恋に恋するお年頃

柳月ほたる

文字の大きさ
9 / 47
第一章

9 あなたと2人きり

しおりを挟む
 王立宮廷楽団の奏でるワルツが風に乗って流れて来る。
 この曲は、かつて波乱万丈な人生を歩んだ異国の音楽家が作曲したものだそうだ。煌々とした明かりが灯る大広間と違い、静かな月明かりの下で聞くそれはどこか寂しさを感じさせた。
 色とりどりのドレスを纏った貴婦人も、彼女たちをさらに輝かせるシャンデリアも、年代物の重厚な楽器を揃えた楽団も見当たらないからだろうか。物言わぬ薔薇の花に囲まれ、ただ2人きりで過ごす最後の時。
 今、この瞬間だけは誰にも邪魔されない閉じられた世界だった。

 どちらともなく動き始めた2人は、耳をすませ、ゆったりと足を動かす。
 ミアの足に負担がかからないようにと、彼はさりげなく体を支え、穏やかな動きでリードしてくれる。
 舞踏会で相手になった男性達とは大違いだった。彼らは周囲に見せつけるように派手な動きを求め、複雑な足さばきを要求し、それについていくだけでミアは疲れ切ってしまったのだ。
「大丈夫? 足は痛くない?」
「えぇ……これならずっとでも踊っていられそう」
 舞踏会では履いてきたことを後悔した高い靴も、今、初めてその存在に感謝した。この靴があるから、小柄で背の低いミアでも彼と無理なく踊ることができる。
 ただ、そうは言っても背の高い彼との身長差は相当なもので、ターンをする時などふわりふわりと持ち上げられてしまったのだが。

「君は軽いな。もっと食べた方がいいんじゃないか?」
 彼の青い瞳にいたずらっぽい微笑みが浮かび、ミアは小さく口を尖らせた。
「うそ。私に太れって言いたいの? とっても失礼だわ」
 ミアは肥満体ではないが、一部の行き過ぎた食事制限をしている御婦人方のような痩せぎすでもない。
 だが年頃の女の子なのだから少しでも細くありたいと思うのは当然で、いつも体型には気を遣っている。それを簡単に『太れ』なんて言われたのでは、少しくらいチクリと言ってやりたくなる。
「いや、本当に軽い。これじゃ私が帰って来る前に消えてなくなってしまいそうだ」
「……え」
 彼の言葉に、ミアの足がほんの一瞬だけ止まる。
 その一瞬でリズムに乱れが出てしまい、危うく転びかけたところを彼に助けられた。
「大丈夫?」
「ええ……ごめんなさい」

 今、彼は“帰って来る”と言った。
 だから大丈夫。
 彼と過ごす時間はこれで最後じゃない。
 またいつか、きっと会えるはず。

 ミアは彼にそっと身を委ねる。
 緩やかなテンポで芝生を踏み、何度も練習したターンをしながら、ダンスの家庭教師が言っていた言葉を思い出していた。
『ダンスとは、ただ決まったステップとターンを繰り返せば良いというものではないのです。小手先のテクニックなど全く意味がありません。音楽の流れに自然に乗り、信頼出来る男性のリードに任せてごらんなさい。そうすれば音楽とひとつになれるのですよ』
 その通りだと思った。
 今まで自宅で練習をしていても、舞踏会で知らない男性と踊っていても、ミアの頭はいつも次の動きでいっぱいだった。間違って相手の足を踏まないように。ステップのタイミングがズレないように。
 上手だと褒められても、いつもそんな事ばかり考えていたと思う。

 だけど彼とのダンスは違う。
 頭で考える前に足が自然に動いていた。音楽を聞いて、彼の動きを感じて、スカートの裾をひらりと翻す。楽しくて、嬉しくて、自然に笑みがこぼれていた。

 ーー離れたくない。ずっとこの時間が続けばいいのに。

 しかしいつしか音楽は鳴り止む。
 辺りを包む静寂が耳に痛い。
 曲が終わった時の姿勢のまま動かない彼は、もしかしてミアの気持ちが分かっていたのだろうか。
 この時彼とミアは、確かにひとつだったと思う。

 遠くからかすかに流れてくるざわめきを聞きながら、もう行かないと、と言いかけたミアは、逞しい腕に抱き込まれた。
「1年……、いやその半分で帰る」
 繋いでおかないと消えてしまうかのように強い力で、硬い胸板に押し付けられた。
 彼の吐息がミアのつむじをくすぐって、彼女は小さく身震いする。
 肌触りのいいシャツ越しに早鐘を打つ心臓が、ミアの耳元ではとてつもなく大きな音に聞こえていた。
「君に会えるよう、必ず生きて帰ってくる。だから……私のことを待っていてくれないか」
 感情を押し殺したような声色に、ミアの鼻がつんと痛くなる。
 菫色の大きな瞳からは小さな雫がほぽとんとこぼれ落ちたが、それを止める手立てを彼女は知らない。
 何かを話そうにも声にならなくて、彼のシャツに縋り付いたままミアは小さく頷いた。
 待ってる、ずっと待ってる。
 そんな気持ちを込めて握りしめたシャツはもうぐちゃぐちゃだ。

