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第四章
1.再始動 その②:慮外の才
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それからも、私は以前にもまして気まずい学院生活を送った。
王党派を離脱したとはいえ、私の所属クラスは三組のまま。通常授業はもちろん、クラス別の対抗戦になりがちな折節実習などでも、クラスの中心人物であるヘレナとぎくしゃくしている私は非常にやりづらい思いをした。
それでも、表面上は互いに協力的な態度を取り――といっても会話は事務的なものだけだったが――どうにかこうにか大局的な勝利を収めることはできた。
しかし、そんなことがこれからも続くかと思うと、私は憂鬱な気分にならざるを得ないのだった。
(前途多難ねぇ~……)
派閥がどうだ『革命』がどうだとフラフラ寄り道こそしたものの、私の目標は徹頭徹尾、『星団』に入ることから少しもブレていない。
そのために、高等部『特進クラス』へと進み、教師からの『推薦』を得なければならない。
これまでなら、『推薦』の項目は王党派の力でクリアできていたので、後は『特進クラス』を目指して日々真っ当に研鑽を積むだけで良かった。しかし、中立派となった今はそれだけでは不足だ。
(これからは飛び道具も使ってゆく)
手段を選ばず、中立派に近い教師や生徒を取り込んでゆく。それが、最近の私の行動方針だった。
取り敢えず、めぼしい同学年の中立派生徒を何人かロクサーヌ一派に引き込むことができた。皆、周りが王党派・諸侯派のどちらかに固まってゆく中で焦燥感を募らせていたようだったから、渡りに舟といった感じですぐに決断してくれた。
さて、問題は次である。次は誰を引き込むべきか。
教師でいうと、古参かつ中立派のヴァネッサ先生あたりを口説き落とせたら理想的なのだが、あまりにも中立的すぎて私だけを依怙贔屓してくれそうにはない。私生活の方も探ってみたが、全くもって清廉潔白な面白みのない人間であり、弱みを握って脅すというのも無理そうだった。
生徒でいうと、他学年の生徒になるが……実のところ、私はあまり他学年の生徒には詳しくなかった。
要するに、今のところ教師・生徒ともにめぼしい人材を見つけられておらず、それを発掘するところから始めなければならない状況だった。
(生徒の方は顔の広いロクサーヌを頼るとして……問題は教師の方だ)
機を見て、教師の身辺調査に着手すべく画策し始めた、そんな時である。私が置き手紙による呼び出しをくらったのは。
差出人は――一組のアナスタシア。
諸侯派の生徒である。しかし、ヘレナからの接触に靡くような素振りを見せたという噂もあり、蝙蝠とアダ名され両派閥の生徒から陰口を叩かれている。そんな彼女とは乱戦の中で幾度か視線を交わした程度の仲であり、直接話したことは一度もない。
『紹介したい奴がいる』――文中にはそのような旨が記されていた。
まさか、このタイミングでアナスタシアから接触を受けるとは思ってもみなかったのでかなり驚いた。彼女は噂通りの人物なのか、はたまたそうではないのか。
新たな繋がりを欲していたこともあり、また好奇心に衝き動かされたこともあり、私は呼び出された場所へ行ってみることにした。
指定された場所は、王都有数の高級ホテル。その展望ラウンジだ。偽名で入っていた予約にチェックインし、閑散とした展望ラウンジにてソファへ身を預け、窓の外の景色でも眺めながら待ち人を待つ。
程なくして、アナスタシアが姿を現した。その後ろには、見たことなない男性がいる。
「待った? リン」
「いいえ、私も今来たところよ」
私服のアナスタシアは、学院での胡乱げな印象とは打って変わり、育ちの良さそうなお嬢さんといった風体だった。
