名無しの龍は愛されたい。

だいきち

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暇つぶしに書き始めた日記も、今日で三冊目だ。
エルマーは、滑り止めとして手に巻いた襤褸布に付着したインクの汚れを気にしながら、悪路の道を進む乗合馬車に乗っていた。
ガタゴトと揺れる馬車に文句の一つも言わずに、先ほど食べたウサギ肉のシチューが不味かっただとか、飲み屋で知り合った娼館の女の胸が大きかっただとか、そんな脈絡もなく、くだらない出来事ばかりを日記に書き溜めている。
無骨な手で書かれる文字は、存外読みやすかった。

エルマーは退役した軍人だ。先の、国の領土を広げるための戦争で左眼を落としており、そのがらんどうな眼窩には義眼が収まっている。
しかし、戦火での怪我は使えぬ者と同義だ。若くして武功を上げていた将来有望の若者は、王によって武勲を讃えられることもなく、呆気なく捨てられた。人生なんて、そんなもんである。
エルマーが頑張ろうと、同じくらいの若い軍人はいくらでもいるし、それに出自は苗字もないただの平民だ。お貴族様たちで構成された戦わぬ指揮官、上官、お歴々の方々からしたら、平民出のエルマーが活躍をするのは可愛くない、面白くないの不満の矛先以外の何物でもない。

だからエルマーが先陣を切って、西の国の民と戦って領土奪還の為に尽力したとしても、さらに代償として、敵の矢に左眼を貫かれて目玉を駄目にされたとしても、いくらでも替えはいるのだ。

若いから訓練をすれば自分と同じところまで育つと思っている。そんな奴らの下について、身を粉にして戦った三年間の自分は、炎蔓延る戦場のど真ん中。目玉を貫いた矢ごと引き抜き、戦火の炎に焼かれて死んだのだ。

今は気ままに旅人だ、あの血と硝煙と脂が焼け溶ける匂いの無い、平和な日々がこんなにも愛おしい。
そんなことを思いながら、左眼の義眼が収まっている目元が痒いなあと、日記をつけていたペン先とは逆の先端で目元をマッサージした。
最近痒くて仕方がない。こんな玉っころ一つ入れるのに、エルマーの食費二か月分とは難儀な世の中である。

ただもっと難儀だったのは、ここが乗合馬車で、悪路のせいでがたごとと揺れていて、そして加減が分からないまま目元をマッサージしてしまったことだった。


「あ。」

エルマーの端的な母音と共に、カン、コン、とガラス球の跳ねる音がした。言わずもがな、食費二か月分の義眼が軽快な音と共に眼窩から零れて落ちたのだ。

「うっ、ぎゃぁあ!!なんだあ!!」
「やだ、なに?…ヒィっ!!!!」
「あ、ちょ、まっおぶっ」
「あんたぁ!!!どこ触ってんだクソ坊主!!」
「いってぇ!!!!」

目の前で見ていた少年は悲鳴を上げ、足元に転がってきたそれを親切心で手に取った御嬢さんは、目玉に驚いてそれを投げ捨てた。
そしてエルマーが慌ててそれを回収しようとしたタイミングで馬車が大きく揺れ、つんのめった先にいた老婆の胸元に文字通り飛び込んでしまい、顔に大きな紅葉を頂く事となった。

まさに阿鼻叫喚の地獄絵図である。エルマーもふくよかな老婆の胸がこんなにやわらかいだなんて知りたくもなかったし、不本意にも悲鳴を聞きつけた護衛に熟女狙いの痴漢扱いをされてしまい、馬車から摘み出される羽目になった。

これを難儀と言わずしてなんと言う。鷲掴んだ老婆の胸の柔らかさがだけが手に残る。

「こんなんだったら騙されてでも飲み屋のねーちゃんを抱いとけばよかったなあ。」

溜め息ひとつ。無情にも乗合馬車はしばらく来なさそうだ。あの護衛より俺の方が絶対に強い自信あるわと悪態を吐きつつ、持っていたインべントリと呼ばれる異空間収納袋に日記帳とペンを仕舞い込んで歩き出した。
目指すは屋根のある場所だ。幸い地図を見る限りじゃ近くに小さな農村があるようだし、そこに娼館もあれば尚更に良い。
ひなびた婆の温もりよりも、若い娘の人肌でこの悲しみを上書きしたい。
途中の小川で汚れた義眼をすすいで嵌め込むと、少しだけ身なりを整えてから村の入り口を目指した。



