なないろのゆめ

棘草

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プロローグ&第一部

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プロローグ

 ベッドの上、白いふとんにくるまれながらきみはしずかにねむっている。まどの外はまっくらやみ。星のない夜だ。その静寂の底に、ぼくたちがいる。きみの白くまるいほほは、蛍光灯のあかりのもと、お月さまのようにほの白くかがやいている。
いつまでも眠ったままの、きみの幼い顔を見るのが、途方もなくつらい。悲しみには慣れっこだったはずだ。それでも、胸がつぶれそうになる。目の奥がジンジンとほてって、涙のしずくがあふれだし、しずかに頬をつたっていく……
 きみの手をとる。きみのちっちゃくてやわらかな手を、ぼくのかわいた、大きなてのひらでつつみこむ。そうすると、やさしいぬくもりがぼくの手につたわってくる。目覚めることはないけれど、きみは、やっぱり生きているのだ。きみの身体には、あつい血潮が流れていて、きみのたましいはまだそこにある。
 たましいは夢を見るだろう。夢の中のきみはきっと、風とともに世界をめぐっているのだろう。山を越え、海を渡り、地平線を越えて……昼と夜と、あしたとあさってと、過去と未来とをいっぺんにかけぬけるのだろう。
 ならばぼくも、夢のことばで、きみのたましいに語りかけよう。きみのそばで詩を読みつづけよう。
 ことばが時を超えるという信念を、かたく胸にだきしめて――


「はじまりのうた」

 うちゅうのまんなかで はじまりがはじけたとき
 さいしょのあいがうまれた あいはどくどくみゃくうって ほのおよりもまぶしくもえた
 あいはすべてをあいしてた みるものすべてにいろをぬり みるものすべてにほおずりをした
 あいはひたむきだった がむしゃらで あせっかきで このよのすべてにこいをしていた

 あいがことばをはっするたびに きらめくほしがうちゅうをかざり
 あいがまぶたをとざすたび とりがよぞらをかけめぐる

 あいがどきどきするたびに みどりのしんめがふくらんで
 あいがおどりをおどるたび ひるとよるとがくちづけかわす

 えいえんのときがすぎさろうと けっしてかわらないもの
 うちゅうのはじまりといっしょに そこにあいがうまれた


○第一部 ふしぎな島

 
その一 はるかぜの舟にのって
 
 真夜中の海の上、あたたかなはるかぜの舟にのって、海鳥の鳴き声や、ふわふわした白いわたげといっしょに、ひとりの少年が旅をしていた。
 少年の名は、コウちゃんといった。雪のように白いかみと、まっ黒なひとみ、ふっくらしたほっぺをもつちっちゃなおとこのこだった。あたたかな春風はコウちゃんをやわらかくくるみ、ゆりかごみたいに、その身体をそよそよゆすっていた。コウちゃんはまどろみながら、そっとうす目をあけて、瑠璃色にすみわたる空と海を見つめつづけた。夜空には、銀色の星々がいっぱいにちりばめられていて、海はしずかになぎ、さざなみの音が、おだやかに響きつづけている……。
 空のいっとう高いところに浮かぶ、お月さまの、氷のように冷たく澄んだ、銀のひかりをあびながら……夢をみる……夢をみる……色とりどりの夢のあわが、夜の静寂の中、ふくらんでははじけ、ふくらんでははじけていく……
 夜明けのときがおとずれる。おひさまのさいしょのひかりが夜空にさしこんで、紺色の闇があわくあかるんでいく。白いひかりをあびながら、海原が、宝石みたいにキラキラときらめきだす。あたらしい朝がやってきたのだ。
 はるかぜはコウちゃんを、白い砂浜の上へと運んだ。コウちゃんは砂浜に降り立つと、空を見上げた。海鳥といっしょに海原を渡っていく、さわやかな朝の風のことを、コウちゃんは手をふって見送った。
 ときがめぐる……ときがめぐる……あたらしい一日が、今、はじまろうとしている……


その二 老人ともえちゃん

 行くあてもなく、砂浜を歩いていると、コウちゃんはある人に出会った。まっ白な髪と、瘦せた身体を持つ、のっぽの老人だ。老人は白いシャツと、短いズボンにビーチサンダルを身につけて、砂浜の上で寝そべっている。
 コウちゃんは老人のことが気になった。老人のもとまで歩いていって、声をかけてみた。
「ねえ、ねえ、あなたは、なにをしているの?」
老人は、ふしぎなものを見るような目つきで、コウちゃんのことをしげしげと見た。老人は、大きなあくびをした後で、答えた。
「何もしてないさ。ワシはここで寝そべって、ひざしを浴びてるだけさ」
「それって、たのしいの?」
「楽しくはないよ。でも、悪いもんじゃないさ。おひさまのひかりを浴びながら、潮風に吹かれているときだけは、イヤなことを忘れられるからね」
「イヤなことって、どんなこと?」
 老人はそっぽを向いた。コウちゃんに背中を向けて、ごろんと横たわって、目を閉じた。ぶあいそうな人だなあ、コウちゃんはそう思ったけれど、他に行くあてもなかったから、自分も老人みたいに寝っころがった。でも、あんまりおもしろいとも思えない。おひさまは、だんだんと空の高いところへ登っていき、それにつれて、空気もじわじわとあつくなっていく。肌を焼くひざしのあつさを感じているうちに、コウちゃんは、もうガマンできなくなった。起きあがって、老人の身体をゆさゆさゆすった。
「おじいちゃん、おじいちゃん、おきようよ。こんなことしていても、つまんないよ」
「うるさいガキだなあ」
 そう言いながらも老人は立ちあがり、砂浜にしかれていた敷物をクルクルと丸め、脇にかかえた。
「どこへいくの?」
「家に帰るんだ。もうすぐ、雨が降るからね」
 コウちゃんはきょとんとした。あんなに空が晴れているのに、もうすぐ雨が降るだなんてとても信じられなかった。
「どうしてわかるの?」
「長く生きてるからだよ。長生きしていると人間は物知りになるんだ」
「ものしりだと、きょうのてんきがわかるの?」
「今日だけじゃない。明日の天気も、あさっての天気も、自分がくたばる日の天気だって、全部わかってしまうんだ」
「すごいなあ。てんきよほうもいらないじゃない」
「すごいもんか。ワシは年寄りなだけだ。年を取ることなんて、どんなバカにでもできる!」

