触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第一章

6.開花 その⑤:指導

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「そ、それで、アンティークの方の指輪はどこに? というか、ペンダントもなしにどうやって小箱を開けたんですか? そのためのペンダントだったのでは?」
「――天才、というやつがな。居るんだよ。どこの分野どこの時代にも一人か二人」

 そう言って遠い目をした教官の眼には、仄かに嫉妬と羨望の色が浮かんでいた。私には分かる。あれは、その『天才』とやらだけじゃなく、もっと無差別的な嫉妬だ。私も同じだったから分かる。

「天才……ですか。あまり好きではない言葉ですね」
「ふっ、そうか? まァ、その天才は庭で戦うお前を遠くから一目見ただけで、お前の魔力波長パターンをすっかり偽造してしまった。アンティークの方の指輪は私がフェイナーン伯と話している間にソイツが持っていったよ」

 ニナから譲り受けたアンティークの指輪はもう取り戻せないようだ。しかし、それは後で謝ればいい。主目的だった父の形見の指輪が戻ってきただけでも、ここは良しとすべきだろう。

「事情は理解しました。では最後に……諸侯派の目的を教えて下さい。アンティークの指輪なんかを盗んで諸侯派は何をしたいんですか? それに外の連中はなんです? 〝魔界〟の住民のような異形のものたち……あんなの、見たことも聞いたこともない。諸侯派は一体、何を企んでいるんですか?」
「残念だが、その質問にだけは答えられない」

 ここに来て初めて質問を拒否された。それも、キッパリと。

「……本当に知らないんだ。ヤバい情報からは距離を置く、というのが私の処世術でな。その方が長生きできると信じている」

 茶化すような物言いだが、その眼は「これ以上踏み込むな」と厳に警告していた。そして、クラウディア教官は矢継ぎ早に「聞きたいことはそれで終わりか」と拒絶的なまでに淡々と言う。その雰囲気に気圧されてしまい、私はすぐには言葉を返せなかった。

 沈黙が流れる中、そのうち教官は窓の一つに向かって歩き出した。

「では、お別れだ。もう、会うことはないだろう。寂しくなるが元気でやれよ」

 逃げる気だ……何か、何か言わなくては……!

「――待ってください!」

 喉奥から絞り出されたのは、グズる子供が親の足元に縋り付くような芸のない言葉。しかし、やはりこんなところで、こんな下らないことでお別れだなんて……絶対に嫌だった。

 教官は私のような落ちこぼれにもよく目をかけてくれた無二の恩師だ。今でも、一つ一つの教えを鮮明に思い出せる。

 他の生徒と【身体強化】の出来に差が開いた時には、思い切って目の強化だけに絞るようアドバイスしてくれた。動体視力もまた、眼輪筋という筋肉によって支えられているものだからだ。実際、これにより私の生存力は飛躍的に伸びた。

 まあ、生き残れるだけで勝てはしなかったが。

 しかし、それも過去の話。さっきの人狼との戦闘だって、体の方はマネに任せ【身体強化】を目だけに集中させていたからこそ掴めた勝利だ。

 一度口をついてしまえば、後は堰を切ったように考えなしの言葉が溢れ出てくる。

「別に逃げなくても、こんなの、私が黙ってれば……! そうだ、剣をこっちに渡して下さい! 凶器の方を私が隠し持って、その代わりに私の剣を教官が持っていれば、血とかの証拠も出ませんし、私が別の犯人を目撃したことにすれば絶対大丈夫です! 実際、例の『天才』とやらが居合わせていたことですし、罪はソイツになすりつけましょう!」

 クラウディア教官はじっと黙ったまま私の言葉を聞いていた。悲しむような、憐れむような、そんな視線を私に注ぎながら。

 私は、酷く己の行いを咎められているような気分になって言葉を呑み込みかけた。しかし、それでも喉奥から次から次へと湧き上がってくる衝動は抑え難く、言葉は止まらなかった。

