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魔物の涙
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ガニメデが再び海底へと沈んでいってから、エルマー達はしばらく黙りこくっていた。その場の空気は、随分と静かなものであった。レイガンは難しい顔で口を噤んでいたが、ニアがよろよろと鎌首をもたげてくると、その腕を伸ばすようにしゃがみ込み、定位置である首元に戻れるように手助けをしてやった。
「……ニア、お前の話を聞かねばならない。」
「ああ、そうだなー。」
レイガンの指先が、そっとニアの体の側面を撫でた。滑らかな曲線部の鱗が、摩擦と共に光を移動させる。
しゅるりとレイガンの首を一周したニアが、眼の前の四人に目を向ける。そして、少しだけ悩んだ後、ゆっくりとした口調で語りだした。
「羅頭蛇はなー、探してるんだー。」
「探してる?」
「今、ニアの眼に宿っている羅頭蛇の片割れを。」
「目に宿ってる……あ?まて、お前の目に宿ってる羅頭蛇?海のど真ん中で暴れてる方の羅頭蛇じゃなくて?別の?」
素っ頓狂な声を上げたエルマーが、半信半疑で問いただす。これにはその場にいた他の四人も面食らった。ニアの瞳に宿っている御霊は、海で難破した船の乗組員だとか、身投げした人間の魂だと思っていたのだ。
「おいおいエルマー、ニアが海で拾ったんだから海の魔物だぞー!人間の話なんてしてないものなー!」
「いや、まあ、そりゃあ……」
それはそうなのだが、まさか海の魔物の魂を宿しているとは誰も思うまい。話を聞いていたアロンダートが、控えめに手を挙げる。
「質問、ニアの瞳に宿る魂は、海にいる羅頭蛇のなんなんだ。ガニメデが羅頭蛇の話に触れた時、僕たちが羅頭蛇の理を侵すなど許されないと言っていたろう。」
アロンダートが、先程のやり取りを振り返る。魔物には魔物の理がある、という言葉に興味を惹かれたようだ。
ガニメデが一介の海の魔物に対してここまでの理解を示すということは、おそらく意思の疎通が可能な、理性を持つ魔物であると読んだらしい。
レイガンが小さく頷くと、眉間に皺を寄せたエルマーが口を挟む。
「つまり、完全に俺らは蚊帳の外ってことで、人間を襲ってるっつうことはねえと?」
「まてまて、わからん!サジは頭が悪いんだ!もっとわかりやすく言え!」
「エルマー、端折りすぎだ。つまり海にいる方の羅頭蛇の目的は、彼らの理に基づいての行動だろう。けして人間を害する目的ではないということだ。」
苦笑いをしたアロンダートが、補足をするように付け足す。なんだか難しい話に、ナナシもサジも説明をされたところで顔を見合わせて首を傾げる。レイガンは溜め息を吐くと、そこにニアの話が絡んでくるんだ。と付け加える。
「羅頭蛇、俺は聞いたことなかったぜ。そんな魔物。」
「僕もだ。城に保管されている文献にも載ってはいなかった。彼らは百年生きているとガニメデは言っていたが、ナナシは知っていたか?」
「うぅ……おじいちゃんだからわかんないよう……」
確かに己もそれ以上生きてはいるが、と眉を下げる。ナナシにとって、魔物は意地悪でなければ基本的には友達だ。しかし、それはあくまでも陸上のことであり、流石に海の中までご挨拶をしにいったことはない。そしてナナシは泳げもしない。
へにょんと下がった大きなお耳を巻き込むようにしてエルマーが撫でる。とにかく圧倒的に情報が足りない。ガニメデに聞いてわかったのは、羅頭蛇が理知的で、理さえ侵さなければ大人しい魔物だということだ。
「海ん中でえ?」
「なんだ、急に。」
「いや、だってよ。」
