触手の魔女 ‐Tentacle witch‐

塩麹絢乃

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第四章

2.人倫から鳴る軋音 その②:中立的な日常

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「そういえば……ニナって算術の課題まだとか言ってなかったっけ?」

 私はふとそんなことを思い出して、読んでいた魔法理論の本から顔を上げる。言われたニナは、ぽかんと阿呆面を晒していた。

「ほら、一昨日の昼食の時。提出、明日だけど」

 そう付け足すと、ニナもようやく課題のことを思い出したらしく、ハッとしたような顔をして勢いよく席から立ち上がった。

「あっ、忘れてた! まだやってないや! ありがと、リン!」
「どういたしまして」
「行こ、リリー!」「はい」

 ニナはクルリとその場で回転して、使い魔メイトのリリーと共に寮の方へ駆けてゆく。結構時間のかかる課題だったから、今から急いで取り組むのだろう。

 ニナと中立派として関係を深めてから知ったことだが、彼女は結構な忘れんぼうだった。使い魔メイトのリリーの方もニナに似て忘れっぽいので、私がニナの失念を指摘してニナが思い出すというのがすっかりお決まりのやりとりになっていた。

(全く、世話が焼けるんだから……)

 私は魔法理論の本に視線を戻しつつ、最近ちょっとクセになりだした不味い茶を喫する。

「……ねえ」
「ん。なあに、ネルちゃん」

 サミーちゃんの隣に座っていたネルちゃんに話しかけられたが、私は視線を本に固定したままで応答した。この声音は、くだらない話をする時のやつだ。

「さっきの話は、私も薄っすらとだけど覚えてるわ。一昨日、ニナがその話をしたのって、私に対してだもの。……でも、その時って確か貴方、ロクサーヌ様と話してなかった?」
「うん、そうね。それが?」
「……キモッ」
「は?」

 本なんか読んでいる場合ではなくなった。私は、栞も挟まず本を机に叩きつけて閉じ、ネルちゃんを睨みつける。

「ちょっとよく聞こえなかったんだけど……今、なんて言った? 私の聞き間違えじゃなければ『殺してください』って言ったように聞こえたんだけど?」

 ちょいと怒気を孕ませてみると、ネルちゃんの隣に座っていたサミーちゃんが脱兎の如く席を立って避難する。だが、ネルちゃんは懲りずに戯言を続ける。

「いやいや……いやいやいやいや……いや! 普通はそんなヨソでしてる話を詳細に覚えてなんかないでしょう? なんで聞いてるの? なんで、覚えてるの? キッモイって……それは……」
「はあ!? なんでそうなるのよ、素直に褒めなさいよ! 称えなさいよ! 私の明晰な頭脳と記憶力を!」
「キッモイ、キッモイ……見て、私の腕、鳥肌立ってる」

 ぶちっ。

「叩っ殺してやる!」
「キャー」

 ふざけた悲鳴を上げるネルちゃんを、無残なにしてやろうと剣を振り上げたところで、突如として大きな存在感が私たちのすぐそばに顕現する。

「――あのー、取り込み中のところ失礼します。ちょっとぉ、お時間よろしいですか?」
「アンタは……誰かと思えば、アウナスじゃない」
「どうやら、ご記憶にお留め頂けたようで恐縮です」

 マチルダの使い魔メイト、アウナスだ。そりゃあ覚えているとも。直接話したことはなくとも、何度も共に戦った間柄だ。とはいえ、マチルダと喧嘩しているところしか記憶にないので、彼の性格や用件などは全くの未知数だ。

 アウナスがネルちゃんを一瞥する。すると察しの良いネルちゃんは、それだけで彼の意を汲み、速やかに荷物を纏めて席を外してくれた。

「まあ、さしたる用事ではありませんが、部外者に漏らすものでもありませんので」
「……ああ、そういうこと」

 受け取ったのは数枚の資料を纏めた薄いファイルである。

 どうやら、私の家族や友人たちを巻き込むなという主張はヘレナに受け入れてもらえたようで、これからは『革命』の動きやそれに付随して起こり得る副次的な被害予測などを纏めた資料を前もって渡すとのこと。

 こちらのフォローはしないが、あらかじめ概要は伝えておくので後は勝手に自衛しろということなのだろう。なかなかにお優しい折衷案だ。私が仕出かしたことを思えば、こんな限りなく私に譲歩された提案をされれば飲むしかない。

「でも、アンタが持ってくるとはね。別に使いっ走りぐらい、その辺の使用人とかでも構わないでしょう。ポーラとか、ベン、シンシアでもいい」
「ええ、今回は貧乏クジを引かされました」

 やれやれというポーズを取るアウナス。私は資料をペラっとめくりながら、事務的に指摘する。

「嘘が下手ね」
「……バレました?」
「クセがある。アンタは嘘を吐く時に頬が一瞬ピクつくからすぐ分かるわ」

 資料を読み終わったので、アウナスに火属性魔法でも使って焼いてもらおうと資料を差し出しながら顔を上げると、アウナスは能面のような無表情でそこに立っていた。

「……何?」
「あっ、あっ、あっー! もしかして、今も僕を観察してるんですか~ぁ!? そうやって、べろべろ舐め回すように見て! 嫌らしいっ!」

 急にその無表情を崩したかと思えば、今度は急に意味不明なノリを出してきた。なんだか、彼に気に入られると面倒臭そうだ。というか、これと精神性が似通うマチルダも、もしかしたら素はこんな感じなのか? 全然想像できないけど。

