触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第一章

6.開花 その④:質疑応答

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 肯定して欲しくなかったことをあっさりと肯定されてしまい、声の調子が勝手に上擦る。

「ど、どうして……教官も諸侯派なんじゃ……?」
「それは知らぬ方が良いことさ」

 そう言って、クラウディア教官はフェイナーン伯の体をぞんざいに投げ捨てる。ドサッとホールの平らな壁にもたれかかるようにして倒れ込んだフェイナーン伯の腹部から、ボタボタと血が滴り落ちてきた。勢いはない。もう心臓が止まっているからだろう。

(なんて、むごい……)

 フェイナーン伯の胸部から腹部にかけてには数え切れないほどの刺傷があった。人を殺すのにここまで執拗に刺す必要はない。ましてや、それをやったのは剣術の心得がある筈の……。

 あまりの現実を受け止め切れず絶句していると、マネが無言で窓の方に体を引っ張り始める。

 それは、まさか「逃げろ」ということなのか?

(――ふざけないで! 私はまだ、何にもできてない!)

 マネの誘導を力づくで断り、私は頑としてその場に留まることを選択した。

「お前には、こんなことに関わって欲しくなかったよ」
「もう、遅いです。それより聞きたいことが山程あります。答えてくれますか?」

 クラウディア教官は、静かに扉や窓へ目を走らせる。そのいずれもアーシムさんの炎が覆って蓋をしていた。

(逃げ道を確認している……?)

 さっきは私の疑問が先行していたが、クラウディア教官が本当にフェイナーン伯を殺しているのだとしたら、彼女は殺人者だ。『猟犬』がすぐそこまで迫っているのだから逃げる算段だって立てるだろう。

 しかし……この期に及んでもまだ私は教官を信じたかった。

 固唾を呑んで返答を待っていると、クラウディア教官は隅に片してあるテーブルの上に小箱を置きに行き、それからまたゆっくりと私の前に戻ってきた。それは、とてもではないがこれから逃げようという人の行動には見えなかった。

「理解、できないんです。今も、教官が何を考えているのか。どうか、教えてくれませんか」
「全くお前は頑固だな。そうまで言うなら……話してやろう」

 クラウディア教官は「何から話したものか」と顎を擦った。私が「最初からお願いします」と言うと、教官は頷いた。

「実は、指輪の奪取はもともと私に降りてきた話だった。私はピッキングが出来たし、学院の学生寮ドルミトーリウムの鍵はまだ旧型の物理的な鍵から更新されていなかったことが理由だ」

 それは、まだニナが指輪を持っていた時のことだとクラウディア教官は言う。

「当然、断ったよ。派閥なんて煩わしいものからは退役を機に距離を置いていたし、そんな下らないことのために盗みなんてしたくなかった。それも生徒から」

 やはり、クラウディア教官はもともとは諸侯派で、計画自体も結構前から動いていたらしい。

 しかし、私が気になっているのはそんな半ば分かりきっている事実ではなく、クラウディア教官の真意。私は一言一句も聞き漏らすまいと一心に耳を傾けた。

「それでこの話が頓挫でもすれば万々歳だったのだが……残念ながら、事態は悪化した。指輪がお前の手に渡ったと聞いた時、諸侯派の動きが気になって調べたんだ。危険があるようなら対処してやりたくてな。その結果、フェイナーン伯はサマンサという生徒を使って指輪を盗ませようと計画していることを知った。卑劣な男だよ。色恋沙汰となれば仮に生徒がしくじっても絶対に口を割らないと見込んでのこと。――昔と何一つ変わらない下衆野郎だ!」

 ドゴッ、とクラウディア教官の足が勢いよくフェイナーン伯の横っ腹に突き刺さる。それでも、フェイナーン伯は身じろぎ一つしない。ゆっくりと引き抜かれた教官の靴先は血で真っ赤に染まっていた。

「しかも、聞くところによれば、そのサマンサという生徒は派閥からは縁遠い学院生活を送ってきたという――あまりにも、不憫じゃないか」

 そう言って顔を上げたクラウディア教官の眼の奥にチロリと覗くもの、それは安っぽい同情心などではなく、確たる形を持った激しい『憎悪』だった。

「無辜の生徒が派閥なんて下らないものに利用され、輝かしい未来を棒に振る羽目になるなんて許せない! ……だが、私が知った時は折節実習エクストラ・クルリクルムの直前で、事態は既に阻止できないところまで進行していた。だからせめて、彼女が下手を打って盗人の汚名を着せられることだけは避けようと考えたんだ」

 クラウディア教官は、サマンサの犯行に先回りしてサポートしたと述べた。『サバイバル実習』が、教官は私が部屋を出たのを確認してからピッキング技術を用いて部屋に侵入し、ドアと窓の鍵を開けておいた。そして、犯行当日にもサマンサの盗みが長引いた時に備えて、私の足止めをするために学生寮ドルミトーリウムの近くで待機をしていたという。マチルダの目撃証言はこの時のものだろう。

「実際、ヘレナがお前を呼び出していなければ危ないところではあったんだぞ?」

 クラウディア教官は心底おかしそうにくつくつと笑った。

「サマンサに訳を話して盗みを止めさせるのでは駄目だったのですか?」
「それでは私が事態をコントロールできなくなると考えた。諸侯派の関与が公にでもなってみろ、どんな報復をされるか分かったものではない。私では、諸侯派の報復からサマンサを守り切ることは不可能だ。だから、一旦盗みを完遂させてから計画通りジャミルに振らせるというのがベストだと思ったんだ。そうすれば、サマンサにしてみれば青春時代の背伸びしたほろ苦くも甘酸っぱい恋の思い出に変わるだけさ」
「……そう、ですよね」