「……と、盗難事件の方はもうサマンサが犯行を自白していますし、部屋にあった毛髪も私の学院制服に付いていたことにしましょう! 警察の同行を拒否して逃亡したことも全部諸侯派から私を守るための逸った行動だったとすれば同情も買えますし、それに同行の拒否自体は罪ではないので教官が罪に問われるようなことは……」
「確かにそれも選択肢の一つかもしれない」

 だが――と、クラウディア教官は言う。

「生憎と、私にはできない」
「ど、どうして……!?」
「お前と話しながら、私はこう考えていたんだ。『私は出頭すべきだ』と」

 道理で、焦りも何もなく、悠長に私の話に付き合ってくれた筈だ。クラウディア教官には、最初から逃げる気なんてなかったのだから。

 ――そして、一つの可能性が私の脳裏を過ぎる。

「私の所為……ですか?」
「凄いな。何も言っていないのに分かるものなのか? 私なんかと違って、聡いな」

 クラウディア教官がさっきから度々口にする偽善的な言動は、ある程度本心から出ていると私は見ていた。ただ、それ以上に憎悪や私的な怨恨が強いというだけで。だから、こうしてフェイナーン伯を討ち果たしその恨み辛みも霧散した今、教官の中に残るのはそういう『斯くあれかし』という強迫観念にも似た清廉さだけなのだ。

 大人たるもの、魔女ウィッチたるもの、斯くあれかし。

(私が見ている前だから……、そんな綺麗事を体現しようと……)

 良い手本となろうとしているのだ。己の人生と幸福を犠牲にして……。

 そんなものは無意味だと口にできたらどれほど良いだろう。間違いでもいい。私は恩師であるクラウディア教官には自分の幸せを追求して欲しかった。

 そんな私の内心が伝わったか、教官は困ったように笑った。

「私を思ってくれるのは嬉しいが、敢えてこう言わせてもらおう――『驕るな』と」
「どういう……意味ですか?」
「お前だけが理由ではないということだ」

 クラウディア教官は、考えを言語化するのに労しているのか顎を擦り、唸り声を上げながらその別の理由について述べる。

「端的に言えば――にしたい、ということになるのか?」

 そう言うと、クラウディア教官は左肩に手を当てた。殆ど失ってしまった左腕の、僅かに残った生身の部分を確かめるように。

「この左腕を失った時のことは……私自身、固く口を閉ざしてきた。そうだな?」

 私は頷いた。隣国パルティアとの偶発的な戦闘により失ったとは聞いている。だが、その詳細については好奇心に駆られた不躾な生徒が如何にしつこく尋ねようとも、クラウディア教官は頑なに話そうとしなかった。

「当時はまだ戦争にはなっていなかったが、それでも両国間の緊張が高まっていた時期だった。そんな折、国境警備の任についていた私は、哨戒中にパルティアの魔法士部隊と遭遇した。仲間は数名、対して向こうは十以上いた。互いに魔力の気配を上手く隠匿し過ぎていたこともあって、夜道に正面からバッタリだ。そこで、私はどうしたと思う?」

 自嘲と慚愧ざんきがないまぜになったような表情で、クラウディア教官は私に問う。

 話したがらないのは単に不覚傷を負った時の話だから、魔法使いウィザードの面目を保つために理由もなく言い触らしたくないのだと思っていた。しかし、どうやらそうではないとクラウディア教官は言いたいらしい。

 答えを求めての問いではなかったのか、私が何か答える前に教官は続けた。

「逃げたんだ。いの一番に、全速力で。咄嗟のことで覚えていないが、仲間を突き飛ばしていたかもしれない」
「……結果的には正しい判断です。恐らく敵は奇襲攻撃、或いは破壊工作を目的として我が国の領土へ侵入してきたのでしょう。その情報を持ち帰ることには、千金の価値があります」
「当時の私はそんな殊勝のことを考えちゃいなかったさ。生存本能の赴くままに浅ましく逃げるも、仲間があっけなく全滅したものだからすぐに追いつかれ、左腕を吹き飛ばされた。私はすっかりパニックに陥ってめくらに魔法を撃ちまくったよ……」

 遠い目をして話すクラウディア教官の話を聞くうち、私は以前受けた座学の授業を思い出していた。今の話に出てきた過去の教官は、授業で常々言われる『自ら死に向かう兵士』の特徴そのままだ。仲間を見捨て、敵に背を向け、冷静さを欠く。

 しかし、クラウディア教官はそこから生き残っている。一体、どうやったのか?

「ははは、随分と不思議そうじゃないか。まあ、私が生き残れたのは運が良かったのと……私の才能のおかげだ」
「才能……?」
「――ああ! どんな状況からでも惨めったらしく生き残れるという才能だ!」

 驚いたことに、露悪的な表現を使いながらもそこに卑屈さは一切なかった。心の底から、クラウディア教官はその才能を誇りに思っているようだった。

「暴れる私を敵は遠巻きに取り囲んでいた。圧倒的有利の状況で怪我なんぞしたくないのだろう。見下しと憐れみの眼を向けながら、敵は焦ることなくゆっくりと私を仕留めるための魔法を構築し始める。その僅かな猶予が私に息継ぎの余裕と一つの閃きを齎した」

 敵は木の枝の上に立って太い幹を盾にしていたと言って、クラウディア教官は上の方を指差す。

「いつしか、私は敵の魔法が来るのを虎視眈々と待つようになっていた。魔法を撃つ手を休めずに、己のうちで密かに魔力を練り上げてゆく。そして――とうとう敵の魔法が来る。必殺の魔力を込められたその魔法が着弾する寸前、私は残った全魔力を注いで地面に深い泥濘を作り出した」
「地面に泥濘を?」

 聞くと、クラウディア教官は得意げに続ける。

「実は、私が逃げ込んだ場所は崖で、その崖下には大きな川が流れていた。私は泥濘の中を泳いでその川を目指したんだ。この試みが見事に上手くいってな、無事に川に出た後は敵の土地勘の無さと夜の暗闇に助けられ、川の流れに乗って私は下流まで逃げおおせた」

 後は知っての通りだろう。情報を持ち帰った功績を以てクラウディア教官は讃えられ、敵前逃亡の事実など誰も知る由もなく、両国間でどういうやり取りがなされたかは不明だが戦争にはならず(結局は後に下らないことで開戦することになったが……)、第一線を退いて教官職を宛てがわれた。

 私なら、それだけの死線を潜り抜けられたら自分の幸運に感謝するだろう。しかし、話すクラウディア教官からは生還の喜びや達成感のようなものは一つも感じられなかった。

「虚しい」

 ポツリ、とクラウディア教官はそう呟いた。

「こうして日々を生きながら感じるのは、ただ虚しさだけだ。仲間を見捨てて生き恥を晒し、得られたものといえば僅かな賞与だけ。それなら、あの時に死んでおけば良かったと何度思ったことだろう」
「だから……自首をして、貴族を殺した罪で極刑になると?」
「そんな顔をするな。いち抜けだ。コイツを殺し、これまでのクソみたいな人生に一つの区切りを付けたことで、私の身辺整理は終わった。残る余生、格好ぐらい付けさせろ」

 ほとほと嫌気がさしたとでも言わんばかりに、しかしどこか吹っ切れたように、クラウディア教官は微笑んだ。それは今まで見た教官の表情の中で、もっとも晴れやかなものだった。

「――私は私の道を行く」

 それこそが私の幸福であると気付いたのだ。恥も外聞もなく、そう言い切ってみせたクラウディア教官は、私の眼に眩く輝いて見えた。単なる自殺志願者の放っていい輝きではない。