 老人の予言は当たった。コウちゃんと老人がいっしょになって砂浜を歩いているうちに、風が強くなってきた。灰色の雲が空をおおい、雨のにおいがあたりにただよい、銀色の雨粒がパラパラと注ぎはじめた。
雨風は、どんどん勢いを増していく。海岸ぞいに立ち並ぶ、背の高いヤシの木は、風の中で大きくゆれ動いていた。雨をたっぷりすった海は、波かさを増して、さかんに波打ちしぶきをあげた。黒々とした海原の上に、とぎれることなく雨粒が注ぐ。数えきれぬほどたくさんの、透明な波紋が、次から次へと生まれ、広がっては、消えていく……
「ねえねえ、おじいさん。かぜがさけんでいるよ。くもがイライラムカムカしていて、おっかないってさ。たぶん、もうすぐカミナリがおちるよ」
「風? 風が叫ぶもんかい」
「ほんとうだよ。かぜはぼくのともだちなんだからね。あっ、ほら」
 コウちゃんは空を指差した。そこがピカッと、まっ白に輝いたかとおもうと、青白い光のすじが空を走った。少し遅れて、雷のとどろく大きな音が、コウちゃんたちのもとまで鳴り響いてきた。
 老人は目を丸くして言った。
「まさか、ホントに雷が落ちてくるとは! さっさと家に帰らないとなあ……」
 老人の足取りは早くなった。コウちゃんもいっしょうけんめい走って、老人の後についていった。
その途中のことだ。コウちゃんは、砂浜の上に立つひとりのおんなのこを見つけた。
(あら、こんな雨の中、何をしてるんだろ?)
 コウちゃんはふしぎに思った。そのおんなのこはふたりのすがたをみつけると、手を振りながら、小走りに、こちらへ歩み寄ってきた。
「おじいちゃん、だいじょうぶ? あと、そのおとこのこは、だれ?」
 ふしぎなおんなのこだった。キレイなみどり色をした、ハスのはっぱのカサをさしていた。おんなのこの髪は、若草色をしていて、瞳は透きとおるようなふかみどりだった。お人形みたいに整った顔だちで、手足がスラっとしている。コウちゃんよりも年上の、かわいらしい、娘ざかりのおんなのこだった。
「砂浜で出会った、ヘンテコなボウズさ。それよりもえちゃん、カサを持ってきてくれたのかい?」
「ええ、そうよ。ちょっと待っててちょうだい」
 もえちゃんは、肩からさげていた黄色のカバンから、黒っぽい、ちっちゃなタネをふたっつとりだした。もえちゃんがタネを口もとに近づけて、ふうっと息を吹きこむ。すると、たちまちタネは芽を出してすくすくと伸びていき、大きなハスのはっぱになった。
「わっ、すごいなあ」
 コウちゃんは思わず、驚きの声をもらしてしまった。
「うふふ、おもしろいでしょう? ところであなたはだれ? よかったら、お名前を聞かせてくれないかしら」
「ぼくはね、コウっていうんだ。かぜがともだちでさ、はるかぜの舟にのって、うみをわたり、このすなはままでたどりついたんだよ」
「へえ、コウちゃんね。名前を教えてくれてありがとう。わたしはモエギって言ってね、人間じゃなくて、お人形なの」
「えっ、おにんぎょう!?」
 コウちゃんはびっくりした。たしかに、お人形みたいにかわいい顔をしているけど、どこからどう見ても、もえちゃんは、人間にしか見えなかったのだ。表情もしぐさもすごくしぜんで、人間とまったく変わらなかった。
「ええ。あるきっかけでいのちを手に入れただけで、もとは人形なの。でも、わたしからすると、あなただって同じくらいフシギな子だわ。風の舟にのってやって来ただなんて、はじめて聞いたもの。ねえ、良ければうちに来て、おはなしを聞かせてくれないかしら? おいしいごはんをごちそうするわよ」
そう言ってもえちゃんは、おじいちゃんとコウちゃんに、カサを渡した。受けとってみると、カサの持ち手はひんやりとしていて、グニグニしたさわり心地だった。
「あなたは、風がお友達なんでしょう? でもわたしは、植物がお友達なの。植物とお話ししたり、いっしょに歌を歌ったりすることだって、よくあるのよ」
 もえちゃんはそう言うと、コウちゃんに向かってかわいらしく微笑みかけた。コウちゃんもそれにつられて、にっこりと笑った。こうして三人は、雨風がふきあれる海岸を後にし、老人ともえちゃんが暮らす岬の家に向かったのだ。

 岬に建てられた、まっ白な壁をもつおしゃれな家。そこが、もえちゃんと老人の住むお家だった。家の前には小さな花壇があって、色とりどりのキレイな花が、あざやかに咲きほこっていた。
 花々は風にあおられ、バタバタと花びらをはためかせながら、威勢のいい声で歌を歌っていた。

 ――ほんとうに つよい花はね あめとかぜ やってこなけりゃ わからんものさ♪
 ――ほんとうに きれいな花はね つちのした りっぱなねっこを ひめてるものさ♪

 「かぜも、うたうのがうまいけれど、はなだって、いいこえでうたうね」
「花って言ったら、ふつう、おだやかでかわいらしいものだけど、この子たちは真逆なの。歌ったり、踊ったり、わいわいさわぐのが大好きなのよ」
 雨音にまじって聞こえてくる、花々の歌を聴きながら、ふたりは立ち話しをしていた。けれど老人はそんなもの、どうでもいいみたいで、ぶっきらぼうな声でいった。
「おおい、もえちゃん、早く中に入れておくれ。さっきから、鳥肌がたってるんだ」
「あっ、ごめんなさい。待っててね、いまカギを開けるから」
 こうして三人はお家の中に入った。

 もえちゃんはコウちゃんと老人に、白いタオルを渡してくれた。おひさまのかおりがほんのりと漂ってくる、ふわふわしたタオルだった。ふたりはそれで、びしょぬれの身体を拭いた。うすぐらい部屋の中、暖炉がパチパチと音をたて赤々と燃えさかっている。もえちゃんはハスの葉のカサを、火のそばに近づけてあぶった。はっぱはみるみる小さくなっていき、もとのちっちゃなタネに戻ってしまった。もえちゃんはハンカチでタネをていねいにみがくと、カバンの中へもどした。
 もえちゃんはキビキビと働いて、三人分のコーヒーをいれてくれた。コウちゃんのコーヒーはお砂糖と牛乳がたくさん入った、とっても甘いヤツだった。三人は暖炉のそばのテーブルを囲んですわり、ゆっくりとコーヒーをすすった。
「ねえねえ、コウちゃん、あなたはいったいどこから、この島へとやってきたの?」
「どこから? うーん、おもいだせないや。よるのうみをわたったことは、ちゃんとおぼえてるんだけど……。ねえ、ところで、このしまはどんなばしょなの?」
「海の真ん中の、大きな島よ。景色はとってもきれいだし、お魚もおいしいの。ただね、みんな少しだけ夢見がちなの。空も、海も、太陽も、お花も、虫も、海鳥も、みんな歌うのが好きでね、でも、夜部屋で寝ていると、窓の向こうから海の鳴く声が聞こえてくるのよ。夜の海って、すごく悲しそうな声で鳴くの。しおかぜがビュウビュウと音をたてて、さびしい響きを奏でるわ」
「うみは、どうしてそんなにかなしがってるの?」
「言い伝えだとね、海で遭難して、帰れなくなってしまった人たちの、悲しい魂が鳴いているんだって。海って、すごくきまぐれなのよ。あるときはおだやかに、夕日の色に染まって美しく凪いでいるクセに、あるときは、風やカミナリといっしょになって、怒り狂い、たくさんの生き物を殺してしまう。運悪く、そういった日に海にいて、髙波にさらわれ、渦潮に巻き込まれ、深く暗い水底に沈んでいき……。身体はすっかり朽ちて、白い骨になってしまったのに、魂だけは帰る場所もわからず、いつまでもさまよい続ける。夜が訪れるたびに、波間をただよいながら、「帰りたい、帰りたい」と悲しい叫び声をあげる……そう伝えられてるの」
 コウちゃんはおもわず、身震いした。もえちゃんのはなしがとてもおそろしかったのだ。
「ぼく、すごいことしてたんだなあ。よく、うみのうえをわたってこれたなあ」
「風とお友達で、本当によかったわね。風ってわたしからすると、海と同じくらいきまぐれに思えるのに、コウちゃんとは、とっても仲が良いのね」
「もえちゃんだって、そうじゃない。ぼく、はながうたってるところなんて、いままでみたことなかったよ。もえちゃんとなかがいいから、うたうんでしょ? ぼく、すごくおどろいたな」
「そう言ってくれると、うれしいな」
 もえちゃんはにっこりと、かわいらしくほほえんだ。なんだか、みていると、心がぽかぽかしてくるような、あったかいほほえみだった。コウちゃんももえちゃんに、うれしそうに、ほほえみかえした。気づけばふたりはすっかり、友達になっていたのだ。


その三 ずるかしこいヘビ

 雨は一日中降り続け、とうとう夜になってしまった。コウちゃんは老人の家に泊めてもらうことにした。あまっている部屋がひとつだけあったので、そこにふとんを敷いて、眠りについた。
「おやすみなさい、コウちゃん」
「うん。おやすみなさい、もえちゃん、おじいちゃん」
 コウちゃんはふとんの中にもぐった。海の鳴く音は聞こえてこなかった。あいかわらず風がとても強く吹いて、窓ガラスをガタガタと震わせていた。
(きょうはすごく、お世話になっちゃったなあ。夕ご飯もごちそうになっちゃったよ。ツナのスパゲッティに、あつあつのコンソメスープ、レモンをかけたタラの塩焼き、大粒のとれたてのプラム。ぜんぶぜんぶ、おいしかったなあ……)
 風のうなりに耳をすましながら、青みがかった夜の闇の中で、コウちゃんはそんなことを考えていた。
「……あれ?」
 コウちゃんはあることに気づいた。風の音とはちがう音が、ドアのむこうから聞こえてくる。重い何かが引きずられることで、家の床がギシギシときしむ音。コウちゃんはドキッとした。音は少しずつ、大きくなってくる。コウちゃんのいる部屋にだんだん近づいてくる。コウちゃんの心臓が、ドクドクドクドクと苦しいくらいに早く脈打つ。
 音が、とつぜん止まった。そして、ドアのむこうから声が聞こえてきた。
「おおい、あけろぉ、ここをあけてくれぇ……」
 ゾッとするほどぶきみな声だった。ガラガラにしゃがれていて、みょうにねっとりしていて、耳にまとわりつくようだった。コウちゃんはそれがおそろしくて、頭からふとんをかぶり、耳をふさいだ。それでも、まだ聞こえてくる。しつこく話しかけてくる。
「あけないならば、丸吞みにしてしまうぞ。牙をつきたて、毒の汁を流しこむぞ。おまえの身体をしびれさせ、生きたまま食べてしまうぞ。こわいだろう。こわいだろう。ドアさえあければ、食わないでやるぞ。恐怖から救ってやるぞ……」
 コウちゃんはもう、恐怖につぶされてしまいそうだった。だけど、そのときだった。ドアの向こうの何者かとは違う、もうひとつの声がどこからともなく聞こえてきたのだ。とてもやさしくて、それでいておごそかで、力強い声。その声はどうやら、「詩」をよんでいるようだった。

