[改稿版]これは百貨店で働く俺の話なんだけど

だいきち

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二章 百貨店にくる顧客に情緒をかき乱される俺の話なんだけど。(大林梓編)

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 会社には言わないから。本当にそれは信用してもいいのだろうか。
 大林は、まるで口止めの代わりに何かをさせられるのではないかと、榊原を前に底しれぬ不安を抱えてしまった。油断していたわけではない、決して。
大林は目の前の上等な男を前に、己は花に擬態をしたカマキリに、食われてしまった蝶のような心地になった。

「待って、だ、だってそんな、こないだと全然ちげ、」
「ああ、あの日は休みの日だったからね。そんなに怖がんないでよ、傷つくな。」
「アッコワクナイデス…」

 困ったように微笑む榊原を前に、大林は引き攣り笑みしか浮かばない。だって、こんなことってあるのだろうか。こんな人が百八十度変わるだなんて、そんなギャップは二次元アニメや漫画でしかないと思っていた。
 近所のコンビニに行くような、毛玉だらけのスウェットにぼさぼさの髪、重そうな前髪で隠れた目元は、油っぽい手で鷲掴んだような虹色のガラス面。
 まばらに生えた無精髭面で、死んだ魚のような瞳でスリッパを引き摺りながら入ってきたあの男と、目の前の榊原が全くもってリンクしない。洗練された紳士服売り場で、異彩を放っていた目の前の男は、周りの販売員の物おじした様子に申し訳なさを感じた大林が、勇気を振り絞って声をかけたのだ。
 大林は、素早く榊原の身なりに目を滑らせた。己が提案したスーツが、榊原の体型の寸法に合っているかを無意識に確認したのだ。
 
「サイズ、は…よかったんすね、」
「ああ、あの時はありがとうね。おかげさまで、君の選んでくれたスーツで契約がとれた。」
「あ、それはよかったっす。」

 榊原は、柔らかく微笑みを返すと、僅かなひと時だけ販売員の顔に戻った大林を見て、感心した。
 二回目の邂逅は衝撃を伴ったものにはなったが、あの時初めて接客を受けた時から、己のことを気にしていてくれたのかという、そんな気持ちである。本音で言うと、大林に興味を示した榊原だけが、彼のことを考えていたと思っていたのだが、測らずとも己のズボラさが功を奏して、一つの気掛かりとして榊原自身を気にしていてくれたのだとわかると、なんだか少しだけ嬉しくなってしまったのだ。

「あ、あああの、」
「うん?」
「や、ええっと、ですね。」

 背後が柱なので、逃げ場がない。大林は、先ほどまであんなに構内の人がこちらの様子をうかがっていたと言うのに、今はもう自分達の日常を取り戻して見向きもされないことに、己だけが取り残された感覚に陥っていた。
 お金とか、請求されるのだろうか。小さな喉仏がゆっくりと上下する。榊原にバレてしまった己のプライベートは、誉められたものではないと言うのは理解している。
 少しだけ青くなった大林の顔色を見て、榊原が吐息を漏らすような小さな笑みを漏らした。

「取って食ったりしないよ。他言もしない。ただ、もし君が時間をくれるなら、一緒にご飯でも食べないか。」
「へ、」
「食べたいんだよね、美味い飯を。」

 榊原の言葉の言い回しが、意味深なものに変わる。大林は思っていたのと違う展開に呆気に取られていたせいか、その細い手首をガシリと掴まれていた。 
 ウマイメシってなんのことですか。そう聞けたら、どれだけよかっただろう。榊原の形のいい瞳が細まって、その奥底に仄暗い光が灯った気がした。
 掴まれた己の手首をゆるゆると見つめる。あっ、これもしかして手錠がわりか。そんなことを思って仕舞えばもうダメで、大林は引き攣り笑みを浮かべたまま、ぎこちなく頷いた。
 







 まさか自分から巻き込まれに行くことになるとは、微塵も思っていなかった。榊原はどちらかと言うと、巻き込まれる側だったはずなのにだ。
 己もなかなかに酔狂な面がある。それに気づかせてくれた己が連れ立つ青年は、ここ最近の榊原がお気に入りになってしまった大林という販売員で、彼は己に手を引かれながら、今にも死んでしまいそうな顔をしている。
 榊原が、込み上げてくる笑いを堪えるように、片手で口元を覆った。なんだか、自分で作り出したこの状況が楽しくて仕方がないのだ。
 思えば、自分は問題事が発生すれば鎮火してこいと上司からぶん投げられることが多かった。おかげで自分のことを消火剤か何かだと思っているのだろうかと、本気で考えさせられる日もあったくらいである。
 しかし、今回は違う。大林が顔見知りだったこともあり、気がつけば勝手に体が動いていたのだ。
 咄嗟についた嘘が功をそうして、相手も納得して帰ってくれたからよかったが、普段の榊原なら、絶対にこんな真似はしない向こう見ずな行動だった。そんな後先考えぬ行動のおかげで、大林の素の反応を見ることができたと言うのは、よかったが。

「こわ…」
「ん、何か言った?」
「なんも言ってないでっす。」

 そんな、榊原が一人愉悦に浸っている瞬間を見た大林はというと、ゾッと背筋を震わせる。
 人の流れに争わずに駅を出て、榊原に連れられてやってきたのは、廃ビルでも、路地裏でも、どこぞの事務所でもない、なんの変哲もない喫茶店である。普通な場所に拍子抜けはしたが、よく考えれば危ないお薬の受け渡しなども、こんな何気ない日常の場所でやりとりをされていると聞く。
 油断してはならない。大林は生まれて初めてこんな緊張感を感じながら、蓄音機から流れるレトロミュージックがモダンな純喫茶に足を踏み入れた。
 観葉植物で死角になっているその席に案内をされた大林は、ジャケットを脱いでソファ席に腰掛ける榊原に続くように、真向かいに座る。こうしてみれば、結構いい体をしている。ついいつもの癖でまじまじと見てしまったのがバレたのだろうか、榊原と目が合うなり、にこりと微笑まれる。

「痴話喧嘩してたんだったら謝ろうかなって思ってたんだけど、多分違うよね。」
「へ、なん」
「ほら、さっきの殴られそうだったやつ。彼氏?」
「…ああ、違う。」

 よかった。そう言って、榊原はネクタイを取ると、丁寧に畳んでブリーフケースの上に置く。シャツのボタンを第二ボタンまで緩めると、先ほどまでの爽やかな会社員の雰囲気から、途端に男らしい雰囲気へと変わる。
 シャツの襟元からチラリと覗く男らしい首筋がなんとなく見ていられなくて、大林はぎこちなく目を逸らした。

「はい、何食べよっか。僕はカレーでも頼もうかな。」
「…あの、さっきのことですけど、」
「ああ、お腹すいてるから、ご飯食べてからね」

 笑顔でメニュー表を手渡される。はぐらかされているような気がする。大林は少しだけむすりとした顔のまま、それでも素直にメニュー表を受け取ると、顔を隠すようにメニュー表を開く。
 榊原は分かりやすく警戒心を剥き出しにする大林を目の前に、苦笑いがこぼれる。どうやら己の思うままに彼を連れてきてしまったから警戒心を抱かせてしまったらしいと理解したのだ。
 メニュー表の内側で、彼は一体どんな顔をしているのだろう。榊原は真剣に悩む様子の大林をメニュー越しに見つめながら、そんなんことを思った。

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