触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第一章

6.開花 その①:要らぬなら、貰うぞ!

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 6.開花

「思い出した」

 フェイナーン伯のお屋敷のデカい正門前に立った時、ここに来るまでの間、ずっと情報の整理をしていたからか、古い記憶がふと蘇ってきた。

「何をだよ」
「私、前にフェイナーン伯の名を聞いたことがあったわ」

 いつか誰かが言っていた、グィネヴィアの恩人の話。




 私の故郷、エドム地方の南方にはモアブ地方があり、その二つ地方の境界線はゼレド川を目安に引かれていた。

 そのゼレド川のモアブ地方側のほとりに、エグラト・シェリシヤという小さな町がある。

 グィネヴィアはそこで生まれ、そして

 モアブ地方には、ある言い伝えがあった。

 まだ〝人界〟と〝魔界〟が分かたれずにいた頃――所謂、『無明時代ジャーヒリーヤ』のこと。さる高名な悪魔の不評を買って呪いをかけられた少女がいた。最初はなんら異常はなかったが、齢を重ねるごとに少女の体から徐々に色が失われてゆき、最後は骨の髄まで灰と化して風と共に崩れ去ってしまう。そして、その灰に触れたものや吸い込んだものも少女と同じ呪いを受けた。

 この話は最終的に国教の布教以前に、この地で信仰されていた土着神――『エロア』の介入によって灰と呪いの拡大が止められ解決する。

 だが、言い伝えの中では解決されたことだとか、今はもう〝人界〟と〝魔界〟が分かたれているだとか、そういう現実的な観点とは無関係に、グィネヴィアの真っ白い特異な見た目はその言い伝えに見立てられ、ひどく迫害された。

 呪いを受けた忌み子――。

 モアブ地方は、私の故郷のエドム地方と同じく植民者ゴイが少ない地域性ゆえ、浅黒い系統の肌の住民が多かったことも真っ白な彼女の悪目立ちを助長し、周囲の忌避感に拍車をかけた。

 また、真っ白の毛髪が生えそろうまでは肌の白さから不貞騒ぎに発展したこともあって、グィネヴィアは両親からすらも腫れ物扱いを受けた。食べるものも、着るものも満足に与えられず、いつしかその薄汚れた容姿から、人は彼女のことを『シンダー』と呼ぶようになった。

 そんなグィネヴィアに転機が訪れる。

 ある時、家族から買い出しを言い付けられたグィネヴィアが、いつものように往来の隅っこを這うように歩いていると、正面から来た歩行者の存在に気付かずぶつかってしまった。それは彼女の不注意の所為でもあり、栄養失調からくるふらつきの所為でもあった。

 この時、不幸だったのはぶつかった相手が地元の有力者の息子だったこと。

 衣服が『シンダー』で汚れたことに怒り狂った有力者の息子は、側に連れていた仲間と共にグィネヴィアへ激しい私刑を加えた。騒ぎを聞きつけた近隣住民や両親も集まってくるが、とばっちりを恐れて遠巻きに傍観するばかり。

 上から横からタコ殴りにされながら、グィネヴィアは蹲ってただ堪え忍ぶしかなかった。

 なぜ、誰も助けてくれないのか。私は見捨てられたのか。皆に、両親に、手を煩わせてまで救うほどの存在ではないと思われているのか。

 実際、その通りだった。

 絶望の暗闇に沈み朦朧とし始めた意識の中、グィネヴィアは一心にこう願ったという。

「生きたい」

 誰にも望まれず両親にも見放され、生きる意味も価値も見いだせぬまま、それでもグィネヴィアは生きたいと願った。きっと、その純なる願いを『エロア』が聞き届けてくれたのだとグィネヴィアは語る。

「――止めい!」

 偶然に通りがかった馬車の一団が私刑の現場を見て止まった。その隊列の中央の馬車から、恰幅の良い男が勢い良く飛び降りてくる。覇気に満ち溢れたその男の手には、得体の知れない魔道具アーティファクトが握られていた。