「まよなかのし」
 
 そらがまぶたをとざしたら
 もうくちぶえをふいてはダメだ
 あくまをまねいてしまうから
 
 そらがまぶたをとざしたら
 もうカーテンをあけてはダメだ
 ししゃがまどべをよぎるから

 ひとさらいはききみみたてて
 ゆうれいたちはクスクスわらう 
 いつまでたとうとかわらない 
 ひかりのしんだ やみよのおきて

 よるがこわくてねむれないのかい
 まよなかのわらいをきくのがこわいのかい
 それならばきみのそばにいよう
 きみのてを つよくにぎろう

 おつきさまはいつだって 
 こどものことをみまもっている
 それでもゆめがこわいなら
 まよなかのしを きみとつむごう


 詩をうたう声は少しずつ大きくなっていく。もう、ドアの向こうからの声は聞こえてこなかった。床のきしむ音もしなかった。かわりにコウちゃんは、だんだん眠くなってきた。とびらの向こうのだれかへの、恐怖だって、忘れてしまった。まぶたが重くて、たまらなくなって、コウちゃんは目をつむった。やわらかなまどろみが、水のように、すうっと意識にしみこんでいった。
 
 夢の中でコウちゃんはふしぎな景色を見た。白い灯りにてらされた、小さなお部屋の真ん中に一台のベッドがおかれている。ベッドの上では、コウちゃんとそっくりのこどもが深い眠りについている。そのそばには、すその長いまっ黒なコートを着たひとりの男の人がいる。男は、コウちゃんそっくりのこどものそばに座わりながら、詩を静かによみつづけている。
 その声は、何だかとってもなつかしいものだった。心にしみわたるような感じがした。ある時はとってもゆかいで、ある時はとても悲しい。それがあんまりふしぎに思えて、男の人の顔をのぞきこもうとした。男の人がだれか、確かめようとした。けれど、ダメだった。とつぜん、白いひかりが世界にさしこんできて、夢のあわはあっけなく崩れていった。
コウちゃんは目覚めた。部屋の中は、さわやかなあさひで満たされていた。朝がおとずれたのだ。
「おはよう、コウちゃん」
 ノックの音がしたあとドアが開き、もえちゃんが顔をみせた。
「おはようもえちゃん」
「きのうは、よく眠れた?」
「それがね……」
コウちゃんは昨晩のできごとをもえちゃんに伝えた。それを聞いたもえちゃんは、すごくこわそうな顔をして、答えた。
「まちがいない、それはジャミだわ」
「ジャミ?」
「ずるがしこい毒ヘビよ。あやしいむらさき色のうろこをもっていて、めずらしいエサを求めて、いつも島をさまよっているの。ほんの少しの隙間から、長い身体をくねらせて、獲物のそばに忍びより、大きな口で何でも飲みこんじゃうの」
 コウちゃんはびっくり仰天した。
「そんなおっかないヤツが、ぼくをおそおうとしたの?」
「きっとコウちゃんを、めずらしい獲物だと思って、やって来たんだわ。それだけじゃないのよ、ジャミのおなかは太りに太っているんだけど、その中にはね、これまで食ってきたヒトや、ケモノの悲鳴がたくさんつまっているの。ジャミはその悲鳴を使って、人をだますの。助けを求める悲鳴を聞きつけやって来た人に襲いかかり、丸吞みにすることもあるのよ」
「ひきょうなことをするヤツだなあ。なんとかやっつけられないの?」
「言ったでしょ、ジャミはずるがしこいのよ。自分より強いものとは戦わず、弱いものばかりねらうの。弱いものをいじめることを、心の底から楽しんでいるのよ」
 その言葉を聞いているうち、コウちゃんはジャミに、怒りの心を抱きはじめた。ジャミの卑怯さが許せなかったのだ。
(きのうの夜のぼくは、情けなかったなあ。ふとんの中でブルブル震えていただけだった。だけどジャミ、こんど会ったら、ぼくはおびえたりしないぞ。みんなのためにたたかって、おまえのことをやっつけてやるぞ……)
 けれど、コウちゃんがそう決心したとたん、ぐう~と大きな音をたててコウちゃんのおなかがなった。その音が、あんまり大きかったものだから、コウちゃんはおもわず顔を赤らめた。
「あら、おなかがすいてるのね。あさごはんにしましょう。きょうもおいしく作れたのよ」
もえちゃんは得意げにそう言った。こうしてふたりは、いったんはジャミのことを忘れリビングへと向かった。


その四 くいしんぼうのアカオニ

 ふわふわの白いパンに、甘ずっぱいブドウのジュース、塩気のきいたシャキシャキしたサラダに、チーズの入ったあつあつのオムレツ、これがその日の朝食の献立だった。
 コウちゃんはとってもよく食べた。どれもおいしくて、新鮮で、食欲をそそった。
「ごちそうさまでした!」
 ご飯をたいらげたコウちゃんは元気な声で言った。それを聞いてもえちゃんもニコニコとうれしそうに笑った。
「そんなにおいしそうに食べてくれると、作ったかいがあったわ。ところでコウちゃん」
「なぁに?」
「これから買い物に行くんだけど、よかったらいっしょに来ないかしら? おじいちゃんが使っている目薬に、紅茶のはっぱ、お砂糖と、買わなきゃいけないモノがたくさんあるの」
「なるほどね。でも、かいものってどこへいくの?」
「この島の真ん中にある、大きな町よ。いいところだわ。おもしろいものや、楽しいものが色々あるの」
「へえ……それは、きょうみがわくなあ……」
「そうでしょう? 洗い物と洗濯が終わったら、いっしょに行きましょうよ」
こうしてふたりは、町へおでかけすることになった。コウちゃんは青いコートを貸してもらった。おじいちゃんのおさがりの、古いコートだったけど、よく手入れされたキレイなものだった。もえちゃんはおしゃれな白のブラウスと、丈の長い紺色のスカート、それに、青いリボンのついたまっ白な帽子を被っていた。
 玄関を出ると花壇の花たちが、いっせいにこちらを向いた。花々はあいかわらず、陽気な声でふたりにあいさつをしてきた。
「おはよう、おじょうちゃん。おはよう、おチビちゃん。きょうはおでかけするのかい?」
「そうよ。天気がよくって、助かったわ」
 空は雲ひとつなく、青々と澄みわたっている。うららかなひざしがやさしく降り注ぎ、さわやかな風が吹き渡っては、ふたりのほほをさわさわとなでる。おでかけするにはうってつけの日だ。
「へへ、そうはいうけどね、きをつけたほうがいいかもしれないぜ」
 もえちゃんは、意味ありげなはなばなのことばに、ふしぎそうな顔をした。
「気をつける? いったいどういうこと?」
「さっきまちのほうから、かわいいかわいいモンシロチョウが、みつをすいにきたんだよ。そのこがね、まちのほうでじけんがあったって、おしえてくれたんだ」
「どんな事件があったの?」
「しってるけれど、おしえない。じぶんのおめめでたしかめな。きっとびっくりぎょうてんするぜ」
 そういうとはなばなは、フフフフとふくみ笑いの声をもらし、ゆかいそうにからだをくねらせた。
「まったくもう、あんまりヘンなこと言うと、押し花にしちゃうわよ」
「おっと、ソイツはごかんべん! まあとにかくいってきな。まちのほうへといってみな」
 コウちゃんも、もえちゃんも、モヤモヤした気分だった。
(何があったんだろう、いったいどんなものが、ぼくたちのことを待ち受けているんだろう……)
 期待半分、不安半分だった。コウちゃんはドキドキしながら、上りと下りを繰り返す、町へと続く坂道を歩いていった。

