触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第四章

1.再始動 その①:一本独鈷

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 1.再始動

 先の収容所襲撃事件は、世間には月を蝕むものリクィヤレハの襲撃によるものと報道された。私が一人でやったなんてことは口が裂けても言えないことは分かっていたが、それにより世間が受けた衝撃は私の予想を越えて大きなものだった。

 世間は、これを魔法使いウィザード中心の社会に対する、月を蝕むものリクィヤレハの反撃の狼煙と捉えたのである。

 確かに考えてもみれば、魔法使いウィザードの警備する施設を月を蝕むものリクィヤレハが襲撃し、あまつさえそれを成功させてしまったという事実は、この社会の常識を揺るがすに足る大事件だ。

 あの時は、魔法士カラギウスに二言なしとばかりに制圧してしまったが、今思えば軽率な行いだったかもしれない。しかし一方で、ヘレナはもともとそうなるように計画を立てていたのだから、別に私が悩むことでもないという思いもある。

(とにかく、降りかかる火の粉だけは払わせてもらう……火の粉が、大事な家族や友人たちの身を焼く前に)

 崇高な〝思想〟も、敬虔な信仰も知ったことか。我が身一番、血縁二番、馴染み三番。この『我儘エゴ三原則』を誰彼憚ることなく唱えさせて頂く。邪魔する奴は殺す。

「――そこで、私はヘレナの右腕を斬り落として言ってやったのよ! 『このクズ野郎、地獄に落ちろ!』ってね」
「おー」

 ぱちぱちと手を叩いたのは、テーブルの向こうに座るミーシャちゃんである。無表情な奴だが、存外にリアクションが良いので私は得意になってしまう。

 王党派を離脱した私は、同年代の諸侯派を代表するグィネヴィアに嫌われているので、中立派のロクサーヌなんかとツルんでいた。今日は中庭でお茶しようという誘いを受けたので、暇な私はほいほいと付いていった。

 茶話がわりに収容所での切った張ったを語り終えた私は、乾いた喉を潤すために西方から流れてきたという茶葉で淹れた茶の味を喫する。

(うーん……不味い!)

 口直しに菓子を貪っていると、ミーシャちゃんの隣に座るがその老け顔にシワを寄せる。

「貴方ね……その話、何回目よ? もう聞き飽きたのだけれど」
「あのね、ネルちゃん」
「ネルちゃん言うな」

 そっちこそ、話の腰を折るんじゃない。私は無視して続ける。

「童話とか伝承は飽きるとか飽きないとかそういうジャンルじゃないの。何度も繰り返し語ることで、後世に受け継いでゆくものなのよ。ネルちゃん」
「――それの何処が童話だっていうのよ! というか、ネルちゃん言うな! 鳥肌が立つ!」
「馬鹿ね。どう考えても伝承の方でしょう!」
「どっちでも意味分からんわー!」

 全く、せっかく私様の『天才』ぶりを存分に伝える逸話を語ってやっているというのに、なんて恩知らずな奴だ。今のうちにサインの一つでも貰っておけば良いのに。ロクサーヌの妹なんか会うたびに強請ってくるぞ、将来有望だ。

 冗談はさておき、そろそろ休憩はやめて作業の続きに戻ろう。私は万年筆を取って、便箋を引っ張り出す。現状、やらなくてはならないことが山積みで頭が痛いったらありゃしない。

 まず、王党派の後ろ盾を失ってしまった上に喧嘩別れなのがヤバい。逆恨みをされているかもしれない。ヘレナはそういう無駄なことはしないだろうが、マチルダ辺りがちょっと不穏な雰囲気を出している。

(ヘレナの杖腕ききうで、ちょん斬っちゃったからなー)

 私の方はなんとでもなるが、家族の方は心配だ。王党派の手駒として土地管理官に捩じ込まれた護衛のムウニスは、あの様子なら王党派に楯突いてでも村に残ってくれるだろう。失うものも、我が身しかない男だろうし。

 問題は、有事の際に王都へ移住させてヘレナに無理矢理面倒を見させるプランが潰れてしまったことだ。

 かといって、諸侯派も頼れないとなると、残るアテは一つしか思い当たらなかった。そのアテとは、王党派・諸侯派どっち付かずの有力貴族――イツァク卿もとい現・ツォアル侯だ。

