36 / 53
素直な心
しおりを挟む
シューロは、ラトの言った言葉が理解できなかった。
繁殖と同じ、それが羅頭蛇の求愛?求愛って、シューロがラトにした告白と同じことだろうか。
淡々としたラトの声を耳にして、シューロは己の喉を震わせた。肺に詰まった息が大きな泡となって口から出てしまいそうで、その苦しい感覚が今はひたすらに怖かった。
番いであるのは自分の筈なのに、それは一体どういうことなのだろう。シューロは言葉を失ったように黙りこくり、瞬きも忘れたまま、ラトから視線を外す。
そんな様子に違和感を覚えたのか、ラトは小さく身動ぐように反応を示すと、深淵の眼で狼狽えるシューロを映した。
「どうしたシューロ。私は、また何かをしてしまったのだろうか。」
ラトは、落ち込んだ様子のシューロを前に、どうしたらいいものかと困惑した。
もちろん、シューロだってそんな表情をさせたい訳ではない。それでも、耳に残った繁殖の単語はひどく印象深かったのだ。
理性的なラトが、本能を揺さぶられるようにして闘ったと言うのか。つまりそれは、シューロ以外の求愛に応えたことになるのではないか。
「ラ、ラト、は、もう……ぼ、ボクが、いらないの……」
震える声色でシューロが紡いだ不安は、音となってラトの元へと運ばれる。震える手を隠すかのように握りしめたシューロを前に、ラトは大きな口をパカリと開け、しばしの間絶句したように動きを止めた。
ラトとシューロの間を、フヨフヨと小さな魚が泳いでいく。目の前の呑気そうな小魚の様子が羨ましくなるくらい、今度はシューロの発言にラトが動揺する番であった。
「……、ま、待ってくれ、シューロ……一体、」
ごぼりと一際大きな泡がラトの口から溢れでた。それはわかりやすく動揺をした証で、ラトは陸に打ち上がった魚かのように口をぱくぱくと開閉させながら、言葉を絞り出そうとしていた。
ラトの様子は、シューロに見られずに済んだ。先程のシューロの心の荒ぶりが移ってしまったかのように、今度は己の情緒が忙しなくなってしまった。
間抜けにも何度も口の中を晒して、その分厚い舌をもつれさせながら言葉を探すラトの姿は、初めて見せるものだった。
心臓に悪い出来事が繰り返し起こったことで、ラトの体内温度は何回も下がったのだ。いくら冷たいところが好きだとは言っても、そういう意味ではない。
きっと、ラトがシューロと同じ姿だったら、冷や汗を吹き出して、大いに取り乱していただろう。
胸元で、よりどころなく組まれたシューロの掌に縋り付いてしまいたい。ラトは、シューロが離れて行かないように、己の長い尾鰭で華奢な体を囲うことしかできなかった。
少々吊り気味の、形の良いシューロの金色の宝石にも似た双眸が、今にも溶けてしまいそうな光を宿す。ラトはそんなシューロを前にして、大いに顔を青褪めさせた。まあ、見た目の変化には表れないのだが。
「ぼ、ボクがラトの、つ、番い、なのに、」
「あ、ああ、ああ勿論だ……!」
「は、繁殖、って、」
「あ、ああ、そう、そうだな……!」
「う、……っ……」
いよいよシューロの瞳から大粒の涙が溢れた。ラトは、シューロの変化を目の当たりにし、身を強ばらせるかのようにして動きを止めた。
どうしたらいい。なんでシューロは泣いている。また私が泣かせてしまったのか。ああ、そんなに涙を溢したら目が腫れてしまう。海藻で腫れは取れるのだろうか。もしかして、まだ体の具合が悪いのだろうか。いや、でも先程までは至って普通だった。
一体何が引き金になってしまったのだろう。思い出せ、思い出せラト。番いを悲しませているのは、間違いなく己自身だぞ。
穏やかな顔をしてはいるが、ラトの頭は理由探しに思考を巡らせる。シューロの背後では、その背に触れてもいいのだろうかと決めあぐねている長い尾鰭が、困ったようにチロチロと動いている。
目元を拭ったシューロの嫋やかな掌が、静かに大騒ぎをしているラトの情緒を宥めるように、そっと口元に触れた。
「ラトは……、っ、ぼ、ボクが他のネレイスと繁殖、してもいいの……っ」
「それだけは断固として許さない。」
「でも、ラ、ラトはするんでしょ……っ」
