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第一巻 第三章 「その異世界人、好戦につき」
第三章 第十六節 ~ 憤怒のウサギ ~
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リングに立っていたのは、一匹の兎だった。
しかし、唯の兎ではない。
怒髪どころか怒ウサ耳冠を衝くと言わんばかりに身体を戦慄かせ、赤い瞳をギラリと光らせて、憤怒の様相をその顔に貼り付けている。
あまりの豹変ぶりに、彼女をよく知る者でさえそれが誰なのか一瞬わからなかった。
そんな肉食獣ですら尾を巻いて逃げ出しそうな雰囲気の彼女を前に、リオナはいつものように悪びれなく笑った。
「おや、見つかっちまったか。空から降って来るたあ、親方もびっくりだな!」
「何を、そんな、呑気に、してらっしゃるのです……? 街に出かけるのは構いませんが、あの書置きは一体どういうつもりですか⁉ 『正午までに捕まえられなかったら世界を滅ぼす』って⁉ 冗談でも言って良いことと悪いことがあるでしょうっ⁉
そ、それに……ケ、ケケ、ケッコン、だなんてっ‼ わ、私に断りも無しにっ‼‼」
「別に冗談で言ってるつもりはなかったんだが……。あと、結婚する気なんてなかったぜ?」
「え、そうなのですか? それなら、良かっ……ああいえ! 全然良くありませんっ! どうして、『世界を滅ぼす』なんて書いたんですかっ⁉」
「そうでもしねえと、オマエ本気にならねえだろ?」
「ええそれはもう本気になりましたともっ‼‼ こんな〝遊び〟半分で私達の世界を滅ぼされては堪りませんからねえっ⁉」
「……フ、遊び、ねえ……」
リオナはそこでミラに負けない程の荒々しい闘気を露わにし、肉食獣の瞳をして言った。
「……一つ、言っておく。確かにこれはオレが主催した〝ゲーム〟だが、決して遊び半分なんかじゃねえ。オレは、ゲームにはいつだって全力を尽くすし、手加減や舐めプなんて一切しねえ! 今回のゲームだって、テメェが本気を出さなきゃ――オレはマジでこの世界を潰してたぞ?」
リオナの声のトーンが僅かに下がる。
それだけで彼女が本気であることを悟るのはあまりに容易で、ミラは背筋がぞわりと震えた。
(……何でしょう、この感覚……。まるで、人よりも遥かに強大な影を持った何かと相対しているかのような……)
一瞬、これまでの怒りも苛立ちも何もかも忘れ、リオナの雰囲気に呑まれそうになった。
しかし、次の瞬間には、リオナは軽薄な笑みを浮かべていて、いつもの少年のような瞳に戻っていた。
それから、リオナは両手を頭の後ろで組み、遊びに誘うかのような気軽さで言った。
「……ま、今回の件に関しちゃあ、ハードモードが過ぎた部分もあったかもしれねえ。そこで、どうだ? この件、オレとテメェの一騎打ちで決着をつけるってのは?」
「い、一騎打ちですか⁉」
リオナの提案に目を見開くミラのそばで、その意見に賛同する声が聞こえた。
「ほほう、それは面白いね! どういう経緯があったかはわからないが、決闘で決着をつけるというのは、実に冒険者らしくてわかりやすいやり方だ」
「ハ、ハイドさん⁉ そんな所で何をしているのですか⁉」
地面に仰向けになっているハイドルクセンが、グッ!と親指を立ててきた。
ミラの落下の衝撃に巻き込まれていたはずだが、その様子を見るに、どうやら無事で済んだようだ。
怪我人と言えど、流石は高レベルの魔術師と言ったところか。
ハイドルクセンの声に、周りでミラ達のやり取りを見ていた観客達も声を張り上げた。
「おお、いいぞお! 早速新生チャンピオンの初試合が見られる!」
「決勝はそりゃあ熱い戦いだったが、正直もっと見ていたいと思ってたところなんだ!」
「さあさあ注目の一試合! チケットはまだ販売中だよー! 現在のオッズは……」
あちこちからミラとリオナの試合を期待する声が上がる。
それらを指差しながら、リオナはミラを挑発した。
「ほれ、見てみろよ。こんなにも期待されたとあっちゃあ、何もしねえで帰るわけにはいかないよなあ? さあ、オレとテメェのエキシビションマッチといこうぜッ‼‼」
「………………」
ミラは逡巡した。
自分とて冒険者としてある程度の経験は積んでいるし、レベルだって、この辺りの冒険者の平均と比べれば高い方だ。
だけど、リオナはとてもレベル1とは思えない強者であるし、第一こんな大勢が見ている前で戦ったことなど、生まれてから一度もない。
この状況で全力を出せるのか不安だった。
恐らく、全力を出さなければリオナには勝てない。
全力で戦うとなれば、当然手加減をする余裕もないわけで、もしまかり間違って自分の攻撃が彼女に致命傷を負わせることになってしまったとしたら、この世界を魔王の脅威から救うという自己の目的を果たせなくなってしまうかもしれない。
――それでも、