 という訳で、私は今そのツォアル侯に宛てた手紙の下書きを書いている。

 ツォアル侯は、最近になって正式に爵位等々の引き継ぎを終えて当主になったばかり。そこへ顔なじみである私が祝辞を送るのは極めて自然なことだ。ここは一端、下心は胸の奥深くに仕舞い込んで関係だけを繋いでおき、私の名前を脳の片隅で良いから覚えといてもらおう。

 冒頭の挨拶部分を記述していると、横からネルちゃんが口出ししてくる。

「そこ、スペル間違ってるわよ」
「あ、ほんとだ。下書きしといて良かったー。あんがと、ネルちゃん」
「ネルちゃん言うな」

 いけ好かない奴だが、こういう堅苦しい手紙の推敲をさせたらネルちゃんの右に出る者はいない。そういう面倒くさいマナーは、王党派貴族として幼少期からみっちり叩き込まれている。

 ちょくちょくネルちゃんに指摘を受けながら、私は下書きを全て書き終えた。

「――よし、できた!」
「うーん……ま、及第点ってトコじゃない? 貴方にしては」

 なーんか向こうでうだうだ言ってる阿呆は放っといて。堅苦しい文章ばかり考えて肩がこってしまったので、この手紙の清書は後回しにして別の人物へ宛てた手紙を書くとしよう。

 宛先は――スタテイラ。アルゲニア王国のスタテイラだ。

 あの日、私が設けた対話の場のことを感謝する手紙が届いて以来、彼女とは文通をする仲になっていた。

 なんでも、これまで嫌煙してきた妹に勝負を挑み、十回目にしてようやく勝利を収めることができたという。それで、ずっと抱えてきた劣等感も多少は軽減されたそうだ。これからも勝負は挑むつもりで、いつかは戦績をプラスにしてやると息巻いていた。今では、ことあるごとにしつこく勝負を挑んでくるスタテイラを、妹の方が嫌煙している始末だとか。

 あの日のことは後悔してもしきれない。どうにもならない今になってから、あれこれ「たられば」の話を幾度も思い描いてしまう。我ながら情けないことだ。

 だから、こうやってスタテイラとの間に設けた対話の一時ひとときが、丸っきり無駄ではなかったと当人から知らされることが何よりの慰めになる。

 先程の手紙とは打って変わって、私は瞬く間にスタテイラ宛の手紙を書き終えた。

「あ、そうだ。ファラフナーズの奴も元気してるかしら」
「誰よ、そいつ」

 私が手紙を書くところをつまんなそーに頬杖ついて眺めていたネルちゃんが、私の独り言にぼんやりと反応する。見ると、ミーシャちゃんもまた首を横に振った。

「もう、二人とも! スタテイラは別に忘れてても仕方ないけど、ファラフナーズは忘れちゃ駄目じゃない! パルティア王国のファラフナーズ! あんなに美しい戦い方をする奴を!」

 大魔法祭フェストゥムのメインイベントである『団体戦』にも出て、結構活躍してた有力者だというのによく忘れられるものだ。

 ファラフナーズは実際に話してみると、とんでもなく朴訥ぼくとつな気質の持ち主で、「故郷の皆を幸せにするのが私の夢だ」なんて恥ずかしい台詞をシラフで言えちゃう凄い奴だ。私は大好きだ。

「はー……戦いに美しいもクソもあるわけ? 貴方のが汚いってのは分かるけど」
「何……? もっぺん言ってみろ!」
「汚い」
「――殺す!」

 キャーと、ふざけた悲鳴を上げるネルちゃんに剣を振り上げたところで、視界の端を横切る一団が眼に止まった。

(誰かと思えば……押しも押されもせぬ王党派の皆々様じゃない)

 先頭を行くヘレナは私を一瞥し、すぐに興味なさそうに眼を逸らす。それとは対照的なのがマチルダで、まるで親の仇を見るような勢いで通り過ぎる間、ずっと私を睨み付けてきた。その後ろの辺りでベンとポーラが困ったように眉をひそめ、最後尾付近のシンシアは通り過ぎても所在なげに私の方をちらちらと振り返る。

 シンシアは特に気まずい思いをしているだろう。私によく懐いてくれていたけど、ヘレナのことも尊敬していたみたいだから。心情的には板挟みだろう。

 それに阿呆だから、派閥のトップの腕を斬り落として抜けていった奴にどう対応するのがベストかなんて分からない。

(まあ、残念ながらそんなことは私にも分からないのだけど)