 そこには、ピカピカにみがかれた、まっ白な建物がたくさんあった。そして、町はおおぜいの人でにぎわっていた。銀色のうろこがキラキラひかる、新鮮な魚を山のように積んだに荷車。貝殻のアクセサリーを敷物の上に並べ、呼び売りをしている威勢の良いおばあさん。メロディにあわせて軽やかに踊り、おひねりをもらうのっぽの道化師。活気のある光景が広がっていた。
「ほんとうに、にぎやかなところだねえ」
 コウちゃんは、すっかり目を輝かせ、町のあちこちをキョロキョロと見回しながら行った。
「何もかもめずらしいといった顔ね。そうでしょう、いつだって、たくさんの人でにぎわってる場所なのよ」
 人ごみにまぎれ、まいごになることがないように、コウちゃんともえちゃんは手をつないで歩いた。ふたりはテキパキと買い物を終えていった。くすり屋では、木みたいに細くて、しわしわの身体の老人から目薬を買った。老人は、小さなビンの中に、宝石のような、まっ青な液体をたっぷりと詰めてくれた。紅茶のはっぱは、川沿いにあるオシャレな喫茶店で買った。ふたりはテラスのテーブルにすわり、川のせせらぎをきいたり、川を泳ぐちっちゃな魚をながめたりしながら、かおり高い紅茶を飲んだ。お会計をするとき、茶色のヒゲをたくわえた、気前のいいマスターが、おまけにクッキーをくれた。コウちゃんはクッキーの入った小さな包みを、コートのポケットの中へ大事にしまった。
「このまちは、いいところだね。ぼく、すっかりきにいったよ」
「そうでしょう。でも、まだまだこの町には、見どころがあるの。町の真ん中の広場に建てられている、時計台とかね」
「とけいだい?」
「ピカピカに磨かれたまっ白な石を、ていねいに積み重ねて造られた、キレイな建物なの。中に大きな鐘があって、1時間ごとに、ゴーン、ゴーンって、おごそかな音を響かせるのよ。この町でいちばんりっぱで、美しい建物なの」
「いちばんりっぱでキレイかあ……そういわれるとどんなもんか、きになるよ」
「買い物も早く終わって暇だし、行ってみましょう」
 ふたりは人混みをかきわけながら、時計台の方へ歩いて行った。時計台は喫茶店からそれほど遠く離れていなかった。十分ほど歩いているうちに、ふたりは時計台へとたどりついた。
けれどコウちゃんは、残念ながら、完璧なすがたの時計台を見ることはできなかった。
「ええと、あれが、まちでいちばんうつくしいたてもの……?」
「……町でいちばんうつくしかった、の、まちがいみたいね……」
 時計台を見たふたりは、目を丸くしながらそう言い合った。おどろくべきことに、時計台のてっぺんは何者かによって、かじりとられてしまっていた。さらに、時計台のかべには、大きな歯形のあとがいくつも残っていて、すっかりボロボロになっている。それは見るも無残な光景だった。
「いったいどういうことなの……? だれがこんなおおきくて、かたそうなたてものを、かじったりしたの?」
「これはまちがいないわ……アイツのしわざね」
 もえちゃんがつぶやく。そのとき、時計台のそばにいた、オレンジ色の髪をしたおんなのこが、ふたりに声をかけてきた。
「あっ、もえちゃんだ! もえちゃんもきてたのね」
「あら、みっちゃん。こんにちは」
 そのおんなのこは、麦わら帽子を被り、オレンジ色の髪を水玉のリボンで束ねていた。身体はちっちゃいけれど、気の強そうな顔だちで、ほっぺたにはそばかすがうかんでいる。
「あれ、もえちゃん、そのこだれ? ゆきみたいにしろいかみをしてるのね!」
 みっちゃんは、コウちゃんに興味を抱いたみたいだ。コウちゃんのそばに近寄ってきて、コウちゃんのことをしげしげと見つめてきた。
「ぼくは、コウっていうんだよ。うみのむこうから、はるかぜの舟にのって、このしまにやってきたんだ」
「えっ? かぜの舟?」
 みっちゃんは、ぷくっとほおをふくらませたかと思うと、コウちゃんのことを指差してケタケタ笑った。
「アハハ! じょうだんがとくいなこなのね。アタシ、アンタみたいにひょうきんなヤツ、キライじゃないわよ」
 コウちゃんはムッとして言い返した。
「ウソじゃなくて、ほんとうだよ! ホントにかぜにのってきたんだ!」
 コウちゃんが叫んだとたん、みっちゃんめがけて突風が襲いかかった。突風はみっちゃんの帽子をさらい、巻き上げてしまった。
「アッ! アタシのぼうし」
 みっちゃんはちゅうにただよう帽子をつかもうと、ぴょこぴょこ跳びはねた。けれど、みっちゃんのちっちゃな背丈じゃ、とても届きそうにない。
「そ、そんなぁ! おたんじょうびにもらった、たいせつなぼうしなのに!」
 みっちゃんが悲しそうに叫んだ、その時だった。とつぜん風がピタリとやんだ。帽子はひらひらと落ちてきて、みっちゃんの頭の上にふんわりのった。みっちゃんは目をパチクリさせたあとで、コウちゃんの方を見て言った。
「アンタって、ホントにかぜとなかよしなのね! もうバカにしないから、にどとこんなことしないでよね!」
「わかったよ。もうしないからさ、これからはなかよくしようよ」
「そうねえ。これからはアタシたち、おともだちよ!」
 コウちゃんとみっちゃんは、お互いに手をさしだして握手をかわした。そんなふたりの様子を、もえちゃんはニコニコ笑いながらとなりで眺めていた。
「ふたりが仲良くなってくれて、よかったわ。ケンカなんかよりも、仲良しの方がやっぱりずっといいわよ。ところでみっちゃん、時計台はどうして壊れちゃったの?」
 もえちゃんが質問をするとみっちゃんはすぐ説明してくれた。
「カタクよ! きのうのよる、あのくいしんぼうのアカオニがやってきて、とけいだいをかじっちゃったの!」
「カタク? それって、だれ?」
 コウちゃんはキョトンとした表情を浮かべた。するとみっちゃんは、せっかくの説明役をもえちゃんにとられまいと、大急ぎで口を開いた。
「いじきたないアカオニよ。このしまのにしのほうにね、アカオニ山ってやまがあるの。なまえのとおり、そこではオニたちがくらしているのよ。カタクもむかしはそこでくらしてたんだけど、あんまりくいしんぼうなものだから、なかまからきらわれて、やまをおいだされちゃったわけ」
「すみかからおいだされちゃったの? それはさいなんだなあ」
「さいなんなのはカタクじゃなくて、わたしたちのほうよ! それからカタクはまちにすみつき、みんなのたべものをぬすむようになっちゃったの。アタシのともだちはたのしみにしてた、おたんじょうびのケーキをうばわれちゃったし、ぼくじょうではたらいてるおじいちゃんも、だいじにそだててきたウシをカタクにくわれたって、いかりくるってたわ!」
 みっちゃんはプンプン怒りながら言った。コウちゃんはそんなみっちゃんの剣幕にすっかり圧倒されてしまった。
「ホントにひどいよくばりなんだなあ……。なんとかたいじできないの」
「アイツはずうたいもでかいうえに、サルみたいにすばしっこいから、なかなかつかまえられないのよ。それにごはんをうばったら、すぐにすがたをけしちゃうの。マジでムカつくわ! いやしんぼうのうえに、にげあしまではやいおくびょうものなのよ!」
「だれがおくびょうものだって?」
 突然、声が聞こえてきた。その声がどこから聞こえてきたものかわからなくて、三人はあたりを見回した。
 最初に声の主に気づいたのは、コウちゃんだった。
「あっ、あそこだ!」
 コウちゃんは時計台を見あげながら、叫んだ。いつのまにか、時計台のてっぺんに、ひとりのアカオニが仁王立ちしていた。コウちゃんに指をさされたとたん、アカオニはてっぺんから飛び降り、大きな音をたててコウちゃんのそばに降り立った。
 みっちゃんが、血相をかえて叫ぶ。
「あ、ああ……コイツがカタクよ!」
 カタクはとても大きな図体をしていた。背丈はコウちゃんの倍はあった。目つきはぎょろりとするどく、皮膚はまっかっかだった。口には銀色をした、するどいキバがびっしりと生えていた。これだけでもおそろしいのに、さらにカタクの頭の上には、まっ赤なほのおがメラメラと燃えさかっていた。
 コウちゃんもみっちゃんももえちゃんも、カタクの迫力にすっかり圧倒されてしまった。カタクは、その太い指先でコウちゃんを指さした。
「おまえが、コウだな」
「そ、そうだけど……オマエはなにをしにきたんだ!?」
「オマエをさらって、たべてしまうのさ!」
 カタクはニュッと腕をのばし、コウちゃんの身体をひょいとつまみあげた。
「わあっ!」
 カタクの力はすごいもので、コウちゃんの身体は軽々と宙に浮いてしまった。コウちゃんは空中でジタバタもがいたけれど、カタクの腕はびくともしなかった。
「あっ、こら、待ちなさい!」
 みっちゃんともえちゃんは急いでカタクを止めようとしたが、カタクはすばしっこかった。カタクはコウちゃんを軽々と抱きかかえ、地面を蹴った。カタクは飛ぶような勢いで、あっという間にその場から去っていった。 
「ど、どうしようコウちゃんがさらわれちゃった……」
 みっちゃんはすっかり途方に暮れ、へなへなと座りこんでしまった。そんなみっちゃんのことを、もえちゃんは励まそうとした。
「しょうがないわ。あんなに突然襲ってこられたんだもの。それより今は、コウちゃんを助けるためにやれることをしましょう。町のみんなに頼んで、力を貸してもらうのよ」
 もえちゃんに励まされて、みっちゃんは少し元気が出たみたいだった。けれどそれでもやっぱり、みっちゃんの心は沈んでいた。
「ああ、コウちゃん……だいじょうぶかなあ……カタクにかじられちゃったり、してないかなあ……」
 みっちゃんは、口はちょっと悪いけど、根はやさしい子なのだ。情に厚い子なのだ。みっちゃんは、大きな皿に盛りつけられたコウちゃんのおさしみを、カタクがさもおいしそうにぱくついているという、ひどくおっかない光景を思い浮かべてしまった。おかげでみっちゃんはすっかり涙目になり、すすり泣きをはじめた。もえちゃんは、そんなみっちゃんのことをやさしくなだめつつ、近くの交番へ小走りにかけていった。