 この時、グィネヴィアには朧気な視界の先にいるその人物が誰か分からなかったが、周りは皆、その正体を理解していた。

 男はフェイナーン伯――お隣、エドム地方の由緒正しき貴族様だと。

 先述したように、モアブ地方はエドム地方と隣接する地方であり、更にエグラト・シェリシヤという町は境界線のゼレド川にほど近い。商売の都合で両地方の行き来が多いフェイナーン伯は見かける機会も多く、遠く伝え聞く王都の王党派貴族よりも遥かに身近な存在だった。

 そんな相手に制止されれば、さしもの有力者の息子といえども手を止めざるを得ない。いかなる用件でしょうかと揉み手する有力者の息子を無視し、フェイナーン伯は周囲に向けて問いかける。

「この娘の親は誰だ」

 質問の意図が分からず当惑する人垣の中から、おずおずとグィネヴィアの両親が歩み出てくる。フェイナーン伯はその二人を見つけると、グワッと目を見開き決然とこう言い放った。

「要らぬなら、貰うぞ!」

 耳を劈くフェイナーン伯の大音声に気圧され、誰もがその威光に萎縮し唖然と佇む。その隙に、フェイナーン伯は風のように手ずからグィネヴィアを担ぎ上げて馬車に乗せていってしまった。

 それから、グィネヴィアが突然のことに目を白黒させている間に馬車はゼレド川を渡り、エドム地方内のフェイナーン伯の屋敷にて高度な魔法的治療と見たこともないぐらいに豪勢な食事でもてなされた。

 そして、怪我の容態も落ち着いたところで、フェイナーン伯はこう切り出した。こちらには『養子』として迎え入れる用意がある、と。

 フェイナーン伯は、グィネヴィアのように行き場を失くした子供を沢山抱えているのだという。その『養子』たちとも面会させられたが、誰も彼もが綺麗な服を着て幸せそうに自然な笑みを浮かべていた。

 この時、グィネヴィアの齢六。一斉魔力検査を受ける直前だった。

 何もない自分が初めて求められた感涙にむせびながら、グィネヴィアは『養子』の申し出に頷いた。嫌だというならエグラト・シェリシヤの親元に送り届けても良いとも言われていたが、故郷や両親に対する未練は一切なかったという。




 この話には裏がある。

「フェイナーン伯は、諸侯派の勢力拡大を狙って『養子』という法の抜け穴を突く手段をとったのね……」

 それは派閥争いに関わりを持った今だからこそ分かることだった。

 王党派には、その勢力基盤となる国教会という強力な支持母体があり、それは時に『王党国教派』と区別して呼ばれることもある。国教会の聖職者がそこに含まれることは言うまでもないが、実はその構成員の大多数はが占めている。身近な例でいうと、ルゥがそれだ。彼女も孤児院育ちである。

 孤児院の経営は古くから国教会の専管事項であり、そこの出身者は幼い頃から助け合いを美徳として叩き込まれる。その結果、孤児院を出てもその繋がりは維持され、商売などにおいても便宜を図り合うようになった。

 つまり、これは派閥対立の激しい我が国特有の観点から言うと、孤児という本来なら誰のものでもない無所属の人員が、魔法使いウィザードも一般人も関係なく全て王党派に取られているのと同義である。

 きっと、フェイナーン伯はそれを羨望の眼差しで見ていたに違いない。

 ゆえに『養子』を取ることにしたのだ。例え魔道具アーティファクトを用いてとしても、社会奉仕の名目なら誰も大っぴらに批判はできない。

 利害だけの繋がりは脆い。より大きな利の前には容易く崩れ去るしかない関係。

 だから、別の強い繋がりが必要だった。

 恩、血、教義――そのいずれも、鬱陶しくなるほどに強い繋がりである。

 思い返してみれば、学院にも何人か『養子』の魔女見習いがいる。今日の調査でついでに知ったことだが、グィネヴィアの側仕えのように振る舞うレイラとかいう娘もフェイナーン伯の養子だった。道理で二人は仲良くしていた筈だ。