呼び出しを受けてからアナスタシアのことを少し調べたが、彼女は神聖エルトリア帝国の豪商を本家とする分家筋の生まれで、彼女の家はイリュリア支部店のようなものの経営を任されているらしい。こういったホテルを密会のために予約できるぐらいには金回りは良いみたいだ。
「突然の呼び出しに応じてくれたこと、感謝します。私とリンは、そう話したこともない間柄だというのに――」
「一つ、聞いておきたいんだけど」
「……なんでしょう」
「アンタは諸侯派として来てる訳? それとも王党派として? 或いは、二股だけじゃ飽き足らず中立派へ三股をかけるおつもり?」
そう聞くと、アナスタシアは何を馬鹿なことをとでも言わんばかりにため息を吐いた。
「私は諸侯派ですよ。今も昔も、これからもずっと――ね? フフフ」
「どの口が……全くアンタは世渡り上手ね」
「そういうリンは下手っぴですね。素直は美徳と思いますけれど、あまり直情的に過ぎると角が立ちますよ」
「ご忠告どうも。でも、そんなことはアンタに改めて言われるまでもなく、身に沁みて理解しているわ」
アナスタシアは愉快そうにくつくつと喉奥で笑った。
彼女の人となりはだいぶ掴めた。敬語だが、どこか軽薄な話し方をする奴だ。しかしその実、瞳の奥では権謀術数を巡らせている。油断ならない女だ。
世間話はここらで終いにしてそろそろ本題に入ろう。アナスタシアの後ろで待っている奴が待ちくたびれて退屈そうにアクビを噛み殺している。
「で、紹介したい奴ってのはそいつのこと?」
「はい。――おーい、ルシュディーちゃん。そんなとこにいないでこっちに来て。自己紹介して」
アナスタシアは気安げに呼びかけた。しかし、ルシュディーと呼ばれた男は不機嫌そうに喉を鳴らす。
「己に命令するな」
高級ホテルには似つかわしくない厳しい軍服に身を包んだ彼は、「ルシュディー」と低い声で端的に名乗った。魔力の気配を感じないところからすると、魔法使いではなさそうだが、一体アナスタシアとはどういう関係なのだろうか。
ルシュディーは私たちの九つ年上とのことで、年齢相応にまだまだ若さを感じる顔立ちをしているが、その茶色の肌の眉根や額に刻まれた深い皺の所為か、年齢にそぐわぬ威圧感を纏っていた。
彼は、アナスタシアを押し退けるように前に出て、テーブルを挟んだ向かいのソファに鍛え上げられたその巨躯をギュッと沈み込ませる。
「話の前に一つ――これで手合わせ願えるか?」
そうして取り出されたのは、一枚の図面とダイス、そして兵を模した小さな駒たちである。
「これは……机上演習?」
「そうだ。やったことはあるな?」
「経験はそんなにないけど……やり方はしってる」
授業などでやらされたこともあるが、学院の理念的に実践での学習を好むため、机上演習をする機会は少なかった。しかし、その少ない機会において、私はただの一度も負けていない。
「良いわ、付き合ってあげる」
「そうこなくては」
挑んでくるからには自信があるのだろう。
いっちょ揉んでやるかぐらいの軽い気持ちでいたのだが、ルシュディーがした兵駒の配置を見てそんな考えは一瞬でぶっ飛んだ。
(私が考えていた配置とほぼ同じ……)
図面に描かれている地形は、防衛側と攻撃側で非対称の作りになっている。今回は、私が『防衛側』の指揮官として拠点を守り、ルシュディーが『攻撃側』の指揮官として拠点を攻め落とすという想定だった。
私は防衛側の砦に自軍の兵駒を並べつつも、相手はどう攻めてくるのか、また自分が攻撃側だったらどう攻めるかと考えを巡らしていた訳だ。そうして思い描いた配置とほぼ同じ配置をルシュディーは採っていた。
(……少しはやるようね。流石は本職の軍人)
戦闘の始まりは穏やかなものだった。定石通りの攻め方を、これまた定石通りにさばいてゆく。自分から言い出した割りには面白みのない攻撃だと思い始めたところで、ルシュディーが動く。
彼は、散発的かつ何らかの意図を持って兵駒を並行して動かし始めた。
(何をする気だ……?)
