触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第二章

5.愛国者 後編 その③:旧知

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「……やられた」

 瞬く間に陣内を混乱が支配する中、私はいち早く事態を把握していた。我々の計画していた奇襲攻撃は失敗し、逆に奇襲攻撃を受けている。

(移動中から隠蔽の結界を使っていたのにどうしてバレたの!? クソッ! 見張りは何を……!)

 最初の爆発音はツォアル方面陣の方からだった。しかし、続いてエンゲデ、ヘブロン方面陣からも戦闘の喧騒が聞こえ始める。本陣と違い、向こうには怪我人が多く居た筈。そこの頭数を削られると痛い。

 考える中でも最悪に近い状況になった。先の開通式の惨状を見るに、月を蝕むものリクィヤレハとの乱戦はこちらに不利である。敵味方の入り乱れる状況では、魔法使いウィザードは同士討ちを恐れて大技を撃てず、小技では決定打に欠く。

 それゆえに、攻撃を受けてもいないこの本陣の不要な混乱は速やかに収拾させ、ツォアル方面陣の援護に向かわなければならない。だが、視線を巡らしたところ、事態の把握もままならぬ今のところ場を収める気のある奴は皆無。私は瞬発的に声を張り上げた。

「敵襲ーッ! 聞こえますか、中将! あれは敵襲ですッ! 今すぐ結界を展開してください!」
「何ィ、結界を?」
「見ての通り、我々の目論見は崩れました! つきましては更なる敵の攻撃に備えるべく、敵の位置情報を得るのが先決かと!」

 ベルンハルト中将は思案顔でパイプをひと吹かしし、相分かったとばかりに頷いた。

「理、あるか。――すぐに結界を展開しろ!」

 話の分かる男だ……!

 私の具申が通り、秘書官の一人が結界を展開させようと、魔道具アーティファクトへ手を伸ばした。しかし、そこへ姿なき声が飛び入る。

「――させるかァ!」

 それは非常に若々しく、またどこか昔懐かしい響きを伴っていた。しかし、郷愁に浸る間もない。夜も明けやらぬ暗闇に白光が閃き、秘書官の首が飛ぶ。

 直後、空を覆う異形の群れが暗闇より現れ、我々本陣にも襲いかかる。

「ズラーラァアアアアアアア!」

 気付けば、私は叫んでいた。怒りゆえにか、悲しみゆえにか、自分でも判別はつかない。

「っ――リン!? まさか、リンなのか?」

 さながら、蜃気楼のような大気のが眼前で起こり、やがてそれは人の形をなす。

 粗悪な布切れに身を包む短髪の少年――ズラーラがそこにいた。



 彼もまた月を蝕むものリクィヤレハであることは疑う余地もないが、体への変異はどこにも見られない。

 一昨年の里帰りの時に見かけた姿からかなり身長が伸びており、少年の名残らしきものは顔つきに僅かなあどけなさが残るのみである。少年というよりかは青年という語の方が相応しいような成長ぶりだ。

 ズラーラは私の相貌を熟視すると眼を見開き、当惑を露わにする。

「リン……!? どうして、こんなところに……!」
「ズラーラ! アンタに言いたいことは山ほどあるわ。けど、ひとまずは斬られてくれる? 話はそれからよ」

 私がカラギウスの剣を構えると、ズラーラは顔を俯かせた。秘書官の血に濡れた短剣の先が、微かに震え始める。

「……ムカつくなぁ」

 ズラーラはそう呟きながら、ゆっくりと顔を引き上げた。

「いつまでも自分が勝って当たり前と思ってんなよな!? 昔とは違う! 俺は〝力〟を手に入れたんだ!」

 その表情は、子供らしからぬ剣呑な殺気を放っていた。しかし、それは存外に自然体でもあった。人殺しという一線を何度も踏み越えているからか、戦闘に臨むに際して余計な気負いをしていないようだった。

(ホント、変わっちゃったわね……下衆に!)

 腐っても昔馴染みだ。スパッと介錯してやる。

「――聞こえるか、自称『天才』!」

 その時、ベルンハルト中将が後方から朗々と語り出した。

「貴様と其奴の因縁はヘレナ嬢より聞き及んでおる。であれば、これも『唯一神かみ』の思し召しであろう! 我々は雑魚の掃討に勤しむゆえ、思う存分その才を振るわれたし!」
「――ハッ、任せなさい!」

 良い性格をしている、あの熊親爺。皮肉抜きでな!

