8 / 47
第一章
8 最後のワルツ
しおりを挟む
彼に手を取られ、ミアは再び王城の広い廊下を進んでいた。
適度な休憩と彼が根気強く揉み解してくれたおかげで、足は靴を履いても歩ける程度に回復している。
少し足をかばうような動きをするミアに合わせ、彼はゆっくりと進んでくれる。いくらでも支えてあげるから、と腕も貸してくれ、薄いシャツ越しに触った瞬間はドキドキした。
だから何も不安はないはずなのに、彼女の胸の内はざわざわと波立っていた。
ミアの夢を叶えるとは、つまりミアを王族に嫁がせるということだ。
もしかして今から舞踏会に舞い戻って、あの壇上に並んでいた王族に挨拶しろというのだろうか。
ミアの記憶が正しければ、現在の国王夫妻には10代から20代の王子が3人いる。他にも現国王の弟やその息子達などの王位継承権を持っている者のうち、ミアと釣り合う年齢の男子も幾人かいたはずだ。ミア自身も伯爵家の娘であるから、王族に嫁ぐのは身分としては問題ない。
だがミアはもう、本物の王子様と結婚したいなんて思っていないのだ。
幼い夢は、ただの憧れで終わらせるつもりだった。
「待って。私、大広間で拝見した殿下の顔も覚えてないのよ」
だからミアは必死になって彼を止めようと言葉を紡ぐ。
このまま舞踏会の会場になんて戻りたくない。そんな遠い存在の人よりも、出来るならここにいるあなたと、なんて言えはしないけれど。
「大広間で拝見した? あぁ、エリクとルーカスのことか。あいつらに引き会わせるつもりは毛頭ない」
彼のそのぞんざいな言い分にミアはギョッとする。
今挙げた2人は国王夫妻の息子達、つまり王族の中でも非常に身分が高く、王位継承権でも高位にいる存在である。敬称もつけずに『あいつら』呼ばわりして、誰かに聞き咎められたらタダでは済まない。あまりの無鉄砲さが信じられないほどだ。
だから慌てて周囲を見回し、人影がない事を確認してホッと胸をなでおろした。
舞踏会の運営や警備に駆り出され、この辺りは人が出払っているのだろうか。
「ねぇ、じゃあ何をするつもり?」
「すぐに分かる。もうそこだ」
ミアは彼に導かれるまま、豪奢な王城の中をゆっくりと歩く。
次第に何かの音がかすかに聞こえ始め、それが大広間から漏れる楽団の音楽だと気付いた時には、最初に彼と出会った中庭へと辿り着いていた。
月は変わらず優しい光を湛え、白い薔薇の花がその光をはね返すように中央で佇んでいる。
「…………ここ、って」
「君が休んでいた場所だ。あの時は本当に、森から迷い出てきた妖精が花で遊んでいるのかと思った」
苦笑いする彼の瞳に親しげな色が浮かぶ。
それはさきほどよりもぐっと近づいた距離を表していて、ミアはきゅんと胸を締め付けられる。
もちろん、妖精という比喩が果たして自分に適当かどうかは甚だ疑問だが。
「もう足は大丈夫?」
心配そうに足元を見る彼のため、ミアはドレスの裾をわずかに持ち上げた。
「ええ。あなたのおかげよ」
そして大丈夫だとアピールするように、足の先を少し出してぴこぴこと動かしてみせる。
ちなみに男性の前でこんなことをするなんて、超ド級のマナー違反だ。
もしも礼儀作法の先生に伝われば、大きな雷が落ちること間違いなしである。
「……あぁ、これで最後の曲だな」
ミアが足を引っ込めるとすぐ、少しの間途切れていた音楽が再開された。
スローテンポなワルツが流れてくる。
それは、2人で共に過ごす時間の終わりをも意味していた。
舞踏会が終わってもミアが見つからなければ、さすがの父も探しに来るはずだ。大広間から近いこの場所ならすぐに見つかるに違いない。
ーー帰りたくない。
彼にそう言えたらどんなにいいだろう。
月明かりの下で2人きり、ずっと一緒にいたいと思った。
手を取り合って、他愛もない話をして、たまに目を合わせて笑い合って。
それだけで幸せ。
彼といる時間はほんの僅かだったけれど、家族と過ごす温かなそれとも、友人と過ごす賑やかで愉快なそれとも全く違うものだった。
隣にいた彼が滑らかな身のこなしで動く気配がする。
もしかしてもう帰らなければいけないのだろうか。
あと少し、せめてこの曲が終わるまで一緒にいたい……。
「ご令嬢、よろしければこの私と、最後の曲を踊っては頂けませんか?」
「……え?」
気付くと、目の前には恭しく差し出された右手があった。
軍人らしくところどころに細かい傷と剣だこがあるが、指が長くて美しい手だ。
その手から視線で辿れば、ダンスを誘う正式な作法に則って跪いた彼がいる。