非常に癪だが、それが何を意図した動きなのか私にはサッパリ分からなかった。それを見極めようとして、私は日和見的な受け身の動きをとり、結果として対応が遅れる。
そして、「あっ」と思った時には既に私は詰んでいた。
「――これで、完成だ。思っていたほどじゃあなかったな」
「くっ……」
思わず、声が漏れる。
今のルシュディーの一手で、先程までの散発的な動きが全て指向性を持った。一度こうなってしまっては、巻き返すことはできない。完全なる詰みの局面。
ここに至るまでの動きは彼の考案した『新手』だろう。最後の一手を打たれるまで、私はそれに気付くことができなかった。
悔しい……が、同時に快なる情も感じる。
「くっ、くふふ……図体に似合わず、美しい戦い方をするのね」
その美しく統制の取れた手は他意なく称賛に値する。
判断ミスだ。私はあの時、防衛側であるからと受け身になってはいけなかった。奇手への対抗策は定石というのもまた定石だ。
奇手は、一見して無意味・無駄に見えることがある。そして、それはある意味では本質をついている見方だ。
定石や最高効率の動きの中に、ふと思いもよらぬ奇手を混ぜ込む。すると、奇手を打たれた相手は、もしかしたら何か自分の考えが至らぬ深い意味があるのではないかと愚考してしまうものなのだ。
例え、それがただの目眩ましに過ぎぬ全く無意味な一手であったとしても、互いが真剣であればあるほど、勝負の結果として失うものが多ければ多いほど、大きければ大きいほど、その傾向は顕著になる。
ゆえに、奇手に対しては定石を打つのが定石なのである。変に勘ぐり、戸惑い、迷ってしまえば、その時点で敵の思う壺。
(まあ……それを知りながら、私はまんまといっぱい食わされちゃった訳だけど……)
原因は、私の侮りにあることは認めざるをえないだろう。私は、ルシュディーを舐めていた。その結果がこれだ。
しかし、完成――と、ルシュディーは言ったか? なるほど確かに、こうなってしまっては詰みだろう。挽回の余地はない。
(普通なら……ね)
反撃の狼煙として、私は自軍の兵駒を大胆に動かしてゆく。
「ふっ……まだ続ける気か? もう勝負は見えているだろう」
「そうかしら」
「時間の無駄だと思うがな」
ルシュディーは事前に考えていたであろう手順通りに淀みなく兵駒を動かして対応する。その含み笑いは、勝利を確信してのものだろう。
(見てなさい……『戦いに絶対はない』ということを教えてあげる)
王党派を離脱したとはいえ、私の所属クラスは三組のまま。通常授業はもちろん、クラス別の対抗戦になりがちな折節実習などでも、クラスの中心人物であるヘレナとぎくしゃくしている私は非常にやりづらい思いをした。
それでも、表面上は互いに協力的な態度を取り――といっても会話は事務的なものだけだったが――どうにかこうにか大局的な勝利を収めることはできた。
しかし、そんなことがこれからも続くかと思うと、私は憂鬱な気分にならざるを得ないのだった。
(前途多難ねぇ~……)
派閥がどうだ『革命』がどうだとフラフラ寄り道こそしたものの、私の目標は徹頭徹尾、『星団』に入ることから少しもブレていない。
そのために、高等部『特進クラス』へと進み、教師からの『推薦』を得なければならない。
これまでなら、『推薦』の項目は王党派の力でクリアできていたので、後は『特進クラス』を目指して日々真っ当に研鑽を積むだけで良かった。しかし、中立派となった今はそれだけでは不足だ。
(これからは飛び道具も使ってゆく)
手段を選ばず、中立派に近い教師や生徒を取り込んでゆく。それが、最近の私の行動方針だった。
取り敢えず、めぼしい同学年の中立派生徒を何人かロクサーヌ一派に引き込むことができた。皆、周りが王党派・諸侯派のどちらかに固まってゆく中で焦燥感を募らせていたようだったから、渡りに舟といった感じですぐに決断してくれた。
さて、問題は次である。次は誰を引き込むべきか。
教師でいうと、古参かつ中立派のヴァネッサ先生あたりを口説き落とせたら理想的なのだが、あまりにも中立的すぎて私だけを依怙贔屓してくれそうにはない。私生活の方も探ってみたが、全くもって清廉潔白な面白みのない人間であり、弱みを握って脅すというのも無理そうだった。
