恋に恋するお年頃

柳月ほたる

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第四章

4 揉める馬車の中

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「俺さ、絶対どこかに誤解があると思うんだよね」
 初めて乗った王家の馬車の中で、向かいに腰掛けているステファンは苦笑いでこう切り出した。
「何もございません」
「いやいや、もっとちゃんと思い出してみてよ」
 現在ミアは、王家の馬車で王城へと向かっているところである。
 外装だけでなく内装も豪華な馬車は、石畳を走っているにもかかわらず振動がほとんど感じられない。しかも固すぎず柔らかすぎない座面の具合も絶妙で、あまりの乗り心地の良さに、一体これはどこの業者に特注しているのだろう、伯爵家でも買えるだろうか、などと考えてしまった。

 しかしステファンの言葉でミアは我に返る。
 今は馬車の購入先について検討している場合ではなかった。諦めの悪い王太子殿下を、スパッと一言で切り捨てられるような魔法の言葉を準備しておかねばならないのだ。
 ついでにこの悪の手先・ステファンも黙らせたい。
「本当にございませんから」
 彼と会話をしているだけも不快で、ミアは手短に、しかしはっきりと答えた。
 これ以上どんな誤解があるというのだろう。
 ミアが王太子殿下と婚約なんてありえないし、これからも絶対にないと言い切れる。確かにずっと逃げ回っていたミアも少しは悪いかもしれないが、それにしても殿下はしつこすぎだ。
 今日こそは本人にきっぱりと断りの文句を投げつけてやるのだ、とミアは決意を新たにする。

「だからさぁ、昨日はアルベルトと一緒にいたんだろ?」
「…………え?」
 困ったように頭を掻くステファンの口から、唐突に彼の名前が発せられた。
 思わず一瞬ドキリとしたが、ステファンは王太子殿下の名前に言及しているのだとすぐに気が付いた。
 そういえば殿下の名前については、王族や主要貴族の名前、歴史、縁戚関係などについての講義を受けた際に聞いたはずだ。すっかり忘れてしまっていたが。
 彼の祖父も父も王族の名前にあやかっていると言っていたから、彼の名前も年が近い王太子殿下と同じものにしたのだろうと推測される。
 少々嫌な偶然だが、こればかりは仕方ない。

「王太子殿下とは一度もお会いしたことはございません。殿下には女性のが多いと兄から聞いておりますので、どなたか他の女性とお間違いでは?」
 付け入る隙を与えたくなくて、ミアは嫌味を混ぜてツンと言い放った。
 他人にこんな風に攻撃的な喋り方をするのは初めてだ。もしかしたら気分を害して怒り出すかも、と内心はひやひやしていたが、なぜかステファンは妙に嬉しそうに体を乗り出した。
「へぇ、ミアちゃんって意外にキツイこと言うんだ。そうだ、そんなにアルベルトが嫌いならさ、よかったら俺と結婚しない?」
「え?! 絶対いやですっ!」
 いろいろとありえない発言に、ミアは礼節も忘れて拒絶した。
 ちょっと待って、意味が分からない。ステファンは今、ミアを極悪非道の王太子殿下に差し出すために遣わされて来たはずだ。どうしてそれが突然、ステファンが求婚する流れになっているんだろう。
 今までの会話に気に入られる要素はなかったはずなのに。
「ははは、容赦ないね。いやぁ、そんなに冷たくされるともっと好きになっちゃうなぁ」
「え……っ? も、申し訳ありません。名門サミュエリ公爵家に嫁ぐなど、私にはとても恐れ多く……」
 慌てて取り繕ったが、なぜ冷たくされると好きになるのだろうか。ミアはますます意味が分からなくなった。
 隣に座っている父に助けてもらいたかったが、父も同じく戸惑っている。

