触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第二章

1.尋常人の営み その①:新生活

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 1.尋常人ただびとの営み

 王党派サロンの中核メンバーと顔合わせを済ませてから、私の学院生活は一変した……なんてことはなく。

 大体は、普段通りの日常が過ぎ去っていった。

 フェイナーン伯の一件で、国教会は諸侯民宗派が『指輪』を求めていることを知った。また、マネに言われるまでもなく〘人魔合一アハド・タルマ〙については把握しており、『猟犬ハウンド』がその足取りを追っているところなのだそうだ。

 異形――月を蝕むものリクィヤレハの存在についてはキツく箝口令が敷かれている。民衆の中に異形が潜み得るとなれば相互不信が広まりかねず、また今でこそ圧倒的少数勢力でしかない民宗派に他の反体制勢力が合流し勢い付いてしまいかねないとの懸念からだ。国の中枢部においても、上層部しかその存在を知らないらしい。

 なので、偶然にもその存在を知ってしまった私は、王党派に所属するようになったこともあり、良いように駆り出されるのではないかと心配したが、そうはならないらしい。

 そもそも、その役目は現状、『猟犬ハウンド』と国教会が充分に果たしていた。王党派が協力するまでもないし、協力するにしても私のような下っ端の魔女見習いに白羽の矢は立たなそうな感じだった。

(幸いなことに面倒事は避けられたようね……)

 そういう訳で、私は相も変わらず落ちこぼれとしての学院生活を満喫していた。

 しかし、全部が全部以前と同じという訳でもない。小さな変化は幾つもある。

 勉強の時間より鍛錬の時間が増えたり、アメ玉の自作を試みるようになったり、王党派とちかしくなったことで諸侯派の人間とは目に見えない溝が出来たり……。

 そして、何より私は再び夢をいだくようになった。

(私は絶対に諦めないわよ……!)

 ここからだ、まずは『特進クラスプロヴェクタ・クラシス』へ……!

「ん? リン、どうかしたか?」

 久々に私の体を離れているマネが何事かとこちらに触手の先を向けてくる。別に、とりとめのないことを考えていただけなので、私はそっちの仕事に戻れという風に手を振った。

「なにもないわよ。というか、、さっさと覚えてくれる? これじゃ鍛錬にならないわよ」
「ンなこと言ってもよぉ~……」

 ぐずぐず言いながら、マネは手元に触手の先を戻し、私が走り書きでしたためた紙片メモ類に再度目を通し始めた。その紙片メモ類には、私があらゆる局面を想定して考案した戦術がつぶさに纏めてある。クラウディア教官との一戦以降、今までは考えもしなかった発想が泉のように湧いてきて止まらないのだ。

 惜しむらくは、マネの物覚えが悪すぎることだろうか。そこら辺の野良犬だって、もうちょっと覚えが良い。

 そういう理由で、ここのところの鍛錬は一時中断することが増えてきた。しかし、その間にも勉強したり、新たな戦術を考案したりとやることは尽きないし、マネも普段はこんなんだが、いざという時にはまあまあな連携をこなしてくれる。段々と即興的な動きに対する反応速度も上がっているから、焦りとかは感じていない。

 こっちはこっちで化学の専門書を広げて勉強していると、横からマネの触手が伸びてきて紙片メモの内容について質問してきた。

「なあ、これどういう意味なんだ?」
「どれ? ああ……その場合はマネの体組織の一部を分離させて『分体』を作り、本体は私と合体戦闘を継続しつつ、その『分体』を回り込ませて敵側面を攻撃させたら効果的なんじゃないかと思って」
「か、簡単に言ってくれるなァ……」

 珍しく泣き言を言うマネ。

「なによ、マネの強みはある程度体組織を分離させて動かせるところじゃない。単純に手数が増えるわ。死角からいきなり攻撃食らって驚かない相手はいないわよ?」
「理屈は分かるが、ムズすぎんだよ。細かい調整をしないシンプルな動かし方なら余裕だぜ? クラウディア・ローゼンクランツと戦った時みたいに、分離させた体組織の分だけ全力でパワーを解放する射出シュートとかはな。けど、分離させた体組織をこんなにグリグリ動かすなんざ、実戦では無理! 頭がおかしくなるわ!」
「ふーん……」

 合体戦闘をしながら分離戦闘も出来たら良いと考えたのだが、机上論で終わりそうだ。残念だが何事にも限界はある。ここは素直に現実を見て戦術に修正を加えるとしよう。

「じゃあ、こういうのはどう? 能動的に操作するのが難しいなら、私が剣を振る時に体組織を腕の周りに集めておいて、攻撃の勢いに乗せて過剰分を――」
「――やっと見つけたわ!」

 剣術クラブの修練場に聞き慣れぬ声が響き渡る。説明途中だったというのに水を差された。声のもとを振り向いてみると、そこには見知らぬ褐色肌の活発そうな少女が立っていた。