 私は圧倒されかけた。しかし、口の方が勝手に動いた。

「――それは現実逃避です」

 言ってから、すぐに「ああ、言ってしまった」と後悔した。しかし、それでも言わざるを得なかった。なぜなら、クラウディア教官の幸福は私の幸福ではないのだから。

「私は死んでも良いつもりでこの屋敷に来ました。そして、諸侯派へ降るように言われた時は、死んでも断るべきだと思いました。しかし、決してそうした訳ではありません」
「私も一緒さ。理想に殉ずることこそ、意味のある生。私の幸福だ」
「違います。貴方は身勝手な希死念慮を実現するために都合の良い理由を求めているだけです! 勝手に私を背負わないで頂けますか!?」

 そっちが勝手を言うなら、こっちだって勝手を言わせてもらう!

そうしないでくれと言っているんです! この国に愛想が尽きたというのなら……逃げて、今すぐにでもどこか遠くの国にでも行って、新しい人生を始めれば良いじゃないですか!」

 さっきの話では報酬として大金を貰える予定なのだろう。教官ほどの人物なら、それを元手に十分やっていける筈だ。

「私のことなんて気にせず……そんな、変に格好付けて理想の大人として振る舞わなくたって……自分の人生を、自分の幸せを……」
「幸せ? おいおい、子供が大人に気を使うなよ。自分の幸せぐらい自分で決める」
「教官!」
「……はははっ……そうか、教官か」

 クラウディア教官は何度も噛みしめるように「教官」の語を呟いた。

「この期に及んで、まだ私はお前の教官なのか。――なら、こうしよう」

 クラウディア教官が軽く右腕を振る。すると、その手中にいつのまにかカラギウスの剣が収まっていた。慣れた手付きで底部の起動スイッチが弾かれ、薄い魔力刃が展開される。

 何をするつもりか。魔力刃は実体化させていないようだが。

「お前は私に良く似ていたよ。他の生徒に手も足も出せずに負け続ける姿は、昔の私をそのまま見ているようだった。だから、特別に眼をかけていた」
「えっ? ……特別扱いだったのは自覚しています。手のかかる、駄目な生徒だったと……」
「――だが、今は違う」

 急展開に付いていけないでいると、教官はふっと笑みを消し、教科書通りの綺麗な構えを取った。まるで鉄仮面のように凝り固まった無骨な表情からは、もう何も読み取れない。

「かかってこい。そうまで言うなら力づくだ」
「ど、どういう意味ですか……?」
「リン、お前が勝ったら私は逃げよう。鼻の利く猟犬どもを振り切って、地の果てまでも逃げ延びてみせよう。どんな状況に陥っても死なず、惨めったらしく生き延びることだけが私の唯一の取り柄だからな」

 そう言って、クラウディア教官は皮肉げに義手を回す。

「しかし、私が勝った時はこのまま出頭させてもらう。――さあ、構えろ!」

 訓練時のような厳格な態度で、私に向かって血気盛んに叫ぶクラウディア教官。それに応じるように、私の右手が不随意に釣り上げられ、不格好な構えをとった。驚いてそちらへ眼をやると、右腕に絡みついて勝手に動かした張本人、マネの触手がぷるぷると震える。

「リン、汲んでやれ」
「んなこと言ったって……!」
「ごねても変わんねえよ。二人の我儘が正面からぶつかってんだ。後はどっちが折れるかの戦争しかないだろうが。……来るぞ」

 私の返事も待たず、クラウディア教官は正面から猛然と踊りかかってきた。

(くっ――!)