再びエルマーが大袈裟に声を上げる。レイガンが聞き返せば、腕を組みながらしばらく下を向いていた。うんうんとひとしきり唸るように思考を巡らせる。やはり納得がいかなかったらしい。もう一度同じことを宣った。
「だから、なんだ。」
「だってよ、海ん中だったらラト何ちゃらのホームグラウンドだろう。」
「羅頭蛇な。まあ……海の魔物だからな……」
レイガンの言葉に、次いで声を上げたのはサジだ。どうやら今の話の流れで漸く内容に頭が追いついたらしい。びしりと手を挙げると、はいはいはい!!などと元気な声で叫ぶ。アロンダートだけではなく、続くようにサジまでも挙手制になったことは突っ込むべきだろうか。
「サジなら森から出ぬわ!!」
「サジ、おんもでてるよう?」
「それは今ではないわ馬鹿者。つまり、海の魔物ならわざわざ陸には近づかぬだろう!」
「ああ、それだあ。偶にはいいこと言うじゃねえの。」
サジの言葉で腑に落ちぬ部分がスコンと嵌ったらしい。エルマーが指を弾いてサジへ向けると、アロンダートがその指先をギュッと握る。
「……まて、羅頭蛇の理を侵したものは海のものではないのか?」
「海のものだぞー。」
「ニア、」
レイガンの言葉に、ニアが口を開く。
「深い海に住む筈の羅頭蛇が、なんでここまできたんだろうなー。」
「わざわざ、陸の側まで危険を冒して身を晒す……、つまりこちら側に姿を現さざるをえない理由、というのが陸にあるということか。」
「レイガン、そうだー。」
褒めるようにぺろぺろと頬を舐めるニアを窘める。エルマーの横で、ナナシがぴくりとお耳を跳ねさせた。
「らとうだ、かたわれって、えるみたいなのう?」
「んあー!そうなのか!?」
「だから、誰に聞いてんだよニアは」
「いや、ニアの中の羅頭蛇だろう。」
エルマーが、ナナシの言葉に片眉を上げる。白い手がぎゅうと無骨な手を握り締めてくる。なんだか、ナナシの様子がしょんもりとしている。暑さにでもやられたのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。エルマーの腕に額をくっつけると、ぽしょぽしょと話す。
「かたわれ、いないのさびしい。だからかなしんでる。ちがう?」
「沖の羅頭蛇はニアの瞳に宿ってる魂を探してるってことか?」
「ちがうぞー。羅頭蛇の習性的に、それはありえないなー。」
「おま、習性知ってんなら先に言えっての!」
めそめそしだしたナナシを宥めながら、エルマーは渋い顔でニアを見る。アロンダートもそこは気になっていたらしい。小さく頷くと、ニアは照れたように注目の的だなー。などと宣う。
「ニアだって全部知ってるわけじゃないぞ。だけど、羅頭蛇ってのは同種族で争って、勝者が敗者を喰らうんだ。そんな種族が、死んだ敗者に執着するとは思えないなー。」
「共食い、急に魔物じみてきたな……。」
サジは、擂粉木状の歯が生えた恐ろしい鮫に似た魔物が、仲間を喰らうシーンを思い浮かべる。そこまで想像してゾッとしたらしい。無言でアロンダートの腕を握ると、ふと気になっていたことを呟いた。
「ただ食うだけが勝利ならば、何を持ってしてその猛者を見分けるのだ。」
「そんなのニアが知るもんか。」
「まあ待て、習性はひとまず理解した。問題は、沖の羅頭蛇の目的だ。もしあいつが探しているものが陸にいるとするなら、闇雲に探して見つかるものなのか。」
「ニアは、海のものって言っていたが、サジは水陸共に生息できる魔物なんて知らんぞ。」
「おい、お前は曲がりなりにもハーフエルフなんだから知恵くらい出せや。」
けっと不貞腐れるサジに、エルマーが宣う。水陸共に暮らせる魔物なんているのだろうか。しかし海のもので、羅頭蛇の片割れとなると、イメージ的には半魚人のような絵面しか浮かばない。まあ、それはそれで見つけやすそうではあるが。と想像を膨らませていたエルマーを、レイガンが呆れた目でみやる。