「でも……、私……」
少し良くなったとはいえ、今踊ればまた足を痛めてしまいそうだった。
不安げに足元を見たミアを安心させるように、彼はそっとミアの手を取り、その甲に唇を落とす。
「大丈夫、私に任せて」
促されるまま、ミアは自分の右手と彼の左手を合わせた。
彼の右手は、そっとミアの背後に回る。背中が大きく開いたドレスのため剥き出しになっている肩甲骨に手を添えられると、直に触れられた部分がじわじわと熱を持つ気がする。
ためらいがちに彼の腕に左手を乗せて、ほんの少しだけ体重を預ける。
ミアの柔らかい体とは全く違う、硬くて力強い男性の体つきだ。ぴったりと密着しているせいで、その無駄のない筋肉を体全体で感じる。
先ほどの戯れを思い出してかっと頭に血が上り、耳まで赤くなってしまったような気がした。
適度な休憩と彼が根気強く揉み解してくれたおかげで、足は靴を履いても歩ける程度に回復している。
少し足をかばうような動きをするミアに合わせ、彼はゆっくりと進んでくれる。いくらでも支えてあげるから、と腕も貸してくれ、薄いシャツ越しに触った瞬間はドキドキした。
だから何も不安はないはずなのに、彼女の胸の内はざわざわと波立っていた。
ミアの夢を叶えるとは、つまりミアを王族に嫁がせるということだ。
もしかして今から舞踏会に舞い戻って、あの壇上に並んでいた王族に挨拶しろというのだろうか。
ミアの記憶が正しければ、現在の国王夫妻には10代から20代の王子が3人いる。他にも現国王の弟やその息子達などの王位継承権を持っている者のうち、ミアと釣り合う年齢の男子も幾人かいたはずだ。ミア自身も伯爵家の娘であるから、王族に嫁ぐのは身分としては問題ない。
だがミアはもう、本物の王子様と結婚したいなんて思っていないのだ。
幼い夢は、ただの憧れで終わらせるつもりだった。
「待って。私、大広間で拝見した殿下の顔も覚えてないのよ」
だからミアは必死になって彼を止めようと言葉を紡ぐ。
このまま舞踏会の会場になんて戻りたくない。そんな遠い存在の人よりも、出来るならここにいるあなたと、なんて言えはしないけれど。
「大広間で拝見した? あぁ、エリクとルーカスのことか。あいつらに引き会わせるつもりは毛頭ない」
彼のそのぞんざいな言い分にミアはギョッとする。
今挙げた2人は国王夫妻の息子達、つまり王族の中でも非常に身分が高く、王位継承権でも高位にいる存在である。敬称もつけずに『あいつら』呼ばわりして、誰かに聞き咎められたらタダでは済まない。あまりの無鉄砲さが信じられないほどだ。
だから慌てて周囲を見回し、人影がない事を確認してホッと胸をなでおろした。
舞踏会の運営や警備に駆り出され、この辺りは人が出払っているのだろうか。
「ねぇ、じゃあ何をするつもり?」
「すぐに分かる。もうそこだ」
ミアは彼に導かれるまま、豪奢な王城の中をゆっくりと歩く。
次第に何かの音がかすかに聞こえ始め、それが大広間から漏れる楽団の音楽だと気付いた時には、最初に彼と出会った中庭へと辿り着いていた。
月は変わらず優しい光を湛え、白い薔薇の花がその光をはね返すように中央で佇んでいる。
「…………ここ、って」
「君が休んでいた場所だ。あの時は本当に、森から迷い出てきた妖精が花で遊んでいるのかと思った」
苦笑いする彼の瞳に親しげな色が浮かぶ。
それはさきほどよりもぐっと近づいた距離を表していて、ミアはきゅんと胸を締め付けられる。
もちろん、妖精という比喩が果たして自分に適当かどうかは甚だ疑問だが。
「もう足は大丈夫?」
心配そうに足元を見る彼のため、ミアはドレスの裾をわずかに持ち上げた。
「ええ。あなたのおかげよ」
そして大丈夫だとアピールするように、足の先を少し出してぴこぴこと動かしてみせる。
ちなみに男性の前でこんなことをするなんて、超ド級のマナー違反だ。
もしも礼儀作法の先生に伝われば、大きな雷が落ちること間違いなしである。
「……あぁ、これで最後の曲だな」
ミアが足を引っ込めるとすぐ、少しの間途切れていた音楽が再開された。
スローテンポなワルツが流れてくる。
それは、2人で共に過ごす時間の終わりをも意味していた。
舞踏会が終わってもミアが見つからなければ、さすがの父も探しに来るはずだ。大広間から近いこの場所ならすぐに見つかるに違いない。
ーー帰りたくない。
彼にそう言えたらどんなにいいだろう。
月明かりの下で2人きり、ずっと一緒にいたいと思った。