 カタクはコウちゃんを抱えたまま、休むことなく走り続けた。そしてあっという間に町を抜け、それでもまだまだ走り続け、とうとう町の外れのハゲ山にたどり着いた。そこは草木のほとんど生えていない、岩だらけの寂しい場所である。カタクはコウちゃんを地面の上に放り出すと、ゲタゲタ笑いはじめた。
「わっはっは、ごちそうだぞ! きょうというきょうこそ、おなかいっぱいになれるぞ!」
 カタクはその大きな口からダラダラとよだれをこぼし、したなめずりをした。その度に、カタクの頭のほのおはますますはげしく燃えさかった。
「オマエ、ぼくをたべるつもりなのか? ぼくなんかたべたって、おいしくないぞ!」
 そんなカタクの姿を見て、コウちゃんはそう言い返した。
「しらねえよ! もうおなかがペコペコなんだ! おなかがへって、おなかがへって、ぶったおれそうなくらいなんだ!!」
 カタクはガバッと口を大きく開き、コウちゃんに食らいつこうとした。
「コイツ! ぼくはオマエのエサになんか、なってやんないぞ!!」
 コウちゃんがそう叫んだ、その時だった。ビュウウっとするどい音をたてて、突然風が吹き荒れた。風は、砂ぼこりを巻き上げながら、カタクめがけて激しく吹きつけた。カタクの頭のほのおは、風にあおられ大きく揺らめき、吹きちぎられ、まっ赤な火の粉となってカタクに降り注いだ。
「ギャッ!」
 火の粉が身体に降ってきたとたん、カタクは熱さのあまり飛び上がった。しかしそれでも、火の粉は、容赦なくパラパラと降り注いでくる。
「アチ! アチチッ!」
 カタクは悲鳴をあげた。頑丈なカタクだけど、それでもほのおの熱さにはかなわないようだった。カタクはその痛みに、我を忘れて飛び跳ね続けた。
「ひぃーっ! アツい! アツい! もうやめてくれぇ!!」
「じゃあ、ぼくをたべないとやくそくするか? やくそくするなら、かぜをとめてやるぞ」
「わ、わかった! おまえをたべたりはしない! やくそくする! やくそくするから……」
 カタクがそう言ったとたん、あれだけ吹き荒れていた風はピタッと止んでしまった。ハゲ山にはもとの静寂が戻った。
「ハア、ハア、ひどいめにあった……」
 カタクは息を切らしながら、絞り出すような声で、つぶやいた。
「だいじょうぶかい? でも、きみだってわるいんだからな。とけいだいをかじるだけでもひどいのに、にんげんまでくおうとするだなんてさ。そんなになんでもくえるなら、もう、じぶんのベロでもかんでろよ」
「ヤダよ。だって、ツバのあじしかしないじゃないか……」
 カタクはため息をつきながら、そう答えると、ペタンとしりもちをついてすわり、自分のおなかをさすりはじめた。
「オマエをくおうとしたのは、わるかったよ。でもな、ホントにおなかがへってるんだ。もうおなかがペコペコで、このままだと、ぶったおれそうなんだよ……」
 そのとき、カタクのおなかが「ぐぐぅ~っ」とものすごい音を出して鳴った。どうやら、カタクのおなかがペコペコというのはウソじゃないらしい。コウちゃんはカタクがちょっぴりかわいそうになってきた。
「あっ、そうだ」
 コウちゃんはコートのポケットから、クッキーの入った袋をとりだした。町の喫茶店でマスターからもらったものだ。なかにはクッキーが5枚入っている。コウちゃんはクッキーの入った袋を、カタクへとさしだした。
「えっ……これは?」
「クッキーだよ」
「た、たべていいのか?」
「うん。オマエ、おなかがすいてるんだろう。あげるよ」
「あ、ありがとう!」
 カタクは袋をコウちゃんから受け取ると、すぐさま口を開け、中のクッキーを1枚取り出した。そしてあっという間に食べてしまった。
「あ、ああ……うまい……」
 おなかがペコペコのときに食べるごはんというものは、おいしいものだ。言葉にできないくらい、ありがたいものだ。カタクは2枚、3枚、4枚とつぎつぎとクッキーを食べていき、とうとう5枚目を手に取った。
でも、そのときだった。カタクはそれが最後の1枚ということに気づき、ハッとした。
(まてよ……クッキーはこれでなくなってしまうぞ。それは……コウちゃんにわるいんじゃないか。せめてさいごのいちまいくらい、コウちゃんがたべるべきなんじゃないか?)
カタクは迷った。そのクッキーはとってもおいしいものだった。サクサクして、塩加減がちょうどよくて、ミルクのあまいかおりがする……本当なら自分で全部食べてしまいたい。だけど、それはコウちゃんに申し訳ない。こんなにおいしいクッキーを、ひとり占めしてしまうだなんて……。
 カタクは迷いに迷った。迷いすぎて、自分の後ろから、いっぴきのタカがやってきたことに気づかなかった。タカはその長いくちばしで、すばやくクッキーを奪い去ってしまった。
「あっ、まて!」
 カタクは大慌てで、タカめがけ腕を伸ばした。しかしタカはゆうゆうと飛びあがり、カタクのてのひらをすりぬけ、空のかなたへ消えてしまった。カタクはすごくガッカリした。あんまり落ち込んだものだから、身体中から力が抜けて、へなへなとすわりこんでしまった。
「ああ、オレはダメなヤツだ……。ほんとうにダメなヤツだ……」
 すごく情けない声で、カタクが言った。そんなカタクの姿は、いやしんぼうのアカオニのイメージとは、ぜんぜん違うものだった。
「もう、どうしたんだよ、そんなにかなしまなくてもいいだろう。たかがクッキーいちまいじゃない」 
 コウちゃんはカタクのことをなぐさめてやろうとした。けれどカタクの悲しみは、コウちゃんが思っていたよりも、ずっと深いものだったのだ。
「なあ……コウちゃん……オレのはなしをきいてくれないか?」
「はなし?」
「オレのあたまのうえに、ほのおがもえているだろ。じつをいうと、むかしはそうじゃなかったんだ。オレのあたまはふつうで、かみのけだってちゃんとはえてたんだ。だけど、あるできごとがあってから、オレのあたまには、ほのおがもえつづけるようになってしまったんだ」
 カタクはひどく苦しそうな顔をして、ことばをつづけた。
「このほのおに、オレは、ずっとくるしめられてきたんだ……」
 それからカタクは、とある悲しい思い出について、コウちゃんに語りはじめた。


