恋に恋するお年頃

柳月ほたる

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第一章

8 最後のワルツ

 彼に手を取られ、ミアは再び王城の広い廊下を進んでいた。
 適度な休憩と彼が根気強く揉み解してくれたおかげで、足は靴を履いても歩ける程度に回復している。
 少し足をかばうような動きをするミアに合わせ、彼はゆっくりと進んでくれる。いくらでも支えてあげるから、と腕も貸してくれ、薄いシャツ越しに触った瞬間はドキドキした。
 だから何も不安はないはずなのに、彼女の胸の内はざわざわと波立っていた。

 ミアの夢を叶えるとは、つまりミアを王族に嫁がせるということだ。
 もしかして今から舞踏会に舞い戻って、あの壇上に並んでいた王族に挨拶しろというのだろうか。
 ミアの記憶が正しければ、現在の国王夫妻には10代から20代の王子が3人いる。他にも現国王の弟やその息子達などの王位継承権を持っている者のうち、ミアと釣り合う年齢の男子も幾人かいたはずだ。ミア自身も伯爵家の娘であるから、王族に嫁ぐのは身分としては問題ない。

 だがミアはもう、本物の王子様と結婚したいなんて思っていないのだ。
 幼い夢は、ただの憧れで終わらせるつもりだった。
「待って。私、大広間で拝見した殿下の顔も覚えてないのよ」
 だからミアは必死になって彼を止めようと言葉を紡ぐ。
 このまま舞踏会の会場になんて戻りたくない。そんな遠い存在の人よりも、出来るならここにいるあなたと、なんて言えはしないけれど。
「大広間で拝見した? あぁ、エリクとルーカスのことか。あいつらに引き会わせるつもりは毛頭ない」
 彼のそのぞんざいな言い分にミアはギョッとする。
 今挙げた2人は国王夫妻の息子達、つまり王族の中でも非常に身分が高く、王位継承権でも高位にいる存在である。敬称もつけずに『あいつら』呼ばわりして、誰かに聞き咎められたらタダでは済まない。あまりの無鉄砲さが信じられないほどだ。
 だから慌てて周囲を見回し、人影がない事を確認してホッと胸をなでおろした。
 舞踏会の運営や警備に駆り出され、この辺りは人が出払っているのだろうか。

「ねぇ、じゃあ何をするつもり?」
「すぐに分かる。もうそこだ」
 ミアは彼に導かれるまま、豪奢な王城の中をゆっくりと歩く。
 次第に何かの音がかすかに聞こえ始め、それが大広間から漏れる楽団の音楽だと気付いた時には、最初に彼と出会った中庭へと辿り着いていた。
 月は変わらず優しい光を湛え、白い薔薇の花がその光をはね返すように中央で佇んでいる。
「…………ここ、って」
「君が休んでいた場所だ。あの時は本当に、森から迷い出てきた妖精が花で遊んでいるのかと思った」
 苦笑いする彼の瞳に親しげな色が浮かぶ。
 それはさきほどよりもぐっと近づいた距離を表していて、ミアはきゅんと胸を締め付けられる。
 もちろん、妖精という比喩が果たして自分に適当かどうかは甚だ疑問だが。

「もう足は大丈夫?」
 心配そうに足元を見る彼のため、ミアはドレスの裾をわずかに持ち上げた。
「ええ。あなたのおかげよ」
 そして大丈夫だとアピールするように、足の先を少し出してぴこぴこと動かしてみせる。
 ちなみに男性の前でこんなことをするなんて、超ド級のマナー違反だ。
 もしも礼儀作法の先生に伝われば、大きな雷が落ちること間違いなしである。

「……あぁ、これで最後の曲だな」
 ミアが足を引っ込めるとすぐ、少しの間途切れていた音楽が再開された。
 スローテンポなワルツが流れてくる。

 それは、2人で共に過ごす時間の終わりをも意味していた。
 舞踏会が終わってもミアが見つからなければ、さすがの父も探しに来るはずだ。大広間から近いこの場所ならすぐに見つかるに違いない。
 ーー帰りたくない。
 彼にそう言えたらどんなにいいだろう。
 月明かりの下で2人きり、ずっと一緒にいたいと思った。
 手を取り合って、他愛もない話をして、たまに目を合わせて笑い合って。
 それだけで幸せ。
 彼といる時間はほんの僅かだったけれど、家族と過ごす温かなそれとも、友人と過ごす賑やかで愉快なそれとも全く違うものだった。

 隣にいた彼が滑らかな身のこなしで動く気配がする。
 もしかしてもう帰らなければいけないのだろうか。
 あと少し、せめてこの曲が終わるまで一緒にいたい……。


「ご令嬢、よろしければこの私と、最後の曲を踊っては頂けませんか?」
「……え?」
 気付くと、目の前には恭しく差し出された右手があった。
 軍人らしくところどころに細かい傷と剣だこがあるが、指が長くて美しい手だ。
 その手から視線で辿れば、ダンスを誘う正式な作法に則って跪いた彼がいる。
「でも……、私……」
 少し良くなったとはいえ、今踊ればまた足を痛めてしまいそうだった。
 不安げに足元を見たミアを安心させるように、彼はそっとミアの手を取り、その甲に唇を落とす。
「大丈夫、私に任せて」
 促されるまま、ミアは自分の右手と彼の左手を合わせた。
 彼の右手は、そっとミアの背後に回る。背中が大きく開いたドレスのため剥き出しになっている肩甲骨に手を添えられると、直に触れられた部分がじわじわと熱を持つ気がする。
 ためらいがちに彼の腕に左手を乗せて、ほんの少しだけ体重を預ける。
 ミアの柔らかい体とは全く違う、硬くて力強い男性の体つきだ。ぴったりと密着しているせいで、その無駄のない筋肉を体全体で感じる。
 先ほどの戯れを思い出してかっと頭に血が上り、耳まで赤くなってしまったような気がした。
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