手を取り合って、他愛もない話をして、たまに目を合わせて笑い合って。
それだけで幸せ。
彼といる時間はほんの僅かだったけれど、家族と過ごす温かなそれとも、友人と過ごす賑やかで愉快なそれとも全く違うものだった。
隣にいた彼が滑らかな身のこなしで動く気配がする。
もしかしてもう帰らなければいけないのだろうか。
あと少し、せめてこの曲が終わるまで一緒にいたい……。
「ご令嬢、よろしければこの私と、最後の曲を踊っては頂けませんか?」
「……え?」
気付くと、目の前には恭しく差し出された右手があった。
軍人らしくところどころに細かい傷と剣だこがあるが、指が長くて美しい手だ。
その手から視線で辿れば、ダンスを誘う正式な作法に則って跪いた彼がいる。
「でも……、私……」
少し良くなったとはいえ、今踊ればまた足を痛めてしまいそうだった。
不安げに足元を見たミアを安心させるように、彼はそっとミアの手を取り、その甲に唇を落とす。
「大丈夫、私に任せて」
促されるまま、ミアは自分の右手と彼の左手を合わせた。
彼の右手は、そっとミアの背後に回る。背中が大きく開いたドレスのため剥き出しになっている肩甲骨に手を添えられると、直に触れられた部分がじわじわと熱を持つ気がする。
ためらいがちに彼の腕に左手を乗せて、ほんの少しだけ体重を預ける。
ミアの柔らかい体とは全く違う、硬くて力強い男性の体つきだ。ぴったりと密着しているせいで、その無駄のない筋肉を体全体で感じる。
先ほどの戯れを思い出してかっと頭に血が上り、耳まで赤くなってしまったような気がした。
1
あなたにおすすめの小説
贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる
マチバリ
恋愛
貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。
数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。
書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
捨てられた王妃は情熱王子に攫われて
きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。
貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?
猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。
疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り――
ざまあ系の物語です。
つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました
樹里
恋愛
社交界デビューの日。
訳も分からずいきなり第一王子、エルベルト・フォンテーヌ殿下に挨拶を拒絶された子爵令嬢のロザンヌ・ダングルベール。
後日、謝罪をしたいとのことで王宮へと出向いたが、そこで知らされた殿下の秘密。
それによって、し・か・た・な・く彼の掃除婦として就いたことから始まるラブファンタジー。
月城副社長うっかり結婚する 〜仮面夫婦は背中で泣く〜
白亜凛
恋愛
佐藤弥衣 25歳
yayoi
×
月城尊 29歳
takeru
母が亡くなり、失意の中現れた謎の御曹司
彼は、母が持っていた指輪を探しているという。
指輪を巡る秘密を探し、
私、弥衣は、愛のない結婚をしようと思います。
不遇な令嬢は次期組長の秘めたる溺愛に絡め取られる。
翼 うみ
恋愛
父の会社を立て直す交換条件のため、ほぼ家族に身売りされた形で関東最大級の極道・桜花組の次期組長に嫁入りしたジェシカ。しかし母を亡くして以降、義母と義妹に虐げられていたジェシカは実家を出られるなら、と前向きだった。夫となる和仁には「君を愛することはない」と冷たく突き放される。それでもジェシカは傷つくことはなく、自分にできることを探して楽しんでいた。
和仁には辛い過去がありそれ故に誰のことも愛さないと決めていたが、純真で健気なジェシカに段々と惹かれてゆき――。
政略結婚から始まる溺愛シンデレラストーリー。
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる