触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第二章

5.愛国者 後編 その②:奇襲

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 王都から約60kmの夜間行軍――私は霊鳥シムルグの背に相乗りさせてもらい、仮眠までさせてもらった――の末、再び遺構群付近までやってきた。

 物資の運搬には鉄道も使われた。屋根なしの貨物車両を急造し、それを可能な限り機関車の後ろへ連結させた。開通早々、客を乗せる前に早速の武者働きである。

 隠蔽効果を持つ結界を張った本陣をネゲブ砂漠の北東に構え、後方支援の準備を整える。ツォアル、ヘブロン、エンゲデ方面陣との連絡も良好で、後は夜明けと共に遺構群を覆う結界を張り、奴らを掃討すべく四方の陣から攻撃本隊を同時突入させるだけとなった。

 しかし、私自身はまだまだ準備をしなければならないことがある。

「リン、私は他所の陣中見舞いへ行ってくる。キミは本陣ここで待機していてくれ」
「ええ、分かったわ。アメ、重くない?」
「これぐらいは問題ないさ」

 ヘレナはアメ玉の入った木箱を三箱まとめて持ち上げてみせた。そりゃあ当然、彼女は普通の魔力量を持っているのだから、私なんかとは【身体強化】の出力も違うだろう。要らぬ心配だった。

 速やかに踵を返したヘレナは霊鳥シムルグの背に飛び乗り、後詰めが中心のツォアル方面陣へ向かっていった。

 それを見送った私は、足元に山積みになっている木箱の中からアメ玉10コ入の袋をいくつか取り出し、熊親爺――ハーヴィー・フォン・ベルンハルト中将のもとへ向かった。

 彼の目覚ましい軍歴については出発前に軽くヘレナから聞いた。

 過去、北の隣国ヒジャーズ王国との間に起きた領土紛争に将校魔法士官トリブヌスとして参陣し、作戦立案においても現場指揮官としても多大なる戦果を挙げている。今でこそ半ば引退気味の老骨とはいえ、実戦経験に富んだ彼を指揮官として引っ張ってこれたのは幸運なことだ……とはヘレナの談。

 しかしそれにしても、中将という高い地位の者を何の下準備なしに現場まで引っ張り出してきたヘレナの手腕ツテは凄まじいの一言だ。もちろん、開通式に出席していた貴賓らの口添えや、父親の権力あってのことだろうが。

「でよォ、リン。そのアメ玉……アイツにも渡すのか?」
「そうしない理由がないわ」
「……お前ほど面の皮の厚い奴は〝魔界〟にもそうそう居ねえだろうよ」
「褒め言葉として受け取っておくわ」

 仕込みは肝要。それは戦闘に際しても、人間関係に際してもそうだ。

 件のベルンハルト中将は、小高い岩の上でパイプを咥え、本陣の様子に眼を配っていたようだが、その中に私の姿を見付けると即座に顔を強張らせ、パイプを持ちつつも杖に手を添えた。

 さぞかし厄介なことだろう。権力者の寵愛を受ける狂人というのは。私なら殺したくて堪らないよ、そんな奴。

 彼のあからさまな警戒の色に心中で理解を示しつつ、私はあらぬ誤解を起こさぬように努めて緩慢な動きで袋を彼に差し出した。

「……何だ? これは?」
「アメです」
「そんなことは言われずとも分かっているッ!」

 ベルンハルト中将は変わらず杖に手を添えたまま、理解不能といった感じで語気を荒げ、内心の不機嫌さを露わにした。

「詫びの品とでも思ってもらえば」
「……要らぬ。それにこれは安物ではないか!」
「まあまあ、そう言わずに……」

 飽くまでベルンハルト中将は受け取りを拒否する様子だったので、周囲の秘書官らへ纏めて無理矢理にアメ玉の袋を押し付ける。

「あ、これ、食べちゃ駄目な奴ですからね。作戦が終わるまでは持っててください」

 これは保険である。マネのエネルギー源であるアメ玉は、即ち私の生命線である。それを一箇所に纏めおくなんてとんでもない。そういう訳で、私はできる限り多くの場所、多くの人に携行できない分のアメ玉を配り歩いていた。

 殆どは使わずに終わるだろうが、備えあれば憂いなし、やっておくに越したことはない。

「事が終わったら、食べるなり捨てるなりお好きにどうぞ。まー、願掛けだとでも思って。それじゃ、失礼しまーす」
「――待てぃ」

 目的は達したのでさっさと戻ろうと踵を返したが、すぐに野太い声で呼び止められた。

「何か、もう少しこう……申し訳なさそうにはできないのか? いくらヘレナ嬢の御友人とはいえ、そうまで野放図な振る舞いを改めなければ、咎はヘレナ嬢にも及ぶ。いざとなれば、貴様なんぞ平民は容易く斬り捨てられるであろう。それが分かっておらぬのならば――」
「――心配御無用」

 私は彼の老婆心からであろう親切な忠告を遮ってまで断言した。すると、彼は怪訝そうに眉をひそめる。

「心配などしておらん」
「私は『天才』であり、そしてそれ以前に見習いなれども魔女ウィッチであります。なればこそ、この武を以て謝罪と代えさせて頂く所存しょぞん

 私は杖、剣、そして――制服のケープの下をチラと覗かせた。

「そんなもの……今回の奇襲作戦で披露する機会があると思うてか」
「はい」

 やはり、彼もまた月を蝕むものリクィヤレハを舐めている。苦戦で済めば良い方だ。これらを使う時は、文字通り死線を彷徨う時だろうから。

「『天才』の『天才』たる所以ゆえん、とくとご覧あれ」
「……悪たれが」

 ベルンハルト中将はすっかり呆れ果てた様子で私から眼を切り、再びパイプをふかし始めた。

(毒突くしかないか……上々ね)

 今の会話は、ベルンハルト中将がどれほど怒っているか、どの程度の咎があり得るか、少し探りを入れてみたのだ。あの苦々しい顔を見る限り、内心は相当に煮えくり返っていると思われるが、それでも処断を下せないらしい。

 良い気分だ。いつもは利用されるばかりのヘレナを利用できて。

(今回ばかりはヘレナに感謝ね……まあ、戦功の一つや二つ立てないと流石にヤバイでしょうけど)

 私は得意満面で、アメ玉の木箱のもとへ戻った。

 さて、木箱を覗いてみれば、ここらに安置する予定の三箱分を残してだいぶ底をつき、あらかた配り終えたようだ。他所の陣にはヘレナが配置してくれる手筈。よって、後は夜が明けるまで待機するのみとなった。

 時間までぼうっとしていても仕方がない。万全を期すために、持ってきた装備類の最終点検を始めたところで、マネが話しかけてくる。

「良いのかよ? さっきから大言壮語を繰り返してっけどよォ」
「うーん……まあ、これは勝ち戦だもの」
「勝ち戦?」

 今の言葉に嘘偽りはない。

 ここで、彼我の戦力差を振り返ってみる。

 敵戦力
  月を蝕むものリクィヤレハ、三十余名。
  一般戦闘員、十余名。

 正確な数は不明。

 尋問で得た情報によれば、月を蝕むものリクィヤレハになれる者となれぬ者とがいるらしい。これもまた仔細不明。

 元々は一般戦闘員二十余名の傭兵団だったが、いつからか新人団員を大々的に勧誘したり募集したりするようになった。恐らく、ズラーラもそうした動きの中で勧誘を受けた新入りの一人だ。

 一方の味方戦力が以下の通り。

 味方戦力(攻撃本隊)
  魔法使いウィザード、二十七名。
 味方戦力(予備隊)
  魔法使いウィザード、三十二名。軽傷者含む。

 人数的に劣ってはいるが、使い魔メイトを使えば手数は倍。基本的には勝ち戦だろう。なぜなら、向こうの月を蝕むものリクィヤレハにも負傷者は多く居るだろうし、開戦の狼煙はこちらが上げる。

 ベルンハルト中将は奇襲攻撃をしかけ、夜明けと共に遺構群を破壊し尽くすほどの広範囲を魔法で焼き払うつもりだ。奇襲攻撃が上手くハマった時の効果は、開通式の惨憺たる有り様にて推して知るべしである。

 そしてその後は、結界の作用によって敵の位置情報を把握しつつ生き残った敵を各個撃破する。

「つまり、作戦の成否はに掛かっている……と、いうワケ」
「だがよォ、例の奴らはどうするんだ? 強え奴がいんだろ」
「そう! 私はそれを狩るつもりなのよ。ヘレナもね」

 先程、ベルンハルト中将は『披露する機会があるか』と言ったが、正にこの言葉に魔法使いウィザード全体の意識が集約されている。

(舐めている……誰も彼もが月を蝕むものリクィヤレハを舐めている)

 しかし、いくら言葉で敵の脅威を問いたところで詮無きこと。魔法使いウィザードたちは聞く耳を持たないだろう。所詮、未開な呪祷士カーヒンどもの古い術だ、と。本音を言えば、そういった侮りは私の中にもある。

(――だが、あの時の恥辱がそれを許さない)

 あの野郎……煮てくれようか、焼いてくれようか。彼奴めの石塊に包まれた凸凹の醜面を思うと、震えが止まらない。切歯扼腕せっしやくわんの震えが、だ。

「リン、そう気負うな。恥辱を抱えたところで死にはせん」
「――否ッ、恥辱は人を殺す!」
「ふざけんな。殺すのはお前だろ?」

 ぺちと諌めるように頬を叩いてきた触手を睨み付ける。せっかく、戦いに向けて気を張り詰めさせていたのに、マネの横槍の所為で途切れてしまったではないか。

「そういうのを止めろっつってんだ。例え汚泥に塗れようが息はできるわな」
「マネ……そのアンタの価値観は『生』を根幹に置いているもの。死から遠ざかり、能う限り『生』を飾ることに意義を見出している……でもね、アンタたちと違って人間は死ぬの。それもあっさりと。遠ざけようが、忘れようが、避けられぬ『死』に向かって人間はに生きるのよ」
「だぁから、それはさっきも聞いたぜ。意味のある死がしてぇんだろ? なら、こんなところでむざむざ死にに行くなって。意味のある死をしようにも、お前はまだ何一つ成しちゃいねえんだぞ」

 私は言い込められ、黙りこくった。

 理はマネの方にあった。私はまだ『天才』じゃない……認めてくれたのはクラウディア教官だけで、まだ他の者を認めさせるまでには至っていない。しかし、『天才』になってやると、一度決意したからには私は絶対にならなくてはいけない。二言は性分に反する。

(死ぬ気はない……死にたい訳じゃないのだから、それは本当だ)

 勝ちに行く。ただし、勝ちに行く。決して捨て身ではない。

「分かったわ」
「おお、もとに戻って良かったぜ」
「戻ったって……何が?」
「さっきのお前、ヘレナの奴みたいだったからな」
「はあ?」

 寝耳に水である。私をあの狂人と同一視するなど。

「それ、どういう――」

 すぐさまその意を問いただそうとしたが、それは耳を劈くによって未遂に終わる。
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