凸凹とした轍を辿るようにしばらく歩いていくと、外れた看板が風に吹かれて耳障りな音を立てる、入口らしきものを見つけた。
丸太を紐で括り付けて作られた、門のようなもの。
その横には、魔除けなのかは知らないが、そこそこ大きいウシ型の魔物の骨と思われる頭蓋が塀の上に置かれている。
普通は門の上に置くのではないかとも思ったが、もしかしたら重すぎて乗せるのを諦めたのかもしれない。
今日の日記帳のネタの一つにでもしてやるかと追及することもなく門を潜る。

「宿屋…は期待できなさそうだなあ。」

元は牧歌的な農村だったのだろう、家畜を飼育していたであろう広い土地を持つ家があったのだが、人の気配はないし、牛や羊の気配もない。柵の一部が外れていたので、もしかしたら逃げ出したのかもしれない。畑なんかはよく手入れがされているところを見る限り、家主は逃げた家畜でも探しに行ったのだろう。

だとしたらこの家はパスだ。手伝えと言われたら、たまったもんじゃない。
再びエルマーは村の奥へと進み、宿屋や飲み屋などを探したが、家は転々と立ち並んでいるのに人の気配だけは全くなかった。

「なんで?村総出で引っ越しかあ?」

もうすぐ日暮れも近い。村の中で野宿というのだけはいただけない。せめて人気がありそうなところ…と考えても、一時間程度で見回れる範囲だ。もう一度入口まで戻って牧場主がいないか確かめるか。
大きな建物だ、いなくても牛舎の藁の上で寝かせてもらおうかと勝手に決め、再び入り口付近にある牧場まで戻った。

錆赤色の屋根に、白い外壁の大きな建物。
この村の中を見る限り、一番大きな建物である牧場にお邪魔する。
やはり人気はない。エルマーは、恐らく玄関ではないだろうなと思いつつ、目に入った大きな木造の扉を叩く。

ガンガン!

あえて響くような大きな音を立ててみたのに、怒鳴り声すら聞こえない。


「ううん、」

もしかして、あの木の門は異世界への入り口だったのか、と妙なことを考えるくらいには変に静かだった。
扉の蝶番のような腹の音が響く。なんとも物悲しい音である。

「あぁ…腹減った…。やっと寝床にありつけると思ったのに。」

エルマーは気だるげに手入れのされていない赤毛をガシガシと掻くと、ならば勝手に牛舎でお世話になるかと来た道へと振り向いた。
ひとまず向かうのは、先程見かけた木造の平屋の牛舎である。
ある程度予想はしていたが、やはりそこにも家畜は見あたらない。
名称はわからないが巨大なフォークのような道具が、エサ用であろう藁に突き刺さっているだけだ。
人の営みがあった事はわかるのに、人だけがいない。
溜め息ひとつ、適当に寝床でも決めるかと奥に進もうとした時だった。


カタン、


エルマーの耳が、かすかな物音を捕えた。風だろうか。しかし音がしたのは奥の方、この牛舎の中で聞こえた気がした。

村人なら御の字、しかし魔物だったらどうだろう。この不自然に人のいない村の答えが、まだ見ぬ魔物の腹の中にあるのかもしれない。
知能がある魔物なら厄介だ。奴らは巧みに人語を解する。村人の一人が魔物に魅入られていたとしたら、余計に。
藁に刺さっていたフォークのようなものを抜き取ると、エルマーは張り詰めた空気をその身に纏いながら、その音がしたであろう方向へと、気配を消して進む。

農具などを収納する蔵の前で立ち止まると、そっと中の様子を伺った。

かさり、

何かが身じろいだ音がした。
大きい獲物ではなさそうで、小動物か何かかもしれない。念のため、すぐに動けるように農具を構えたまま、木の扉を蹴り開ける。

バタンと大きな音と共に、扉は飛んでいった。
蹴ったことで勢いが付きすぎたせいなのか、それとも元々脆かったのか。
扉は力加減を誤ったせいで、向かいの壁際まですべっていったのだ。
エルマーが想像していた、魔物との邂逅もない。しかし、滑った扉がぶつかって止まったその場所には、白い足を投げ出すようにして、人が折り重なって倒れていた。