生徒でいうと、他学年の生徒になるが……実のところ、私はあまり他学年の生徒には詳しくなかった。
要するに、今のところ教師・生徒ともにめぼしい人材を見つけられておらず、それを発掘するところから始めなければならない状況だった。
(生徒の方は顔の広いロクサーヌを頼るとして……問題は教師の方だ)
機を見て、教師の身辺調査に着手すべく画策し始めた、そんな時である。私が置き手紙による呼び出しをくらったのは。
差出人は――一組のアナスタシア。
諸侯派の生徒である。しかし、ヘレナからの接触に靡くような素振りを見せたという噂もあり、蝙蝠とアダ名され両派閥の生徒から陰口を叩かれている。そんな彼女とは乱戦の中で幾度か視線を交わした程度の仲であり、直接話したことは一度もない。
『紹介したい奴がいる』――文中にはそのような旨が記されていた。
まさか、このタイミングでアナスタシアから接触を受けるとは思ってもみなかったのでかなり驚いた。彼女は噂通りの人物なのか、はたまたそうではないのか。
新たな繋がりを欲していたこともあり、また好奇心に衝き動かされたこともあり、私は呼び出された場所へ行ってみることにした。
指定された場所は、王都有数の高級ホテル。その展望ラウンジだ。偽名で入っていた予約にチェックインし、閑散とした展望ラウンジにてソファへ身を預け、窓の外の景色でも眺めながら待ち人を待つ。
程なくして、アナスタシアが姿を現した。その後ろには、見たことなない男性がいる。
「待った? リン」
「いいえ、私も今来たところよ」
私服のアナスタシアは、学院での胡乱げな印象とは打って変わり、育ちの良さそうなお嬢さんといった風体だった。
呼び出しを受けてからアナスタシアのことを少し調べたが、彼女は神聖エルトリア帝国の豪商を本家とする分家筋の生まれで、彼女の家はイリュリア支部店のようなものの経営を任されているらしい。こういったホテルを密会のために予約できるぐらいには金回りは良いみたいだ。
「突然の呼び出しに応じてくれたこと、感謝します。私とリンは、そう話したこともない間柄だというのに――」
「一つ、聞いておきたいんだけど」
「……なんでしょう」
「アンタは諸侯派として来てる訳? それとも王党派として? 或いは、二股だけじゃ飽き足らず中立派へ三股をかけるおつもり?」
そう聞くと、アナスタシアは何を馬鹿なことをとでも言わんばかりにため息を吐いた。
「私は諸侯派ですよ。今も昔も、これからもずっと――ね? フフフ」
「どの口が……全くアンタは世渡り上手ね」
「そういうリンは下手っぴですね。素直は美徳と思いますけれど、あまり直情的に過ぎると角が立ちますよ」
「ご忠告どうも。でも、そんなことはアンタに改めて言われるまでもなく、身に沁みて理解しているわ」
アナスタシアは愉快そうにくつくつと喉奥で笑った。
彼女の人となりはだいぶ掴めた。敬語だが、どこか軽薄な話し方をする奴だ。しかしその実、瞳の奥では権謀術数を巡らせている。油断ならない女だ。
世間話はここらで終いにしてそろそろ本題に入ろう。アナスタシアの後ろで待っている奴が待ちくたびれて退屈そうにアクビを噛み殺している。
「で、紹介したい奴ってのはそいつのこと?」
「はい。――おーい、ルシュディーちゃん。そんなとこにいないでこっちに来て。自己紹介して」
アナスタシアは気安げに呼びかけた。しかし、ルシュディーと呼ばれた男は不機嫌そうに喉を鳴らす。
「己に命令するな」
高級ホテルには似つかわしくない厳しい軍服に身を包んだ彼は、「ルシュディー」と低い声で端的に名乗った。魔力の気配を感じないところからすると、魔法使いではなさそうだが、一体アナスタシアとはどういう関係なのだろうか。
ルシュディーは私たちの九つ年上とのことで、年齢相応にまだまだ若さを感じる顔立ちをしているが、その茶色の肌の眉根や額に刻まれた深い皺の所為か、年齢にそぐわぬ威圧感を纏っていた。
彼は、アナスタシアを押し退けるように前に出て、テーブルを挟んだ向かいのソファに鍛え上げられたその巨躯をギュッと沈み込ませる。