『――オレはつまらないと感じたなら、世界を滅ぼす。テメェは世界を救う為に、オレを楽しませる。つまるところ――これはそういうゲームなんだよ』
あの時のことを思い出す。
リオナはいつだって、純粋にゲームを楽しむ少年のような笑みを浮かべていた。
どれだけ絶望的な壁が立ち塞がろうと、己の実力を信じて疑わない眩しいくらいの強さをその心に抱いていた。
あの時に自分もまた決意したのだ。
彼女に並び立てるくらい強い自分になろうと。
彼女と向き合うには、自分もまた彼女と同じ強さを手にしなければならないのだ。
だから――
「……いいでしょう。その決闘、受けて立ちます! この私に勝負を挑んだこと、後悔させてあげるのですっ‼」
リオナに負けず劣らず挑発的な態度で、彼女の誘いを受け容れた。
会場はもう大盛り上がりだった。
急遽降って湧いた追加試合に、観客の誰もが興奮し、どちらが勝つかで張り合っている。
片やレベル1にしてチャンピオンズカップ優勝を遂げた駆け出しの英雄、片やこの≪サンディ≫の街で名の知れ渡った熟練の実力者。
どちらが勝っても不思議はない。
リオナは鋭い犬歯を剝き出しにしながら、ミラに言った。
「……いいぜ、楽しくなってきたなあ、オイッ!」
「フフ、楽しいだけじゃ済ませませんよ?」
「ルールを詰めようか。時間無制限一本勝負、武器・魔法は有りの回復は一切無し、相手の体力を削り切るか相手が降参した時点で試合終了! どうだ?」
「ええ、それで構いません」
互いに頷く。
それから、リングに引かれた開始線へとそれぞれ移動し、戦闘の構えを取った。
会場が静寂に満ちる。
表彰の準備を進めていた司会は、自らの職務を全うすべく司会席に戻っていた。
予定外の仕事でも誠実にこなそうとする姿勢は、職務熱心で好感が持てる。
その司会が、アドリブで考えた試合前のコールをよく通る声で叫んだ。
「さあさあ、とんでもない展開になってしまいました! 突如空から現れたウサ耳少女と、たった今決勝戦で勝利を収め、闘技場チャンピオンへと就任した現チャンピオンが、この闘技場のリングの上で決闘する流れとなりました! 予定には無い試合ですが、どうぞ皆様、最後までお楽しみ下さい‼‼」
パチパチパチ、と観客達から拍手が巻き起こる。
リオナと対峙するミラが、ごくりと唾を飲み込んだ。
試合が始まる直前、リオナが決闘に更なるルールを付け足した。
「……あ、そうだ。ついでに、〝勝った方は負けた方に何でも一つ好きな命令を下せる〟ってのも付け足そうぜ!」
「な、何でも、ですか……?」
「ああ……何でも、だ」
リオナが意地の悪い笑みを浮かべる。
彼女の頭の中で、一体どんな命令の候補が挙げられているのだろうか。
ミラはブルリと身震いしたが、
(……いえ、私が勝てばいいだけの話です。あのリオナさんに何でも一つ命令を下せるとすれば、これはまたとないチャンスではないでしょうか……?)
「……いいでしょう」
「よし、決まりだ!」
リオナの本気度が三割増しになった気がする。
何を企んでいるのかは知らないが、碌でもないことだけは確かだろう。
ちょっと迂闊だったかと思ったが、一度首を縦に振ってしまったのを撤回するのはできない。
そんなのは、彼女のプライドが許さなかった。
(……大丈夫、リオナさんの戦い方は以前の戦いで記憶しているし、逆にリオナさんの方は私の戦い方を知らないはず。私に圧倒的に有利な条件。ならば……)
動きを見切られる前に、速攻でケリをつける。
これが最も勝利に近しい戦い方だ。
脳内でリオナの初手の行動を予測しながら、ミラは試合開始のコールを待った。
一方、
(……ミラがどの程度のレベルなのかは知らねえが、敏捷性はなかなかのモンだった。装備しているのは〝ムーンダガー〟に……敏捷性上昇と〝潜伏〟効果のある〝風来のマント〟か。兎人族は敏捷性と魔力量に優れ、状態変化魔術を得意とする種族。その能力的特性から見ても、十中八九〝魔術師〟だろう)
リオナもまた観察から得られる僅かな情報をフル活用し、ミラのステータスを大まかに暴いていった。
無論、これらは推測の域を出ないのであるから、過度な信頼は避ける。
可能性が高い順にいくつかのパターンを脳内に入れ、瞬時に反応できるよう身体との連携を確認しておく。
戦いは始まる前から既に始まっている。
両者が互いの行動を予想している間に、司会のコールが響いた。
「それでは、早速参りましょう! 第六十三回チャンピオンズカップエキシビションマッチ、リオナ選手VSミラ選手! レディィィィィイイイイ――、ファイッ‼‼」
「いきますよっ‼‼ リオナさんっ‼‼」
「ああ、来いよミラッ‼‼ テメェの本気をぶつけてみやがれッ‼‼」
彼女達の異世界を賭けた本気のゲームは、神でさえ予想できない程の劇的な展開を見せる予感を孕んでいた。
応援ありがとうございます!
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