嗚咽混じりのシューロの言葉に即答したラトの目が、クワリと大きく見開かれた。己の瞼は、こんなにも可動するのかと限界を初めて経験したのだが、今はそんなことはどうだっていい。
なるほど。己の発言にまたしても問題があったのだとようやく理解をすると、ラトは添えられたシューロの掌に鼻先を押し付けるように寄り添う。
どうやら再び己の言葉足らずの悪癖が出たらしい。死んでも治らなかったらどうしようと落ち込みつつも、今度こそ誤解を生まないようにと気を配りながら、ラトはゆっくりと口を開いた。
「違う、いや、違わないけど、違うんだ。」
「な、何、が……っ」
細い喉元が、苦しそうに上下する。ラトは、そんな痛々しいシューロを前にして、複雑な感情に見舞われていた。
番いが泣いているのは、己が別の羅頭蛇に心を傾けているからだ。そう、勘違いしていることが理由だと理解してしまった。故に、ラトの情緒は、また別の形で忙しなくなってしまったのだ。
己の番いに愛されていることを強く自覚してしまった。ラトは、申し訳なさと愛しさがないまぜになって、己の身の内の細胞が騒ぎ立てるから心の中が忙しい。
ゆっくりとしたラトの鼓動は、己の耳に聞こえてしまうほどドキドキとしている。ラトはシューロの手を押しやると、まろい頬に鼻先をちょんと当てた。
あの時、イルカの子供がやっていたことを目の当たりにして不満に思った。だからこそ、いつかは己もやってやろうと思っていたのだ。
「ラト……?」
「……これは、力加減が難しいな。」
シューロを口の中に入れる方が、簡単だとは笑えてしまう。己のやったことに対して、照れ隠しをするかのように、ラトは鰭をゆったりと動かした。
「私は、本能だとは言ったが、同族に対してはシューロに向けるような感情を持ち合わせてはいない。」
「ボク……へ、の?」
「こんなに感情を揺さぶられるのも、胸が苦しくなるのも、その熱い手のひらが恋しいと思うのも、全部私の忙しない情緒を作り出すのは君だけだ。」
相変わらずの抑揚もない淡々とした話し方は、端から見れば怒っているのだろうか。とも思われてしまうだろう。それでもラトは気にしない。感情の変化は、シューロにだけわかってもらえれば問題はないからだ。
「……ぁえ、っと、」
ラトの独白にも聞こえるそれを、シューロはしばらくの間大人しく聞いていた。しかし、それも話の序盤までである。ラトが真っ直ぐに向けた言葉の数々に、今度はシューロの体温が一度上がる番になってしまった。
長い黒髪が、バサリと広がった。シューロの体の防御反応が、急激な体温の上昇に応えたのだ。己の髪を大慌てで宥めるシューロは、ラトの前で二度顔を赤くした。
「ちょ、っと待って、違う、ボクは平気だから、っ」
「もしかして、照れたのか。」
「や、ち、ちが、えっと、う、うわっ、またっ」
バサリと再び広がった髪を、シューロが手で纒めるようにして抱きしめる。ポカンとしているラトの視線に居た堪れなさそうな顔で俯いた。
「……私は、嬉しい。」
「う、うれしい?」
「嬉しいよ。シューロのその反応は、つまり私のせいなのだろう?泣かせてしまったことより、此方の方が気持ちがいい。」
シューロの反応を前に、ラトがその身を縦にうねらせる。シューロが一喜一憂する姿は、ラトにとって栄養なのかもしれない。先程までの騒がしかった身の内はようやく大人しくなった。今はまた違った様子で照れているシューロを前に、ラトは実に満足そうである。
「でも、」
「なんだ。」
実に上機嫌になったラトが、シューロを穏やかに見つめる。細い腕で長い黒髪を抱きしめた番いは、意を決するかのように顔を上げた。
頬の赤みはまだ残っている。しかし、どことなく揶揄ってはいけないような雰囲気がする。
ラトはシューロの言葉を待つことにした。そうでもしないと、ラト自身もまた気恥ずかしくなるようなことを口走ってしまいそうだったからだ。
「また、会うかもしれないでしょ……」
「それは、まあ……いつになるのかはわからないが……。」
「でも、嫌だ……。」
ラトの相槌にチョンと唇を突き出した。不服そうなシューロの顔に再びの不満を感じて、ラトは少しだけ喜んでしまった。しかし、それをまた口にしたら拗ねてしまうかもしれない。
シューロの体を囲うように、ラトがその身を侍らせる。己の顔に小さな手が触れると、そっとシューロが寄り添った。
「……遠慮をしないで口にすればいい。君は私の番いだし、私は君の番いだ。いつぞやのイルカの母君も言っていただろう。番いの願いには応えなくてはと。」
「それ、ボクは知らなかったけど、そうなの……?」
「すまん、言ったつもりになっていたかもしれない。」
窺うように、ラトの瞳がシューロを見つめる。長い尾鰭が、シューロの体を支えるようにして背中に回った。
ラトの大人の余裕を感じてしまって、シューロは少しだけ悔しかった。
「……か、」
「うん。」
「海溝の近くはやだ、……ま、またラトが求愛されちゃうかもしれないから。」
ぽそりと呟かれたのち、シューロの手がキュッと指を握り込む。二人の寝床を変えたいという我儘が通るのだろうか。シューロは少しだけ勇気を振り絞っておねだりをしてみたのだが、ラトが嫌だというのであれば、それもまた仕方がないとも思っていた。
しかし、ラトは違った。
「ああ、そうしようか。」
「え、」
「私はシューロと共になら、特段こだわりもないからな。」
強いていうなら、広い場所がいいかな。と冗談めかしに宣った。
シューロはラトの反応に、数度瞬きをしたのち、形のいい唇をムニリと真一文字にひき結んだ。己の我儘が通ってしまったことも驚いたのだが、ラトの言葉で、シューロと共になら。と言われて嬉しくなってしまったのだ。
「なんだ、それはどういう感情だ?」
「な、なんでもない……」
「なんでもないのに、そんな顔になるのか?もしかしてまだ怒ってるのか。」
「怒ってない、し、い、今こっち見ないで。」
「シューロ、ああ、やっぱりまだ怒っているだろう?すまない、機嫌を戻してくれ。この通りだ。」
「ほ、ほんとになんでもないから、っ」
シューロが顔を隠すように頬に手を添える。そのままくるりと背を向ける様子に、ラトは心底参ったと言わんばかりの声色で哀願しながら、逃げるシューロの背中を追いかけるのであった。
ラトが、後悔をしてしまうようなことにならなくてよかった。シューロの金色の瞳にラトが映る。傷が残れば、きっとラトはそれを引きずってしまうかもしれない。シューロは口にこそ出しはしなかったが、己の体が綺麗に治ったことに、内心はホッとしていた。
繁殖と同じ、それが羅頭蛇の求愛?求愛って、シューロがラトにした告白と同じことだろうか。
淡々としたラトの声を耳にして、シューロは己の喉を震わせた。肺に詰まった息が大きな泡となって口から出てしまいそうで、その苦しい感覚が今はひたすらに怖かった。
番いであるのは自分の筈なのに、それは一体どういうことなのだろう。シューロは言葉を失ったように黙りこくり、瞬きも忘れたまま、ラトから視線を外す。
そんな様子に違和感を覚えたのか、ラトは小さく身動ぐように反応を示すと、深淵の眼で狼狽えるシューロを映した。
「どうしたシューロ。私は、また何かをしてしまったのだろうか。」
ラトは、落ち込んだ様子のシューロを前に、どうしたらいいものかと困惑した。
もちろん、シューロだってそんな表情をさせたい訳ではない。それでも、耳に残った繁殖の単語はひどく印象深かったのだ。
理性的なラトが、本能を揺さぶられるようにして闘ったと言うのか。つまりそれは、シューロ以外の求愛に応えたことになるのではないか。
「ラ、ラト、は、もう……ぼ、ボクが、いらないの……」
震える声色でシューロが紡いだ不安は、音となってラトの元へと運ばれる。震える手を隠すかのように握りしめたシューロを前に、ラトは大きな口をパカリと開け、しばしの間絶句したように動きを止めた。
ラトとシューロの間を、フヨフヨと小さな魚が泳いでいく。目の前の呑気そうな小魚の様子が羨ましくなるくらい、今度はシューロの発言にラトが動揺する番であった。
「……、ま、待ってくれ、シューロ……一体、」
ごぼりと一際大きな泡がラトの口から溢れでた。それはわかりやすく動揺をした証で、ラトは陸に打ち上がった魚かのように口をぱくぱくと開閉させながら、言葉を絞り出そうとしていた。
ラトの様子は、シューロに見られずに済んだ。先程のシューロの心の荒ぶりが移ってしまったかのように、今度は己の情緒が忙しなくなってしまった。
間抜けにも何度も口の中を晒して、その分厚い舌をもつれさせながら言葉を探すラトの姿は、初めて見せるものだった。
心臓に悪い出来事が繰り返し起こったことで、ラトの体内温度は何回も下がったのだ。いくら冷たいところが好きだとは言っても、そういう意味ではない。
きっと、ラトがシューロと同じ姿だったら、冷や汗を吹き出して、大いに取り乱していただろう。
胸元で、よりどころなく組まれたシューロの掌に縋り付いてしまいたい。ラトは、シューロが離れて行かないように、己の長い尾鰭で華奢な体を囲うことしかできなかった。
少々吊り気味の、形の良いシューロの金色の宝石にも似た双眸が、今にも溶けてしまいそうな光を宿す。ラトはそんなシューロを前にして、大いに顔を青褪めさせた。まあ、見た目の変化には表れないのだが。
「ぼ、ボクがラトの、つ、番い、なのに、」
「あ、ああ、ああ勿論だ……!」
「は、繁殖、って、」
「あ、ああ、そう、そうだな……!」
「う、……っ……」
いよいよシューロの瞳から大粒の涙が溢れた。ラトは、シューロの変化を目の当たりにし、身を強ばらせるかのようにして動きを止めた。
どうしたらいい。なんでシューロは泣いている。また私が泣かせてしまったのか。ああ、そんなに涙を溢したら目が腫れてしまう。海藻で腫れは取れるのだろうか。もしかして、まだ体の具合が悪いのだろうか。いや、でも先程までは至って普通だった。
一体何が引き金になってしまったのだろう。思い出せ、思い出せラト。番いを悲しませているのは、間違いなく己自身だぞ。
穏やかな顔をしてはいるが、ラトの頭は理由探しに思考を巡らせる。シューロの背後では、その背に触れてもいいのだろうかと決めあぐねている長い尾鰭が、困ったようにチロチロと動いている。
目元を拭ったシューロの嫋やかな掌が、静かに大騒ぎをしているラトの情緒を宥めるように、そっと口元に触れた。
「ラトは……、っ、ぼ、ボクが他のネレイスと繁殖、してもいいの……っ」
「それだけは断固として許さない。」
「でも、ラ、ラトはするんでしょ……っ」
嗚咽混じりのシューロの言葉に即答したラトの目が、クワリと大きく見開かれた。己の瞼は、こんなにも可動するのかと限界を初めて経験したのだが、今はそんなことはどうだっていい。
なるほど。己の発言にまたしても問題があったのだとようやく理解をすると、ラトは添えられたシューロの掌に鼻先を押し付けるように寄り添う。
どうやら再び己の言葉足らずの悪癖が出たらしい。死んでも治らなかったらどうしようと落ち込みつつも、今度こそ誤解を生まないようにと気を配りながら、ラトはゆっくりと口を開いた。
「違う、いや、違わないけど、違うんだ。」
「な、何、が……っ」
細い喉元が、苦しそうに上下する。ラトは、そんな痛々しいシューロを前にして、複雑な感情に見舞われていた。
番いが泣いているのは、己が別の羅頭蛇に心を傾けているからだ。そう、勘違いしていることが理由だと理解してしまった。故に、ラトの情緒は、また別の形で忙しなくなってしまったのだ。
己の番いに愛されていることを強く自覚してしまった。ラトは、申し訳なさと愛しさがないまぜになって、己の身の内の細胞が騒ぎ立てるから心の中が忙しい。
ゆっくりとしたラトの鼓動は、己の耳に聞こえてしまうほどドキドキとしている。ラトはシューロの手を押しやると、まろい頬に鼻先をちょんと当てた。
あの時、イルカの子供がやっていたことを目の当たりにして不満に思った。だからこそ、いつかは己もやってやろうと思っていたのだ。
「ラト……?」
「……これは、力加減が難しいな。」
シューロを口の中に入れる方が、簡単だとは笑えてしまう。己のやったことに対して、照れ隠しをするかのように、ラトは鰭をゆったりと動かした。
「私は、本能だとは言ったが、同族に対してはシューロに向けるような感情を持ち合わせてはいない。」
「ボク……へ、の?」
「こんなに感情を揺さぶられるのも、胸が苦しくなるのも、その熱い手のひらが恋しいと思うのも、全部私の忙しない情緒を作り出すのは君だけだ。」
