触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第二章

3.愛国者 前編 その④:押し殺された慕情

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 私はポーラを連れてツォアルの街へ繰り出した。まっすぐに向かった先は、ツォアル候に教えてもらった個室制の貴族御用達の飲食店。まずはここで昼食でも取りながら作戦会議だ。

 店内に入り、ツォアル候の紹介で来たと告げたところで、思わぬ人物に出くわした。

「あれ、シンシア?」
「リンお姉様! それにポーラお姉様!」

 シンシアは、私たちとは違い店の奥から出てきた。

「シンシアもツォアルに来てたんだ」
「はい。私は付き添いとして遣わされたようなものですが……お二人もここで昼食ですか?」

 お二人ということは、やはりシンシアは今さっき昼食を終えたところなのだろう。しかし、ポーラが「そうですよ」と答えると、シンシアは「ご一緒します!」と元気よく申し出た。

「シンシアさん」

 ポーラが優しげな声音で言う。

「別に無理して付き合わなくても良いんですよ?」
「いえ、是非ともお付き合いさせてください!」

 シンシアは淀みなく答え、そしてチラと私の方を見た。

(――よし、上出来よ!)

 私はシンシアに頷きを返す。実は、こっそりと『付いてきて』というメッセージをマネの触手で作らせ、ポーラの後ろから宙空に浮かばせていたのだ。

(ま、人手は多い方が良いでしょう)

 奥の方へ通してもらって、突き出しと前菜に手を付けつつ――シンシアは水だけ――、初っ端からズバッと切り込んでゆく。

「さあ、ポーラ様。今一度はっきりさせましょう。ポーラ様は、ベネディクトのことが好きなんでしょう?」
「い、いや……ですから……」

 言い淀むポーラ。と、ここでシンシアの眼が光る。

「ポーラお姉様、気付いてる人は気付いてますよ」

 打ち合わせもしていないのにナイスな援護だ。察しが良くて助かる。ただ実際のところ、私が言うまでシンシアは気付いていなかったと思う。なんとなく、そういう雰囲気だ。

「ポーラ様、もしベネディクトの心を掴みたいなら――」
「つ、つかみたいなら……?」

 もったいぶって一度溜めると、ポーラは生唾を飲んで身を乗り出してきた。滑稽なぐらいに、どう見ても興味津々である。彼女の本心が見えたところで、意地悪せずにさっさと続きを述べる。

「――いきなり抱きついて、『好き』って言って、最後にブチュっとしてくれば万事OKですよ」
「そっ……! そんなこと、出来るわけないじゃない!」

 あ、敬語が取れた。ポーラもそれに気付き、恥ずかしそうに咳払いをして取り直す。

「オ、オホン! フザケているのですか、リンさん? ベンだって、それぐらいは経験していることかと思いますが?」
「でしょうね。しかし、彼は人物であるかと」
「……それは彼が認めた人物だけです。知っていますか? なぜ彼が、幾人の女性の方とお付き合いしておきながら、一人たりとも全く長続きしない理由を」

 横目に、シンシアが微妙な顔をしているのが見えた。どうやら、付き合いの長いシンシアはその理由を知っているらしい。

 私は知らなかったので素直に首を横にふると、ポーラは端的に答えた。

「ベンは、興味のない相手だと名前すら覚えないのです。一日に何度も呼び間違えられれば、どんな気持ちも冷めるでしょう?」

 なんとも、軽薄なあの男らしいエピソードだ。小声で、シンシアが「実は私も結構間違えられます」と補足した。

(けど、最初から私は覚えられて……あっ、もしかしてそれで? それで、なんかポーラは私に嫉妬してる風だったの?)

 妙にトゲトゲしかったポーラの態度に得心がいった。と同時に一つの疑問が湧き上がる。

「でも、ポーラ様は名前を覚えられていますよね? 宴会の時に名前を呼ばれていたような……」
「それは何度も顔を合わせているからです。私なんて、彼にとっては取るに足らない存在なのですよ」

 そう言うと、ポーラは悲しそうに昔話を始めた。





 ポーラとベネディクトの二人が、それぞれの両親たちによって引き合わされたのは、互いが五歳になった直後のことだった。五歳といえば自我も確立され始め、好悪の情も本能ではなく理性によって引き起こされるようになる年頃。

「はじめまして、ポーラです」

 親に背中をポンと押し出されたポーラが、緊張を滲ませながらも教えられた通りに型通りのカーテシーをしながら短く挨拶した。

 噂通りに聡明な子だ、とベネディクトの両親はほうとため息をつく。しかし、落ち着きならウチの子も負けていないとばかりに、お返しにベネディクトの背を軽く叩いて挨拶を促した。

「ほら、挨拶をしなさい。ベネディクト」

 その声につられ、ポーラは緊張で俯き加減になっていた顔を上げる。そして、正面に立つベネディクトの姿を視界内に捉えた時、人生で初めて頭が真っ白になるという感覚を知った。

「宜しく」

 同い年にも関わらず、ベネディクトは既に大人のような落ち着きと貴族たる威風を備えていた。その雰囲気は、気を抜くと実の両親や兄弟ですら呑まれかねないほどのものだった。

 この子はを持っている。魔力検査なんてものをする前から、誰もがそう確信していた。

「あ……よろ、しく……」

 心の準備なくその雰囲気にあてられたポーラは、たどたどしくそう返すのがやっとだった。

 今日の目的は二人の顔合わせであり、それを達成した後はいつものように近況報告や仕事の話が始まった。当然、そんな場に五歳の子供が居てもクソの役にも立たない。二人は遊んできなさいと庭へ追い出された。

「な、なにして遊ぼうか……?」

 使用人たちが側で見守る中、ポーラからベネディクトに話しかけた。子供ながらに気を遣ってのことである。

 しかし、そんな幼気な気遣いを無下に、ベネディクトはつまらなさそうに冷めた眼でポーラを見つめる。

「ねえ、君の名前……なんだっけ」
「えっ……ポ、ポーラだけど……さっき、言わなかった?」
「よく聞いてなかった。興味もなかったし」

 あまりにあけすけな物言いに、使用人の方が慌てふためき出す。二人の家は同格。失礼があってはいけない。

(だったら、失礼自体をなかったことにすれば良い)

 聡明なポーラは、既に貴族としての処世術を身につけていた。含み笑いを湛え、口元に手を添えた。

「まあ、面白い冗談。貴方って面白い方なのね」

 そして同時に、その後半部分はポーラの本音でもあった。初めて視線を交わした時から、ポーラはどうしようもなくベネディクトに惹かれていたのだ。

(傍若無人な方なのね……素敵。でも、絶対に私の名前を覚えてもらうわ!)

 この時のポーラは自信に満ち溢れていた。ベネディクトが将来を有望視されているのと同様、彼女もまた周囲の期待を得ていた。だからこそ、二人は早いうちに引き合わされたのだ。

 しかし、ポーラの鼻っ柱はすぐに叩き折られることとなる。

「誰だっけ?」
「名前なんだっけ、ポール?」
「はじめまして?」

 それから折に触れて、顔を合わせたベネディクトの口から出てくるのは、上記の如く無関心を極めたような言葉ばかり。会う度、会う度、まるで己の存在価値を問いかけられているかのようで、ポーラはすっかり自信を喪失してしまい、いつしかその慕情を心の奥深くへとしまいこむようになった。





 ポーラは語りながら眼に見えて意気消沈していた。空気感のあるウェーブのかかった髪が顔に垂れ、儚げな雰囲気を演出する。

 私は段々とポーラに同情してきた。ベネディクトが、そんな冷たい人間だったなんて知らなかった。こんなにも可愛い子に懸想されているのに、他にも女を作って贅沢な奴だ。殺してやりたいよ。

「分かったでしょう? 私は彼に認められてなどいないのです。貴方と違って……」
「色々と事情は分かりました」

 だが、やはりひとつだけ腑に落ちないことがある。

「でも、今は名前を覚えられているじゃないですか。それはいつからなんです? なにか、きっかけのようなものとかなかったんですか?」
「それは……いつから、でしょう」

 考えたこともなかったという風にポーラは言い淀み、ぽつぽつと思い出しながら話す。

「中等部に上がる頃には、名前をしっかり呼ばれるようになったような……でも、正確なところは……。それまでも、時折は私の名前を呼んでくれましたから……。きっと、ヘレナ様にでも覚えるよう言われたか、年単位で一緒に居るのですから興味が湧かなくとも流石に覚えたかのどちらかでしょう……」

 つまり、その理由は知らない訳か。

(ひとまず、ベネディクトにアプローチするのなら、そこのところに心変わりがあったかどうかを確かめてからの方が良いかもね)

 どうにも、単純に反復記憶が解決してくれたこととは思えなかった。というのも、ベネディクトの態度を見る限り、過去はともかく現在はポーラを軽んじているようには見えなかったから。

 私が思考に耽り、場には沈黙が訪れる。

 過去の話をした後で気分の優れない様子のポーラは、この沈黙に耐えかねてか、まだコース料理の途中だったが席を立った。

「……もう、結構です。吐き出したら、多少はすっきりしました。それで十分です。リンさん、ご迷惑をおかけしました」

 そして、私とシンシアが何か声をかける間もなく、ポーラは風のように個室を飛び出していった。

(これは相当に自信を喪失しているみたいね……)

 一朝一夕でどうにかなるものでもない。となれば、二人の仲を能動的に縮める役割は、ベネディクトの方に担ってもらうべきか……。

「ふぅ……全く忙しいわね」

 開通式を成功させる。ポーラの恋路を成就させる。これらは同時にやらなきゃいけない。

 開通式は四日後。それ以降になると夏季休暇ということで、皆はバラバラになって間が空いてしまう。私にとってそれは実に都合が悪い。できるだけ早く恋仲にしてやれば、残りわずかの休暇中に一夏の思い出だって作れるというもの。その思い出が素晴らしければ素晴らしいほど、ポーラは私に恩義を感じるだろう。

(どうせやるならテッペンよ)

 王党派の――いや、この国の頂点へ立ってやるぐらいの気概だ。

(ヘレナ! 私を『革命』だなんだのチンケなところで終わる存在だと思わないことね!)

 景気づけに心中で人知れず怪気炎をブチ上げたところで、手持ち無沙汰に私の言葉を待つシンシアへ問う。

「シンシア、今日暇?」
「暇じゃ……ないです。近隣の街にて、マチルダお姉様から物資の確認作業を仰せつかっておりまして……」
「じゃあ、明日は? 陽のあるうちが良いんだけど」
「ええと……休憩時間、でしたら」

 絞り出されたような言葉だった。しかし、無理を承知で言わせてもらう。

「じゃあ、明日ちょっと付き合ってくんない? ほんと、ちょっとで良いから」

 返事はもちろん「はい」だった。
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