名無しの龍は愛されたい。−鱗の記憶が眠る海−

だいきち

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はぐれものの正体

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 張り詰めた空気がその場を支配する。ナナシの隣のギンイロは、翡翠の瞳を真っ直ぐに岩場の影に向けたまま動かない。貨物船が波によってわずかに揺れている。真横のビーチにはありふれた日常があるというのに、今二人を包む空気は明らかに異様であった。
 目を凝らせば、岩場の隙間からはぼろ切れのような布が揺蕩っている。胸元の生地を握り締め、緊張した面持ちでナナシが一歩踏み出そうとした時だった。
 
「ひゃ、っ」
 
 唐突に、ナナシの手首が後ろから掴まれた。思わず驚いた声が漏れた瞬間、引き寄せられるように、ナナシは追いついたエルマーの背後に回された。広い背中が、先程ナナシの感じた小さな違和感を遮る。
 エルマーは一点を見つめたまま、嗜めるようにナナシに言った。
 
「好奇心旺盛なのはマジで勘弁してくれえ。心臓持たねえや。」
「える、」
「じきにあいつらもくる。ナナシはそこにいろ。俺が見てくっから。」
 
 エルマーの顔つきが真剣な色を宿す。ギンイロの体に押し付けるようにして後ろに下がらせられたナナシは、思わず前に出たエルマーに声をかけた。
 得体の知れないものの気配がある今、迂闊に近づくことは危険だ。それなのに、エルマーときたらナナシの心配に片手をあげるだけで答えると、ずかずかとその岩場の影へと向かって行く。
 その時だった。空気を震わすように、貨物船の汽笛が二回鳴る。大きな音に海鳥が飛び立った瞬間、エルマーは腰のインベントリに手を添えた。
 
「っ、と!」
 
 潮の匂いが強く香り、岩場の地べたに散らばっていた砂利がはじけた。黒い布のようなものが真っ直ぐエルマーに向かって襲い掛かってきた。すんでのところで取り出した棒のようなもので受け止める。
 キツく巻きついたそれが、棒を真っ二つにへし折った。瞬間、素早く足に身体強化の術を施したエルマーが、一息に空中へと飛び上がる。体をひねるようにして、体勢を整えると、その鋭い金眼は軌跡を描きながら害を為した相手を捉えた。
 
「お前、」
「ーーーーーっ!」
 
 ひときわ強く吹いた風が、相手の纏っていたぼろ布を取り払う。エルマーと同じ、金色の瞳と視線が交差する。まだあどけなさの残る少年の顔だった。
 あまりに予想だにしなかったその姿に、エルマーが着地と同時に構えを解くと、少年はしなやかに腕を伸ばした。
 
「だから、お前のそれはなんだってんだ!」
「っチ、」
 
 空を裂くような音を立てながら繰り出された黒いそれを、体をずらすことで避けた。近場の岩が破壊された威力を見るに、当たったらタダでは済まないだろう。
 引き攣り笑みを浮かべると、ふわりとした風が肌を撫でた。
 
「あてる。」

 端的な言葉と共に、瞬きの間に肉薄した少年が、下から突き上げるかのような蹴りを繰り出した。

「っぁぶね、っ!」

 いつの間に懐に入られたのかはわからない。エルマーは慌てて腕を交差させるかのようにして受け止めると、鈍く響く重い蹴りが、そのままエルマーの体を弾き飛ばした。
 
「えるまー!」
「ナナシサガッテ、」
 
 悲鳴混じりに、ナナシが叫んだ。目の前の少年が操っていたのは彼の髪のようで、背後のナナシの声に反応をして振り向くと、その黒髪が扇状に広がった。
 ギンイロが駆け出す。パチリとその身に電気を纏わせたのを金の瞳に留めると、少年は整った鼻梁を歪ませ、両腕を前に突き出すようにして黒髪を硬質な盾へと変える。
 
「ぐ、っ」
「キカナイ?」
 
 バチン!空気を弾くような鋭い音が鳴った。向かったギンイロの放つ一打が防がれる。シールドのように展開された長い黒髪によって、属性魔法が弾かれたのだ。
 ギンイロがその目を見開けば、広がった黒髪が寄り添うようにして、しゅるりと少年の腕に巻きついた。
 ナナシとの間は、ギンイロを挟んでおよそ三メートル程だ。毛を逆立てたギンイロが警戒するように立ちはだかる。
 目の前の少年は、肩で息をするようにして、立ち塞がっている。鋭い金眼に、射干玉ぬばたまの黒髪。そして白い肌に、ショートパンツを穿いているかのように覆われた鱗の下肢。小刻みに震える少年の薄い掌に気がつくと、ナナシは戸惑ったように瞳を揺らした。
 
 何かに怯えているように見えたのだ。呼吸は短く、浅い。まるで何かを覚悟するかのように少年が一歩踏み出す。その金眼に再びナナシを捉えると、バキリと己の手を鳴らした。
 
「邪魔する、お前もか。」
「チカヅクナ、マタハナツゾ。」
「いい。防ぐ。」
 
 ざわりと再び少年の魔力が揺らめく。マントのようにその黒髪がゆっくりと広がり、再びその髪を操ろうと手をあげた時だった。
 
「待てや。」
「な、」
 
 少年の周りの空気がぐんと重くなる。蹴り飛ばした筈のエルマーの声が聞こえたかと思えば、少年は足が動かせないことに気がついた。
 下を向けば、己の足を鷲掴むようにして、異形の黒い腕が地面から生えている。異様な光景に気を取られた瞬間、エルマーの放った仕返しのような鋭い蹴りが真横から飛んできた。
 