 今現在、剣術クラブは活動を停止している。クラウディア教官の後任がまだ見つかっていないからだ。

 私は空いている修練場を勝手に使用していた。だから、ここには私以外に誰もいない。つまり、見知らぬ少女が探していたのは間違いなく私ということになる。

 その証拠に少女は私を目指して大股で歩いてくる。ショートカットの髪を上下左右に元気に揺らしながら、気の強そうな顔をひん曲げて私を睨みつける。

「えーと、何の用?」
「リン、私と勝負しなさい!」
「勝負……? というか、まずアンタ誰よ」

 反射的にそう尋ねると、少女は茹でダコのように顔を真っ赤にして地団駄を踏んだ。

「ん~~~~! ふざけないで! この前、王党派サロンで一度顔を合わせてるじゃない! 忘れたとは言わせないわよ!」

 忘れている。が、そのことを口には出さなかった。もっと怒らせるだけだろうから。

「オレ様は見覚えがあるぜ。あん時、確かにいた筈だ」

 マネが私の体に取り付きながら囁いた。それを聞いて、遅まきながら私も少女のことを思い出す。

「……あっ、そういえば、端っこの方でずっとスネてた奴が一人居たわね。確か名前は――なんだっけ」
「シンシア!」
「そう、そんな名前のやつが」
「というか、スネてた訳じゃない! 貴方の事を認めてないだけ!」

 フン、とシンシアはそっぽを向いた。

 言い訳をさせて欲しい。他の紹介された連中が重要そうな有力貴族などが主だったのに対し、彼女は力量を認められた平民で、しかも一言も言葉も交わさなかった所為もあって印象が薄かったのだ。それに力量を認められたという割には弱そうだったし。

「中等部一年の見所ある生徒だとか、ヘレナが言ってたわねー」
「そうよ! だのに、ヘレナお姉様ったら、ちょっと運良く活躍しただけの貴方のほうが私より遥かに強いって言うんですもの! 貴方の話は前々からよーく聞いてるわ。クレプスクルム開校以来の落ちこぼれってね!」

 勝ち誇ったように自信過剰な面で私を見下ろすシンシア。何度聞いても、その評価にはムカっ腹が立ってしょうがない。というか、やはり一年生にまで伝わっているのか。私の悪評は。

(……まあ、いいわ)

 ここは一つ、年長者に対する敬意ってものを、この小生意気な一年坊に教え込んでやるとしよう。そろそろバイトに行く時間だから、ちょうどいい。出勤前に勉強で凝った体を解しつつ、軽く揉んでやる。

「勝負……だっけ、受けてもいいわよ」
「そうこなくっちゃ! 私が勝って、どちらが上かヘレナお姉様に教えて差し上げるんだから!」
「で、ルールは」

 聞くと、シンシアはカラギウスの槍を見せつけるように振り回してから構えた。長柄の中に杖の機能も組み込まれているタイプの奴だ。カラギウスの剣のように魔力切れ時の保険用に懐へ忍ばせておくという感じではなく、むしろ積極的にインファイトをしかける戦型スタイルと見た。

(つまり、私と似たような戦型スタイル……道理で、対抗心を燃やす訳ね……)

 私が分析を済ませたところで、シンシアが意気軒昂と吠える。

「ルールはない! 何でも有りバーリトゥードよ!」
「へえ、分かりやすいわね」

 中等部一年生が持っていない使い魔メイト――マネの使用を禁じないのは単純に私を舐めているのか、それとも単にそこまで頭が回ってないだけか。そんなことをボケッと考えていると、開始の合図もなしにいきなりシンシアが突っ込んできた。

(ほー、言うだけあって【身体強化】は結構なものじゃない)

 しかし、【身体強化】自体の出来は中々でも、その足運びは素人のような雑さで、これでは猪武者というより丸っきり猪そのものだ。

 常識はずれの猪突猛進ぶりに呆れながら、私は大振りに剣を振るって迎え撃つ。魔法の気配はない。それはこちらにも、向こうにもだ。たぶん、シンシアは様子見に突っかけてみただけで、私の対応次第でこの後の展望をどうするか色々と考えていたのだろう。

 舐めてる。

「悪いけど、一瞬よ」
「はあ!? こんなすっとろい大振り、初等部の生徒にだって当たるもんですか!」

 シンシアは、ヒラリと後退して私の攻撃を危なげなく躱しつつ罵倒する。全く、そんな暇があるならもっと神経を張り詰めておくべきだろうに。そうすれば、私が剣を振り切った時にことにも気付けた筈だ。

 間髪入れず、シンシアが再度突っ込んでくる。気弱な生徒なら気後れしてしまうかもしれないぐらいに凄まじい勢いだが、私は全く脅威を感じなかった。それというのも、既に最後の一手は打ち終えているからだ。

 空振り後、何をするでもなくただ棒立ちする私をシンシアは胡乱げな目で見つめていたが、あるところでカッと目を見開いた。

「っ――剣、が」

 ようやく私の手に剣がないことに気付いたらしい。だが、時既に遅し。その直後には、横合いからカラギウスの剣の魔力刃がシンシアの首元を通過していた。

「戻り印地」

 手放した剣に付着させておいたマネの体組織を動かし、シンシアの死角から剣を射出シュートさせたのだ。少々マネのコントロールが悪かったから、キャッチする時につんのめってしまってスマートにはいかなかったが、まあ初めてならこんなものだろう。今後の成長に期待しよう。

(剣だけなら体組織は結構少なめでもイケるわね。私より重量は遥かに軽いし)

 収穫はあった。これはかなり使える戦法だ。今後はもっと集中的に研究していくとしよう。ほくほく顔で魔力刃を納め踵を返すと、地面から呻き声が上がる。

「ま、待って……」

 這い寄ってきたシンシアが私の足首を掴む。なるほど、やっぱりクラウディア教官の時のように、どうしても傷は浅くなってしまうか。これも覚えておこう。

「待たない。――それじゃ! 私、バイトあるから」

 私は、強引に歩を進めることでシンシアの手を振り払い、広げていた荷物を回収して速やかにその場を立ち去った。
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