相変わらずの抑揚もない淡々とした話し方は、端から見れば怒っているのだろうか。とも思われてしまうだろう。それでもラトは気にしない。感情の変化は、シューロにだけわかってもらえれば問題はないからだ。
「……ぁえ、っと、」
ラトの独白にも聞こえるそれを、シューロはしばらくの間大人しく聞いていた。しかし、それも話の序盤までである。ラトが真っ直ぐに向けた言葉の数々に、今度はシューロの体温が一度上がる番になってしまった。
長い黒髪が、バサリと広がった。シューロの体の防御反応が、急激な体温の上昇に応えたのだ。己の髪を大慌てで宥めるシューロは、ラトの前で二度顔を赤くした。
「ちょ、っと待って、違う、ボクは平気だから、っ」
「もしかして、照れたのか。」
「や、ち、ちが、えっと、う、うわっ、またっ」
バサリと再び広がった髪を、シューロが手で纒めるようにして抱きしめる。ポカンとしているラトの視線に居た堪れなさそうな顔で俯いた。
「……私は、嬉しい。」
「う、うれしい?」
「嬉しいよ。シューロのその反応は、つまり私のせいなのだろう?泣かせてしまったことより、此方の方が気持ちがいい。」
シューロの反応を前に、ラトがその身を縦にうねらせる。シューロが一喜一憂する姿は、ラトにとって栄養なのかもしれない。先程までの騒がしかった身の内はようやく大人しくなった。今はまた違った様子で照れているシューロを前に、ラトは実に満足そうである。
「でも、」
「なんだ。」
実に上機嫌になったラトが、シューロを穏やかに見つめる。細い腕で長い黒髪を抱きしめた番いは、意を決するかのように顔を上げた。
頬の赤みはまだ残っている。しかし、どことなく揶揄ってはいけないような雰囲気がする。
ラトはシューロの言葉を待つことにした。そうでもしないと、ラト自身もまた気恥ずかしくなるようなことを口走ってしまいそうだったからだ。
「また、会うかもしれないでしょ……」
「それは、まあ……いつになるのかはわからないが……。」
「でも、嫌だ……。」
ラトの相槌にチョンと唇を突き出した。不服そうなシューロの顔に再びの不満を感じて、ラトは少しだけ喜んでしまった。しかし、それをまた口にしたら拗ねてしまうかもしれない。
シューロの体を囲うように、ラトがその身を侍らせる。己の顔に小さな手が触れると、そっとシューロが寄り添った。
「……遠慮をしないで口にすればいい。君は私の番いだし、私は君の番いだ。いつぞやのイルカの母君も言っていただろう。番いの願いには応えなくてはと。」
「それ、ボクは知らなかったけど、そうなの……?」
「すまん、言ったつもりになっていたかもしれない。」
窺うように、ラトの瞳がシューロを見つめる。長い尾鰭が、シューロの体を支えるようにして背中に回った。
ラトの大人の余裕を感じてしまって、シューロは少しだけ悔しかった。
「……か、」
「うん。」
「海溝の近くはやだ、……ま、またラトが求愛されちゃうかもしれないから。」
ぽそりと呟かれたのち、シューロの手がキュッと指を握り込む。二人の寝床を変えたいという我儘が通るのだろうか。シューロは少しだけ勇気を振り絞っておねだりをしてみたのだが、ラトが嫌だというのであれば、それもまた仕方がないとも思っていた。
しかし、ラトは違った。
「ああ、そうしようか。」
「え、」
「私はシューロと共になら、特段こだわりもないからな。」
強いていうなら、広い場所がいいかな。と冗談めかしに宣った。
シューロはラトの反応に、数度瞬きをしたのち、形のいい唇をムニリと真一文字にひき結んだ。己の我儘が通ってしまったことも驚いたのだが、ラトの言葉で、シューロと共になら。と言われて嬉しくなってしまったのだ。
「なんだ、それはどういう感情だ?」
「な、なんでもない……」
「なんでもないのに、そんな顔になるのか?もしかしてまだ怒ってるのか。」
「怒ってない、し、い、今こっち見ないで。」
「シューロ、ああ、やっぱりまだ怒っているだろう?すまない、機嫌を戻してくれ。この通りだ。」
「ほ、ほんとになんでもないから、っ」
シューロが顔を隠すように頬に手を添える。そのままくるりと背を向ける様子に、ラトは心底参ったと言わんばかりの声色で哀願しながら、逃げるシューロの背中を追いかけるのであった。
