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二通目 水没の町
#7
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「シロ、僕に何をして欲しいの?」
『……――……』
シロが伝えてきたもの、それは言葉ではなくて映像や感情だった。
お爺さんの記憶の中でも見えた木造の家。温かな光を浴びた畳の心地良い井草の香り。
縁側で微笑む若かりし頃のお爺さんの、頭を撫でてくれる優しい手。
それはとても懐かしくて、恋しくて、哀しい記憶。
「シロは何て言っているんだい?」
「……帰りたいって。お爺さんの家に」
「家って……さっき義夫さんの家にいたんじゃないのかい?」
「ん~……違う?」
シロは幽霊だからか、こちらの会話がある程度わかるみたいだ。
僕の言葉に違う、と言うように首を項垂れて左右に振っている。
そしてもっとちゃんと読め、というように僕の膝に前足をかける。
途端に流れ込む、シロが死んだ時の記憶。
「……っ!」
「香月っ?!」
どうした、と呼ぶ要の声が遠くなる。
そうして再び、映画を見ているような感覚が訪れる。
それはシロの記憶らしいのだが完全な追体験というわけではなく、視点は自分であるのに五感全てが自分のものではないような、不思議な感覚。
シロの記憶の最期の日。
その日はいつもとどこか違っていて落ち着かなかった。
皆どこか慌ただしく、僕には目もくれずに大急ぎで食事をかき込むと、部屋から次々と物を運び出していく。
お気に入りの座布団も、爪を研いでは怒られたタンスも、大きな音に毎回驚かされる柱時計も。
『にー……(父ちゃん、何してるの?)』
『なーうん……(母ちゃん、僕の座布団どこに持ってくの?)』
追いかけて話しかけても追い払われるばかりで、応えてくれる人はいない。
どんどん物が無くなっていくのを、僕は不安に思いながら眺めていることしかできなくて。
いつもニコニコしている義夫が怖い顔で捕まえようとするから、怒られるのかと思って逃げてしまった。
『放っておけ、水がくれば逃げ出すさ。それよりも急げ』
父ちゃんの声が聞こえた気がした。
暫く軒下に隠れていて、物音がしなくなったから家の中に戻ると、そこはもう僕の知っている家じゃなかった。
父ちゃんの少しおっかない大きな声も、義夫の笑い声も、母ちゃんの呼ぶ声もしない。
誰もいないし何もない、がらんどうの家。
不思議に思いながら、いつもお昼寝をしている縁側に行くけれど、やっぱり誰もいない。
座布団が無いことを不満に思いながら丸くなった時だった。
ブオォォォォォ……ブオォォォォォ……
それはとても大きな音で。怪物の鳴き声のように聞こえた。
食べられちゃう? どうしよう?
肉球を通してドドドド、と振動が伝わる。
ああそうか。誰もいないのは、きっとあの怪物から逃げているんだ。
この振動はきっとその足音。僕も隠れなきゃ。
僕は大きく飛び上がり、途中で壁を蹴ってさらに上へ飛び天袋へよじ登ると、とっておきの隠れ場所である天井裏に逃げ込んだ。
これで一安心。ここで待ちながらあの怪物をやり過ごせば、きっと皆帰ってくるよね?
安心したのも束の間。ドン、と家が揺れる。
衝撃はその一度だけで、何だったのかな、と思ったら、濁った水がどんどん上がってきた。
慌てて逃げる場所を探すけれど、下に出られる場所は全部水で埋まってしまった。
『みゃあああああお!! (助けて、誰か!)』
どんどん入ってくる水音で叫び声はかき消され、応えてくれる人はいない。
『みゃあああああお!!! (怖いよ、父ちゃん!)』
水かさはどんどん上がり、もう足もつかない。
沈むまいと必死で足で水を掻く。
『みゃあああああお!!! (助けて母ちゃん!)』
天井に頭がぶつかる。
水面と天井の僅かな隙間から鼻先を出して必死に息をする。
『みゃぁぁ……(義夫……逃げてごめんね……)』
すぐに隙間もなくなり、体が沈む。
暗転。
気が付くと、先ほどの光景が嘘のように、縁側にいるのだった。
温かい日差しの注ぐ大好きな縁側。
でも、誰もいない。
何日も何日も。いくら待っても誰も帰っては来ない。
『んなぁあぁん……(また朝だよ? どうして誰も帰ってこないの?)』
探しに行こうと思っても、何故か家の中から出られず。
そんな日が幾日も続き、日月を数えるのも忘れた頃。
ふと、義夫に呼ばれた気がした。
その感覚に導かれるまま山道を進み、壁を超えると、男の子がいた。
男の子についていって家に入ると、お爺さんがいた。
間違いない。歳はとっているけれど、義夫だ!