 しかし、いかに救いの手を差し伸べたフェイナーン伯の内心が打算に満ち溢れていたとしても、グィネヴィアにとって大恩人であることには変わりない。

 命のというだけじゃない。心を、人生そのものを救ってもらった、かけがえのない人物。

 ――そんな人を、今から私は取り返しのつかないほどに失脚させようとしている。

 私は、今から自分がやろうとしていることの大きさを改めて認識し、少しだけ足が鈍るのを感じた。

「……気にすんな。お前がやらなくても、後で警察がやるだけの話だ」
「うん」

 だが、そのような消化不良な結末ではこのムカつきを発散することができず憤死してしまう。

 私は『納得』がほしかった。

「できることなら、自分で全ての決着を付けたい」
「なら、こんなところで立ち止まってる暇はないぜ」
「そうね……うん。よし、行きましょ」

 この迷いに意味はない。ただの感傷だ。

(早いとこ済ませて帰ろう……休日は今日で終わり、明日からは通常授業が始まる……それに備えてグッスリと眠ろう……)

 納得するために、満足のゆく決着を己の手で付けるために、そして気兼ねなき快眠を得るために、私は迷いを振り切りフェイナーン伯のお屋敷へ向かって歩を進めた。

「――止まれ!」

 門番二人が、当然のごとく槍で私を制止してきた。私は、さも心外ですというような顔をする。

「あら、私のこと覚えてない? リンよ、リン。この前、馬車で来たでしょ。ここを通してくれないかしら?」
「……約束もなく、このような時間に何の御用でしょうか、リン様。用件次第では、お取次ぎ致しますが」
「いえ、それには及ばないわ。――押し通るから」
「なっ――!」

 カラギウスの剣を抜き打ち、一太刀で門番二人の首を浅く斬りつけ声を封じる。それだけでも十分に無力化はできていたが、万全を期すべくついでに胴体あたりも斬りつけておいた。これで一日は満足に動けないだろう。

 全く、警戒が薄すぎる。言葉遣いは丁寧だし教育はされてるみたいだが、肝心の戦闘に関しては素人まるだしだ。

 なんて、舐めた考えはすぐに改めさせられる。

 邪魔者もいなくなったところで、私は堂々と正門を飛び越えて侵入する。だが、地面に降り立った瞬間、即座にけたたましいサイレンが鳴り響いた。

「あー、そういう仕掛けもあるんだ。やばっ」
「ちょいと堂々とし過ぎたんじゃないのか? くくっ……」
「――し、侵入者だ!」

 サイレンを聞き付けた警備員たちが、ほうぼうからこちらへ駆け寄ってくる。

(……ま、疚しいところがあるんだし、警備に関しては力を入れてて当然よね……)

 集まってきた十数名の警備員は皆、金属製の武器を装備している。見たところ魔法使いはいないようだ。この騒ぎでフェイナーン伯が逃げ出さないと良いんだけど、と思いながら私もカラギウスの剣を構える。

「……ま、こそこそするのは性に合わないし。これくらいの相手なら大丈夫でしょう。すぐ片付けてやるわ」
補助サポート、いるか?」
「いえ……もしかしたら、サイレンの所為で諸侯派の魔法使いウィザードが駆けつけてくるかもしれないし、今は少しでもエネルギーを温存しといて」

 私は素の身体能力のまま襲い来る警備員たちの集団に飛び込んだ。機先を制するものは勝負を制する。クラウディア教官の教えだ。

 警備員たちが驚いて身を強張らせた隙に、私は瞬時に身を屈めて彼らの足元を刈り取ってゆく。

(――やはり素人だ)

 互いの距離が近すぎて、誤殺を恐れるあまり満足に剣を振るえていない。結局、一度として動きを緩める必要もなく、流れ作業のように警備員全員を斬り伏せられてしまった。

 久しぶりに一般人と剣を合わせたが、歯ごたえがないというのが率直なところ。それを口にしなかったのは、私の基準が学院の魔女見習いたち相手だという自覚があったからだ。

(自分でも気づかないうちに、私の剣術も結構上達していたのね……)

 そう考えると感慨深いものがあったが、今は浸っている場合じゃない。感慨は深く胸に仕舞い込み、倒れ伏す彼らを跨いで屋敷の方へと歩を進めた。

 とその時、不意に頭上から乾いた拍手が聞こえてくる。
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