その五 かなしい食事

 カタクがアカオニ山で、なかまのオニたちと暮らしていた頃のはなしだ。カタクはドンちゃんというヒキガエルを飼っていた。アカオニたちはみんなカエルを飼うのが好きだったが、ドンちゃんほどりっぱで強そうなカエルをもつオニは、ひとりもいなかった。ドンちゃんはとっても図体が大きく、勇敢で、くいしんぼうのカエルだった。カタクのいちばんの相棒だった。ドンちゃんは、ぴょんとカエル飛びをして、獲物に喰らいつき、カタクの狩りをいつも手伝ってくれた。カタクは狩りをして、獲物を手に入れると、それをいつもドンちゃんと分け合い、決して独り占めしなかった。ふたりはとっても固い絆で結ばれていたのだ。
 だけど、ある年の冬のことだ。アカオニ山にはたくさん雪が降った。山にも野原にも、まっ白な、ふかふかの雪がどっさりと積もった。寒さに強くて、逞しい身体をもつオニたちは、それでもかまわず狩りをしていた。野山に交じり、草木をかきわけ、ケモノを求めてさまよい続けた。
 カタクもドンちゃんといっしょに、毎日のように狩りにでかけていた。大雪のせいで獲物が少なく、狩りに精を出さなければ、おなかを満たすことなどとてもできなかった。
 その事件が起きた日は、ひどく寒い日だった。雪の表面は固く凍りつき、ツルツルとすべった。オニたちのなかには、きょうは狩りをやめておこう、そう考えるものも少なくなかったけれど、カタクは違った。食べ物を求め山へくりだした。それがまずかったのだ。カタクはドンちゃんといっしょに、雪山をかけめぐり、ある時とうとう、いっぴきの小さなシカをみつけた。カタクと出くわしたシカは、細い脚で雪を蹴り、すぐにそこから逃げようとした。カタクは大急ぎでシカを追った。深い雪を勢いよくかきわけ、走り続けた。けれどカタクは急ぐあまり、足元をキチンと見ていなかったのだ。 
 カタクの足元の雪が突然、思いもよらぬもろさで崩れていった。
「うわっ!」
カタクは足をとられ、体勢を崩した。しかも運の悪いことに転んだ先は険しいガケだった。カタクはそのままドンちゃんといっしょに、深い谷底へと真っ逆さまに落ちていった。
「ま、まずい」
 そこは、両側を険しい崖にはさまれた、狭い谷底だった。そのうえ、雪がたくさんつもっていて足元が悪かった。何よりまずかったのは、すでに日が傾き、空が暗くなりつつあったことである。
(早くここから抜け出さないと……なかまのもとに帰らないと……)
 カタクは大急ぎで、雪をかきわけ進みはじめた。しかし、山の天気というのは変わりやすいものである。まもなくして、強烈な風が谷間に吹き荒れはじめた。さらに、空を覆う分厚い雲から、とぎれることなく大粒の雪が降りそそいだ。激しい吹雪がカタクをおそい、視界もどんどん悪くなっていく。とうとうカタクは、自分がどこにいるのかもわからなくなってしまった。
「ああ、ちくしょう……」
 すでに日は沈みかけ、夜になろうとしていた。仕方ないからカタクは、大急ぎでかまくらをつくり、中に隠れ、夜が明けるまで休むことにした。
(ああ、なかまたちの言うことを、ちゃんと聞いておけばなあ……)
 カタクは自分の無茶な行いを、心の底から後悔した。月の光さえ、雪雲に閉ざされてしまった真っ暗闇のなか、すさまじい吹雪の音だけが聞こえてくる……カタクはひどく心細かった。
「ああ、ドンちゃん、ごめんよ。オレのせいで、こんなめにあわせちゃって……」
 カタクの寂しさをなぐさめてくれるのは、ドンちゃんだけだった。カタクとドンちゃんはいっしょに、いちまいの毛皮の服をわかちあい、寒さをしのいだ。持ってきていた、干し肉の塊も、ふたりでいっしょにわかちあった。けれど夜になり、寒さは更に厳しいものとなっていた。カタクもドンちゃんも震えっぱなしだった。あまりに寒くて、心細くて、カタクはぜんぜん眠ることができなかった。
(いったい、いつになったら、夜は開けてくれるんだろう)
 カタクは早く朝が来てくれることを望んだけれど、冬の夜は長い。光はない。聞こえてくるのは風の音だけ。真っ暗な時間がいつまでもつづく。どれだけ待っても朝はやってこない。
「あ、あれ……ドンちゃん」
 そのうちカタクは異変に気づいた。ドンちゃんの身体が、雪と同じくらい冷たくなっている。イボがたくさん浮かんだ、ブヨブヨした分厚い皮膚も、氷のように固くなっている。
「ドンちゃん! ドンちゃん!」
 いつもだったらドンちゃんは、カタクに名前を呼ばれると、「ゲコッ!」、と、威勢の良い声で返事をしてくれるのだ。そのはずなのに……返事は返ってこない。
「ドンちゃん! ドンちゃん! おおい……おきてくれよぉ……ドンちゃん」
 カタクは大粒の涙をこぼしながら、何度も何度も友達の名前を呼んだ。けれど、やっぱり、ドンちゃんは返事をしてくれない。どれだけ強く願ったってダメなのだ。それでカタクは気づいた。ドンちゃんは、凍え死んでしまったのだ。
 カタクは泣いた。声を上げてわんわん泣きつづけた。けれど涙でさえも、厳しい寒さの中で凍てついてしまう。涙をぬぐうたびに、こおりついたまゆげが、パリパリと音をたてる。カタクはとうとう泣き疲れ、力なく横たわった。
まだ夜は明けてくれない。寒くて、悲しくて、ひもじくて……カタクはもう心が折れてしまいそうだった。
(さむい、さむいよ……おなかも減ったよ……おなかがもう、ペコペコだよ……)
 もうカタクには、涙を流す元気さえなかった。かわりにだんだん、カタクは眠くなってきた。意識がゆっくり薄れていって、ぼんやりしてくる。さっきまでカタクの指先は、寒さのあまりしびれるように痛んでいたのだけれど、もう、感覚さえない。
(このまま、おれは、死んでしまうのかな。ドンちゃんみたいに、凍え死んでしまうのかな……固くて、冷たい、氷のようなものになってしまうのかな……)
 そのとき、頭の中で、声が響いた。カタクのと似ているけれど、少し違う、別の声だった。
 ――ハラガヘッタ
(そうだなあ。はらが減ったよ……具だくさんの、アツアツのスープを飲みたいなあ。炭火で炙った、肉汁たっぷりの、骨つき肉にかぶりつきたいなあ。死ぬ前に、どうかもう一度、おいしいものをおなかいっぱい食べたいなあ……)
 また頭の中で、声がした。
 ――タベモノナラ、アルジャナイカ。
(……えっ?)
――アルジャナイカ、アルジャナイカ、オマエノソバニアルジャナイカ
 カタクはハッとした。
(ああ……そうだ……たべられるものがひとつだけあるぞ……)
 亡くなった、ドンちゃんのことを、カタクは食べることができる。ドンちゃんはまるまると太っていて、たっぷり脂肪がついている。寒い中では、脂肪はとても大事な栄養源となる。身体を温め元気にしてくれる。
(ドンちゃんの肉を食えば、おれだけは生き残るかもしれない。だけど……それでも……ドンちゃんは友達だ! もう死んでいるとは言え、友達のことを食えるもんか!!)
 カタクはそう思った。心の底からそう思った。ドンちゃんは友達なのだ。死んでしまった今でも、カタクにとって本当に大事な友達なのだ。
 けれど、空腹だけはどうしようもない。食べたい、食べたい、おいしいものを食べたい……もうひもじいのはイヤだ……そんな願いがどんどん強くなっていって、カタクは、もう、気が狂いそうになってしまった。
(ダメだ、ダメだ、食べてはダメだ……なのに、ああ、チクショウ……)


