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深海の魔物

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 向かい風が吹いている。エルマーの頭上では、幾筋もの雲が、千切れたまま流れていった。カストールの空は、今日も快晴だ。

 昨夜の一件から一日後。朝早くから依頼をこなしに向かった一行は、断崖の上から改めて討伐対象である羅頭蛇を確認していた。
 陽光を浴びて、銀を散らしたかのように光る美しい海面に、大きな魚型の魔物が、小島のように沖の一角を陣取っていた。一点を見つめるかのように、それはこちら側へと鼻先を向けている。シューロの腕の中の卵を敏感に感じ取っているのだろうか。
 エルマーは断崖の先に立ちすくんだまま、睨みつけるようにして羅頭蛇を見つめていた。

「鎌が折れてなけりゃあ、あんなやつ。」
「カサゴ。できるのか。」
「クソガキよか動けるっつの。」

 難しい顔をしたシューロが、エルマーの少し後ろから沖を見ていた。シューロの手を握ったままのナナシが、頭にギンイロを乗せている。今回は相手が水属性だったこともあり、エルマーによって駆り出されたのだ。
 豊かな銀色の尾をわさわさと揺らす。そんなギンイロもまた、少しだけ緊張しているらしい。いつもよりも口数が少なかった。

 上空から、羽ばたきの音が聞こえた。レイガンが頭上を見上げれば、太陽を背負うようにして羽を広げたアロンダートが、背にサジを乗せて降り立つところであった。
 大きな黒い羽が、風に散らされるようにして舞い上がる。湾曲した鳥獣の鉤爪が人の手へと変貌すると、アロンダートはサジを抱きかかえたまま陸地へと降り立った。

「近づいて偵察をしてきたが、あちら側に敵意はなさそうだぞ。」
「お前たち、敵じゃない。羅頭蛇、無駄に戦うしない。」
「シューロが姿を見せれば状況は変わると。つまりはそう言うことか。」

 アロンダートの言葉を、シューロが否定する。羅頭蛇のことならシューロ自身が一番よくわかっていた。
 金色の瞳を、羅頭蛇へと向ける。シューロがゆっくりと断崖へと足を向けると、レイガンから離れたニアが、追いかけるようにしてシューロの首へと巻き付いた。

「おい、何をするつもりだ。」
「みていろ。」
「ああ?」

 溜め息混じりのサジが、横を通り過ぎるシューロへと声をかけた。長い黒髪が、風に吹かれるようにしてサジの視界の端を通り過ぎる。
 シューロの首に落ち着いたニアが、その鎌首をもたげる。
 エルマーの横に並ぶかのように、断崖の先へとシューロが姿を現した瞬間。沖にいた羅頭蛇の体がゆっくりと動き出した。

「こっち来ようとしてんな。」
「浅瀬が近いから、ここまで来れぬと言うことか。」

 水中でぼやけた輪郭が、徐々に浮かび上がってくる。羅頭蛇の鼻先が、ゆっくりと水面を押し上げると、海面で羽休めをしていた海鳥たちが一斉に飛び立った。
 大きな鱗に覆われた群青の体が、陽の下に浮かび上がる。長い体躯は、蛇にも似ていた。おそらく、知識のないものならリヴァイアサンだと思うものもいるだろう。しなやかな体が、ぐるりと水中で円を描く。作られた白波が、大きな波紋となって断崖の根元へとぶつかった。
 
「っ、」
「は……、落とそうとしてやがんのか。」

 断崖が、微かに揺れる。エルマーは乾いた笑みを漏らすと、たたらを踏んだシューロの服を掴んで引き寄せた。どうやら羅頭蛇の目的は本当にシューロらしいと言うことがわかった。
 なるほど、実に腕が鳴りそうな魔物だ。エルマーは呼気を吐き出すようにくはりと笑うと、レイガンへと視線を投げる。

「離せ……っ!」
「レイガン、お前の武器貸してくれや。アロンダート、船動かせるか。」
「任せろ。」
「離せと言ってる!!」

 アロンダートの同意に満足げに頷くと、レイガンから投げ渡された青龍刀を片手で受け取る。それを腰に差し込んだエルマーは、ようやく喚くシューロに気がついたらしい。掴んでいた襟首を離すと、金色の瞳を細めて言った。

「お前はナナシを守れ。ニア、今回はてめえもギンイロと同じ頭数だからな。」
「ニアはシューロと共にいる。そうした方が、具合が悪くならないからなー。」
「なら、やべえ時は加勢しろ。ナナシ、なんかあったら即座に結界張ること。わかったか?」
「はあい。」

 エルマーが動き出した瞬間、周りの空気が変わった気がした。
 一体、なんだと言うのだ。準備をし始めたエルマー達から、己だけが取り残されたようなそんな心地である。シューロは少しだけ居づらそうにすると、首元に侍っていたニアが、ちろりとシューロの頬を舐めた。
 思わず頬を押さえるニアを見ると、間延びした声で説明をしてくれた。