「なん、」
「よそ見してんじゃねえっての!」 
「が、……っ!」
 
 拘束された足はいつの間にか外されていた。少年の体は礫を弾くようにして蹴り飛ばされ、地べたを跳ねる。
 影から姿を現したミュクシルが少年に飛びかかると、大きな口を開けて襲い掛かろうとした。
 
「やめろーーーーーー!!!!!」
「はあ!?」
 
 どこからともなくニアの叫ぶ声が聞こえたかと思うと、少年からミュクシルを引き剥がすかのようにして、地面を突き破って現れた。ニアはまるで敵意から守るかのように、己の蜷局の内側に少年を囲う。
 飛び退ったミュクシルがエルマーの横に侍ると、次いで飛んできたのは、レイガンの叫ぶ声だった。
 
「何をしている!!!」
 
 唐突に姿を消したニアが、大きな姿となってエルマーたちの前に現れたことに驚いたらしい。
 敵対するかのように見下ろしていたニアは、徐々に理性が戻ってくると戸惑ったような顔でレイガンを見た。
 黒い羽が舞い、アロンダートに跨ったサジまでもがエルマー達の横に降り立った。白い体を日の光に反射させたニアは、鱗を擦り合わせるかのように身を縮こまらせると、その紫の瞳を光らせながらエルマーを見下ろした。
 
「どけ。先に仕掛けてきたのはそいつだ。肩持つってのかよ。」
「エルマー、よくない、よくないなー。ちょっと落ち着け。」
「ニア、落ち着くのはお前の方だ。今のでどうやってそいつを守る流れになる。」
 
 上空から一部始終を見ていたらしい。サジが渋い顔をして歩み出る。心なしか居心地が悪そうに首をすくませるニアは、どうやら守ったのは完全に無意識だったらしい。しばらく黙りこくった後、己の蜷局の内側を覗き込むようにして少年を見た。
 
「……はぐれものめ。こんなとこまでこなくたっていいじゃないか。」
「お前。」

 ニアの白く滑らかな肢体に手を添え見上げた少年が、戸惑ったように瞳を揺らしてニアを見上げる。陽の光を遮るかのようなニアの大きさにも物怖じすることはなく、少年はピクリと目元を震わせると、よろめくようにしてニアの体に凭れ掛かる。
 
「てき、」
「違うよおばかめ。」
 
 端的な言葉だけを発するのがやっとのようだった。カクリと膝を折ると、そのままずるずるとニアの鱗に体を擦るようにして地べたに膝をつく。
 どうやら、ずっと気を張り詰めていた緊張の糸が切れたらしい。長い黒髪を広げるように倒れ伏し、意識を失う少年に少しだけ焦った顔をすると、ニアは蜷局を巻き直すかのようにしてその体高を縮める。
 
「ニア、」
「ったく、なんだってんだまじで。んとにどいつもこいつも説明もしねえで……。」
 
 疲れた顔をしたエルマーが、落ちていた棒を拾う。少年の攻撃の犠牲になったのはナナシの虫取り網であった。折れたそれを片手にナナシの元に歩み寄ると、そっと腰を引き寄せる。
 
「怪我はねえ?」
「える、あの。」
「ギンイロノビリビリトオラナカッタ!!!ヤダーー!!」
 
 ギャンギャンと不服を表すようにギンイロが吠えながら、ナナシの脇の下から顔を出す。何かいいかけたナナシは、そっと宥めるようにギンイロの頭を撫でると眉を下げ、伺うように倒れ伏した少年に目を向ける。
 華奢な体の横では、ニアと共にレイガンが膝をついて様子を見ていた。長い黒髪をそっと横にずらす。人にしては異様に肌が白く、そして下肢を隠すかのように覆われた鱗が目についた。
 この少年は、今回の討伐依頼を受けた際、魔物を確認する為に足を運んだ崖下で、出会ったものと同一人物であった。
 整った顔立ちはやつれ、くたりとしている。なるほど女だと思ったがどうやら違うらしいと理解すると、レイガンはその体を抱き上げた。
 体は思った以上に軽く、そして体格もナナシと変わらないくらい小柄であった。
 
「なんかすげえ嫌な予感すんだけどお。」
「ニアが反応した。つまりはそういうことだろう。例の探し人はこいつかもしれない。」
「おいおいマジかよ、……つか男……」
 
 レイガンの体に巻きつくようにして侍るニアは、その紫の瞳に心配の色を滲ませたまま、意識を失った少年の顔を覗き込む。
 腕の中の少年は、小さく呻いたかと思うとその整った表情をわずかに歪めた。
 少年の頬についた砂を、ナナシが拭ってやる。そのまま心底面倒臭そうな顔をしたエルマーの腕にくっつくと、ぽしょりと呟いた。
 
「おびえてた……」
「あ?」
「二人とも、何をしている。ひとまずここじゃまずい。一度戻るぞ。早くこい。」
 
 小さな声で何かを呟いたナナシにエルマーが反応を返したのも束の間で、レイガンが声をかけてきた。先程のやり合いは遠目からでもわかったらしい。ビーチの方を見れば、確かに少しずつではあるが、こちらを気にするものがちらほらと現れる。
 戻るったってどこに。エルマーはそんなことを思ったが、まさか襲い掛かってきたそいつの看病を申し付けられるのだろうか。
 引き攣り笑みは浮かべたが、ずっとこのままでも良いわけがない。
 ナナシの様子もなんだか変だし、こりゃあ一筋縄ではいきそうもねえわと、改めてこの先に待ち構えている大きな面倒事の気配に、エルマーは深い溜め息を吐いた。


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