 確かに、サマンサの純情を傷つけずに止めることは難しい。先に盗んでしまえばとも思ったが、教官が計画を知ったのは折節実習エクストラ・クルリクルムの直前、色々とすれ違いが起こりかねないタイミングだ。

 ここまで、殆ど予想通りの答えだった。

 唯一つ、サマンサだけじゃなくて私のことも気にしていてくれたことが分かって、そこは少しだけ嬉しい。

「次は――その、ペンダントのことでも話そうか?」

 私は首元のペンダントを見た。そういえば、ずっと付けっぱなしだった。

「それは魔法的な鍵、つまりお前の魔力波長パターンを偽造する手間を惜しんだコイツが、魔力痕を採取する目的で渡したものだ。現場の判断でな。まあ、上の者に開けさせて手を煩わせるより、あらかじめ自分で開けて中身を渡した方が気は利いてる。――このクソ野郎が考えそうなことだ!」

 教官は再び足先でフェイナーン伯を激しく蹴り飛ばした。それによって彼の体が揺れ動き、生気の失われた顔が覗く。……本当に死んでいる。見るに耐えず、私はサッと目を逸らした。

魔力波長パターンぐらい危険を犯して情報局のデータベースから盗み出せば良いものを……コイツは! 今度はまた別の生徒を利用してペンダントを回収させようと画策していたのだ! ――そんなこと、見過ごせる訳がない!」

 再び、色濃い『憎悪』が顔を覗かせる。決して、正義感や義憤の類ではない。ずっとクラウディア教官を見てきた私にはそれが分かってしまった。

「ふぅ……事件の翌日、私は再び諸侯派の動向を探り、ペンダントのことを知った。そして、今度こそ生徒が盗みをさせられる前に自分でペンダントを回収してしまおうと考えた。だが、その途中で警察に絡まれてしまってな」
「あの……その警察に事情を話してしまえば良かったんじゃないですか?」
「普通の事件ならそうした。だが、これは派閥が絡んでいる事件だ。王党派と諸侯派、双方の圧力次第で警察の動きがどう転ぶか全く予想できん。それにジャミルはサマンサと並行して別の生徒にも粉をかけていてな、その生徒が盗みをさせられるまで時間的な猶予もなかった。しかし、結局は警察の妨害などもあり失敗してしまった訳だが。はははっ……」

 クラウディア教官は乾いた自嘲の笑みを浮かべた。

「……それで、それからはどうしていたんです?」
「ペンダントの回収に失敗して『猟犬』に付き纏われるようになってからは、『昔、諸侯派に付いていた所為で不当に犯人扱いを受けている』と文句を付けて、諸侯派に匿ってもらっていた。この義手はその時に」

 クラウディア教官は袖を捲くって左腕の義手を掲げた。静かな動作音と共に、指先が滑らかに動いて空中を掻き回す。見事な出来の魔道具アーティファクトだ。前腕部のところに刻印されている双頭の鷲は、義手が神聖エトルリア帝国産である証。

(最近の魔法工学の発展は著しいとは聞いていたけど、今の義手はこれほどまでに見事な動きをさせらるのか……)

 実戦でも使用できるレベルの滑らかさだ。思わず事件のことを一瞬忘れて、クラウディア教官の実戦復帰を思い描いてしまうほどに見事なものだった。

 教官がさっと袖を戻したので、私も一旦思考に区切りをつけ再び話に集中した。

「そこで私は諸侯派と取引をした。一連の計画に協力する代わり、無罪の保証をしてもらうという取引だ。もちろん、私にその取引内容を履行するつもりは毛頭なく、諸侯派と警察を出し抜きペンダントを回収する算段を立てていた。しかし、ほんの一時間ほど前に事態は急変した。で、不正の証拠を得た警察がフェイナーン伯の拘束に動き出したんだ」

 アーシムさんが来たのは王党派のタレコミによるもの……何か、作為的なものを感じざるを得ないタイミングだ。

「脱税と国家反逆は重罪フェロニー。だから、諸侯派がいくら圧力をかけようとも捜査は止められない。警察側も妨害を受けぬよう、迅速に事件を処理しにかかった。ここで問題になったのが指輪の所在とフェイナーン伯の処遇だ」

 諸侯派にしてみれば、警察に家宅捜索で指輪を押収されてしまう訳にはいかないし、フェイナーン伯も叩けば埃の出る身だしで、大いに困ったことだろう。

「そこで、ちょうど暇していた私に白羽の矢が立った。『指輪を回収しフェイナーン伯を救助しろ。無理なら殺せ』とな。報酬として提示されたのは暫く遊んで暮らせるだけの金銭だった。逃亡先も用意すると言っていたかな?」
「……今度は、断らなかったんですか?」
「悟ったのさ。私が断ろうが逃げようが結局は別の誰かが代わりにやるだけのこと。後は知っての通りお前の引き起こした混乱に乗じて屋敷に侵入し、今しがた仕事を終えたところだ」

 その現場を想像してしまい、「うっ」と吐き気が込み上げてくる。諸侯派は『無理なら殺せ』と言ったようだが、クラウディア教官は最初から殺すつもりだったのだろう。

 私は喉元を焼く液体を気合で抑え込みながら、更なる質問を投げかける。
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