 この場をどう納めるべきか困っている間に、ステファンは更にこちらに近付いた。ミアは限られたスペースの中で必死に体を後ろに逸らす。
 大きな馬車とはいえ、ほとんど面識のない人間、しかも一方的に求婚してくる苦手な男性と相対して座るには狭すぎる空間だ。そんなに身を乗り出さないで欲しい。
 そんなミアの気持ちを知ってか知らずか、ステファンは手のひらに乗るサイズの小さな花束をどこからか取り出してミアに差し出した。
「俺、なかなかいい条件だと思うんだよね。顔も悪くないし、こう見えても軍ではきっちり出世してるんだ。しかも公爵家は王家よりも堅苦しくないし、自由だってある。欲しい物はなんでも買ってあげるよ。どう?」
「お断りします」

 もういい加減にして欲しい。
 こうなったらステファンに嫌われるしかない、とミアは思った。
 出来るだけ失礼で呆れられるようなこと……例えばカエルを投げつけるとか、池に突き落とすとか、大事な茶器に落書きをするとか、花壇を掘り起こすとか。
 昔ロレンツォがやって母にこっぴどく叱られていたことを思い返してみたが、残念ながら馬車の中で出来そうなことはひとつもなかった。しかもカエルは気持ち悪くて触れない。

 仕方がなくて、ミアは差し出された花束をふくれっ面で受け取る。
 ステファンは嬉しそうに微笑んでまた口説き始め、ミアはどんどん腹が立ってきた。どうして男性というのはこんなにしつこいのだろう。
「そんなこと言わずにさ。じゃあとりあえずお試しで付き合ってみるだけでも……もがっ?!」
 上機嫌でペラペラと喋り続けるステファンを見ているうちに、とうとうミアの我慢が限界に達する。
 せめてもの意趣返しにと彼の口に花束を突っ込んでやると、ステファンは目を白黒させた。こうすればしばらくは黙っているだろう。
 だがステファンが黙っていたのは一瞬だった。
 すぐに花束を口から出し、『本当に気に入った。俺たち絶対に絶対に仲良くやれると思うよ』と言い出したのだ。もう本当にやめて欲しい。

「申し訳ありませんが、お花は受け取れません。私、もう将来を誓い合った方がいますの。ステファン様のご期待には添えませんわ」
 だからミアは最終手段に出ることにした。
 本当はアルベルトが迎えに来てくれるまで黙っているつもりだったのだが、ここで恋人の存在を明かすことにしたのだ。
 するとステファンはあからさまにがっかりした顔をする。
「はぁ? なんだよー、それってやっぱりあいつと結婚するってことじゃないか。期待して損したな」
「ですから! 王太子殿下とはお会いしたことはありません」
 いやだからそれがアルベルトだろ? などと意味不明なことを言っているステファンを、ミアはもう無視することにした。
 それにしても名前が同じ人がいると話がややこしい。王家にあやかって名前をつけるのも考えものだなとミアはため息をつく。

 しかしステファンは大人しくなったものの、次に黙っていないのが父だ。
 ミアの『将来を誓い合った人がいる』という発言にいきり立った。
「なんだと?! ミア、それは一体どこのどいつだ?! 今すぐお父様が叩き斬ってやる!」
「お父様、待って!」
 馬車の中に父の怒声が響き渡り、大げさに顔をしかめたステファンが耳を塞ぐ。
 ミアもそうしたかったが、このままでは父がアルベルトのところに乗り込んで返り討ちにあってしまいそうだ。最近体型の乱れを母に注意されている父では、現役の軍人であるアルベルトには到底勝てそうにない。
「ごめんなさい……、その話はまた後でするわ。まずは王太子殿下の件をお断りしないといけないでしょう?」

 今にも掴み掛からんばかりの父をなだめているうちに、馬車は王城へと滑り込んだ。
 ミアはホッとすると同時に、ここからが本番なのだと気を引き締める。
 恭しく手を差し出すステファンにエスコートされて降り立ったのは、城の正門を抜けた先にある大きなエントランス。
 今朝ここを発ってからまだ半日も経っていないというのに、馬車から出て見えた光景はまるで別の場所のようだった。非公式とはいえ大勢の役人がミアを待っており、その仰々しさに圧倒される。
 本当に断れるのかと泣きたくなったが、なんとか涙は我慢した。
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