 何も言わず、ただただ抱き合っていた時間はどれくらいだったのか。優しい力で肩を押され、ミアは彼に縋るような視線を向ける。
「……行こう、君のお父上が心配なさっているだろう」
 そっと体を離されると、彼との間に出来た隙間がどんどん広がっていく。冷たい夜風が、それまで感じていた熱を冷ましていく。


 彼に案内されて歩くと、大広間とは本当に目と鼻の先だった。
 これだけ王宮内の事を知り尽くしているなら、彼はもうここに勤めて長いのだろうか。
 年齢はミアの長兄と同じくらいに見える。
「この角を曲がれば大広間の入り口があるんだ。そこに立っている者にお父上を呼んでもらうといい」
「えぇ。……本当にありがとう」
 見上げた彼の表情は、月を背にしているせいで見えない。返事もなかった。
 その代わり、ミアの額にそっと温かい物が押し付けられる。
 微かなくちづけの音が聞こえたのはほんの一瞬。目を閉じる時間もない。
「さぁ、行って」
 肩にあった彼の手が離れ、ミアは未練を断ち切るようにくるりと方向を変えた。
 背後では彼も同じようにしているのだろうか。ミアは白いドレスのスカートをぎゅっと掴む。
 やがて彼の足音が遠ざかり、全く聞こえなくなった頃。
 ミアは毅然と前を向き、父に取り次ぎを頼むべく入り口へと歩き出す。
 あれほど止まらなかった涙は、もう流さないと決めた。
しおりを挟む
感想 6

あなたにおすすめの小説

贖罪の花嫁はいつわりの婚姻に溺れる

マチバリ
恋愛
 貴族令嬢エステルは姉の婚約者を誘惑したという冤罪で修道院に行くことになっていたが、突然ある男の花嫁になり子供を産めと命令されてしまう。夫となる男は稀有な魔力と尊い血統を持ちながらも辺境の屋敷で孤独に暮らす魔法使いアンデリック。  数奇な運命で結婚する事になった二人が呪いをとくように幸せになる物語。 書籍化作業にあたり本編を非公開にしました。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

捨てられた王妃は情熱王子に攫われて

きぬがやあきら
恋愛
厳しい外交、敵対勢力の鎮圧――あなたと共に歩む未来の為に手を取り頑張って来て、やっと王位継承をしたと思ったら、祝賀の夜に他の女の元へ通うフィリップを目撃するエミリア。 貴方と共に国の繁栄を願って来たのに。即位が叶ったらポイなのですか?  猛烈な抗議と共に実家へ帰ると啖呵を切った直後、エミリアは隣国ヴァルデリアの王子に攫われてしまう。ヴァルデリア王子の、エドワードは影のある容姿に似合わず、強い情熱を秘めていた。私を愛しているって、本当ですか? でも、もうわたくしは誰の愛も信じたくないのです。  疑心暗鬼のエミリアに、エドワードは誠心誠意向に向き合い、愛を得ようと少しずつ寄り添う。一方でエミリアの失踪により国政が立ち行かなくなるヴォルティア王国。フィリップは自分の功績がエミリアの内助であると思い知り―― ざまあ系の物語です。

つかれやすい殿下のために掃除婦として就くことになりました

樹里
恋愛
社交界デビューの日。 訳も分からずいきなり第一王子、エルベルト・フォンテーヌ殿下に挨拶を拒絶された子爵令嬢のロザンヌ・ダングルベール。 後日、謝罪をしたいとのことで王宮へと出向いたが、そこで知らされた殿下の秘密。 それによって、し・か・た・な・く彼の掃除婦として就いたことから始まるラブファンタジー。

月城副社長うっかり結婚する 〜仮面夫婦は背中で泣く〜

白亜凛
恋愛
佐藤弥衣 25歳 yayoi × 月城尊 29歳 takeru 母が亡くなり、失意の中現れた謎の御曹司 彼は、母が持っていた指輪を探しているという。 指輪を巡る秘密を探し、 私、弥衣は、愛のない結婚をしようと思います。

不遇な令嬢は次期組長の秘めたる溺愛に絡め取られる。

翼 うみ
恋愛
父の会社を立て直す交換条件のため、ほぼ家族に身売りされた形で関東最大級の極道・桜花組の次期組長に嫁入りしたジェシカ。しかし母を亡くして以降、義母と義妹に虐げられていたジェシカは実家を出られるなら、と前向きだった。夫となる和仁には「君を愛することはない」と冷たく突き放される。それでもジェシカは傷つくことはなく、自分にできることを探して楽しんでいた。 和仁には辛い過去がありそれ故に誰のことも愛さないと決めていたが、純真で健気なジェシカに段々と惹かれてゆき――。 政略結婚から始まる溺愛シンデレラストーリー。

三十年後に届いた白い手紙

RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。 彼は最後まで、何も語らなかった。 その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。 戴冠舞踏会の夜。 公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。 それは復讐でも、告発でもない。 三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、 「渡されなかった約束」のための手紙だった。 沈黙のまま命を捨てた男と、 三十年、ただ待ち続けた女。 そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。 これは、 遅れて届いた手紙が、 人生と運命を静かに書き換えていく物語。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

処理中です...