「エルマーのスイッチが、入ったんだー。あいつはそう言うところがある。」
「す、いっち?」
「面白そうな相手だから、やる気が出たと言うことだなー。うん、わんぱく心があって実に良い。」

 ニアの紫色の瞳が、エルマーへと向けられる。シューロが振り向くと、身重のナナシを労わるように腰を抱いたまま、海に向かうべく坂道を降りていく姿が見えた。
 エルマーの手つきは、他の誰にも見せないものである。番いに対して見せる意外な一面に、シューロは少しだけ驚いた。
 シューロの横をレイガンが通り過ぎる。そのまま黒髪をわしりと撫でて、エルマーの後を追うように続いた。

「なんなんだ……。」
「ここには不器用しかいないからなー。」

 楽しそうに宣うニアの言葉に、シューロは心の内側がざわめくのを感じた。これが、どんな感情なのかはわからない。それでも、苦しくならないから、そんなに悪くないものなのだろうとしか、シューロにはわからなかった。
 









「気張ってくれよオンボロォ!!おら舵きれ舵いぃ!!!」
「無茶を言うなエルマー、小型船舶にこんなに乗っていたら、出るものも出ないだろう。」
「くそがあ!!締まンねえなったくよォ!!!」

 蒼海をかき分けるようにして、小型船舶が沖へ向かって突き進む。白波は帯のように背後へと流れていき、時折海を騒がしくする腹いせかのように、水飛沫がエルマーの頬を濡らした。
 アロンダートの操る船が、けたたましい音を立てて唸りを上げる。心もとないオンボロの船舶につけたのは、アロンダート特製の魔導エンジンで、試作中のものらしい。
 髪の長い者が多いせいか、レイガンは渋い顔をしながら顔にかぶさるサジの髪を振り払う。陸を出発してから、これで四度目である。
 エルマー達が海に傷をつけるかのように波を切り裂いていく。船の先が真っ直ぐに目指しているのは、目の前の大型の魔物である羅頭蛇だ。

「痴れ者め、今度は何を連れてきた。貴様の愚かで犠牲者でも増やす気か。」

 低く、わずかに怒気を孕んだ壮年の声が直接脳内に響く。羅頭蛇が言語をかいすることを悟ったエルマー達は、その表情を変えた。

「長く生きておるからだろうなあ。わざわざサジ達の言語に合わせてくるとは恐れ入る。」
「よく長生きだってわかるな。」
「馬鹿もの。あんなものが稚魚であってたまるか。」

 サジの言葉に、レイガンは違いない。とだけ笑って返すと、揺れる船の上で立ち上がった。紫色の瞳が光る。ナナシが前方に向けて結界を展開すると、エルマーは鞘から青龍刀を引き抜いた。
 レイガンが魔力を変化させていく。足場造りの氷結魔法を放つための、水属性からの上位転換だ。近づいてくる船を前に、羅頭蛇が時間稼ぎに付き合ってくれることはないだろう。それを見越しての、ナナシによる結界展開であった。

「私は無駄な争いはしないつもりだ。そのネレイスをよこせば、お前達は見逃して」
「話なげえんだよジジイ。もっと端的にまとめろっての。」
「……わかった。なら怖気づけばいい。」

 エルマーの煽りを前に、羅頭蛇は呆れたような様子を見せる。六人と二匹を乗せた船は、羅頭蛇の周りを滑るように旋回する。
 海の下で、長い尾鰭が蠢いた。尾が繰り出す鞭のような打撃を、シューロはよく知っていた。
 見開いた金眼が、水の奥を見通した。尾の先に魔力を溜めているのを目にすると、切羽詰まった表情で声を上げた。

「でかいのがくる!!」
「この図体で、小さい訳がねえだろっての、ナナシィ!!」
「はぁい!」

 海を引きずるようにして振り上げられた長い尾鰭が、勢いよく海面を叩きつける。海が大きくたわむ。船の下を突き上げるように発生した津波が、エルマー達の乗る小型船舶を空中へと投げ出した。

「っ……二陣出番だァ!!」
「アロンダート、」

 シャボン玉が割れるようにナナシの結界が弾けた瞬間、シューロの目の前で黒い炎が燃え上がった。視界に、猛禽の羽が散らされる。瞬きの合間に魔獣の姿へと転化したアロンダートが、鋭く鳴いて羽を広げた。

「な、」
「ナナシーーーーー!!!」

 甲高い、子供のような声をあげてギンイロが飛び出した。その背にエルマーとナナシを受け止めると、サジを乗せたアロンダートと共に空を駆ける。
 人が魔獣になる瞬間を見たシューロがその光景に絶句する。そのまま自由落下に身を任せていれば、男らしい腕にしっかりと抱き留められた。

「で、これからどうする。」
「レイ、」
「まずは足場をこおらせなきゃなー。」
「ああ、そうだった。」

 海面を持ち上げるようにして、アメジストの瞳を輝かせた白い大蛇が現れた。滑らかな頭部に降り立ったレイガンは、横抱きにしたシューロを下ろすと、真っ直ぐに羅頭蛇を見つめた。