その六 ミツとあぶら
 
 カタクのはなしはそこで終わった。コウちゃんは、カタクに尋ねた。
「それで……きみはドンちゃんを、たべてしまったの?」
 カタクは、すごくつらそうな顔をしながら、コクンとうなずいた。
「オレはけっきょく、しょくよくにまけて、ともだちをたべてしまったんだ。オレはそのよくじつ、なかまのオニにはっけんされ、きゅうじょしてもらえた。オレはなんとかしなずにすんだ。でも、それから、オレのあたまにはほのおがもえるようになった」
「どうして、ほのおが?」
「わからない。ただオレがくうふくだと、このほのおはますますはげしくもえるんだ。そうするとオレはもう、たべることしかかんがえられなくなる。はらがふくれれば、ほのおのいきおいはすこしおさまる。けれどすぐに、もとのいきおいをとりもどし、オレもたべることしかかんがえられなくなってしまう。ほんとうは、こんなのダメだとわかってるんだ。それでも、どうしてもじぶんをおさえきれないんだよ……」
 カタクはとても苦しそうな声で、言った。
「このほのおはたぶん、オレへのバツなんだ。オレはもう、いっしょう、たべることしかかんがえられないんだ。しょくよくにあたまをやかれながら、いきていくしかないんだ……。だれともともだちになれず、みんなからにくまれ、えいえんにひもじいままいきるしかないんだ……」
 カタクは涙を流しはじめた。コウちゃんは、カタクのことをとてもかわいそうだと感じた。でも、どうすればカタクの悲しみを癒せるのか、そのための方法なんてこれっぽっちも思いつかなかった。
 だからせめて、そばにいてあげようと思った。コウちゃんはカタクのそばから離れようとせず、カタクのことを静かに見守りつづけた。カタクの広い背中と比べれば、そのてのひらはあんまりにもちっちゃかったけれど、それでもカタクの背中をていねいになでさすってやった。カタクがやっと泣き止んだころには、もう、すっかり夜になっていた。
「だいじょうぶかい? もう、なみだはとまったかい?」
「……ああ」
 カタクはまっ赤にはれた目で、顔をクシャクシャにしてほほえんだ。
「それなら、よかったよ。ところでさ、どっかにねむるばしょってないの? きづけばもう、まっくらやみだ」
「ねるとこか。よし、こっちにこいよ、コウちゃん」
 コウちゃんはカタクの後ろについて、さびしいハゲ山を歩いていった。
「オレは、いつもここでねてるんだよ。あれにもたれかかって、ねむるんだよ」
 カタクが指さした場所には、いっぽんの枯れ木が立っていた。
「これかあ」
 コウちゃんは、まいったなあと言わんばかりの顔をしていた。
「ヘヘ、こんなそまつなねどこでも、なれればいがいと、よくねれるもんさ」
 コウちゃんとカタクはふたりして、枯れ木の幹にもたれかかった。
「おやすみ、カタク」
「うん。おやすみ、コウちゃん」
 ふたりはまぶたを閉じた。ふたりとももうヘトヘトだったのだ。すぐに眠りに落ちてしまった。
 そんなふたりの様子を、忌々しそうに、盗み見しているヤツがいた。
「カタクのヤツめ。コウを食ってくれると思ったら、まさかコウと友達になってしまうとはな……」
 ジャミだった。このずるがしこい、むらさきのうろこの毒ヘビは、岩の影から首を出して、ふたりを見つめていた。
(わたしは、ねらった獲物はゼッタイに逃さないのだ。きのうの夜は、突然聞こえてきたヘンな声に邪魔された。だから今度は、カタクに、『コウというめずらしい獲物がいるぞ』と吹き込み、カタクにコウを殺させようとした。しかし、またもや失敗してしまうとはな……)
 ジャミは憎しみを込めてふたりを睨みつけた。そのひとみはギラギラと燃えるように赤く輝いていた。
(わたしは、しあわせそうなヤツを見るのが大嫌いなのだ。自分が惨めに思えて、イライラしてくるのだ。逆にわたしは、ひとが苦しむ姿や、悲しむ姿を見るのが好きで好きでたまらないのだ……なんとかしてコウだけじゃなく、カタクのことも、不幸にしてやりたい……とことんまで苦しめてやりたい……)
 ジャミはトグロをまき、細い舌をチロチロと動かしながら悪知恵を働かせた。ジャミは、とうとう、とてもずるがしこい作戦を思いついてしまった。
(フフフフ……やっぱりわたしは天才のようだ。ヤツらを苦しめるための、うってつけの作戦を思いついたぞ……これでコウも、カタクも、もうおしまいだ……)