ラトが、後悔をしてしまうようなことにならなくてよかった。シューロの金色の瞳にラトが映る。傷が残れば、きっとラトはそれを引きずってしまうかもしれない。シューロは口にこそ出しはしなかったが、己の体が綺麗に治ったことに、内心はホッとしていた。
10
あなたにおすすめの小説
やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。
毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。
そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。
彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。
「これでやっと安心して退場できる」
これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。
目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。
「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」
その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。
「あなた……Ωになっていますよ」
「へ?」
そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て――
オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。
〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です
ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」
「では、契約結婚といたしましょう」
そうして今の夫と結婚したシドローネ。
夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。
彼には愛するひとがいる。
それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?
【完結】悪役令息の伴侶(予定)に転生しました
* ゆるゆ
BL
攻略対象しか見えてない悪役令息の伴侶(予定)なんか、こっちからお断りだ! って思ったのに……! 前世の記憶がよみがえり、反省しました。
BLゲームの世界で、推しに逢うために頑張りはじめた、名前も顔も身長もないモブの快進撃が始まる──! といいな!(笑)
本編完結しました!
おまけのお話を時々更新しています。
きーちゃんと皆の動画をつくりました!
もしよかったら、お話と一緒に楽しんでくださったら、とてもうれしいです。
インスタ @yuruyu0 絵もあがります
Youtube @BL小説動画
プロフのwebサイトから両方に飛べるので、もしよかったら!
本編以降のお話、恋愛ルートも、おまけのお話の更新も、アルファポリスさまだけですー!
名前が * ゆるゆ になりましたー!
中身はいっしょなので(笑)これからもどうぞよろしくお願い致しますー!
転生したら、主人公の宿敵(でも俺の推し)の側近でした
リリーブルー
BL
「しごとより、いのち」厚労省の過労死等防止対策のスローガンです。過労死をゼロにし、健康で充実して働き続けることのできる社会へ。この小説の主人公は、仕事依存で過労死し異世界転生します。
仕事依存だった主人公(20代社畜)は、過労で倒れた拍子に異世界へ転生。目を覚ますと、そこは剣と魔法の世界——。愛読していた小説のラスボス貴族、すなわち原作主人公の宿敵(ライバル)レオナルト公爵に仕える側近の美青年貴族・シリル(20代)になっていた!
原作小説では悪役のレオナルト公爵。でも主人公はレオナルトに感情移入して読んでおり彼が推しだった! なので嬉しい!