「…、まじか。」

魔物の方が、よかったかもしれん。そう思ったのは、面倒事に巻き込まれたと悟ったからだ。

エルマーの目線の先には、豚のような体格の裸の男に押しつぶされ、くたりと倒れている小柄な人間がいた。
性別は分からない、表情が見えないようにか、悪趣味なのかはしらないが、その小柄な人間の頭には麻袋が被せられていたからだ。
まるで、なにかの儀式化のように感じたエルマーは、その顔に嫌悪感を張り付ける。

小さく舌打ちをした。手にしていたフォークを投げ捨てると、臆することなくその小屋の中へ足を踏み入れた。
驚くことなどない。たとえ死体だったとしても、綺麗なままなのだから。





「くっそ、おんも…っ…」

小柄な体を押し潰しているぶよぶよの脂肪だらけの体は、死後硬直しても尚柔らかく、触れたところから怖気が走った。
ただでさえ巨体というだけでも骨が折れるのに、それが素っ裸なもんだから、色々な意味で触るのが嫌になる。

微かに薫る死臭は、まるで体の内側から腐っているようであった。
口にしたくもない体液に塗れていたこともあり、死者には申し訳ないが、インべントリから取り出した解体用の分厚い防水性の皮手袋をはめ、さらに身体強化の魔法を自身にかけてから裸の男を退かす羽目になった。

「はぁ…っ、…くそ、豚みたいな体しやがって…。」

息を切らしながらなんとか退かすと、怒張した陰茎が華奢な体からずるりと抜ける。このだらしのない体の男は、性交中に死んだのだろう。押しつぶされていた人間は少年のようで、白く華奢な体には男性器があった。

尻のあわいには男のものであろう精液が纏わり付いており、暴力の末に圧死したのだろうか。体中、痣と火傷の跡が白い体を彩るかのように散見された。
首元で絞められた麻縄で、かぶせられた袋が外れないようにしてあったのだろう。エルマーも戦場で子供たちの亡骸を見たことがあるが、ここは戦場じゃない。性欲処理として弄ばれた末こと切れたのだ。虐げられたことが一目瞭然なその姿が酷く虚しく感じた。

「可哀想に…、こんな野暮なもん、今取ってやるからな。」

エルマーは少年の横に跪くと、武骨な手からは想像もつかないほどの優しい手つきで無粋な首の麻紐を取払い、頭から麻袋を外してやった。

「ああ…、こんな、」

さらりとした黒髪が零れるように袋から垂れた。かくりと力が抜けたようにエルマーの方へ倒れた少年の顔は、目を閉じていてもわかる程、繊細な美しさを讃えていた。
半開きの唇から見えた赤い舌と、口端には殴られたような紫色の痣。加虐心を煽るような色気が仇となったのだろうか。

戦場では男娼を女の代わりに抱いていたこともある。それでも、今目の前にいる子供よりも歳は上だったし、なによりもこんなに過酷な暴力の痕を身に刻まれた者はいなかった。
もしかして、彼は奴隷として買われたのかもしれない。
エルマーはそっと簾の上にその華奢な肢体を横たえる。

「ごめんなあ、襤褸切れしかねえんだけど…」

インべントリから布を取り出すと、水で湿らせて体の汚れを優しく拭い取ってやる。こんなに酷い目にあったんだ。死んだ後くらい誰かに優しくされたっていいだろう。
引き攣れた火傷の痕や、何度も繰り返し傷ついては治癒したのであろう歪なケロイド。
顔の作りが美しかったからこそ、刻まれた傷痕が酷く痛々しく、歪な雰囲気を醸し出している。

汚れた個所を清拭し終えると、無意味とわかっていても傷だらけの体にポーションを垂らした。死んだ者の体に、回復薬など効くはずがないのだ。だけど、そうせずにはいられなかった。
旅先では貴重なポーションも、エルマーにとっては使わなければただの宝の持ち腐れにすぎない。
最後に、労るようにそっと頭をひと撫でしてやった。
瞬間、事切れたはずの少年の唇が、微かに動いた気がした。


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