたら警察のお世話になってしまうかもしれない。何かあった時に説明が出来るように出来るだけこの子供の事は沢山知っておきたかったので、先ずは名前を聞いてみることにした。
    男の子は洋服のポケットから小さなメモの束を取り出して、『平家星』と書いた。平家星、名字だろうか。それとも『平家』『星』だろうか。どちらにせよ随分と珍しい名前だなと思ったと同時に、最近どこかで聞いた覚えのあるような気持ちになった。
    歳は?と聞くと「覚えていない」と、驚くほど低く凛とした声で答えた。声変わりの早い子もいるし、まあ、と無理矢理自分を納得させたが絶対におかしいだろうと今になって思う。

    家は、家族は、連絡先は、と色々と聞いてみたが難しい顔で首を横に振られてしまった。家出だろうとは思うが、どうにも困ったものだなと私も難しい顔になってしまったようで、彼は少し不安そうな顔をしている。そんな顔をされてしまっては如何せん申し訳ない気持ちになってしまって、つい、「いつまでここに居たいの?」と聞いてしまった。その言葉を聞いて急に明るい顔をした彼を見て、しまった、と思ったがもう手遅れだった。被せぎみに「ほんの数日だけ、頼む」と言われ、私は押し負けて頷いてしまったのだ。

    それからは慌ただしかった。彼はあれがしたい、これがしたい、そこに行きたい、と元気一杯だった。勿論金銭面に関しては全面的に私持ちである。まあ、水族館や遊園地、図書館、ファミリーレストラン等、リーズナブルではあったが、有給を使ったり休みをずらしてもらったり私の職場には迷惑をかけっぱなしである。大変申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
    しかし、それにしても。大人びた声や話し方とは裏腹に随分色々なものが珍しいと思っているのだなあと内心不思議に感じていた。水族館のタッチプールで恐る恐る水や生き物に触れたり、遊園地では平気な顔をしてジェットコースターに乗っていたかと思えばお化け屋敷で飛び上がったり、図書館では開館から閉館まで真剣に図鑑やら新聞記事のスクラップやらの本を読み漁っていた。

    今思い返せば、本当にあっという間だった。

    一日目の夜に出逢い、二日目は朝から水族館に入り浸り、三日目は遊園地で私がくたくたに成る程色々な乗り物に乗って、四日目は二日目三日目からは考えられない程静かに真剣に本を読み耽っていた。
    どこへ行く時も、彼はあのメモ帳を持ち歩いていた。沢山のものを見て、それにひたすら何か書いていて、見せて欲しいと言ったらまだ駄目だと断られてしまった。気になるな、と思いつつ、私は五日目の今日彼を連れてファミリーレストランに足を運ぶのだった。

    やはり、ここでもメニューを見て目を輝かせている。あれも、これも、いやでも…と呟きながらチラチラとこちらの様子を伺っていて、ああもう好きなだけ食べなさい!と言ってしまう私も私だ。
    店員を呼んで注文をする。彼は食べたいものを指差して私を見るので、私が次々と注文していく。海老とアボカドのサラダ、フライドポテト、チーズハンバーグ、鳥軟骨の唐揚げ、チョコレートパフェ…。注文しているだけで胸焼けがしてきた。本当に食べきれるのだろうか、心配だ。それから私は普通のハンバーグと二人分のドリンクバーを頼んで注文を終えた。
    注文だけで疲れてしまったが、彼を連れてドリンクを取りに行く。この中からならどれでも好きなのを好きなだけ飲んで良いんだよと言うと、どうやら端から制覇するつもりらしい。一番右端のメロンソーダを取ってきて、なみなみに注がれたそれを慎重に席まで運んでいて、私はつい笑ってしまった。私もアイスコーヒーを手にして席に戻る。
    そわそわする彼を微笑ましく見詰めていると暫くして注文したものが運ばれてきた。テーブルにみっちりと並べられたそれらを見詰めながら、やっぱり彼はあのメモ帳に何かを一生懸命書き込んでいる。冷めてしまうから食べちゃいなさいと声をかけると慌てたように最後は殴り書きのようにしてメモを書き終えた様だった。

    注文したものを口一杯に頬張りながら嬉しそうに笑う。素直に可愛いなあと思った、そして、出来ればこのままずっと家に居てくれれば…と考えかけて頭を抱えた。まずい、その考えはまずい。私はまだ犯罪者にはなりたくない。私がうーんと頭を抱えていると彼が心配そうにこちらを見詰めている。そして、「今日で、帰るよ」と言い、私の頭をぽんぽんと撫でたのだった。
    ガツンと頭を鈍器で殴られたような気持ちになった。違うよ。平家星君が迷惑だとかそういうのじゃなくて、と真っ白な思考のまま必死に彼に話しかけたが、彼はやはりあの凛とした低い声で「今日までありがとう。とても楽しかったし、君のおかげでこの星が素敵だという事を沢山知る事が出来た」と言い、ぽかんとする私を見詰めた。その後は私の記憶は曖昧だ。沢山の料理を彼はぺろっと平らげ、私も何とか頼んだものを詰め込んで支払いをしてお店を出たのは覚えているが。どうやって家に帰ったのかはさっぱり覚えていない。