だが問題は、そのラスボス貴族・レオナルト公爵(30代)が、物語の中では原作主人公にとっての宿敵ゆえに、原作小説では彼の冷酷な策略によって国家間の戦争へと突き進み、最終的にレオナルトと側近のシリルは処刑される運命だったことだ。
「俺、このままだと死ぬやつじゃん……」
死を回避するために、主人公、すなわち転生先の新しいシリルは、レオナルト公爵の信頼を得て歴史を変えようと決意。しかし、レオナルトは原作とは違い、どこか寂しげで孤独を抱えている様子。さらに、主人公が意外な才覚を発揮するたびに、公爵の態度が甘くなり、なぜか距離が近くなっていく。主人公は気づく。レオナルト公爵が悪に染まる原因は、彼の孤独と裏切られ続けた過去にあるのではないかと。そして彼を救おうと奔走するが、それは同時に、公爵からの執着を招くことになり——!?
原作主人公ラセル王太子も出てきて話は複雑に!
見どころ
・転生
・主従
・推しである原作悪役に溺愛される
・前世の経験と知識を活かす
・政治的な駆け引きとバトル要素(少し)
・ダークヒーロー(攻め)の変化(冷酷な公爵が愛を知り、主人公に執着・溺愛する過程)
・黒猫もふもふ
番外編では。
・もふもふ獣人化
・切ない裏側
・少年時代
などなど
最初は、推しの信頼を得るために、ほのぼの日常スローライフ、かわいい黒猫が出てきます。中盤にバトルがあって、解決、という流れ。後日譚は、ほのぼのに戻るかも。本編は完結しましたが、後日譚や番外編、ifルートなど、続々更新中。
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
異世界転移した元コンビニ店長は、獣人騎士様に嫁入りする夢は……見ない!
めがねあざらし
BL
過労死→異世界転移→体液ヒーラー⁈
社畜すぎて魂が擦り減っていたコンビニ店長・蓮は、女神の凡ミスで異世界送りに。
もらった能力は“全言語理解”と“回復力”!
……ただし、回復スキルの発動条件は「体液経由」です⁈
キスで癒す? 舐めて治す? そんなの変態じゃん!
出会ったのは、狼耳の超絶無骨な騎士・ロナルドと、豹耳騎士・ルース。
最初は“保護対象”だったのに、気づけば戦場の最前線⁈
攻めも受けも騒がしい異世界で、蓮の安眠と尊厳は守れるのか⁉
--------------------
※現在同時掲載中の「捨てられΩ、癒しの異能で獣人将軍に囲われてます!?」の元ネタです。出しちゃった!
身代わりにされた少年は、冷徹騎士に溺愛される
秋津むぎ
BL
魔力がなく、義母達に疎まれながらも必死に生きる少年アシェ。
ある日、義兄が騎士団長ヴァルドの徽章を盗んだ罪をアシェに押し付け、身代わりにされてしまう。
死を覚悟した彼の姿を見て、冷徹な騎士ヴァルドは――?
傷ついた少年と騎士の、温かい溺愛物語。
【WEB版】監視が厳しすぎた嫁入り生活から解放されました~冷徹無慈悲と呼ばれた隻眼の伯爵様と呪いの首輪~【BL・オメガバース】
古森きり
BL
【書籍化決定しました!】
詳細が決まりましたら改めてお知らせにあがります!
たくさんの閲覧、お気に入り、しおり、感想ありがとうございました!
アルファポリス様の規約に従い発売日にURL登録に変更、こちらは引き下げ削除させていただきます。
政略結婚で嫁いだ先は、女狂いの伯爵家。
男のΩである僕には一切興味を示さず、しかし不貞をさせまいと常に監視される生活。
自分ではどうすることもできない生活に疲れ果てて諦めた時、夫の不正が暴かれて失脚した。
行く当てがなくなった僕を保護してくれたのは、元夫が口を開けば罵っていた政敵ヘルムート・カウフマン。
冷徹無慈悲と呼び声高い彼だが、共に食事を摂ってくれたりやりたいことを応援してくれたり、決して冷たいだけの人ではなさそうで――。
カクヨムに書き溜め。
小説家になろう、アルファポリス、BLoveにそのうち掲載します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる