[改稿版]これは百貨店で働く俺の話なんだけど

だいきち

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二章 百貨店にくる顧客に情緒をかき乱される俺の話なんだけど。(大林梓編)

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 マジかよ、と乾いた笑いが漏れた。大林のスマートフォンの着信が喧しかったので、電話を切ったら鬼が出た。
 自分もそこそこに身長があるはずなんだがと、思いながら顔を見上げる。随分と見栄えがする男は、どうやら地べたで転がっている大林の知り合いらいい。
 こいつ、俺よりも厄介そうなやつと仲良くしているじゃねえかと半笑いになると、冷たい目つきで睨まれた。

「何してたんだ。彼に。」
「守秘義務、」
「ならその口割らせようか。」
「うっ、」

 ヘラ、と笑ってやり過ごそうとしたが、やはり無理だった。新庄はその顔を固定されるように榊原に壁へと追い詰められると、肘で胸を強く押さえつけられた。首筋を伸ばすようにして持ち上げられる。膝で尻を持ち上げられたかと思えば、つま先でしか立てないような位置で体を固定された。
 人体の急所の一つでもある喉仏を、無防備に曝す用に顔を上げられている。ここを殴られたら、間違いなく窒息する。冷や汗が吹き出し、頸が軋み、だんだんと頭に血が昇ってくる。顎を掴む握力が強い。体の動きを制限する方法を知っているこの男は、絶対に堅気なんかではないと思った。

「ぅ、え…っ」
「梓、」
「…、ぃあっ!」

 榊原の背後で、大林が小さくえずく。そのおかげか、新庄は落とされるかのようにして榊原の拘束から解放された。
 ベシャリと地べたに尻餅をつく。見れば、男は汚れも厭わずに大林の横に膝をついていた。着ている服は上等そうだ。こんな汚い路地裏で汚していいものではないだろう。新庄は己の招いた状況にゲンナリとした顔をすると、震えながら蹲る大林に、着ていたコートをかける榊原へと目を向けた。

「麻薬とかじゃねえから、じき抜ける。ただのセックスドラックだ。」
「セックスドラック…?」
「馬鹿にされたから、ちょっと懲らしめただけだっつの。俺だけじゃねえよ、ったく、なんつーとバッチリだ…」

 榊原の目の前で、大林を陵辱したであろう男が随分な態度で宣った。大林の目を見ればぼんやりとしたままだ。一体どれほど強いものを使ったのだと渋い顔をすると、その華奢な体を抱き上げた。

「うわ、そいつもって帰んの。やめとけよ汚ねえ。」
「汚くない。」
「…あんた、もしかしてこいつの好きな人?」

 吐瀉物で汚れた体を抱き上げる美丈夫に、新庄は引き攣り笑みを浮かべた。そう考えれば辻褄も合うだろう。面倒くさそうに壁にもたれかかったまま、小馬鹿にするように鼻で笑う。同じ男として、決して馬鹿にはされたくないという醜い矜持がそうさせたのだ。
 口をついて出た言葉で、動きを止めた榊原に気分を良くしたのか、新庄は床に落とした煙草の一本を口にくわえ、火をつけた。その瞬間、だらしなく脚を開いて座っていた己の中心部目掛けて、榊原の足が振り下ろされた。

「うわっ…お、おま、同じ男としてそれはっ」
「彼の服を鑑定に出す。」
「は?」

 唐突に、訳のわからないことを宣った榊原に、新庄はポカンとした顔をした。言っていることの意味が理解できなかったのだ。脈絡もないその言葉に、怪訝そうな顔を向ける。

「知り合いに警察がいる。彼の服についた体液、あとは落ちていたアルミシート。これを調べてもらって、君を必ず炙り出す。今、俺の手が塞がっていることに感謝するといい。」
「いやいや、おっさん何言って、」
「これは暴行罪だ、君には前科がつくだろうな。せいぜい今のうちに余暇を楽しめ。」
「そんな、」

 表情のない、そして冷たい声だった。顔を青褪めさせる新庄をそのままに、榊原は狭い路地から抜けた。手が塞がっていて、救急車は呼べそうにない。なら、駐車場まで行って、己の車で病院まで向かった方が早い。
 人を抱えたまま、狭い路地から抜け出した榊原に、周囲はギョッとした視線を向ける。大林の顔が見えないように抱き直すと、足早に駐車場へと向かう。
 車のキーでドアを開けると、後部座席へと横たえるようにして大林を乗せた。

「梓、」
「…んで、…ここ、」
「そんなことはどうでもいい。今から病院に行くからね、気持ち悪くなったら、そのまま吐いて構わない。」
「汚しちゃ、」
「汚していい。黙って俺の言うことを聞け。」

 真剣な目つきで、発言を制された。大林は、榊原のコートをゆるゆると握りしめると、ヒック、と小さく嗚咽を漏らした。鼻を赤くして、涙を堪えているようにも見える。震える体が可哀想で、榊原はその柔らかな黒髪を撫でた。
 鞄から、買っていた飲み差しのペットボトルを出す。蓋を開けて口元に運んでやれば、小さな一口を口に含んだ。喉が上下し、先程よりも意識がはっきりとしてきた様子にホッとした。どうやら嘔吐したことが良かったらしい。榊原は溜め息を吐くと、車の座席に蹲る大林を抱きしめるかのように身を寄せた。

「かえ、る…」
「…帰るって、どこに。」
「…一緒、に…っ、帰りた、い…」

 か細い声だった。小さく喉を震わしながら、涙を滲ませて宣う姿に、榊原は目を見張る。車内には、声を押し殺すように嗚咽を堪える大林の微かな息使いが聞こえていた。
 身じろぐ大林の頭を撫でれば、その手に擦り寄るように頬を寄せる。相当参っているはずなのに、大林は病院なんかよりも帰りたいだなんて言う。自分の家じゃなくて、榊原の家に。
 着ていたジャケットの袖口を、ゆるく握られる。声無き懇願は、榊原から冷静な判断を奪うのには実に有効だった。

「…少しでも、具合悪くなったら救急車呼ぶからな。」
「ごめん、なさい…」
「本当に、…すぐ着くから、寝てな。」

 なんで、こんなところにいるのだとか、あの男との関係はとか、榊原には聞きたいことが山ほどあった。それでも、消耗している大林を前にそんなことを聞けるはずもない。
 癖のない黒髪を避けて、額に口付けた。とにかく、今は大林がそばにいる。それだけでいい。榊原は口数が少ないまま運転席に向かうと、車を発進させた。ハンドルを握る手に力が入る。いつも以上に運転を気をつけながら帰宅の道へ向かう。助手席に置かれたケーキの箱だけが、車が走る振動でで静かに揺れていた。






 走り出して、十分程度で家に着いた。距離が近くて良かったと、こんなに思ったことはない。榊原は大林を抱き上げると、エントランスへは寄らずに地下駐車場から真っ直ぐに自分の部屋のある階まで向かった。
 肩口に凭れ掛かる大林の体温が熱い。家にに入ると、体の汚れを落とすべく浴室へと向かった。

「脱がせるよ、いいね。」
「自分で、」
「そんなにヘロヘロで無茶言うな。」

 浴室の壁に背を預ける様にして座らせると、大林の汚れた衣服を優しく脱がせていく。黒い生地に隠されていたのは、白い素肌に目立つ殴打痕。
 明確なな暴力の跡を目にした榊原の顔つきはどんどんと怖くなっていく。大林は泣きそうな顔のまま、俯いて黙りこくっていた。情けない体を見られたことが嫌だったのだ。
 榊原の手によって調整された暖かいシャワーが、大林の素肌を優しく撫でる。そして、榊原の手のひらが大林の首筋の鬱血痕に触れた。

「…これ、」
「っ…、ふ…っ…」

 みなまでは言わぬ、しかし指摘をした榊原を前に、大林の涙腺は決壊してしまった。肩を震わしながら、蹲るようにして身を縮こませる。榊原が触れたその場所を隠すかのように、薄い手のひらが首筋を覆う。そんな様子を見かねた榊原が、耐えかねてその腕を伸ばした。シャワーで濡れた体なんて気にもしない。その両腕で閉じ込めるようにキツく大林を抱き締めると、無骨な手のひらが濡れた大林の黒髪に添えられた。

「堪えるな、頼むから、こう言う時は泣いてくれ。」

 怒りを抑えるかのような、切羽詰まった声だった。大林はその言葉に声を詰まらせると、戦慄く唇を真一文字に引き結ぶ。遠慮がちな大林の腕が榊原の背中に回り、広い背中に縋り付くように、その手は濡れたシャツの生地を握りしめた。
 己の首元に顔を埋め、腕の中で嗚咽を漏らす姿に、榊原は胸が締めつけられそうだった。腕の力を微かに強める。大林が自分に縋り付いてくれてよかった。そして何よりも、この腕の中へと望んで帰ってきてくれたことが、何よりも嬉しかった。
 濡れた髪を梳くように撫でる。大林の体の震えは治まっていた。首筋を隠す手のひらが、ゆっくりと外される。そこに残った鬱血痕だけが主張していて、それが榊原の感情を掻き乱す。

「ぉ、俺、っ…俺、っ」
「今はいい、今は、自分のことだけを考えていろ。」

 嗚咽混じりの悲痛な声。大林に一体何があったかなんて口にしなくともわかる。榊原は平静を装いながらも、その腑は引きちぎられる思いだった。


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