「話の前に一つ――これで手合わせ願えるか?」
そうして取り出されたのは、一枚の図面とダイス、そして兵を模した小さな駒たちである。
「これは……机上演習?」
「そうだ。やったことはあるな?」
「経験はそんなにないけど……やり方はしってる」
授業などでやらされたこともあるが、学院の理念的に実践での学習を好むため、机上演習をする機会は少なかった。しかし、その少ない機会において、私はただの一度も負けていない。
「良いわ、付き合ってあげる」
「そうこなくては」
挑んでくるからには自信があるのだろう。
いっちょ揉んでやるかぐらいの軽い気持ちでいたのだが、ルシュディーがした兵駒の配置を見てそんな考えは一瞬でぶっ飛んだ。
(私が考えていた配置とほぼ同じ……)
図面に描かれている地形は、防衛側と攻撃側で非対称の作りになっている。今回は、私が『防衛側』の指揮官として拠点を守り、ルシュディーが『攻撃側』の指揮官として拠点を攻め落とすという想定だった。
私は防衛側の砦に自軍の兵駒を並べつつも、相手はどう攻めてくるのか、また自分が攻撃側だったらどう攻めるかと考えを巡らしていた訳だ。そうして思い描いた配置とほぼ同じ配置をルシュディーは採っていた。
(……少しはやるようね。流石は本職の軍人)
戦闘の始まりは穏やかなものだった。定石通りの攻め方を、これまた定石通りにさばいてゆく。自分から言い出した割りには面白みのない攻撃だと思い始めたところで、ルシュディーが動く。
彼は、散発的かつ何らかの意図を持って兵駒を並行して動かし始めた。
(何をする気だ……?)
非常に癪だが、それが何を意図した動きなのか私にはサッパリ分からなかった。それを見極めようとして、私は日和見的な受け身の動きをとり、結果として対応が遅れる。
そして、「あっ」と思った時には既に私は詰んでいた。
「――これで、完成だ。思っていたほどじゃあなかったな」
「くっ……」
思わず、声が漏れる。
今のルシュディーの一手で、先程までの散発的な動きが全て指向性を持った。一度こうなってしまっては、巻き返すことはできない。完全なる詰みの局面。
ここに至るまでの動きは彼の考案した『新手』だろう。最後の一手を打たれるまで、私はそれに気付くことができなかった。
悔しい……が、同時に快なる情も感じる。
「くっ、くふふ……図体に似合わず、美しい戦い方をするのね」
その美しく統制の取れた手は他意なく称賛に値する。
判断ミスだ。私はあの時、防衛側であるからと受け身になってはいけなかった。奇手への対抗策は定石というのもまた定石だ。
奇手は、一見して無意味・無駄に見えることがある。そして、それはある意味では本質をついている見方だ。
定石や最高効率の動きの中に、ふと思いもよらぬ奇手を混ぜ込む。すると、奇手を打たれた相手は、もしかしたら何か自分の考えが至らぬ深い意味があるのではないかと愚考してしまうものなのだ。
例え、それがただの目眩ましに過ぎぬ全く無意味な一手であったとしても、互いが真剣であればあるほど、勝負の結果として失うものが多ければ多いほど、大きければ大きいほど、その傾向は顕著になる。
ゆえに、奇手に対しては定石を打つのが定石なのである。変に勘ぐり、戸惑い、迷ってしまえば、その時点で敵の思う壺。
(まあ……それを知りながら、私はまんまといっぱい食わされちゃった訳だけど……)
原因は、私の侮りにあることは認めざるをえないだろう。私は、ルシュディーを舐めていた。その結果がこれだ。
しかし、完成――と、ルシュディーは言ったか? なるほど確かに、こうなってしまっては詰みだろう。挽回の余地はない。
(普通なら……ね)
反撃の狼煙として、私は自軍の兵駒を大胆に動かしてゆく。
「ふっ……まだ続ける気か? もう勝負は見えているだろう」
「そうかしら」
「時間の無駄だと思うがな」
ルシュディーは事前に考えていたであろう手順通りに淀みなく兵駒を動かして対応する。その含み笑いは、勝利を確信してのものだろう。
(見てなさい……『戦いに絶対はない』ということを教えてあげる)
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