 ざわつく気持ちを置き去りにして、私の体が勝手に反応する。

 魔力刃を展開し、教官の右手側に一歩回り込みつつ斬撃を受け流し、更にその防御動作モーションの延長線上の動きで教官の右手首を絡める。

 しかし、私の振るった魔力刃が教官の皮膚に食い込むその間際――突如として全身に悪寒が走り、強烈な危険信号が脳裏を弾いた。生存本能に従い、私は全力で後方へと離脱する。

「――【魔力弾バレット】」

 さっきまで私が居たところを、【魔力弾バレット】が通過してゆく。いつのまにか教官の左腕には杖が握られていた。

 【魔力弾バレット】は極めて初歩的な魔法ゆえ、属性魔法を覚える頃になるとなかなか競技シーンでもないと使われることのない魔法。しかし、そのプレーンさからくる構築の素早さは、私のような魔力量の少ないものにとってはかなりの驚異だ。

(直前まで気付かなかった……【身体強化】の魔力循環の中に魔力の高まりを隠していた……?)

 授業では習うことのない技術だ。【身体強化】の魔力循環によって生じる魔力のうねりはそう大きなものではなく、その中に隠して構築できる魔法となると今の【魔力弾バレット】のような必然的に小規模なものとなる。

 魔法の威力や効果範囲を重視する傾向が強い昨今、実戦はもちろん学院の模擬戦闘においても大技の応酬が基本であることを考えると、小技を効かせるという発想に至ること自体が稀だ。

 魔力の弾丸は、私の背後の壁にぶち当たって霧散する。今の飛び散りようを見るに、私があれをモロに食らっていたら致命的な隙を生み、そこで負けていた。右手首をりに行って負けをくれてやったのでは全く釣り合わない。身を引いて正解だったと冷や汗をかいていると、教官は好戦的な笑みを浮かべる。

「口ではなんやかんや言いつつも……随分と手癖が悪いじゃないか。危うく右手首を持っていかれるところだった」
「そ、それは、つい……反応で……」
「ふふっ、まだまだ行くぞ――【束縛の鎖バインド】!」

 また、競技用魔法だ。実体化していない魔力刃といい、競技用魔法といい、クラウディア教官は私との『試合』が望みなのか? 【束縛の鎖バインド】――ロクサーヌもよく使う魔法だが、クラウディア教官が見せた用法は全く未知のものだった。

 杖から伸びる複数本の鎖は、私でなく周囲の壁や天井を目指してそこに突き刺さり、そこからまた別の方向へと伸びてゆく。そうして、瞬く間にホール中に鎖が張り巡らされた。

 遅れて、私はその意図を察する。

(――私の機動力を殺しに来た?)

 この前の『サバイバル実習』でルゥに足場を作ってもらった時は、ランダムではなく事前に打ち合わせをして、直線的に動けるようなルートを残してもらっていた。しかし、この鎖はむしろそういう直線的なルートをなくすように意図して張り巡らされている。

(これでは解放バーストが使えない……)

 このまま座視していても、状況は悪化するばかり……そう考えると、私の中に本能的な危機感が湧き上がってきて、それが頭を冷やしてくれた。

「……分かりました、教官。りましょう」

 事ここに至って、とうとう私も覚悟を決めた。

(やるしかない。自暴自棄になっているクラウディア教官の人生を救うためにも――絶対にここで勝つ!)

 私は少し前から構築していた魔法を解き放った。

「止めろ――【魔力弾バレット】!」

 しかし、最後の方で構築を急いだこともあって、放たれた弾はさっきのクラウディア教官のものと比べると遥かに遅く、朧げで、鎖の創出を阻止するという目的も果たせず、教官の剣によって容易く叩き落され霧散してしまう。

(やはり、この程度の魔法では駄目か……!)

 人狼ライカンスロープ戦では希望が見えたような気がしたが、魔法の実戦投入にはまだまだ越えなければならない壁がいくつもあるようだった。

 こうなってしまっては、もはや自分から仕掛ける以外に道はない。鎖でホールが埋め尽くされて、どうしようもなくなってしまう前にと思い、今度は思い切って私から突っかけた。

「向かって来るか。しかし、それは安易な選択ではないか?」

 諌め、咎め、嗜めるように、クラウディア教官がサッと杖を揺り動かせば、無秩序に広がっていた鎖の創出に一定の指向性が生まれ、瞬く間に私の背後の逃げ道を塞いだ。

(っ……大丈夫! 退かなきゃ良いだけの話よ!)