『んなぁ~ん(やっと見つけた!)』
でも義夫は気付いてくれなくて。
必死で体を擦りつけても、前足でてしてし叩いても、反応が無くて。
義夫には僕が見えていなかった。
義夫だけじゃない。女の人も、男の人も、誰も僕に気付かない。
その時だった。
「シロ?」
男の子が、僕を呼んだのだ。
『にー……(君、僕が見えるの?)』
「……それで、僕についてきたんだね」
シロがそうだと言わんばかりに体を擦りつけてくる。
「香月? 何かわかったのかい?」
要が心配して僕の手を握ってくれていたのに今気が付いた。
それでシロは見えているけれど、僕が見たようなシロの記憶までは見えなかったらしい。
「うん、お爺さんと、昔過ごした家の縁側に帰りたいみたい」
縁側で座るお爺さんの、膝の上で眠るのが好きだった。
眠る時に頭を撫でてくれる大きな手が好きだった。
シロはあの時に、あの場所に、戻りたいのだ。
『……――……』
シロが伝えてきたもの、それは言葉ではなくて映像や感情だった。
お爺さんの記憶の中でも見えた木造の家。温かな光を浴びた畳の心地良い井草の香り。
縁側で微笑む若かりし頃のお爺さんの、頭を撫でてくれる優しい手。
それはとても懐かしくて、恋しくて、哀しい記憶。
「シロは何て言っているんだい?」
「……帰りたいって。お爺さんの家に」
「家って……さっき義夫さんの家にいたんじゃないのかい?」
「ん~……違う?」
シロは幽霊だからか、こちらの会話がある程度わかるみたいだ。
僕の言葉に違う、と言うように首を項垂れて左右に振っている。
そしてもっとちゃんと読め、というように僕の膝に前足をかける。
途端に流れ込む、シロが死んだ時の記憶。
「……っ!」
「香月っ?!」
どうした、と呼ぶ要の声が遠くなる。
そうして再び、映画を見ているような感覚が訪れる。
それはシロの記憶らしいのだが完全な追体験というわけではなく、視点は自分であるのに五感全てが自分のものではないような、不思議な感覚。
シロの記憶の最期の日。
その日はいつもとどこか違っていて落ち着かなかった。
皆どこか慌ただしく、僕には目もくれずに大急ぎで食事をかき込むと、部屋から次々と物を運び出していく。
お気に入りの座布団も、爪を研いでは怒られたタンスも、大きな音に毎回驚かされる柱時計も。
『にー……(父ちゃん、何してるの?)』
『なーうん……(母ちゃん、僕の座布団どこに持ってくの?)』
追いかけて話しかけても追い払われるばかりで、応えてくれる人はいない。
どんどん物が無くなっていくのを、僕は不安に思いながら眺めていることしかできなくて。
いつもニコニコしている義夫が怖い顔で捕まえようとするから、怒られるのかと思って逃げてしまった。
『放っておけ、水がくれば逃げ出すさ。それよりも急げ』
父ちゃんの声が聞こえた気がした。
暫く軒下に隠れていて、物音がしなくなったから家の中に戻ると、そこはもう僕の知っている家じゃなかった。
父ちゃんの少しおっかない大きな声も、義夫の笑い声も、母ちゃんの呼ぶ声もしない。
誰もいないし何もない、がらんどうの家。
不思議に思いながら、いつもお昼寝をしている縁側に行くけれど、やっぱり誰もいない。
座布団が無いことを不満に思いながら丸くなった時だった。
ブオォォォォォ……ブオォォォォォ……
それはとても大きな音で。怪物の鳴き声のように聞こえた。
食べられちゃう? どうしよう?
肉球を通してドドドド、と振動が伝わる。
ああそうか。誰もいないのは、きっとあの怪物から逃げているんだ。
この振動はきっとその足音。僕も隠れなきゃ。
僕は大きく飛び上がり、途中で壁を蹴ってさらに上へ飛び天袋へよじ登ると、とっておきの隠れ場所である天井裏に逃げ込んだ。
これで一安心。ここで待ちながらあの怪物をやり過ごせば、きっと皆帰ってくるよね?
安心したのも束の間。ドン、と家が揺れる。
衝撃はその一度だけで、何だったのかな、と思ったら、濁った水がどんどん上がってきた。
慌てて逃げる場所を探すけれど、下に出られる場所は全部水で埋まってしまった。
『みゃあああああお!! (助けて、誰か!)』
どんどん入ってくる水音で叫び声はかき消され、応えてくれる人はいない。
『みゃあああああお!!! (怖いよ、父ちゃん!)』
水かさはどんどん上がり、もう足もつかない。
沈むまいと必死で足で水を掻く。
『みゃあああああお!!! (助けて母ちゃん!)』
天井に頭がぶつかる。
水面と天井の僅かな隙間から鼻先を出して必死に息をする。
『みゃぁぁ……(義夫……逃げてごめんね……)』
すぐに隙間もなくなり、体が沈む。
暗転。
気が付くと、先ほどの光景が嘘のように、縁側にいるのだった。
温かい日差しの注ぐ大好きな縁側。
でも、誰もいない。
何日も何日も。いくら待っても誰も帰っては来ない。
『んなぁあぁん……(また朝だよ? どうして誰も帰ってこないの?)』
探しに行こうと思っても、何故か家の中から出られず。
そんな日が幾日も続き、日月を数えるのも忘れた頃。
ふと、義夫に呼ばれた気がした。
その感覚に導かれるまま山道を進み、壁を超えると、男の子がいた。
男の子についていって家に入ると、お爺さんがいた。
間違いない。歳はとっているけれど、義夫だ!
『んなぁ~ん(やっと見つけた!)』
でも義夫は気付いてくれなくて。
必死で体を擦りつけても、前足でてしてし叩いても、反応が無くて。
義夫には僕が見えていなかった。
義夫だけじゃない。女の人も、男の人も、誰も僕に気付かない。
その時だった。
「シロ?」
男の子が、僕を呼んだのだ。
『にー……(君、僕が見えるの?)』
「……それで、僕についてきたんだね」
シロがそうだと言わんばかりに体を擦りつけてくる。
「香月? 何かわかったのかい?」
要が心配して僕の手を握ってくれていたのに今気が付いた。
それでシロは見えているけれど、僕が見たようなシロの記憶までは見えなかったらしい。
「うん、お爺さんと、昔過ごした家の縁側に帰りたいみたい」
縁側で座るお爺さんの、膝の上で眠るのが好きだった。
眠る時に頭を撫でてくれる大きな手が好きだった。
シロはあの時に、あの場所に、戻りたいのだ。
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