「それ、ミーシャちゃんにも同じこと言われたわ。自覚ないけど、人をじろじろ見るのが私の癖みたいね」

 少し心の距離を取って淡々と冷たく返すと、アウナスはつまらなさそうに口を尖らせた。

 恐らくアウナスは自分の癖を指摘されて悔しかったから、私の癖も指摘して悔しがらせたかったのだろう。見え見え過ぎるし、そもそもその癖も既知のものだ。

 まるで子供のような短絡的な振る舞いである。マチルダと喧嘩している時のアウナスは、大人げなくも今よりは大人びて見えたものだが。

「――気に入りませんね。波長が合わない」
「奇遇ね、私は三十秒前から同じことを思ってた。――で、何か他に用でもあるの? ないなら、これ燃やしてさっさと帰って」
「……用はあります。もっとも、それはアナタではなくアナタの使い魔メイトの方にですけれどもね」

 アウナスは資料を燃やしながら、何かを探るように視線を私の身体の上で彷徨わせた。その無言の呼びかけに応じて、服の下からマネが触手を突き出す。

「オレ様に用ってなんだ? 手短に頼むぞ」
「はい! えーっと、〝人界こちら〟では『マネ』と名乗っていらっしゃるようですので、それに合わせて『マネ様』とお呼びさせていただきます。本日は、これまでの非礼を詫びると共に――」

 えらく畏まって立礼をするアウナス。そこらのクズ貴族より洗練された動作であり、ハンサムな顔立ちもあってなかなか様になっていたが、一方の立礼を捧げられた側であるマネは隠すことなく不快感をあらわにした。

「おい、止せ。〝人界〟で〝魔界〟の序列を持ち出すとは無粋な野郎だ」
「……では、お言葉に甘えて普段通りに振る舞わせていただきます。マネさん」

 あっけらかんとしたものである。その浅薄さは、彼の若さに起因するものだろうと何となく思った。

 しかし、魔族に敬われる『スライム』とは、いかなるものか。〝魔界〟でのマネに興味はあるが、単なる好奇心で話の腰を折るのも憚られる。後で聞くとしよう。

「こうして同じ国の使い魔メイトになったのも何かの縁。これを機に父の代で悪化した関係を修復したいと思いまして」
「アホ、何度も言わせるな。〝魔界〟のこと持ち出してんじゃねぇ。オレ様のこと知ってんなら分かるだろ? やりにくくなるだろうが。関係ないリンにも迷惑がかかる」
「そうは言いますが、僕たち使い魔メイトも民宗派対策においては〝魔界〟でも協力する方針ではないですか」

 やはり、いくら〝人界〟で月を蝕むものリクィヤレハを倒し続けたところで、根本的なところを抑えなければ敵は無限に湧いてくる。そこで、我々は使い魔メイトを通じて〘人魔合一アハド・タルマ〙の術に対する注意喚起とその対策を〝魔界〟の住民たちに広めてもらうことにした。

 〝人界〟と〝魔界〟は【契約召喚パクトゥム】を除き、暗黙の了解的に不干渉を貫いている。なので、使い魔メイトに〝人界〟だけでなく〝魔界〟での協力も頼むというのは異例といえば異例の措置。

 アウナスはそのことを指摘し、己の行為も問題ないと言いたいのだろう。しかし、それは無理筋な主張というものだ。

「そりゃあ、〘人魔合一アハド・タルマ〙の術が魔法的な技量に乏しい〝魔界〟の阿呆どもにとっちゃあ死活問題になるからだろうが。利害の一致による当然の帰結。偉ぶることじゃねぇ」
「これは手厳しい。では、関係改善の申し出はお断りになられる、ということでよろしいでしょうか。いやはや、残念」
「あのなぁ……オレ様はお前のことも父親のことも知らねぇのよ。だから悪化も良化もクソもねぇ、勝手にしやがれ!」

 マネが吐き捨てるように言うと、アウナスは嬉しそうに破顔して再び立礼した。

「ありがとうございます。そう言って頂けると父もお喜びになるでしょう。……あー、良かった良かった。面倒事が片付いたぜー」

 風前の灯が途絶えるように、アウナスは瞬く間にその場から姿を消した。

(魔族も魔族で大変そーね。事情はぜんぜん知らないけど)

 さて、と。アウナスの方はどうでもいい。私が興味があるのはマネの方だ。

「ねぇ、アウナスとはどういう関係なのよ」
「はぁ? だから、知らねぇってんだろ」
「でも、それっぽい心当たりぐらいはあるんじゃない?」
「知らねーよ!」

 契約したばかりの時は、聞いてもないのにべらべらと自分語りをしてくれたというのに、ここのところはめっきりだ。妙に口の固いマネを不審に思いつつなおも聞き出そうとするも、アウナスが齎した以上の情報は終ぞ引き出せなかった。
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