 行きがけの駄賃として手当り次第に道中の鎖を断ち切りながら、教官の左手側に斬りかかる。

「――流石には気付くか!」

 クラウディア教官が杖で私の剣撃に対応したことで、鎖の創出も一時的に止まる。その動きは、ほんの少しだけぎこちなかった。思った通り、教官はまだ義手の操作に慣れていない。

(集中して攻めるべきは左手側!)

 弱点を見つけた私はそこから一気呵成に攻め上げようとするが、対するクラウディア教官は落ち着いて身を退き鎖の森の中へ逃げ込んでゆく。思わず舌打ちが漏れた。これ以上鎖を張られても困るので、フィールドの不利を承知で付いてゆくしかない。

(このままじゃ苦しい……!)

 剣を打ち合いながら打開策に考えを巡らす。まず、こちらは圧倒的に手数が足りていない。

 私がやるべきことは、攻める、守る、鎖を断ち切るの三つ。
 対してクラウディア教官は、守る、攻める、鎖を張るの同じく三つ。

 これではいたちごっこだ。

 しかも、今はなんとか拮抗しているが、私の方は継戦能力に問題がある。まさか、こんなことになるなんて思ってもみなかったから、アメ玉は市販の一袋(十コ入)しか持ってきていない。ここまでに四コも使ってしまったので、残りはもう六コだけだ。

(早急に現状を打破しないと、ガス欠で負ける……!)

 そんな詰まらない結末はごめんだ。

 とその時、私が鎖の処理にもたついた一瞬の隙を突いて、教官が杖と剣を持ち替えた。左手に剣を右手に杖を。それにより、私の剣撃は同じく剣で対応され、自由になった杖から同時進行で更なる鎖が創出されるようになる。改めて右側へ回り込もうにも、鎖が邪魔して上手く動けない。

(くっ、うまい――!)

 ロクサーヌほど【身体強化】の練度が高い訳でもない。同学年の優秀な生徒たちほど魔法の構築が速い訳でもない。魔力量にしたって大人の魔法使いウィザードの中では平均的で、飛び抜けたものは何もない。

 ただただ――うまい。

 十数対一の絶望的な状況からも生還できた所以、実戦ベースの対応力、才気煥発する発想の飛躍――それが今、私に牙を剥いていた。

 ここでマネが私の背中を触手でタップする。補給の合図だ。少し下がって、袋から掴んだアメ玉三コを纏めて補給すると、その隙にまた鎖を張られてしまった。

「どうした、直線的な動きを封じられただけでもうギブアップか? こっちはまだ競技用魔法しか使っていないぞ」

 挑発的な物言いに何も言い返せず歯噛みしていると、クラウディア教官はため息を付き、一度戦いの手を止めて更に言葉を紡ぐ。さながら、訓練中に私を指導する時のように。

「私は以前、お前に『剣術の才がある』と言ったな。そして、『それは常人の剣術』だとも」
「……はい」
「訂正する。アレは間違いだった」
「……どっちがですか?」

 剣術の才があると言ったことか、常人の剣術と言ったことか。それによって、大きな違いがある。

「ふっ……それは戦いの中で教えてやろう」

 のらりくらり柳に風と受け流すクラウディア教官にスッキリしない苛立ちが募る。こんな時に一体何を教えようというのか。今じゃないと駄目なのか。どうして、私の気持ちを分かってくれないのか。

(もう、斬るしか――ない!)