    家について、ソファーにへたりこんで彼を見た。彼の瞳は家に来た時よりも赤く、まるで燃えているかのような色をしている。「すまない、君といる時間があまりにも楽しくて言えなかった」彼は言う。
    「君が見たがっていたメモ帳は置いていくよ、そこに全て書いてある」
    「俺は平家星、ベテルギウス。超新星爆発間近の星だ。もう、時間がない。帰らなければ」
    頭がついていかない、何を言えば良いのかも分からない。ただ、私の瞳から一粒涙が溢れた。その涙を拭うように目蓋を撫でられ、私の意識はそこで途絶えた。

    次の日の朝目を覚ますと彼の姿はなかった。ソファーから飛び起きて家中の部屋という部屋を探す、やはり彼の姿はない。一頻り探し回って、最後にたどり着いた玄関で座り込んだ。かさっと音がして上着のポケットからあのメモ帳が横に落ちて無造作に散らばって、それを見て私はどうしようもない気持ちに襲われる。
    平家星?ベテルギウス?超新星爆発?通りで聞いたことがあると思った、どうして不思議に思った時に調べなかったんだろう。いや、もう遅いのだけれど。最近のニュース番組はそれで持ちきりだったじゃないか。
    馬鹿だ、私も。彼も。

    散らばったメモをかき集めて見つめ、その内容に胸を締め付けられるような気持ちになった。嗚呼、彼は遠い遠い星だったのだと。

    一枚目、「水族館」には「魚」が沢山いた。どれも何かを感じるのだろう、俺には近寄ってこなかった。だが、様々な種類のものが水槽という物の中でひしめき合い煌めき合いこの星の生き物の神秘を感じた。素晴らしかったが、彼女の姿も頭に残っている。微笑ましそうに俺を見つめる表情、俺がはしゃぐと綻ぶ口許、ふとした瞬間に俺から外れる目線の先、水槽を見る彼女の瞳に反射する煌めき、それもまたとても美しいと感じた。やはり、彼女の元へ来て良かった。

    二枚目、遊園地には不思議な「アトラクション」とやらが沢山あった。流れ星まで、とはいかないが「ジェットコースター」という物は中々スリルがあったし、「お化け屋敷」はあんな建物に誰が好き好んで入るのだろうと疑問を抱いた。俺は中々楽しかったが、彼女はどうやら結構疲れてしまっていたようだった。疲れたー!と言いながらベンチに座り込む彼女はなんだか可愛らしかったが、俺の最後の我が儘に巻き込んでしまって申し訳ない気持ちにもなった。

    三枚目、図書館。あれはいいところだ、この星の事が沢山分かる。絵本、漫画、小説、新聞のスクラップ、図鑑なんかも興味深かった。しかし、新聞のスクラップの最新のまとめに俺の名前を見つけた。「ベテルギウス、超新星爆発間近」。彼女に見られたくなくて、そっと記事を閉じた。一瞬、このまま彼女の傍に居たいと思ってしまって、その考えをかき消すように他の記事を見詰めた。

    四枚目、今日で帰らないとそろそろまずいと感じながらも彼女と二人でファミリーレストランへ向かう。ほんの少しだけ足が重たく感じたが、知らないふりをした。彼女に知られたくなかったのだ、こんな風にこんな数日で彼女に惹かれ、自分のあるべき場所に帰るのが名残惜しくなっていることに。「今日で帰る」と伝えると彼女は急にぼんやりしてしまった、気が抜けてしまったのだろうか。数日間面倒をかけてしまって申し訳ない、そんな反面やはり彼女と離れがたく思った。こんな気持ちになったのは長い間生きてきて初めての事で、不思議な気持ちだ。これが図書館で見た本に書いてあった恋慕という感情なのだろうか、悪くないな。

    溢れ出てくる涙がメモの文字を滲ませていく。最後のページには初めて会った時の事が事細かに書かれていた。
    空から見ていて私の事は知っていた事、部屋に入れてもらえなかったらどうしようか不安だった事、部屋の中は見た事のない物ばかりで少し落ち着かなかったこと。
    彼が書いた全ての文字が彼を思い出させた。もっと早くに私の所に来てくれていたら、なんて今さらどうしようもない事をぼんやりした頭で考えながら玄関に散らかしたメモを拾い集める。

    私がこんなにぐずっていては彼に笑われてしまいそうだ。少し肌寒い玄関からリビングに戻って、メモの束をそっと引き出しに閉まった。二人で写真でも撮っておけば良かった、時間が経てばいつか私は彼の顔も声も思い出せなくなってしまうんだろう。
    ただ彼のあの真っ赤に燃える星の瞳と、数日間で彼に抱いた気持ちはきっと私の中に永遠に残り続けるだろうと思う。
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