「ニアの中の御霊の片割れ。取り敢えず俺は一度ギルドに戻って、半人半魚の魔物がいないか調べる方が得策だと思うが。」
「半魚人って意思疎通できんのかな。」
「疎通ができなかったら羅頭蛇の片割れなんぞできんだろう。馬鹿なのかエルマー。」
「あ!?おま、誰が馬鹿だコラァ!!」
「える!おこるする、いくないですよう!」
レイガンとエルマーのやり取りに挟まれたニアは、やれやれといわんばかりに溜め息を吐く。
先程から、ニアの中の御霊がそわついているのだ。陸、という仮定を出してからずっと。その小さなさざめきを抑えるように、ニアが蜷局を巻いてレイガンの首に寄り添った。
あの時の心象世界で、ニアの目の前に姿を現した羅頭蛇には名前があった。ラト、それが私の名だと自己紹介したのだ、間違いはない。単為生殖の魔物が名前をもらい、そして、
「あーーーーー!!!!!」
「っ、なんだ急に!耳元で大きな声を出すな!!」
「ナナシー!!名のないものへ名前をつけるって、どういう意味だー!!」
「う?」
唐突に大声で叫んだニアに、レイガンはうるさそうに顔を歪める。
指名をされたナナシはというと、キョトンとした顔でゆるく首を傾げた。数度瞬きをした後、逡巡をするかのようにしばし黙り込んだ。ちろりと己の膨らんだ腹を見る。まだ見ぬ己の子に想いを馳せるようにひと撫ですると、のんびりとした口調で宣う。
「とくべつなの。いっこしかない、なまえをつけるするの、とくべつのときだよう。」
「特別、ラト。お前にとっての特別が、何かをあいつにしたんだな。」
ナナシの言葉を聞いたニアは、その紫の瞳をつるりと光らせると、いつもの間延びした声ではない、静かに確かめるような口調で御霊に語りかける。ゆっくりと目を閉じたニアが、大人しく黙りこくった。瞳の中の御霊の心象世界と己を共鳴させているのだ。レイガンも、エルマー達も固唾を呑んで見守っている。ニアの呟いたラトというのが、御霊の名前なのだろうか。普通は魔物に名前なんてつけないだろう。だからこその小さな違和感は、皆一様に感じたのであった。
海の外まで逃げてきた片割れと、それを憂う御霊。そして、追いかけてきた魔物。三匹が少しずつ、一つの線で繋がり始めたのである。
「……ニア、お前の話を聞かねばならない。」
「ああ、そうだなー。」
レイガンの指先が、そっとニアの体の側面を撫でた。滑らかな曲線部の鱗が、摩擦と共に光を移動させる。
しゅるりとレイガンの首を一周したニアが、眼の前の四人に目を向ける。そして、少しだけ悩んだ後、ゆっくりとした口調で語りだした。
「羅頭蛇はなー、探してるんだー。」
「探してる?」
「今、ニアの眼に宿っている羅頭蛇の片割れを。」
「目に宿ってる……あ?まて、お前の目に宿ってる羅頭蛇?海のど真ん中で暴れてる方の羅頭蛇じゃなくて?別の?」
素っ頓狂な声を上げたエルマーが、半信半疑で問いただす。これにはその場にいた他の四人も面食らった。ニアの瞳に宿っている御霊は、海で難破した船の乗組員だとか、身投げした人間の魂だと思っていたのだ。
「おいおいエルマー、ニアが海で拾ったんだから海の魔物だぞー!人間の話なんてしてないものなー!」
「いや、まあ、そりゃあ……」
それはそうなのだが、まさか海の魔物の魂を宿しているとは誰も思うまい。話を聞いていたアロンダートが、控えめに手を挙げる。
「質問、ニアの瞳に宿る魂は、海にいる羅頭蛇のなんなんだ。ガニメデが羅頭蛇の話に触れた時、僕たちが羅頭蛇の理を侵すなど許されないと言っていたろう。」
アロンダートが、先程のやり取りを振り返る。魔物には魔物の理がある、という言葉に興味を惹かれたようだ。
ガニメデが一介の海の魔物に対してここまでの理解を示すということは、おそらく意思の疎通が可能な、理性を持つ魔物であると読んだらしい。
レイガンが小さく頷くと、眉間に皺を寄せたエルマーが口を挟む。
「つまり、完全に俺らは蚊帳の外ってことで、人間を襲ってるっつうことはねえと?」
「まてまて、わからん!サジは頭が悪いんだ!もっとわかりやすく言え!」
「エルマー、端折りすぎだ。つまり海にいる方の羅頭蛇の目的は、彼らの理に基づいての行動だろう。けして人間を害する目的ではないということだ。」
苦笑いをしたアロンダートが、補足をするように付け足す。なんだか難しい話に、ナナシもサジも説明をされたところで顔を見合わせて首を傾げる。レイガンは溜め息を吐くと、そこにニアの話が絡んでくるんだ。と付け加える。
「羅頭蛇、俺は聞いたことなかったぜ。そんな魔物。」
「僕もだ。城に保管されている文献にも載ってはいなかった。彼らは百年生きているとガニメデは言っていたが、ナナシは知っていたか?」
「うぅ……おじいちゃんだからわかんないよう……」
確かに己もそれ以上生きてはいるが、と眉を下げる。ナナシにとって、魔物は意地悪でなければ基本的には友達だ。しかし、それはあくまでも陸上のことであり、流石に海の中までご挨拶をしにいったことはない。そしてナナシは泳げもしない。
へにょんと下がった大きなお耳を巻き込むようにしてエルマーが撫でる。とにかく圧倒的に情報が足りない。ガニメデに聞いてわかったのは、羅頭蛇が理知的で、理さえ侵さなければ大人しい魔物だということだ。
「海ん中でえ?」
「なんだ、急に。」
「いや、だってよ。」
再びエルマーが大袈裟に声を上げる。レイガンが聞き返せば、腕を組みながらしばらく下を向いていた。うんうんとひとしきり唸るように思考を巡らせる。やはり納得がいかなかったらしい。もう一度同じことを宣った。
「だから、なんだ。」
「だってよ、海ん中だったらラト何ちゃらのホームグラウンドだろう。」
「羅頭蛇な。まあ……海の魔物だからな……」
レイガンの言葉に、次いで声を上げたのはサジだ。どうやら今の話の流れで漸く内容に頭が追いついたらしい。びしりと手を挙げると、はいはいはい!!などと元気な声で叫ぶ。アロンダートだけではなく、続くようにサジまでも挙手制になったことは突っ込むべきだろうか。
「サジなら森から出ぬわ!!」
「サジ、おんもでてるよう?」
「それは今ではないわ馬鹿者。つまり、海の魔物ならわざわざ陸には近づかぬだろう!」
「ああ、それだあ。偶にはいいこと言うじゃねえの。」
サジの言葉で腑に落ちぬ部分がスコンと嵌ったらしい。エルマーが指を弾いてサジへ向けると、アロンダートがその指先をギュッと握る。
「……まて、羅頭蛇の理を侵したものは海のものではないのか?」
「海のものだぞー。」
「ニア、」
レイガンの言葉に、ニアが口を開く。
「深い海に住む筈の羅頭蛇が、なんでここまできたんだろうなー。」
「わざわざ、陸の側まで危険を冒して身を晒す……、つまりこちら側に姿を現さざるをえない理由、というのが陸にあるということか。」
「レイガン、そうだー。」
褒めるようにぺろぺろと頬を舐めるニアを窘める。エルマーの横で、ナナシがぴくりとお耳を跳ねさせた。
「らとうだ、かたわれって、えるみたいなのう?」
「んあー!そうなのか!?」
「だから、誰に聞いてんだよニアは」
「いや、ニアの中の羅頭蛇だろう。」
エルマーが、ナナシの言葉に片眉を上げる。白い手がぎゅうと無骨な手を握り締めてくる。なんだか、ナナシの様子がしょんもりとしている。暑さにでもやられたのかと思ったのだが、どうやら違うらしい。エルマーの腕に額をくっつけると、ぽしょぽしょと話す。
「かたわれ、いないのさびしい。だからかなしんでる。ちがう?」
「沖の羅頭蛇はニアの瞳に宿ってる魂を探してるってことか?」
