触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第二章

3.愛国者 前編 その③:下見

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 翌日、私は開通式で蒸気機関車が走るルートの下見に出かけた。午後には昨日会う予定だったヘレナと会わなくてはならないが、午前中は暇だったのでその時間潰しだ。

 スタートはツォアル駅。そこから暫くは陸地の線路レールを進み、中程なかほどでトンネルへ入る。このトンネルは、山を魔法でブチ抜いて作ったものだ。その強引さに、用地確保に難儀したことが伺える。トンネルを抜けた後から、線路レールは内海に築かれた堤防の上へ出る。

「で、開通式のゴールが……あのエンゲデ駅ね」
「おー、壮観だ。立派なのが出来てるじゃねぇか」

 トンネルのある山の上に立つと、開会式当日は来賓と見物客でいっぱいになるであろうエンゲデ駅が遠目に見えた。

(敵が潜むとすれば……ここが狙い目でしょうね)

 当日はイリュリア国軍エクセルキトゥスの魔法士部隊『王の槍サウニオン』が沿線警備を担当する。しかし、この山の上は盲点かもしれないと思い見に来たのだ。

 トンネルの中の暗がりは却って潜み難いと見た。何故なら、トンネルのサイズは蒸気機関車がぎりぎり通れるぐらいにしか余裕がないからだ。最悪、挽き肉になって死ぬだろう。

「やっぱりね」
「何がだ?」
「この山は急峻すぎて守りづらい。そして、それが災いして潜みやすい隠れ場所が幾らでもある。後で、意見具申しときましょ」

 警備配置についての意見をメモに纏めていると、背後より人の気配がした。思わず全身が粟立たせながら振り向いたが、その中に知っている気配があることを察知して即座に警戒を解いた。

「あれ、アーシムさん!?」
「やあ、リン君。話には聞いていたが、まさかこんなところでまた会うことになるとはね」

 警察までも動員しているのか。片手を挙げて応えたアーシムさんの隣には、見知らぬ太った男が息をぜいぜい言わせながら立っていた。

「あの、どなたですか? そちらの人は」
「彼はツォアル候の御子息イツァク卿だ」
「ツォアル候の?」

 脂汗を流しながらアーシムさんの肩を借りている男――イツァク卿を、もう一度よく見てみるがとてもそうは見えなかった。まず、外見からして面影が全くない。ツォアル候は日焼けしていたが、彼は白っぽく日焼けの跡は一切なかった。体型も緩みきって贅肉が乗っているし、覇気も感じられない。

 あらゆる点で対照的だが、何よりもっとも大きな違いは眼だ。ツォアル侯の眼は信念の光で満ちていたが、イツァク卿の眼には何もなかった。

(あれほどの大人物の側に一番長く居て、どうしてそんな腑抜けた眼ができるのかしら)

 血の繋がりがないとか養子だとか色々と邪推したが、単に『仕事上手が子育て上手とは限らない』と、そういうことなのだろうと思うことにした。

「この山が警備の穴になっているんじゃないかと思い、ツォアル候に相談しようとしたのだが、生憎と不在だったので代わりに彼を連れてきたんだ」
「あっ、実は私もそう思って来たところなんです! これ、意見具申のために私なりに情報を纏めてみたものです。良かったら、見てください!」

 私はアーシムさんにメモを渡した。すると、アーシムさんはそのメモをざっと一読するなり、「ほう」と声を出した。

「存外に良く出来ている。これなら、多少の手直しでそのまま使えるだろう」
「本当ですかっ!? お役に立てたなら嬉しいです。私、この開通式を絶対に成功させたいんですっ!」

 そう言うと、アーシムさんは「そうか……」と微笑み、ごつごつした大きな掌を私の頭に乗せた。

「だが、くれぐれもあの時のような無茶は止してくれよ。本来なら、君のような見習いまで動員するようなことは避けたいのだが……ヘレナ・アーヴィンは『護衛』じゃなく『乗車客』として君を捩じ込んでいてな、反対しようにも私の立場ではどうすることも出来なかった。全く君も厄介な奴に目を付けられたものだな」
「気にしないでください。アレの我儘は。それに私も納得尽くのことです」
「……ともかく、君は純粋に鉄道の初乗車を楽しんでくれば良い。一介の『乗車客』として、な。『怒れる民アルガーディブ』の妨害は我々が未然に防いでみせる」

 本当に防げるという確信はアーシムさんの中にもない。ただ、それでもそう言い切ってみせたのは、ある種の決意表明のようなものだ。きっと、彼は『怒れる民アルガーディブ』の妨害を未然に防ぐため、思い付く限りの手段を講じるだろう。私にはそれが分かった。

「これは貰っていってもいいか?」
「はい、どうぞ! 有効に使ってくださいね!」
「ああ、もちろんだ」

 アーシムさんは私のメモを懐に収める。すると、一瞬手の離れたイツァク卿の体がアーシムさんの肩からずり落ちる。

「おっと、大丈夫ですか? イツァク卿」
「はあ、はあ……ちょ、もうちょっと休憩させ……て……グハッ……」

 イツァク卿は地面にへたりこんだ。

「そうですか。では、私は少し辺りを見て参ります。――リン君はどうする?」
「私はもう十分に見ましたので、山を降りようかと」
「そうか。ではな」

 アーシムさんは、死にかけのイツァク卿をその場に残して山の頂上の方へ向かった。

 ツォアル侯だけじゃない。色々な人がこの開通式を成功させるために頑張っているんだ。さあ、私ももうひと踏ん張り!