 すやすやと眠っていたコウちゃんは、頭の上に、冷たい何かが滴ってくるのをかんじ、目を覚ました。
「……なんだろう」
 コウちゃんはねぼすけまなこをこすりながら、上を向いた。たちまちコウちゃんは腰を抜かした。とても大きい、むらさきのウロコをもつヘビが、枯れ木の枝にグルグル巻きついていたのだ。
「うわっ、へ、ヘビ!?」
「おはよう、コウちゃん。わたしの名は、ジャミだ」
「ジャ、ジャミ!? もえちゃんがいっていた、あのひきょうで、ずるがしこいどくヘビか!?」
 コウちゃんはひどく驚いてしまった。うわさは聞いていたが、本物を見るのはこれがはじめてだった。たしかに、邪悪な目つきをしていた。燃えるようにまっ赤な目を細めて、いやらしい薄笑いを浮かべていた。その身体は長く太く、全身を覆うウロコも分厚いものだった。とても邪悪でとても強そうなヘビだった。
「そのとおりだよ。この島には、わたしよりずるがしこいものなどひとりもいない……」
 ジャミはニヤニヤと笑いながら答えた。ジャミは、太いしっぽを器用に使い、あまいミツがたっぷり入ったタルを傾け、コウちゃんめがけてたらしてきた。枝の上からとろーり滴ってくるミツのせいで、コウちゃんのからだはすっかりドロドロになってしまった。
「わわ……こんなことをして、なんのつもりだ!?」
「おまえたちを、苦しめたいのさ。ひとを苦しめるのが、オレは、三度の飯より好きなんだよ……」
 ジャミは、カラになったタルを木の上から投げ捨てた。木の上にはもうひとつタルがあった。ジャミは、今度はその中身を、カタクの方へとたれ流した。
タルに入っていたのは、まっ黒な油だった。
「あっ、まずい!」
 油を注がれたとたん、カタクのあたまのほのおがボウボウと音をたてて燃えあがった。カタクはそれにビックリしてすぐに目を覚ました。
「う、うわあっ!? な、なんなんだ!? かじだ、かじだ、おおかじだ!!」
 カタクはすっかりうろたえていた。それを見たジャミはカタクのあわてっぷりをあざけり、声を上げて大笑いした。
「ワーハッハッハ!! あたまのほのおが燃えれば燃えるほど、オマエのお腹がすくことは知ってるぞ。オマエはここ数日、まともなものを食えてない。さぞかし空腹で、苦しいことだろうな!!」
「う、うう、ちくしょう!」
 カタクは、めいっぱい背伸びすると、ジャミめがけて腕を伸ばした。けれどジャミはその身体をたくみにくねらせ、カタクの手をかわしつづけた。ジャミの動きはまるで魔法のようになめらかで、クネクネしていて、カタクの手はかすりもしなかった。
「こ、この……ううっ、はらがへった。はらがへった。もうおなかがペコペコだ……」
「おや、ずいぶん苦しそうな声を出すじゃないか。でも、わたしはやさしいからな、おまえのためにごちそうを用意しておいたぞ」
「ご、ごちそう……」
「ほら、オマエのすぐそばから、あまいにおいがプーンと漂ってこないか?」
 その言葉を聞いたカタクはハッとして、においの漂ってくる方を向いた。そこには、コウちゃんがいた。
「こ、コウちゃん……」
「とびきりおいしくなるよう、あまいミツを、たっぷりと垂らしておいてやったぞ。きっとすばらしい味がするぞ」
「や、やめろ。もうやめてくれ!!」
 カタクはうつむき、両のてのひらで耳を覆った。それでもジャミの声は、水のように耳の奥までしみこんできて、カタクの食欲を煽りたてた。
「さあ、食え。コウを食ってしまえ。コウを食えば、もうひもじい思いをせずにすむんだぞ。苦しみから逃れて、ラクになれるんだぞ。さあ、さあ……」
「う、ううううっ……」
 カタクの口から、よだれが滝のようにこぼれた。あたまのほのおはボウボウと燃えさかり、その眼はすっかり血走っている。カタクはほとんど、正気を失いかけている。カタクはまっ赤ににごった眼で、コウちゃんのことをじっと見つめながら、コウちゃんの方へノシノシと歩きはじめた。コウちゃんは恐怖に震え、叫んだ。
「か、カタク、ダメだ! ジャミのことばなんて、きいちゃダメだ!」
「う、ううっ……」
 コウちゃんの声を聞いて、カタクは一度は歩みを止めた。それでもあたまのほのおの勢いがおさまることはない。カタクは空腹に耐えかね、あたまをかかえてうずくまり、うめき声をもらした。
「も、もう、イヤだ……はらぺこはイヤだ……ひもじいのはイヤだ……。これいじょうくるしいおもいをするのは、くうふくにくるしめられるのは、もううんざりだ……」
 カタクは絞り出すような声で、言った。その眼には涙がにじんでいる。
(……カタク)
 カタクの苦しみは、まちがいなく本物だった。コウちゃんは、胸を打たれた。コウちゃんは、心の奥底から、水のように透明な、やさしい思いが沸き上がってくるのを感じた。
 その思いというのは、だれかのためになってあげたい、苦しんでいるひとを助けてあげたい――そういう、祈りみたいな思いだった。
「いいぜ、カタク」
「え?」
「ぼくのことを、くえよ。ぼく、おまえにならくわれてもいいよ」
「だ、だけど……そんなことしたら……」
「いいんだよ。ぼく、けっしてオマエをうらんだりしないよ。オマエのくるしみを、すこしでもやわらげてやりたい……それだけなんだよ」
 カタクの目から、涙があふれだした。大粒で透明なしずくがぽろぽろとこぼれ落ちた。ふしぎなことがおきた。なみだのしずくが落ちるたびに、あたまのほのおの勢いが、弱まっていったのだ。ほのおはどんどん小さくなっていき、とうとう、完全に燃え尽きてしまった。
 コウちゃんはあっけにとられて、そのようすをじっと見つめていた。
「ひが、きえた……」
「コウちゃん、オレ、もう苦しくないよ。まだおなかは減ってるけど、ぜんぜんひもじくなんてないよ。腹は減っていても、こころはまんぷくなんだ。ポカポカと、あったかくて、満ちたりていて……ひもじさなんかこれっぽっちもないんだ……」
 涙で顔をクシャクシャにしながら、カタクはやさしくほほえんだ。カタクはコウちゃんのおかげで、本当の苦しみを乗り越えることができたのだ。
 そんなふたりのようすを、ジャミは、あっけにとられて見つめていた。
「こ、こんなことが、ありえるのか……? あのいやしんぼうのアカオニが、食欲に打ち勝つなんて……。食欲より、友達の方を選ぶだなんて……」
 ジャミの心の中で、「自分は失敗したのだ」という思いがどんどん膨らんでいった。ジャミは悔しくて悔しくてたまらなかった。ふたりの友情を心の底から憎んだ。
(ゆるさん……ゆるさんぞ……わたしに惨めな思いをさせるヤツは、みんな死んでしまえばいいんだ!)
 ジャミは怒りにまかせ、枝の上から勢いよく飛びおりた。大口をあけ、キバを向き、コウちゃんめがけて襲いかかった。
「うわっ!」
 コウちゃんはおもわず悲鳴をあげた。けれど、カタクがコウちゃんを守った。カタクはすばやく腕を伸ばし、ジャミの長い身体をギュッとつかんだ。
「うっ、く、くるしい……」
 ジャミは長い身体をくねらせ、あばれにあばれ、カタクの腕から逃れようとした。けれどカタクの力はものすごいもので、ジャミがいくら暴れようとびくともしなかった。
「うおおっ!!」
 カタクはそのまま腕を振り上げ、力を込めて振りかぶり、ジャミを空へとぶん投げてしまった。
「うわあああっ!!」
 ジャミの太く長い身体が、軽々と宙に浮く。ぶっ飛ばされたジャミの身体は、どんどん小さくなっていって、さいごには、空のかなたに消えてしまった。
「ケガはなかったかい、コウちゃん?」
「うん。だいじょうぶだよ。それにしても、すごいパワーだなあ……」
「へへへ、オレはアカオニだからね。ジャミが何度やってこようと、オレがやっつけるよ。オレがコウちゃんを守るよ」
「……ありがとね、カタク」
「そりゃあオレのセリフだよ。ありがとう、コウちゃん」
 コウちゃんとカタクはふたりして笑い合った。気づけばすっかり夜も明け、新しい一日が始まろうとしていた。地平線の向こうに、まっ白なおひさまがあたまを出す。瑠璃色に澄んだ空に、美しい、白いひざしが広がっていく……ふたりはとなりに並んで、とてもさわやかな気分で、夜明けの景色をながめつづけ、喜びをわかちあった。こんなにすばらしい朝は、めったにやってくるものじゃないぞと、ふたりともそう思っていた。


その七 こころのやすらぎ

 それから、2か月ほどたったある日のこと。
季節は移り変わり、島には初夏がおとずれていた。青く澄みわたった空とまっ白なくも、さわやかな夏風、まばゆい陽射しのきらめくこころよい季節である。
その日コウちゃんともえちゃんは町をおとずれていた。コウちゃんは半袖に短パン、スニーカーという身軽なかっこうをしていた。もえちゃんの方は、すずしそうな色合いの、水色のワンピースを着ていた。ふたりがめざす場所、それは、例の時計台だった。
「うん。やっぱり、もとのすがたのほうが、キレイだねえ」
「そうねえ。何とかもとに戻ってくれて、本当に良かったわ」
 コウちゃんともえちゃんは、夏のまぶしい陽射しのもと、キラキラと美しくかがやく時計台を見あげ、口々に言った。時計台はすっかり元どおりになっている。欠けた部分も、かじられたあとも、ぜんぶキレイに直っていたのである。
「昔のあの子のことを思うと、なんだか信じられないわ。はなしによると、だれよりも熱心に働いていたんだって」
「アイツだって、もともとあそこまでくいしんぼうだったわけじゃないんだよ。あたまのほのおのせいで、おかしくなってただけなんだ。ほのおさえきえてしまえば、アイツはわるいヤツじゃあないよ」
「コウちゃん、その、アイツってのは、オレのことかい?」
 ふたりは後ろを振り向いた。そこにはカタクが立っていた。
「やあ、カタク、とけいだいがなおったってきいたもんだからね、もえちゃんといっしょに、けんぶつしにきたんだよ」
「そうだったのか。ぜひ、見てくれよ。罪滅ぼしと思って、メシを食うのも忘れて働いたんだ」
あたまのほのおが消えたあと、カタクは、今までの償いがしたくて、町のみんなのために働くことに決めたのだ。ほのおが消えたカタクはとても働き者で、どんな苦しい仕事だろうと、文句も言わず熱心に働き続けた。そんなカタクのことを、町の人もだんだん見直すようになった。そして時計台の修理にも、参加させてもらえることになったのだ。カタクはほかのだれよりもいっしょうけんめい働き、そのかいもあって時計台はすっかり元に戻ったのだ。
「本当にあなた、りっぱな子になったのね。最近は町でも、あなたのことをよく言う人が多いのよ。あなたががんばって、身体をはって働いているから、多くの人から見直されているんだわ」
 もえちゃんにそう言われたカタクは、ただでさえ赤い顔をますます赤くして、てれくさそうに笑った。
「いやあ……ぜんぶ、コウちゃんのおかげだよ。コウちゃんのおかげで、あたまのほのおが消えたんだ。ラクになることができたんだ。自分のバカデカい身体をさ、食い物のためじゃなくて、人のために使えるようになったんだ……」
 コウちゃんもカタクももえちゃんも、みんなみんな和やかな気分だった。ちょうどその日は晴天で、さわやかな夏風が吹いていた。広場にならぶニレの木は、こずえを風にそよがせて、サワサワというやさしい音をあたりに振りまいていた。
 欲望に心が燃えさかっているうちは、本当のやすらぎがおとずれることなんて、ゼッタイにないのだ。いま、カタクは幸せだった。それはカタクの心が、透明な水のように、静かに澄み渡っているからなのだ。
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