「ちがうぞー。羅頭蛇の習性的に、それはありえないなー。」
「おま、習性知ってんなら先に言えっての!」
めそめそしだしたナナシを宥めながら、エルマーは渋い顔でニアを見る。アロンダートもそこは気になっていたらしい。小さく頷くと、ニアは照れたように注目の的だなー。などと宣う。
「ニアだって全部知ってるわけじゃないぞ。だけど、羅頭蛇ってのは同種族で争って、勝者が敗者を喰らうんだ。そんな種族が、死んだ敗者に執着するとは思えないなー。」
「共食い、急に魔物じみてきたな……。」
サジは、擂粉木状の歯が生えた恐ろしい鮫に似た魔物が、仲間を喰らうシーンを思い浮かべる。そこまで想像してゾッとしたらしい。無言でアロンダートの腕を握ると、ふと気になっていたことを呟いた。
「ただ食うだけが勝利ならば、何を持ってしてその猛者を見分けるのだ。」
「そんなのニアが知るもんか。」
「まあ待て、習性はひとまず理解した。問題は、沖の羅頭蛇の目的だ。もしあいつが探しているものが陸にいるとするなら、闇雲に探して見つかるものなのか。」
「ニアは、海のものって言っていたが、サジは水陸共に生息できる魔物なんて知らんぞ。」
「おい、お前は曲がりなりにもハーフエルフなんだから知恵くらい出せや。」
けっと不貞腐れるサジに、エルマーが宣う。水陸共に暮らせる魔物なんているのだろうか。しかし海のもので、羅頭蛇の片割れとなると、イメージ的には半魚人のような絵面しか浮かばない。まあ、それはそれで見つけやすそうではあるが。と想像を膨らませていたエルマーを、レイガンが呆れた目でみやる。
「ニアの中の御霊の片割れ。取り敢えず俺は一度ギルドに戻って、半人半魚の魔物がいないか調べる方が得策だと思うが。」
「半魚人って意思疎通できんのかな。」
「疎通ができなかったら羅頭蛇の片割れなんぞできんだろう。馬鹿なのかエルマー。」
「あ!?おま、誰が馬鹿だコラァ!!」
「える!おこるする、いくないですよう!」
レイガンとエルマーのやり取りに挟まれたニアは、やれやれといわんばかりに溜め息を吐く。
先程から、ニアの中の御霊がそわついているのだ。陸、という仮定を出してからずっと。その小さなさざめきを抑えるように、ニアが蜷局を巻いてレイガンの首に寄り添った。
あの時の心象世界で、ニアの目の前に姿を現した羅頭蛇には名前があった。ラト、それが私の名だと自己紹介したのだ、間違いはない。単為生殖の魔物が名前をもらい、そして、
「あーーーーー!!!!!」
「っ、なんだ急に!耳元で大きな声を出すな!!」
「ナナシー!!名のないものへ名前をつけるって、どういう意味だー!!」
「う?」
唐突に大声で叫んだニアに、レイガンはうるさそうに顔を歪める。
指名をされたナナシはというと、キョトンとした顔でゆるく首を傾げた。数度瞬きをした後、逡巡をするかのようにしばし黙り込んだ。ちろりと己の膨らんだ腹を見る。まだ見ぬ己の子に想いを馳せるようにひと撫ですると、のんびりとした口調で宣う。
「とくべつなの。いっこしかない、なまえをつけるするの、とくべつのときだよう。」
「特別、ラト。お前にとっての特別が、何かをあいつにしたんだな。」
ナナシの言葉を聞いたニアは、その紫の瞳をつるりと光らせると、いつもの間延びした声ではない、静かに確かめるような口調で御霊に語りかける。ゆっくりと目を閉じたニアが、大人しく黙りこくった。瞳の中の御霊の心象世界と己を共鳴させているのだ。レイガンも、エルマー達も固唾を呑んで見守っている。ニアの呟いたラトというのが、御霊の名前なのだろうか。普通は魔物に名前なんてつけないだろう。だからこその小さな違和感は、皆一様に感じたのであった。
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