 とにかく、この場の指揮はベルンハルト中将に任せよう。最初に奇襲を受けたツォアル方面陣が心配だが、向こうにはヘレナとベネディクトが居た筈だ。彼女たちならきっと上手くやってくれると信じている。

歪む風ユフティ

 舞台が整ったところでズラーラが動き出す。すうっと、景色に溶け込むように彼の姿が薄れ、たちまちのうちに完全に消えてしまった。だが、その足元からはざくざくと足音が鳴り、足跡の形に土が凹んでいる。

(実体はある……となると、風属性魔法を行使する力を借り受けた月を蝕むものリクィヤレハ?)

 大気に干渉して光の屈折率を操作していると見た。しかし、それはかなり高度な魔法の筈。月を蝕むものリクィヤレハが高度な魔法を使ったところは余り見たことがない。石像獣ガーゴイルサフルの『技』とやらぐらいか。それを踏まえると、風と同化し姿を眩ませる性質を持つ風精シルフ辺りが第一候補。

(つまり、簡単な風の操作くらいはしてくる可能性がある……)

 そう考えていると案の定、注視していた足跡が――

「――彷徨う亡霊アルバートゥン!」

 これぐらいなら私にだってできる。構築に少々時間は頂くが、風を足の形に固め、歩くようなテンポで土に押し付ければ良い。

 四人分の足跡は、それぞれが私の四方へ回り込むように動き出した。

「どうだ?」「驚いたか?」「これが俺の得た――」「〝力〟だ!」

 四方からバラバラに声が聞こえてくる。器用な真似もできるではないか。透明能力に加えてそれだけできたら上等だ。私より上手い。新人にして組織のナンバースリーになるだけはある。

「「「「行くぞッ!」」」」

 四重に重なった声と共に四方の足跡が同時に踏み込んでくる。それに対し、私は防御姿勢を取ろうとして――。

「……うん?」

 困惑した。

(何を、やってるんだコイツは?)

 結果から言えば身構える必要もなかった。ズラーラの短剣は私の命を狙わず、腕の薄皮一枚を掠めるだけだったからだ。外した訳でも、私の防御によって逸らされた訳でもなく、最初から薄皮一枚を狙っての攻撃だった。

「ハハハッ、反応できてないぞ! リン!」

 余りに理解の及ばぬことで思考停止してしまったが、私の明晰と自賛する頭脳はすぐにその答えに至った。

(まさか、遊んでいるというの? この局面で?)

 呆れて物も言えなかった。見下げ果てた奴だ。私の闘志は急激に萎えしぼみ、いつしか自然と剣先を下に降ろしていた。

 だが、そんな私とは対照的にズラーラはどこまでヒートアップしてゆく。

「俺はお前が羨ましかった! お前は何でも出来た! 何をやってもお前の方が上手くやった! 遊びも、剣術も……その上、魔法まで!」

 最初は飛び飛びだった声が段々と連続して繋がって聞こえるようになり、それに伴い殺気のない弄ぶような斬撃が、一つ、また一つと私の体に浅い切創を増やしてゆく。

「お前は良いだろうさ、勝つ方は! 惨めに這い蹲るしかない俺を愉悦の心で見下ろしていたんだから! 気の済むまでさんざん俺を打ち倒し、打ち倒し、そして――! こいつは相手にする価値もない雑魚だと!」

 、というのは私がズラーラと剣術の試合をしなくなり、自警団の大人とやり出したことを言っているのだろう。もしかしたら、ガキの時分に繊細な気遣いなど望むべくもないし、心無い一言でも漏らしていたのかもしれない。全然覚えていないが。

 しかし、生憎と私は蟻ん子を踏み潰して満足できる性分でもない。より強い相手を求めるのは向上心ある真っ当な人間なら当然の行動だ。勝ちの見えている勝負に心躍らせるのは敗者の嗜好である。

(――そう、例えばこの勝負のように)

 私の心は、鉄のように固く冷え切っていた。

「まァ……それが『魔力持ち』と一般人の違いよ。敵うわけないじゃない、そういうモンよ。持って生まれた物が違うんだから、勝手に比べて捻くれないで欲しいわ」
「比べるに決まっている! 俺は俺の上に居る奴が嫌いだッ!」
「それには同意するけど……」

 恨みがあるなら私に来なさいよ。気持ちよく返り討ちにしてやったものを。全く、昔のことに何時までも拘泥してネチネチと……女々しい奴。

「……で、それが『怒れる民アルガーディブ』の一員になった理由? 上に居る奴――つまり、貴族を殺したいから?」
「ああ、その一点で俺はサフルさんと通じ合った! 彼も上に居る奴が嫌いだと言って、反逆するための〝力〟と〝思想〟をくれたんだ!」
「〝思想〟……?」