 勝てば全てが解決する。そう思うと居ても立っても居られず、私の方から突っ込んでいって強引に戦闘を再開させた。

「早く、斬られてください!」
「そうか、私を斬りたいか! ならば思い出せ、先程の戦闘を!」
「先程のっ、戦闘……!?」
「そうだ、いつまでに拘っている? お前にとっては壁も天井も鎖も……全て床と同じことだろう。攻め手を滞らせてまでわざわざ一つ一つ丁寧に断ち切る必要なんてない筈だ!」

 壁も天井も鎖も――床と同じ?

(――ああっ! そういうことか!)

 一瞬のタイムラグを挟んでその意味に気付く。それはまさに青天の霹靂だった。なぜ、忘れていたのだろうか。人狼ライカンスロープ戦の時には気付いていた筈なのに。

 私は自由なのだということを。

(私の剣を遮るものなんて――ここにはなにもない)

 気付き、閃き、広がった視野の中で新たな剣術が開花する。

 縦横無尽に空間をなぞる埒外の剣筋が次々と浮かび、眼の前の光景に重なる。どれもこれも、これまでには発想することすらなかったものだ。

 私はその中の一つを選択し、躊躇なく地面に倒れ込んだ。

「そうだ、それでいい……」

 横向きに張られた鎖と床の僅かな隙間に体を捩じ込みつつ、嬉しそうに笑う教官の脛を狙う。だが、この攻撃は予想されていたのか軽く飛んで避けられ、魔力刃はわずかに皮膚を掠めるだけに留まった。

(けれど、予想していたのはこちらも同じですよ……教官!)

 すかさず、マネの触手に鎖を掴ませ上昇しながら追撃する。そして、斬り上げ――高低差のある上下二連撃が最初から私の狙いだったのだ。

 見ろ。教官の体はまだ宙にあり、その姿勢は不安定。

 ――斬れる。

 そんな確信があった。しかし、そこからのクラウディア教官の対応は、私の予想を遥かに超えていた。

「ふっ――まだまだ甘い!」

 教官は単純に剣や杖で私の攻撃を迎え撃つのではなく、マネの触手が掴んでいた鎖をめがけて剣を振るったのだ。断ち切られた鎖はあっけなく張力を失い、それに支えられていた私の体がガクンと揺れ落ちる。当然、それに伴い剣筋も大きくズレ、全く見当違いのところを空振りしてしまった。

 今度は私が無防備を晒す番だった。クラウディア教官の返す刀が私の顔面に襲いかかる。これを食らえば意識なんて一瞬でぶっ飛ぶだろうが、私は落ち着いていた。

(これぐらい、私自身があくせく対応するまでもない……)

 なぜなら、あらかじめ別の鎖にもマネの触手を伸ばさせておいたからだ。私の合図でマネが私の体を後方へ引っ張り、余裕を持って教官の剣撃を躱した。

 教官の言う通り、入り組んでいる戦場はむしろこちらに利があった。常に逃げ足を残しておきながら、普通の剣術では到底考えられない剣筋で変幻自在の攻めを繰り出すことができる。

 だが、まだだ。こんなもんじゃない。

 教官の導いてくれた私の剣はまだ上に行ける――ッ!
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ガチャで領地改革! 没落辺境を職人召喚で立て直す若き領主』

雪奈 水無月
ファンタジー
魔物大侵攻《モンスター・テンペスト》で父を失い、十五歳で領主となったロイド。 荒れ果てた辺境領を支えたのは、幼馴染のメイド・リーナと執事セバス、そして領民たちだった。 十八歳になったある日、女神アウレリアから“祝福”が降り、 ロイドの中で《スキル職人ガチャ》が覚醒する。 ガチャから現れるのは、防衛・経済・流通・娯楽など、 領地再建に不可欠な各分野のエキスパートたち。 魔物被害、経済不安、流通の断絶── 没落寸前の領地に、ようやく希望の光が差し込む。 新たな仲間と共に、若き領主ロイドの“辺境再生”が始まる。

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