 取り敢えず、私のことは心配要らないと伝えるために軽く手を降ってみた。が、シンシアは手を胸元でまごまごさせたものの、結局振り返すことなくそのまま向こうへ消えていってしまった。

 思わず、「はあ」とため息をついてしまう。

 ベンとポーラ、シンシア、ついでにマチルダとも結構仲良くなれたと思っていたのに、あの一件によって埋めようもない深い溝ができてしまった。とても、残念でならない。

 それだけならまだしも、ヘレナの奴が休養も入れずに出席し続けているせいで私は立場がない。せめて、義手ができてからなら、もう少しほとぼりも冷めてくれていただろうし、こんな針の筵のような状況にはならなかった。

 なんでも、例の天才魔法工学技師ナタン・メーイールに義手の手配はしているそうだが、サイズや感覚の調整などに少々時間が要るらしい。

 私という欠席者に評価点を与えた特例措置の前例があったので、それをヘレナにも適応してあげようという話も挙がったが、ヘレナはそれを頑なに固辞し、その袖を靡かせつつ授業などに出席している。

 まるで、私へのあてつけのように。

「……どうしてかしらねー。私はまっすぐ生きてるつもりなのだけど、気付くと敵しか増えてない」
「そりゃあ、まっすぐ生き過ぎてるからよ。誰しも少しは曲がるものよ」
「私だって出来ることならそうしたわ。けど、持って生まれた稀代の才能が曲がることを許さないのよ……」
「自惚れも、そこまで来ると美事みごとというほかないわね」

 それは皮肉半分、羨望半分といった感じの口調だった。

 そういえば、ネルちゃんも王党派貴族のクセしてロクサーヌとつるんでるぐらいだから、色々と事情があるだろうことは想像に難くない。これまでその事情を聞く機会はなかった。しかし、好奇心で無理に聞き出すようなことでもない。そのうち、本人が話してくれることを期待しよう。

「で、でも、私はそういうリンちゃんが……ス、スキ……だよ?」
「そう? ありがと、ミーシャちゃん」
「……剣の腕なんかよりも、の方が無二の才能だと思うけどね」
「そういうところ? どういう意味よ、ネルちゃん?」

 ネルちゃんは、柄にもなく真剣な顔つきで言う。

「貴方の暴虐を誰も咎めることができない。ただ既成事実としてだけ受け止めている。いえ、受け止めざるを得ない」
「それは……まあ、被害者である当のヘレナが黙ってるからじゃない?」
「聞いたわよ。いつか、ベルンハルト中将に刃を向けた話。随分と、めちゃくちゃなことをやったそうじゃないの」

 それを持ち出されると弱い。あれはヘレナ主導の『英雄』云々に対抗して『天才』というイメージを打ち立てようとムキになってやらかしたことだ。実際、徐々に塗り替えることには成功しているのだから、それに免じてあまり掘り起こさないで欲しいのだが。……無理か。

「でも、今回はそんなレベルの話じゃない。貴方は、を斬り落としたのよ……? しかもを! それなのに何の咎も受けないなんて、そんなことがある……?」

 私に言わせれば沙汰などある訳がない。公式には、収容所襲撃に居合わせたヘレナが、戦いの最中で名誉の負傷をしたことになっている。それ以外にどう説明するというのか。

 そして、その説明がただのカバーストーリーであり、実際には私が斬り落としたことを誰もが知っている。

 この現状は、ただそれだけのこと。

 けれども、ネルちゃんは王党派貴族の出身だけあって、今回の私の処遇が王国始まって以来前例のない軽さであることが引っかかっているらしい。

「ヘレナは『運命』だとも言ったそうだけど……貴方を目の前にしていると、私だってうっかり信じかねない。もしかしたら貴方、本当になれちゃうんじゃないの……『英雄』ってヤツに」
「やめてよ、縁起でもない。私自身は『天才』って謳い文句でやってるんだから」
「あっそう……」

 ネルちゃんは、辛気臭くブスッとした顔でそっぽを向き、そのまま黙り込んでしまった。ミーシャちゃんも、そんなネルちゃんを気にして挙動不審になっている。

 全く、ネルちゃんが変なことを言い出すものだから、何だか場が変な空気になってしまったではないか。

(……早く来ないかしら、ロクサーヌ……)

 こういう時、ロクサーヌが居れば瞬く間に楽しい空気に変えてくれるのに。

 私は、上手く場をとりなす言葉が思いつかないのを不味い茶を啜って誤魔化した。
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