「さて、次はあの堤防の方を見に行きましょ」
「よくやるなぁ。そっちはいいだろ。水しかねぇぜ」
「一応、見とかなきゃ私の気が済まないの」

 ごねるマネを宥めながら私は下見を続けた。




 下見を終えてツォアル候の屋敷に戻ると、入口の門の辺りで待ち構えていたポーラに捕まり、ヘレナが待っていると強制連行された。まだ予定していた時間にはなっていないというのにせっかちな奴だ。

 ツォアル侯の屋敷の客室で、ヘレナは馬鹿みたいに豪華な椅子に座って私を出迎えた。ヘレナはいつも待っている。他人が思い通りに動くのを、ただじっと座って待っている。ムカっ腹が立つ。

「久しいな、リン。束の間の帰省は楽しめたか?」
「ええ、お陰さまで」
「くくっ、なにやら一悶着あったそうじゃないか」

 流石に耳が早い。殺してやろうか。

(ヘレナには、私とムウニスが揉めること……いや、私のママと恋仲になることも分かっていてムウニスを送り込んだような節がある)

 そんな訳がないとも思うのだが、やはり自信がなく、スパッと言い切ることはできない。もし、本当に分かっていてやったのだとしたら、その何でもお見通しみたいな面に鉄拳を叩き込んでやるからな。

 もちろん、確証もないのにそんな乱暴な手段はとらない。あればもうやってる。

「で、何よ。挨拶だけならもう帰るわよ。私は忙しいの」
「貴方ねっ、一体誰に向かってそんな口を――!」

 ヘレナの後ろに控えていたマチルダが激しい剣幕でカッと牙をむく。だが、所詮は首輪ひも付きの狂犬であり、怖くもなんともない。案の定、すぐにヘレナに制止され、去勢された犬のように大人しくなる。

「良いんだ、マチルダ。蛮勇なくして、英雄が英雄たり得るか?」
「……それ、いつまで言ってんのよ。アンタも飽きないわねー」

 私はヘレナの正面に置かれていた椅子にドカッと腰掛け、話の続きを促す。

「話」
「キミは『革命』のことを知りたがっているそうだな」

 あまりにズバッと正面から来られたので動揺したが、それを表に出すことなく答える。

「……ええ、悪事の片棒を担がされるどころか、神輿にされかねない勢いだし。英雄とかなんとか。ざけんな。クソみたいなことだったら、私が先に潰してやろうと思ってね。気分を害したなら謝っとくわ、さーせん」

 挑発するように言ってみると、マチルダが懲りずに「身の程を知れ!」と騒ぎ出す。しかし、肝心要のヘレナは平静を保ったまま薄笑いを浮かべるだけ。

「ふふふっ、構わないさ。知りたがって当然のことだ。けれども、こうして延々と腹の探り合いを繰り広げるのは、いささか不毛ではないか? 我々は既に――『仲間』なのだから」
「最後の戯言を除けば、全く持ってその通りね。不毛よ。心から同意するわ」
「両者の見解が一致したな。では、終わらせよう」

 思わぬ展開だ。なんだ、そんなにアッサリ教えてくれるのか? さっきの挑発は『革命』に迫るための布石をマチルダに打ったつもりだったが、無駄になってしまったじゃないか。

 さあ、教えてくれと前のめりになるも、その心は哀れ空振りを喫する。

「一年だ」
「……は?」
「一年、キミが信頼に足る人物か見極めさせてもらう。私の眼鏡にかなえば、来年の今頃には教える。だから、それまでは大人しくしていろ」

 閉口した。言うに事欠いて一年待てだと? ここで顔面を一発殴ってみたら違う言葉が出てきたりしないか。そんなことを真剣に検討した。

「そうむくれるな。マチルダの言葉を借りる訳じゃないが、身の程を知って欲しいところだ。キミの目的は『星団プレイアデス』に入ることだろう? 我々が支援してやった分だけ働いてくれれば文句はないさ」
「それ以上のことをさせられそうだから気に食わねーって話でしょ」
「安心したまえ、キミの意志を無視して『革命』に参加させるようなことはしない。神に誓っても良い。書面を交わしても良い。私はキミが英雄の器だと思っているし、キミを英雄にしたいとも、なって欲しいとも思っているが、究極的にはキミの『自由』さ」

 しかし――と、ヘレナは続ける。

「しかし、しかしだよ、近いうちキミは自ずと私に〝力〟を貸してくれる筈だよ。諸侯派を見限って王党派へ付いたように。――安心したまえ、必ずを用意してやる」

 眼は口ほどに物を言う。ヘレナの眼は異様なまでの狂気とに満ちていた。私の自由意志を尊重するという言葉とは裏腹に、強制的な印象を抱かせる口調であり、私は強い猜疑心が胸中に芽生えるのを感じていた。

(……ここでゴネてもしょうがないわね)

 泣こうが喚こうが殴ろうがここで『革命』について聞き出すことはできないだろう。ヘレナ以外の取っ掛かりを探さないことにはこれ以上進まない。割と自信のある観察眼によりそれが分かってしまった私は、ムカついてムカついてしょうがないけれども、ここらで引くことにした。

「来年――その言葉を信じるわ。もし、騙したりなんかしたら承知しないわよ」
「ヘレナ・アーヴィンの人生に嘘はない」
「嘘だったら生皮剥いで学院の時計台に飾ってやるからね」

 マチルダの激昂する声を背景に、私は颯爽と踵を返し部屋を後にしようとして――とある別の用件を思い出してピタッと足を止める。

「あ、そうだ。ねえ、人探しを頼んでもいい?」
「別に構わないが、それは貸し一つと――」

 うざ。ここは被せていこう。

「ズラーラって名前の、私と同郷の男の子なんだけど……なーんか傭兵になるって村を飛び出したらしいのよね。村の皆が心配してたから、傭兵団の名簿かなんか調達してくれない?」
「ふむ、まあそれぐらいなら、別に良いだろう。承諾した。貸し一つ――」
「無償でよろしく。引き下がってやる対価ってことで」

 身分差を一切顧みぬ私の傲慢な要求に対し、ヘレナは笑い、マチルダは憤慨した。私はそれを合意と取り、速やかにその場から退散した。

(ま、これで村の皆への義理は通したわ)

 ズラーラのことなど正直どうでもいいが、ママやヨナちゃんを悲しませたくはない。心の片隅にて、私も彼の無事を祈っておこう。たぶん、その辺で野垂れ死んでいることだろうが。

「お早いお帰りですね」

 後ろ手に扉を閉めると、ここまで案内してくれたポーラが扉の横に控えていた。まだ何か私に用があるのかと思い、私は柄にもなく威儀を正して彼女に相対する。

「ポーラ様、まだ何か――」
「――ヘレナ様とも、気安くしているようですね。平民風情が」

 言葉を遮ってまで罵られた。

(え、なに、ポーラってそういう系?)

 そういう貴族貴族した感じは身近にはマチルダぐらいだったから、なんだか逆に新鮮だ。ヘレナもベネディクトもコーネリアも割と変人だし。

 ともかく、相手は同じ王党派の貴族なので無視する訳にも殴る訳にもいかない。変な感慨はさっさと胸の奥に仕舞い込み、なるたけ無感動を装って応答した。

「気分を害してしまったのなら謝罪します。しかし、学院の校則によれば『本校に籍を置く者は皆平等の学徒であり――』云々とのことですし、対外的にも卒業時には爵位を頂けます。その上で、私とヘレナは友好的な関係を築く中で黙契もっけいを交わし、砕けた触れ合いに興じているのです。それは二人の関係内で完結するものであって、部外者が出しゃばり、干渉する余地はありません。幾ら貴族様であろうとそのような口出しは『無粋』ないしは『野暮』というものですよ」
「ベンは誰にでもああですよ」

 適当に言葉を並べて煙に巻こうとしたが、ポーラのたった一言で私の方が混乱させられてしまう。一体、何のことだ? その疑問を脳内で追求する前に、私の口が反射的に尋ね返していた。

「どういうことですか? ベネディクト……様が? いまいち話が見えませんが」
「ですから、勘違いしないで欲しいということです。決して、貴方はベンと仲良くなった訳ではありませんから」
「はい?」

 予期せぬ言葉ばかりで、思わず間の抜けた返答をしてしまった。けれども、一度落ち着いて思案してみると、すぐに「ああ、そういうことか」と彼女の言葉の裏に隠された機微に勘付く。

「ポーラ様、差し出がましいようですが……もしや、ベネディクト様のことを好いておられるのではないですか?」
「す、好いっ――!?」

 ポーラは顔を真っ赤にして目を逸らした。そして、落ち着かないのか両手で服を掴み、頻りに擦り合わせる。

「そ、そんな訳……あんな軽薄で、女好きで、顔と生まれと魔法が使えること以外に何の取り柄もない奴のことなんて……」

 ……酷い言い様だ。何一つ否定できないのが悲しいところ。

 しかし――これで確信した。

 ポーラはベネディクトに惚れている。懸想している。あんな奴のどこが良いのか分からないが、それでも好いている。

(取っ掛かり、見ーっけ)

 これから探そうと思っていた『革命』に迫る取っ掛かりが向こうからやってくるなんて、まさかまさかの幸運にほくそ笑みながら、私はポーラの肩にガシッと腕を回した。

「な、なんですか!? いきなり……馴れ馴れしい!」
「まあまあ、ここは私に任せてくださいよ」
「え……?」

 戸惑うポーラの抗議を強引に押しとどめ、私はこれまた強引に宣言する。

「つまり、私が二人をくっつけてあげるってことです!」
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