 その通り、と肯定しながらズラーラは意気揚々となおも斬り付けてくる。相変わらず、薄皮を撫でるだけだが。

「私利私欲の戦争を繰り返す貴族と軍人によって、俺たち平民は不当な重税を課せられ苦しめられている。だから、奴らに分からせてやるんだ! 俺たちにだって〝力〟があるってことをな!」
「……アンタ」

 ふつふつと、腹の底で煮え滾るものを感じた。これだから学のない奴は嫌いなのだ。耳触りの良い言葉に容易く感化されてしまう。暴走している自覚が本人にないのが尚のことタチが悪い。

 一度は冷めた心が完全に再加熱される。私は衝動的に、の方を振り向きながら怒鳴り付けていた。

「斬るべき人間と斬るべきでない人間の見分けもつかない男がァ――!」
「なっ――!」

 短剣が私の顔面を縦断し、遅れて熱が走った。ズラーラの振るった殺す気のない剣撃に対し、急に動いた私が自ら突っ込んだ形だ。結果、傷跡は薄皮一枚に留まらず、頬骨と鼻骨の奥深くにまで達していた。

「おい、リン!? 何やってんだ!?」
「止血」

 動揺するマネに急いで傷口を塞がせ、出血を最小限に留める。これは織り込み済みのことなので、私に動揺はない。

 確かに、私はズラーラのことを軽んじていたかもしれない。取るに足らない相手だとのかもしれない。昔の私ならともかく、今の私はそういう対応をされた者の気持ちが良く分かる。

 だから、一人の人間の自尊心を傷付けた報いとして、私は敢えてこの一撃を受けた。私の顔面にデカい傷を付けさせたのだから、嫌だと言っても昔のことはこれでチャラにしてもらう。

 しかし、私がそんなことを考えていたと知らないズラーラは大きく動揺しているようだった。攻撃の手を休めているのが何よりの証拠だ。

「リン……気でも狂ったか?」
「アンタこそ! 正気の沙汰じゃないわ」

 私は強い口調でズラーラに問い返す。

「運良く〝力〟を手にし、ちょっと人様より強くなったら途端に審判者気取り? 無学な田舎者が……何様のつもりよ。誰にでも出来ることではないわ、自分が絶対的に正しいと確信していない限りはね!」
「ぐっ……なんだと?」
「なら、答えてみなさいよ。ツォアル候やさっきの秘書官が悪だって言うの?」

 その答えは決まっている。私は声の限り吠えた。

「――ふざけるな! 二人とも、この国を背負って立つ責任を果たそうとしていた! 今さっき生まれたようなアンタとは違う! あの鉄道がどれだけ素晴らしいものか分からないの!? あれが国中を繋ぐことでどれだけ国が富むか!」
「だ、だから何だ! 国が富んだところで、愚かな貴族たちはそれを全て戦争に注ぎ込むだけだろう! 俺たちは、この国のを目指しているのだ! 対症療法ではなく!」

 全く、一部の問題意識には妥当性があるから面倒臭い。しかし、そこから〝思想〟によって歪められた結論を導き出し、逸って誤った行動に出ているのは看過できない。そんなことで、責任なき破壊と殺戮を正当化されて堪るか。その先に待っているのは血みどろの闘争と凋落、社会の混乱だけなのだから。

「ふぅ……説得は無理なようね。でも、アンタが正義を標榜するというのなら、貴族たちも同じことをするだけでしょうよ。鉄道は絶対必要なものだから」
「しかし、この国一番の鉄道推進派であるツォアル侯は死んだぞ! 俺が殺した! そして、その一粒種は無能と聞く!」
「いいえ、鉄道の価値を理解する人間は、開通を機にこれからどんどん増えるわ。その流れは、ツォアル侯を殺したところで決して変わることはない。この国の未来のために、アンタら『怒れる民アルガーディブ』には消えてもらう!」

 そして、残念ながらイツァク卿は既に一端いっぱしの雄である。であれば、ここで奴ら『怒れる民アルガーディブ』を撃滅すれば、この国の鉄道事業には何の憂いもない。

「――やれるものなら、やってみろ! 今の今まで、俺の攻撃に反応すら出来てなかったクセに!」
「観察してただけよ。それも、もうわ」
「つ、強がりを言うなァ!」

 ――来る。

 私の挑発の応じて、ズラーラが動き出したのが気配で分かった。

「警告するわ。次、殺す気で来ないと――アンタは負ける」
「黙れ――彷徨う亡霊サマーニヤトゥン!」

 足跡が増える。今度は先程の倍の八つ足跡を増やして攻めてくるつもりらしい。だが、それが一体何の問題になるだろう。さっきの私の言葉は強がりでもなければハッタリでもない。ズラーラは技を見せ過ぎた。