「なるほど、一筋縄ではいかぬというわけか。ならば、戯れで止めてやろう。」

 囲むようにして散らばったレイガン達を見て、羅頭蛇の声に喜色が滲む。向けられた敵意を前に滲み出る余裕は、羅頭蛇としての矜持があるのだろう。その戯れという言葉通り、羅頭蛇は決して無駄な殺生はしない。もしするとしたら、理を犯したシューロただ一人だ。
 羅頭蛇はその身を青く光らせると、薄い水膜を纏う。大きな体を覆う術を行使してもありあまる魔力を、見せつけているかのようだった。

 羅頭蛇から向けられた明確な敵意と共に、海が青く光った。そんな変化を前に、枯葉色の髪を靡かせたサジがニヤリと笑った。

「その耐久値、確かめさせてもらおう。アロンダート!!」
「面白い、来るがいい。」

 サジの指示と共に、魔獣に転化したアロンダートが大きく羽ばたいた。光の加減で極彩色の光沢を放つアロンダートの黒い羽が散らされる。それは、空中を浮遊するでもなく、鋭い羽軸を次々と羅頭蛇へと向けていく。
 羽の一つ一つが、火炎を纏う。サジがその指先を一閃させた瞬間、火炎を纏った羽が一斉に羅頭蛇へと襲いかかった。

「どうだああ羽軸爆弾だくらえええ燃焼おぉおーーーー!!」
「術すげえのに名前がダッセェ!!」

 ワハハ、と相変わらずな気狂いじみた高笑いをしたサジが、アロンダートとの共闘魔法を行使する。火炎の矢のように鋭い速さで空気を切り開いていくそれらが、羅頭蛇の鱗のわずかな隙間を目掛けて降り注ぐ。
 恐ろしい素早さで展開された術を前に、シューロは目を見開いた。それは、二属性付与だけでなく、羅頭蛇の鱗の隙間を狙うという戦鬪においての洞察力は、経験を積まねばなし得ないことだったからだ。
 サジも、アロンダートも、どこまでやれるのかはわからなかった。しかし、その期待は、いい意味で裏切られたのだ。
 シューロの真上で、エルマーが喚いている。術の名前に関しては完全に同意しかないが、これが当たれば間違いなく羅頭蛇の痛手になるだろう。

 羅頭蛇の体が、大量の水蒸気に包まれる。火花が白煙の中を踊るように散らばった。夥しい攻撃は、容赦なく羅頭蛇へと降り注いだのだ。
 その場にいた誰しもが、ダメージを与えることができたと思っていた。それほどまでに、サジとアロンダートの連携は手練であったのだ。しかし、事態は予測不可能な展開へと持ち越された。

「見事。しかし無駄だ。」
「ああ!?」

 大量の水蒸気を突き破るようにして、鞭のような尾が振り上げられた。死角から飛んできた一打が、サジめがけて迫り来る。アロンダートは黒い羽を散らすようにして転化を解くと、四本の腕で受け止めるかのようにしてサジを守った。

「ぐぅ……っ!!」
「あ、アロンダート!!」

 猛禽の腕が、羅頭蛇の尾へ突き立てた鉤爪を食い込ませる。骨身を揺らすほどの衝撃は、今まで経験したことがない。呻き声を漏らしながら、羽を強く羽ばたかせて衝撃を和らげる。

「離れろ糞鰻!!」

 アロンダートの背にしがみついていたサジが、顔の横から手を伸ばすようにして風魔法を行使した。サジの掌から放たれた旋風が、羅頭蛇の尾を弾き返した。その勢いのまま体を離したアロンダートは、翼を大きく広げて後退した。

「すまない、っ……く、見誤った……!」
「それをいうのならサジもだ。腕を見せろアロンダート。…、エルマー!すまないが一時離脱する!」

 硬質な鱗を抑え込んでいたアロンダートの指先からは、血が滴り落ちていた。サジが表情を歪めると、眼下のエルマーへと声を荒げる。水膜を吹き飛ばそうと行った二属性付与の燃焼魔法でも、体表に傷ひとつ付けることは叶わなかった。貫通特化のアロンダートの攻撃も意味をなさないところを見る限り、どうやら相当に手強そうだ。
 
 サジと共に、アロンダートがニアの背に降り立った。羽を休める二人と入れ替わるように、レイガンがゆっくりと前に出る。珍しくガントレットを装備していない腕には、見慣れない革製のグローブが嵌められていた。

「休んでていい。サジ達はシューロと待っていろ。」
「待て、なんだそのグローブ。」
「ああ、これか。」

 パキ、と微かに空気の弾ける音がした。サジの目の前で、レイガンの周りの空気がキラキラと光っていく。これは、細かな氷の粒だ。

「凍傷防止だ。すまないが、ここら一帯を凍らせる。」

 淡々と宣ったレイガンの紫の瞳が、くらりと光った。


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