「……だから、殺す気で来なさいって言ったのに」

 ズラーラは右後方から来ている。

 それを知る私は回避動作も取らず、またもや薄皮を斬り裂きにきた愚かなズラーラの胴を、振り向きながら払うように斬った。

「なん……だと……!?」
「事ここに至って、勝敗を決する要因は剣術でも魔法でも才能でもなく――覚悟の差、だったようね」

 殺気のない剣を受け続けるうちに、私はズラーラのことを詳しく思い出していた。幼少期の彼は、私に気を遣ってか、それとも生来の気弱さゆえにか、どうにも他人に本気の剣を向けることができない人間だった。

 思い出すのは、いつも腰が引けてへろへろの剣先だ。弱い癖に、一丁前に勇んで挑みかかってくるものだから、私は彼のことを酷く疎ましがった。

『弱いやつは嫌い』

 しつこい彼にイライラして、そんなことを言ったような気がする。

 そよ風が吹き抜けた後にドサリと人の倒れる音がした。数秒の間を置いて、徐々に地面の上に倒れ伏すズラーラの姿が現れ出る。

 透明だった所為もあり、勘で振るった攻撃は浅く入ってしまったらしく、ズラーラにはまだ意識があった。

「な、なぜ……! どうして、俺の来る方向が分かったんだ……?」
「マネ――あ、私の使い魔メイトね――を、地面の下に潜り込ませといたの。足跡と違って、本体には結構ながあるからすぐに見分けが付いた」

 ズサーと砂を掻き分けながら、地面の下に広がっていたマネが私の体に戻ってきて纏わりつく。私はズラーラが姿を消した瞬間からマネを地面に浸透させていた。そして、重みを感知した足跡の方向を随時フィードバックさせていたのである。

「最初から……手のひらの上、だったのか……」
「いいえ、始めの一合に限っては運否天賦だったのよ? 完璧にアンタの動きが分かっていた訳じゃなかったから。もし、最初から殺す気で来られていたら、相討ちしていたかもしれないし、運が悪けりゃ負けていたかもしれない。でも、そうはならなかった」

 ズラーラの敗因は、さっきも言ったように覚悟が足りなかったことだ。その点、私は戦闘に臨む前から覚悟を決めていた。ズラーラを斬る覚悟を。

「アンタは不用意に技を見せ過ぎたのよ。そのおかげで、終いには透明なアンタがどういう風に攻撃してくるか、手に取るように分かったわ」

 そして、ズラーラが最後に取った行動は、予想した通りの甘っちょろい攻撃だった。

「そうか……、俺の負けか……」

 ズラーラは震える手で力なく目元を覆った。その下から一筋の涙が溢れ、こめかみを伝い落ち、地面にシミを作る。

「……生きていたら、また会いましょう」

 再び剣を振るってキチンとアニマを両断し、ズラーラを完全に無力化する。

 さて、感傷に浸っている暇はない。付近に隠しておいたアメ玉の袋を拾って補給を済ませつつ、私は周囲の戦況へ目を向けた。

 ズラーラとの戦闘中も本陣の戦況にはずっと注意を払っていた。皆、ベルンハルト中将の指揮のもと落ち着きを取り戻し、徐々に敵を押し返している。改めて見ても、私の援護は不要に見える。

 ならば、向かうべきは……まだ激しい戦火の伺えるツォアル陣だろう。しかし、そちらばかりに注力もできない事情があった。

「……静かね、向こう」
「ああ、不穏すぎるぐらいにな」

 エンゲデ、ヘブロン方面陣が、不気味に沈黙していた。少し前までは本陣やツォアル方面陣と同じように戦闘の気配が感じられたのだが、今は物音一つしない。

(考えられるのは……敵味方どちらかの全滅。現状、可能性が高いのは……)

 言いたくはないが、味方側が全滅した可能性が高い。まだ敵の要注意戦力、司令官アミールサフルと副司令官ラフィーアの姿が確認できていないからだ。その二名が二名ともツォアル方面陣に固まっていて、なおかつツォアル方面陣の手勢で二人に抵抗できているとは考えにくい。なので、やはり要注意戦力のどちらか或いは両方が、味方の陣二つを全滅させたと見ていいだろう。

「結界、展開します!」

 私の予想は、折からに展開された結界によって裏付けがなされた。ツォアル方面陣の方からは敵味方多数の生命反応があったが、エンゲデ、ヘブロン方面陣の方角には生命反応がなかったのだ。

 そして、その一つの例外的な生命反応は、高速でこちらに向かってきている。

(――来るッ! 石野郎サフルだ!)

 私はその姿をこの眼で捉える前から、向かってくる反応が推定石像獣ガーゴイル月を蝕むものリクィヤレハ、サフルであると直感した。
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